「建築」と「土木」の語源について

 縄文社会研究会の雛元氏から松浦先生に土木の語源を問うメールがあった。

 土木と同じ建築の語源についても諸説あり、いつかこれを明確にしておくことが必要と考えていた。2021年の私の見解は、“Civil Engineering”を初めて日本語に訳した人は誰かわからないが「土木工学」と訳し、“Architecture”を日本語に訳した人も誰かわからないが「建築」と訳した。唯、その訳語が正しかったかどうかわからないが、明治の初期にこの訳語を普及させた人は、建築については、間違いなく東大の初代建築史教授であった伊東忠太であり、土木についてもよくわからないが、土木学会の式典で、紀元前2世紀頃に記された『淮南子』に基づき命名されたと北大総長の丹保憲仁教授が話され、普及したようである。又、早大建築学科を卒業して、東大土木工学科の教授になった内藤廣君も「土木」と「建築」の語源に関心をもって調べているようだ。

 東大の建築学科は、初期は造家学科と称し、日本建築学会も創設期は造家学会であった。土木学会は工学会からではなかったか。

 言葉は時代の生活・文化と共に変わり、何故そうなったかについてはよく分からないのが普通で、今日使っている中国語の建築や土木の用語も、日本語の翻訳を活用したものと考えられる。

 いずれにしろ、明治維新、日本が欧米文化の輸入に熱心であった時代の訳語で、いつかこの言葉が定着し、更には日本独自の建築や土木の文化が生まれていると考えてよかろう。ちなみに、江戸時代の建築に相当する言葉は「作事」であり、土木は「普請」と称していたようだ。

 以上、私の勝手なBlogに記したいと考えたが、念のため、用語に詳しい松浦茂樹先生と高橋信之先生に教えてほしいとメールした。数日して数十頁の調査資料が送られてきた。余りに多様な説明があったので略記して、両先生の了解を得られれば、私自身のBlogに引用させて頂くことにした。なお、手元にあった伊東忠太の書物を読んで、言葉の定義は時代と共に変わっていくことを実感すると共に、私の専門とする「都市環境」という言葉も、この30年間でずいぶん変わってきた。

 ①伊東忠太著「日本建築の美」(昭和19年6月、築地書店)

 ②伊東忠太著「木片集」(昭和3年5月、萬里閣書房)

 ③岸田日出刀著「建築学者 伊東忠太」(昭和20年6月、乾元社)

 ④読売新聞社編「建築巨人 伊東忠太」(平成5年7月、読売新聞社)

 日頃何気なく使っている用語が定着するためには、大変な歴史やその用語に対する思い入れのある人々の多いこともインターネットや両先生からの資料を読んで痛感した次第である。

「土木」の用語由来

・1869年(明治2年)、民部官土木司が設置され、職制にはじめて「土木」が登場し、明治10年内務省土木局が設置され長く続いた。

・一方、明治元年、会計官が設立されるが、その直前の4月15日の記事に「開墾土木、工事」の用語が記載され、設立後の8月22日の記事に、天竜川堤防修築工事を浜松藩に委任するに当たって、「土木ノ事務タル本官ノ専任に属ス」と土木の用語がある。

・明治2年8月11日、大蔵省から営繕司の事務が民部省土木司に転属。土木事務・公共建築事務のすべてを担当する。

・明治4年7月14日の廃藩置県で民部省廃止につき、土木司は工部省土木寮が所轄するも、土木寮は大蔵省・内務省に移り、明治7年内務省土木寮の営繕事務が工部省に移される。内務省土木寮所轄の建築局が工部省製作料の所管になる。明治10年、寮は局となり、内務省土木寮は土木局となり、1931年(昭和6年)まで55年間続く。

・明治6年刊行の「英和字彙」に”Civil Engineering”が登場し、「土木方」と記されている。

・明治元年刊行の「軍事小典」に「土公兵」なる用語は、Military Engineerを訳したもの。

(以上、松浦氏調査資料より)

