平素は格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。
年末年始の休業期間について、以下お知らせいたします。
2020年12月26日(土)~2021年1月12日(火)
上記期間中にいただきましたお問い合わせにつきましては、2021年1月13日(水)以降にご返答させていただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
平素は格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。
年末年始の休業期間について、以下お知らせいたします。
2020年12月26日(土)~2021年1月12日(火)
上記期間中にいただきましたお問い合わせにつきましては、2021年1月13日(水)以降にご返答させていただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
2011年3月11日、東京電力福島第一原子力発電所事故「山を荒らし、川を荒らし、村を破り、避難の過程で結果的に人を殺してしまった」この事実は揺らぎようがない。まして、この事故の責任をとる人がいないのだから、日本は倫理的には欠陥を持つ社会である。
広島の原爆を体験し、東京大学大学院で高エネルギー物理学を専攻した田尾氏は、NPO法人「ふくしま再生の会」を立ち上げ10年、今は福島県飯舘村に移り住み、原発被害地域再生に取り組み、住民目線で考え続け、当地こそ二地域居住を希望する若者達に最適とする説に共鳴する。
私も田尾氏の案内で何度か当地を訪問し、その魅力と田尾氏の人柄や熱意に惚れ込んで、以下に引用文を記す。
『飯舘村は、日本で最も美しい村の一つとして「までいな村つくり」を全村あげて推進してきたことで知られていた。原発事故はこの試みを破壊した。しかし完全に破壊されたと諦めることはできない。諦めきれない人たちが村の中にも周辺にも、都会の人たちの中にも存在している。2020年、原発事故とウィルス感染の安全度では、東京と福島、都市と地方の逆転が起こっている。』
田尾氏等は『原発事故から10年の現在、コロナ後の活動を見通して「ふくしま再生の会」として、放射能・放射線のレベルを長期に監視して安全レベルを住民目線で確認しながら、事実に基づいて活動する。しなやかな感性を持った地域内外の若手の魅力あるプロジェクトを立ち上げる。
独自の歴史・文化・地理をもつ飯舘村が原発事故による放射能被害を受けた。この環境下で食糧・エネルギー・健康医療の三領域で自立する力をつけなければならない。それには科学・技術・人文科学、そして自然と人間の共生を目指す現代アートなどが必要である。そこで「原点回帰と新発想」をベースに、新しいプロジェクトを自力で切り拓く若者が必要とされている。若者よ!大志を抱き集まれ! 飯舘村の若いプロジェクトに!』
私は、もう少し若ければ、佐須地域の「風と土の家」に泊して現地を体験した上、きっと二地域居住を決意したであろう。
早稲田大学理工学部建築学科の修士・博士過程で、私の研究室に学んでいた二人のOBが相次いで学長に就任したという連絡があった。一人は10月から韓国の有名な国立大学・慶北大学の第19代総長に就任した洪元和君、一人は日本の有名私立大学である東北工業大学の学長に来春から就任する渡辺浩文君である。
私の早大時代に開設した都市環境学のあり方が、コロナ禍で問われていることから、この学問分野で、私の研究室OBで大学教授になっている50余人に、芝浦工業大学教授を退職した三浦昌生君(都市環境学教材の編集幹事)に頼んで、アフターコロナ時代の都市環境学を展望する論文を募集してもらったところ、なんと日英文で35編も手元に届いた。
12月14日、私の自宅に横浜国立大学の初代都市科学部長で、来春から副学長に就任予定という佐土原聡君とJ-Power OBで、国際的にスマートシティ等を設計していたNPOアジア都市環境学会理事長の吉田公夫君と三浦君が集まって、既に事前評価されていた論文の評価と公表について話し合った。
第一線の学者として既に実績をもつ諸先生方の都市環境観は、全て一考に値すること、その中で、建築家の伊東豊雄氏の紹介でベルギーから私の研究室に留学し、北九州市立大学の教授になっているD.バート君の「3つのポストを超えて、ポストモダン・ポストインダストリアル・ポストコロナ」や台湾の建築学会長であった林慶豊先生の紹介で、長い間、私の研究室に在籍し、今は台湾国立台北大学の王世燁君の論文が強く印象に残った。
