「第2回東京パラリンピックのアスリートたちが創り出したレガシー」

 2021年9月5日、東京2020オリンピック(17日間)・パラリンピック(13日間)が閉会した。2020年の目標「東日本大震災からの復興」が2021年に延期され、「コロナに打ち勝った証」に目標を変更した第2回オリンピックは、205ヶ国(地域)から11,000人のアスリートが33競技339種目で競い合い、パラリンピックは162ヶ国(地域)からパラリンピック史上最多の4,400人のアスリートが22競技、539種目で競った。

 その結果は、前回のリオのパラリンピックでは金が0に対して、東京では13、銀が15、銅が23、計51個で、2004年のアテネの52個に次ぐ成果であった。肢体不自由、視覚障害、知的障害等のハンディキャップをもつアスリートたちが、血と涙の結晶として獲得したメダルである。オリンピックでは10代の若者が目立ったメダル獲得に対して、パラリンピックでは60代の高齢者がメダルをとっていた。はじめは、私自身、気の毒な人たちのすさまじき競技との偏見もあったが、次第にその余りに迫力あるテレビ画面に、いつしか引きつけられて興奮する。超高齢化社会の日本にとってのみならず、自分にとっても明るい未来のあり方を教えてくれた。

 そんな13日間も終わって、改めて、国民の大半が反対しても実行された東京2020は、どんな評価を歴史上で下されるのか。私たちはその対策も考えなければならない。何故ならば、この第2回東京オリパラの開催は、その成果や影響について、北京オリパラや第3回のロンドンオリパラの成功に比べて、世界中が注目し、東京での成果について大きな関心が寄せられていたからだ。

 建築家としての立場で考えても、第1回東京オリパラが残した国立代々木競技場については、前回のBlog36でも記したように、9月2日にこれを世界遺産に登録すべく、DOCOMOMOの国際会議と合同で第1回シンポジュームを開催して、日本の戦後復興と国際社会への復帰を宣言するものであったことに比べて、第2回は、コロナ禍とあって、世界と共に歩く「多様性と調和」を実現したのであろうか。少なくとも、第2回のオリパラ中の9月3日、菅首相は次期総裁選出馬を突然見送ると表明して、政局が一変したことからも、東京2020の開催は日本国の大事件だったこと。

 全国の感染者は9月7日時、減じ始めた反面で、自宅療養者と重症者の激増で医療現場は悲鳴をあげ続けている。世界の感染者もコロナ株の変異と共に増加を続けて、2億2万人、死者456万人。日本は156万人の感染者で、死者1万6千人。緊急事態宣言も第5波の襲来で8月31日から9月12日に延期したのを、さらに10月迄延期すべきとの声である。このような状態で、無事に東京2020が2024PARISへ、“ARIGATO”の言葉と共に引継ぎできたであろうか。

 オリンピックのみならず、パラリンピックでも事実上の無観客で、その入場料900億円の赤字は余りに大きい。その上、屋根なしで1,569億円も投下した国立競技場の年間維持費は24億円、減築できなかった東京アクアティクスセンターでは年間6億円以上の赤字予測等々と新聞報道は既にポスト東京2020の国内景気や政局に関心が向いている。

 世界遺産に登録する国立代々木競技場でも、当時の日本が精一杯頑張った施設を使い続けて、その上、実は大変な改築費と維持費が投下されていること。それに比べて屋根なし、減築なしとはいえ、今度の施設はバリアフリー化や近代的技術の粋を集めた安全性を考えれば、必ずや日本のレガシーになると信じたい。

 時々しか観戦しなかったパラリンピックのテレビ画面ではあったが、女子マラソンの道下美里さんの笑顔、競泳の木村敬一さんの涙、車椅子テニスの国枝慎吾さんのガッツポーズ、ボッチャの杉村英孝さんの得意顔等々の金メダルアスリートのみならず、銀メダルの車椅子バスケットボールの日本チーム等々、テレビというVirtualな世界でも十分に伝えられた刺激は、価値ある「モノ」ではない「こと」であった。この暗い明日の見えない時代にあって、東京2020は十分なレガシーとしての価値ありに思えてきたのである。

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