「土木」用語の由来

・土木関係者は、2002年5月の土木学会の式典で、丹保憲仁前会長の記念講演で『土木の語源は、紀元前2世紀頃の中国古典「淮南子」に(聖人乃作 為之築土構木 以為室屋上棟下宇 ・・・)』この築土構木からとの説。しかし大正5年頃の土木学会誌で土木ノ改名論に関する激論あるも、築土構木の出典は伝聞としている。しかし、「土木」の二字の歴史は、「淮南子」より3世紀以上前に、中国の「国語」等に2回も登場し、日本でも鎌倉時代の「源平盛衰記」に東大寺建立を叙述したところで「土木(ともく)ノ造録」がある。

「建築」の用語由来

・堀達之助(1823~1894)等編「英和對譯袖珍辞書」(文久2年(1862年)、洋書取調所、出版地:江戸)

   Architect              建築術ノ学者

   Architecture         建築学

 明治4年11月「袖珍英和節用集 全」に同じ訳

・明治2年(1869)薩摩辞書、上海にて印刷刊行

・明治6年(1873)「東京新製活版所蔵版和譯英辞書」

   Architect              建築学者   

   Architecture     建築術

・明治6年(1873)「工学寮・学課並諸規則」

・専門科ヲ分チテ土木・機械・造家・電信・化学・冶金・鉱山ノ七科トシ六ヶ年ヲ以テ卒業ノ期トス。

・明治18年(1885)工部大学校 学課並諸規則

   学課:Build、Construct等に建築

   Architecture              造家

・明治19年(1886)造家学会発足、発行雑誌名「建築雑誌」

   正員は建築学を専修したる者

・明治27年(1894)伊東忠太「我造家学会の改名を望む」(明治30年3月発行の建築雑誌)

・明治30年(1897)造家学会を建築学会に改名

・明治31年(1898)帝国大学工科大学造家学科を建築学科と改名

(以上、高橋氏調査資料より)

尾島の蛇足ですが、

 20世紀後半に輝いた丹下健三や菊竹清訓に代表される日本の建築家や、世界に誇る長大橋や海底トンネルを建設した土木技術者の名声や成果を礎に、建築と土木を合わせた建設産業が花形であった。しかしその時代こそ、日本の失われた30年間であったようで、結果として、日本は世界のDX(Digital Transformation)に乗り遅れた。

 果たして、理工学部の建築学科や土木工学科は、建築学部や社会工学科へと発展・解消する方向に名称を変え始めた。建設業界も”Construction”から”Production”へと、アナログからデジタル技術へ転換、”Architecture”や”Civil”の用語も、BIMやCIM時代にあって、その意味するところが、最近よく使っている人々の声から、建築や土木の専門家ではなく、情報分野に属している人々のようである。

 建設産業界に際立つ高齢化や人手不足、生産効率の低下は、建築や土木の技術や文化に執着した私の世代が世界の潮流に乗り遅れているためであろう。コロナ禍のステーホームでは反省ばかりである。

「震災復興10年の総点検『創造的復興』に向けて」(五十嵐・加藤・渡辺共著、岩波ブックレット)を読んで

 2021年2月、五十嵐敬喜先生から岩波ブックレットNo.1041が贈られてきた。表紙に「32兆円は、人々を幸せにしたのか?」とある。

震災復興10年の総点検
岩波ブックレットNo.1041 2021.2 出版)

 2011年3月11日の東日本大震災時、五十嵐先生は内閣官房参与として総理官邸に居て、国家戦略室で復興院を発足させるについて意見を求められた。その返事に当たって、伊藤滋先生に相談したところ、「日本政府のPublic CommitmentsとSpokesmanの質が問題で、結果として、政官民で感覚のズレがあること。」国とは別に、私達自身で「この大惨事を忘れぬ間に、少しでも正確に市民の目線で捉えた実状を出版することで、せめても被災者に報い、今後の日本再建に寄与したい」となり、「東日本大震災からの日本再生」(中央公論新社、2011.6.25)を出版した。これを海外にもとNPO-AIUEで英・中・韓国語に翻訳出版した。

【中古】東日本大震災からの日本再生/伊藤滋,尾島俊雄【監修】【中古】afb
(中央公論新社 2011.6 出版)

 当時の民主党内閣は、菅直人首相の下で、東日本大震災という未曾有の自然災害に加えて、福島原発事故で総理官邸の混乱は極度に達していた。五十嵐参与も、平常時は静かなはずの参与室で、民主党での日本の将来像を進言する予定が、執務できる状況にないため、私の銀座オフィスで後方支援できないかと頼まれた程であった。

 以前、私が岩波ブックレットに「異議あり!臨海副都心」(No.247)を書いたのは、東大先端研の客員教授時代で、東京一極集中を加速させる臨海副都心での東京都市博や副都心づくりに対して、人格をかけての異議申請の出版であった。この成果として都市博は中止になり、副都心づくりは中断した。この善し悪しは別にして、「幸せにしたかどうか旗色鮮明にすること」が総点検者の役割と考えるためである。

(岩波ブックレットNo.247 1992.3 出版)

 岩波ブックレットNo.1041は五十嵐先生も人格をかけての提言かと熟読した。然るに、「32兆円という巨額をかけた復興政策の光と影、防潮堤や住宅、まちづくりなどハードの側面と生業の再建などソフトの側面から検討した結果として、「本当に被災者の役に立っているのか、厳しく検証されるべきであろう」との優しい評価であった。期待したのは5章の「事前復興計画-幸福論と田園都市論」であったが、「日本のあるべき姿」としての「事前復興計画」について高知県や岩手県での範例を示したのみである。「復興とは、つまるところ幸福をどのようにして保証し、積み上げていくのか、ということに尽きるというのが私達の結論なのである。」

 あとがきで、五十嵐先生は、「創造的復興」に32兆円もの巨額(1000住戸入居するタワーマンションが320棟分にも相当)投資をした上に、復興庁なる組織をつくり、これを10年も延長すると閣議決定された。これによって、今後予想される南海トラフ地震や首都直下地震に対して、政府や自治体の描く「公共事業」中心の復興デザインとは別に、独自に新しい行動パターンによって「日本の再生」に取り組む人々が生まれたと書いている。

 本書によって、東京の災害事前復興計画が見えてこないのが残念で、その上、福島原発事故からの復興については、専門外として点検の対象としなかった。

 32兆円という国費の使途についての検証に少しでも災害事前復興計画への予算配慮が欲しかった。コロナ禍のGo Toキャンペーンや一律給付金、さらには予備費の使途について、余りの無駄と思える国費の使途については、これからの五十嵐評を期待している。

 と書いている最中、2月13日(土)23:08の地震である。自宅で震度4、M7.3(阪神淡路大震災や熊本地震と同じレベル)、地下55km、10年前の東日本大震災の余震であった。震度6強の場所もあったに拘わらず、死者も倒壊した家屋もない様子に、宮城・福島地方の建物補強等の防災対策が進んだためか。

 国土交通省都市局のアンケート調査で、「復興事前準備」の必要性に関しては57%も重要と認識しているが、地方公共団体の5%しか実施されていない。他業務の負担が大きく、検討時間がない60%、何をすればよいかわからない37%と、岩手や高知は5%の例外であること。まして「事前復興」に至っては皆無に等しいという。

 1995年の阪神淡路大震災の直後に、建設業界からの委託もあり東京の事前復興計画案を作成して公表したところ、ある新聞で災害待ちの建設業界と叩かれたことや、2011年の東日本大震災後、川口市や江東区・練馬区・中央区等で事前復興計画案を作成して、それぞれ首長に見せるに当たって、区役所職員に説明に行ったところ、実に迷惑顔をされ、学生たちにこの種のテーマで論文を書かせる困難さを感じた。

 今日のコロナ対策としてのワクチン研究や、その接種普及に世界中が争奪戦するに比して、大地震や気候変動に対する事前復興対策投資は、昨今のESG投資状況を見る限り、これからが本番と思えるが、そのためにも五十嵐先生の如き先駆者が欲しいからである。

 東京直下地震の確率が高まる今日、コロナ禍での「創造的復興」以前に、先ずは被災状況を具体的に想定した上で、復興のシンボルとして「生活再建」と「市街地復興」の双方の視点から、「復興事前準備」と「事前復興計画」を検討することの必要性である。なにはともあれ、Society5.0時代のDXまちづくり時代「国費の使途と成果に関する評価の大切さ」を本書で気づかされたことから、こんなBlogを書くことになった。

「アフターコロナ時代の都市環境」の「NPOまほろば賞」について

 2020年10月27日、NPOアジア都市環境学会が会員向けに募集した論文の締め切り時、世界のCOVID-19の陽性者4,317万人、死者115万人。

 2020年12月14日に論文選考会が開かれ、34編中3編がまほろば賞に選ばれた。私も選考委員の一人として全ての論文を読んだ結果、それぞれが刺激的で、新鮮な論文に感銘した。コロナ禍の惨状下にあって、会員諸兄がこの非常事態に如何に発言の場を求めていたかを知った。従って、選考に当たっては、まずは類型化して読みやすい論文集として出版することに加えて、ISBNには定価をつける必要があることや、まほろば賞の贈呈についても議論した。

 出版作業は全て三浦昌生君が九州で仕上げてくれることになり、表紙は渋田玲君が担当して、2021年2月1日、NPOアジア都市環境学会編の著作集が手元に届いた。

 この日の米国ジョンズ・ホプキンス大学発表のCOVID-19の陽性者は1億人を突破して、死者も225万余人と、この3ヶ月足らずで倍増のすさまじさであった。すでにワクチンが各国で使われ始めたにも関わらず、更に強力な変異ウイルスが増殖中という。1月7日に11都道府県に発出された緊急事態宣言は、2月7日解除の予定が1ヶ月延期され、今も医療機関の崩壊が叫ばれ続けている。

 高齢者である私自身は不要不急の要件なき身とあって、ステイホームの毎日。先日送られてきた神田順先生の「小さな声からはじまる建築思想」(現代書館)の書評に加えて、三浦君がせっかく立派な論文集として出版してくれた本についても書評を書かねばと考えて、春一番が例年より早く吹いたとのテレビ報道のあった日に係わらず、散歩に出た。

小さな声からはじまる建築思想 神田順(著/文) - 現代書館

 寒風のなかの散歩中に思い当たったのは、神田先生の著も、まほろば賞を受賞した3人の論文に共通しているところは、「自覚」「生命」を第一とする教育者としての使命感であった。

 神田先生は、東大本郷キャンパスでは建築構造学の世界的権威でありながら、建築基準法の限界から建築基本法の策定を提言し、東大柏キャンパスに移って、新領域創成科学研究科の環境学分野にあって、阪神・淡路大震災や東日本大震災の復興に当たって、建築の安全問題と共に、人間が安心できる生活環境についての体験著であった。

 また、北九州市大のD.バート君の論文は「3つのポストを超えて ポストモダン・ポストインダストリアル・ポストコロナ」と題し、「ポストモダンは思想学者に向けたものであり、ポストインダストリアルは経済の観点における議論が中心であった。ポストコロナは人々の生命を脅かすものであるとして、世界中の「日常」を変える衝撃であった」とする。彼はベルギー人らしい世界観をもって、ポストコロナ社会を見通していたこと。

 「台湾で見たCOVID-19感染症」と題した台湾国立台北大学の王世燁君の論文は、台湾の歴史・民族・自然・風土を統括した上で、ポストコロナ時代にあって、台湾人らしい生き方の代表として、世界の人々が共鳴せざるを得ない説得力をもって「世界中の誰もがマスクを着用することで、人間が口を閉じる必要があることを暗示しているかのような今日、人間は地球の生態系のグループの一つに過ぎず、もはや地球の支配者であってはなりません。感染症の流行期間に多くの生態系の回復を振り返り、新しい世代を迎えるために更に謙虚な心を持つべきでしょう。」

 「エネルギーとDXから考える分散・クラスター都市」と題した摂南大学の大橋巧君の論文は、日本としての進路を明確に示したように思える。「オフィスビルや巨大工場等の職場に多くの人を詰め込む20世紀の都市モデルは、情報化社会ではその必要性は次第に薄れつつあったが、今回のCOVID-19の感染拡大は、そのことをわかりやすい形で人々に示した。幸い、進化したデジタル技術が人々の生活をよい方向に変化させるというDX(デジタル・トランスフォーメーション)の概念が一部実証された。」

 以上が4人の先生方の論旨のように思えたが、会員諸兄には是非共、原著の一読を勧める次第です。

廃業ホテル撤去で白樺湖景観蘇生

 1946年、地元住民や旧制諏訪中学在校生により農業用ため池として「蓼科大池」が完成した。1950年代に入って、標高1420mのこの地にも電気や電話が開通し、路線バスの本数も増え、農林業から観光地としての脱皮に当たって、地元の要望で「蓼科大池」が「白樺湖」に、近くの女神湖やすずらん峠、ビーナスライン等と国際観光地らしい名称に改名された。1955年、池の平ホテル開業。1964年、東京オリンピックの年には、当地に昭和天皇も行幸された。

 1964年、八ヶ岳が国定公園に指定。1967年にはレイクランド(現ファミリーランド)開園。幾多の開拓地をレジャーランドに変化させた。白樺湖周辺が開拓地から観光開発地となる創成期である。

 1970年代には石油危機を迎えるも、池の平ホテルは順調に発展。1983年にはスキー場にナイター照明を新設、1986年には池の平博21オープン。この頃、湯川財産区でも柳沢英次氏の「蓼科グランドホテル滝の湯」や矢崎善美氏等の蓼科湖周辺の開発が進み、東急の進出もある。白樺湖畔でも篠原氏の「白樺湖ホテル山善」が開業することで、地区全体が年間240万人の観光客を集める日本有数の観光地に発展。池の平ホテルも1985年の年商75億円から1995年には100億円に拡張。

 2000年、早大理工学部と慶大医学部の先生方が中心になって「茅野市の新観光産業の展開」国際シンポジュームを茅野市役所で開催したのは、ライトのタリアセンを模して尾島山荘を建設したことによる。毎年この山荘での夏合宿が恒例となった。

 2013年9月にはOB中心のアジア都市環境学会の国際会議に合わせて、池の平ホテルで日本景観学会を開催した。このシンポジューム・テーマを「白樺湖畔の景観再生を考える」としたのは、白樺湖畔の廃ホテルや空き店舗が著しく景観を破壊し、観光産業に大きなダメージを与えている状況からであった。慶応大学文学部の川村晃生教授は「風景を楽しむ建物が風景を壊している。人間が変わらなければ風景は変わらない」。法政大学法学部の五十嵐敬喜教授は「放置建物撤去に当たって財産区や公共が代執行するには法整備が必要」。柳平千代一茅野市長「1991年のバブル崩壊以降、白樺湖畔の宿泊施設が相次ぎ閉鎖した。その原因は団体から個人、物見遊山から体験学習へという観光の転換に追いつかなかった」等の発言が翌日の新聞に掲載された。

 2015年、柳平市長が柏原財産区の役員20余人と現地視察した結果、1956年創業した「白樺湖ホテル山善」が2007年に破産し、廃業された建物劣化は景観破壊に直結しているとして、市と財産区で協議会を設置した。

 2018年10月、柏原財産区から1億5千万円を借りて、柏原農業協同組合が撤去することになった。その跡地利用に当たっては市が全面支援するという約束で、2019年、道路反対側の本館を除いて、目障りな南館2棟が撤去された。かくして、白樺湖畔の景観は見事な自然景観として蘇生したのである。

 しかし、市が財産区民にバックアップすると約束した跡地利用を地主の利益と蘇った自然景観を両立させるのは大変である。 1945年に池の平地区の山林開拓者として入植し、戦争で荒廃したこの土地の農地改革に寄与し、一大観光地にまで発展させた池の平ホテル創業者の矢島三人氏が残した写真を見ながら、自然と人間との共存のあり方として、地域循環型共生圏構想を具体化する秘策を考えるコロナ禍の毎日である。

「この都市のまほろば」を電子書籍出版するに当たって

 2020年8月、突然「この都市のまほろば」vol.1を電子書籍出版しないかとの電話であった。「一読者としてこの本に感動した。ついては自分がその仕事をしているので協力してほしい。」滅多に直接電話に出ない私は、何かの運命と思ってOKしてしまった。どんなノルマや利益があるか判らないまま、コロナ禍の新常態の状況下、時代の波に乗った。

 本書のシリーズは、事実上、全7巻とその総まとめとしての「日本は世界のまほろば」シリーズ全3巻で、合計10巻は2017年7月に終了しており、出版社も既に絶版として販売を終えている。依頼された電子書籍出版は、著者の承認だけで処理できる由。手数料は必要だが、読者次第で収支は十分可能というので、その後は事務局(NPOアジア都市環境学会)にお願いすることになった。

 それから4ヶ月後、350頁の校正が送られてきたので、お正月に熟読することになった。「この都市のまほろば」vol.1は、雑誌「中央公論」に2003年4月号から2004年12月号まで連載した20都市を単行本とし、2005年5月、中央公論新社より「この都市のまほろば(消えるもの、残すもの、そして創ること)」と題して、編集は関知良、写真は高橋信之、挿絵は藪野健さん、私が著者として出版したものである。

 早稲田大学教授として最も多忙な時期に4人が一緒にこの20都市を歩き、楽しく議論しながら著した書である。十分に時間をかけた現職時代の作品だけに、改めて読み直してみるとよく勉強している上、中央公論の編集者や中央公論新社の目が通っているだけに殆ど修正するところがなかった。20年前の著作であるが、それぞれの都市への熱い思いは、今も殆ど変わらなかったことに、むしろ驚いてしまった。同時に、日本は失われた20年と言われるだに、上海・ソウルの海外2都市を除いた日本の18都市は全く変わっていないので、当時提言した試みが成功すればと今も思えてきた。従って、vol.1が読まれることに成功すれば、是非ともvol.2~7のみならず、「日本は世界のまほろば」も電子書籍出版してほしいと考えた。アフターコロナ時代の二地域居住や地方創生の支援策としても、原発立地周辺の再生に当たっても、今度の試みを機会に、一緒に考えてほしいと考える次第である。COVID-19の禍がいつ収束するか判らず、事実上ロックアウト状況下にあって、改めて、本書シリーズの抜本見直しの旅をしてみたいと考えた2021年の長い長い正月休みであった。

(2021年4月初旬 amazonで販売予定)

年末年始休業のお知らせ

平素は格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。
年末年始の休業期間について、以下お知らせいたします。

2020年12月26日(土)~2021年1月12日(火)

上記期間中にいただきましたお問い合わせにつきましては、2021年1月13日(水)以降にご返答させていただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

東日本大震災から10周年 田尾陽一著の「飯舘村からの挑戦」(ちくま新書)に学ぶ

  2011年3月11日、東京電力福島第一原子力発電所事故「山を荒らし、川を荒らし、村を破り、避難の過程で結果的に人を殺してしまった」この事実は揺らぎようがない。まして、この事故の責任をとる人がいないのだから、日本は倫理的には欠陥を持つ社会である。

 広島の原爆を体験し、東京大学大学院で高エネルギー物理学を専攻した田尾氏は、NPO法人「ふくしま再生の会」を立ち上げ10年、今は福島県飯舘村に移り住み、原発被害地域再生に取り組み、住民目線で考え続け、当地こそ二地域居住を希望する若者達に最適とする説に共鳴する。

 私も田尾氏の案内で何度か当地を訪問し、その魅力と田尾氏の人柄や熱意に惚れ込んで、以下に引用文を記す。

 『飯舘村は、日本で最も美しい村の一つとして「までいな村つくり」を全村あげて推進してきたことで知られていた。原発事故はこの試みを破壊した。しかし完全に破壊されたと諦めることはできない。諦めきれない人たちが村の中にも周辺にも、都会の人たちの中にも存在している。2020年、原発事故とウィルス感染の安全度では、東京と福島、都市と地方の逆転が起こっている。』

 田尾氏等は『原発事故から10年の現在、コロナ後の活動を見通して「ふくしま再生の会」として、放射能・放射線のレベルを長期に監視して安全レベルを住民目線で確認しながら、事実に基づいて活動する。しなやかな感性を持った地域内外の若手の魅力あるプロジェクトを立ち上げる。

 独自の歴史・文化・地理をもつ飯舘村が原発事故による放射能被害を受けた。この環境下で食糧・エネルギー・健康医療の三領域で自立する力をつけなければならない。それには科学・技術・人文科学、そして自然と人間の共生を目指す現代アートなどが必要である。そこで「原点回帰と新発想」をベースに、新しいプロジェクトを自力で切り拓く若者が必要とされている。若者よ!大志を抱き集まれ! 飯舘村の若いプロジェクトに!』

 私は、もう少し若ければ、佐須地域の「風と土の家」に泊して現地を体験した上、きっと二地域居住を決意したであろう。

早稲田大学 尾島俊雄研究室OBから二人の学長就任を祝し、コロナ禍での都市環境学を考える

 早稲田大学理工学部建築学科の修士・博士過程で、私の研究室に学んでいた二人のOBが相次いで学長に就任したという連絡があった。一人は10月から韓国の有名な国立大学・慶北大学の第19代総長に就任した洪元和君、一人は日本の有名私立大学である東北工業大学の学長に来春から就任する渡辺浩文君である。

 私の早大時代に開設した都市環境学のあり方が、コロナ禍で問われていることから、この学問分野で、私の研究室OBで大学教授になっている50余人に、芝浦工業大学教授を退職した三浦昌生君(都市環境学教材の編集幹事)に頼んで、アフターコロナ時代の都市環境学を展望する論文を募集してもらったところ、なんと日英文で35編も手元に届いた。

 12月14日、私の自宅に横浜国立大学の初代都市科学部長で、来春から副学長に就任予定という佐土原聡君とJ-Power OBで、国際的にスマートシティ等を設計していたNPOアジア都市環境学会理事長の吉田公夫君と三浦君が集まって、既に事前評価されていた論文の評価と公表について話し合った。

 第一線の学者として既に実績をもつ諸先生方の都市環境観は、全て一考に値すること、その中で、建築家の伊東豊雄氏の紹介でベルギーから私の研究室に留学し、北九州市立大学の教授になっているD.バート君の「3つのポストを超えて、ポストモダン・ポストインダストリアル・ポストコロナ」や台湾の建築学会長であった林慶豊先生の紹介で、長い間、私の研究室に在籍し、今は台湾国立台北大学の王世燁君の論文が強く印象に残った。

 私自身、早大の教師時代、常々、大学院生達には、学職に就いても学部長や学長になると自分の目指す学問の道を踏み外すから、余程のことが無い限り就任すべきでない。就任することになったとしても、できる限り早く降りるべきと話していただけに、祝福すべきかどうか考えてしまった。しかし、今度のコロナ禍はやはり余程のことが起こっており、しかも都市環境のあり方自体が問われていること。1970年代に都市環境学の必要性を叫ぶ学生達を集めて学んだポストモダンからポストインダストリー時代の都市のあり方が問われているからである。ポストコロナ時代の都市環境学は、そのあり方と同時に、人間としての生き方そのものが問われている時代にあって、学部長や学長は多様な学問分野の教授や学生達を導く役職であるだけに、その立場に就くことは生命を賭けるに値する。彼等の勇気を称え、影ながら支援することにした。

早稲田大学東京安全研究所の「都市の安全と環境」シリーズ出版に当たって

 2014年から5年余、早稲田大学東京安全研究所で、伊藤滋・尾島俊雄・濱田政則名誉教授を中心に、「東京の減災戦略」「防災性向上」「インフラ老朽化対策」「経済被害削減」を中心とした研究成果を出版した。

  • 伊藤編の都市計画分野 4冊
  • 尾島編の建築分野 3冊
  • 濱田編の土木分野 3冊

 これを基に、2020年1月に早大井深大記念ホールで、「防災・減災の行方」と題し、『国土と社会の強靱化はどこまで進んだか』をテーマにシンポジウムを開催した。

 その結果、1995年の阪神・淡路大震災からの25年、2011年の東日本大震災からの10年は決して失われた年月でなく、2013年の国土強靱化基本法を待つまでもなく、専門的な技術や対策は相当進んだこと。しかし、それ以上に都市の拡大や老朽化が進み、加えて自然災害の規模は想定以上に巨大化しつつあることから、減災対策が喫緊の課題である。特に、政治・行政等の公助限界を考え、共助・自助の面では、東京の安全・安心は、私たちは各自の自己責任で取り組むべきであること。しかし、不安のみが先行してのパニックが心配されることもあり、本研究を指導された先生方から「生命を守る強力な建築・土木・都市計画分野の技術が、どれ程進んでいるか」について知る必要があるというご意見をいただいた。

 これを若手研究者に伝えたところ、鹿島学術振興財団の研究助成を得て、早稲田大学の秋山充良教授が中心に検討して下さった。
 2020年12月、その中間報告会があり、次のような研究目次(案)が出された。


「首都東京の災害から命を守る技術」(案)

序  予測される首都東京の被災     尾島・秋山・(福島)
(東京直下地震・南海トラフ地震・富士山爆発他/気候変動・津波・洪水・新型コロナ・原発事故)

1編 建築技術分野
   1章 超高層建築         小林紳也/(高口洋人)
   2章 地下空間          原 英嗣/(村上公哉)
   3章 仮設住宅・みなし仮設    小林昌一/(小野道生)
   4章 即時耐震性能センサー    (楠 浩一)/増田幸宏

2編 土木技術分野
   5章 洪水(予測・対策)     関根正人/(秋山充良)
   6章 津波            秋山充良
   7章 コンビナート        濱田政則
   8章 防災・教育         重川希志枝/(福島淑彦)

3編 都市計画技術分野
   9章 BCD・分散電源・CGS    (尾島俊雄)/中嶋浩三
  10章 防災情報・ICT        渋田 玲/(増田幸宏)
  11章 木造密集地         三舩康道/(長谷見雄二)
  12章 エリア防災DCD       関口太一/(小野康道)

4編 総論
  大丸有地区モデル(伊藤 滋)    加藤孝明  

 秋山充良・原 英嗣・増田幸宏氏等の意見では、『2021年には東日本大震災から10周年に当たり、その間の建築・土木・都市計画分野での技術開発は、それなりの成果もあったが、同時に、新型コロナ禍での三密対策やロックダウンの実状から、都市そのもののあり方やライフスタイル、価値観の転換を余儀なくされている今日、シリーズ10冊の既出版物の見直しとアフターコロナ時代の建築・土木・都市計画分野で連携して、ソフト・ハード面からの再構築を検討することになった。