私自身、早大の教師時代、常々、大学院生達には、学職に就いても学部長や学長になると自分の目指す学問の道を踏み外すから、余程のことが無い限り就任すべきでない。就任することになったとしても、できる限り早く降りるべきと話していただけに、祝福すべきかどうか考えてしまった。しかし、今度のコロナ禍はやはり余程のことが起こっており、しかも都市環境のあり方自体が問われていること。1970年代に都市環境学の必要性を叫ぶ学生達を集めて学んだポストモダンからポストインダストリー時代の都市のあり方が問われているからである。ポストコロナ時代の都市環境学は、そのあり方と同時に、人間としての生き方そのものが問われている時代にあって、学部長や学長は多様な学問分野の教授や学生達を導く役職であるだけに、その立場に就くことは生命を賭けるに値する。彼等の勇気を称え、影ながら支援することにした。
2014年から5年余、早稲田大学東京安全研究所で、伊藤滋・尾島俊雄・濱田政則名誉教授を中心に、「東京の減災戦略」「防災性向上」「インフラ老朽化対策」「経済被害削減」を中心とした研究成果を出版した。
これを基に、2020年1月に早大井深大記念ホールで、「防災・減災の行方」と題し、『国土と社会の強靱化はどこまで進んだか』をテーマにシンポジウムを開催した。
その結果、1995年の阪神・淡路大震災からの25年、2011年の東日本大震災からの10年は決して失われた年月でなく、2013年の国土強靱化基本法を待つまでもなく、専門的な技術や対策は相当進んだこと。しかし、それ以上に都市の拡大や老朽化が進み、加えて自然災害の規模は想定以上に巨大化しつつあることから、減災対策が喫緊の課題である。特に、政治・行政等の公助限界を考え、共助・自助の面では、東京の安全・安心は、私たちは各自の自己責任で取り組むべきであること。しかし、不安のみが先行してのパニックが心配されることもあり、本研究を指導された先生方から「生命を守る強力な建築・土木・都市計画分野の技術が、どれ程進んでいるか」について知る必要があるというご意見をいただいた。
これを若手研究者に伝えたところ、鹿島学術振興財団の研究助成を得て、早稲田大学の秋山充良教授が中心に検討して下さった。
2020年12月、その中間報告会があり、次のような研究目次(案)が出された。
序 予測される首都東京の被災 尾島・秋山・(福島)
(東京直下地震・南海トラフ地震・富士山爆発他/気候変動・津波・洪水・新型コロナ・原発事故)
1編 建築技術分野
1章 超高層建築 小林紳也/(高口洋人)
2章 地下空間 原 英嗣/(村上公哉)
3章 仮設住宅・みなし仮設 小林昌一/(小野道生)
4章 即時耐震性能センサー (楠 浩一)/増田幸宏
2編 土木技術分野
5章 洪水(予測・対策) 関根正人/(秋山充良)
6章 津波 秋山充良
7章 コンビナート 濱田政則
8章 防災・教育 重川希志枝/(福島淑彦)
3編 都市計画技術分野
9章 BCD・分散電源・CGS (尾島俊雄)/中嶋浩三
10章 防災情報・ICT 渋田 玲/(増田幸宏)
11章 木造密集地 三舩康道/(長谷見雄二)
12章 エリア防災DCD 関口太一/(小野康道)
4編 総論
大丸有地区モデル(伊藤 滋) 加藤孝明
秋山充良・原 英嗣・増田幸宏氏等の意見では、『2021年には東日本大震災から10周年に当たり、その間の建築・土木・都市計画分野での技術開発は、それなりの成果もあったが、同時に、新型コロナ禍での三密対策やロックダウンの実状から、都市そのもののあり方やライフスタイル、価値観の転換を余儀なくされている今日、シリーズ10冊の既出版物の見直しとアフターコロナ時代の建築・土木・都市計画分野で連携して、ソフト・ハード面からの再構築を検討することになった。
尾島俊雄が1985~90年代に企画・監修を行った日本建築画像大系の映像記録56本をYouTubeに公開しました。
日本建築画像体系 (YouTubeへリンク)
「建築から見た日本 その歴史と未来」(2020年10月30日 鹿島出版会)を贈呈されてから一ヶ月後にやっと一読することができた。何故、こんなに時間をかけなければ読むことができなかったのかと改めて思うに、本書の編集時から上田篤の並々ならぬ情熱と編集時の執念のすさまじさを知り、辟易していたからである。無理矢理に自説を押しつけ、それに従えない著者や文章は除去するという方針に賛同しつつも、最初からこれは上田篤の遺言であり、遺書であり、上田の生きた証であり、日本人や私たちへの教書を出版するつもりでもあると判ったからである。
きっと読みたくない本に違いないと判っていたので、この本の出版を編集した私の研究室卒業生の久保田昭子さんには、申し訳ないが、きっと誰にも読まれないし、売れない本になるかもしれないけれど、きっと良い本になることだけは確かであると告げていたが、最後まで頑張ってくれた。
そんな状況であったから、何年か後に本書を読むつもりで本棚の奥に入れてあったのが、昨今のコロナ禍で、11月29日の日曜日、余りに時間を持て余していたため、つい読んでしまったのである。
丸一日掛けて読み終えた夕刻、上田篤著の「30 田園都市」の章と「31 天地笑生」を読み終えて、これは大変だ、早く仲間達に本書を読ませる価値ありと考え、このブログに取り上げた次第である。
アフターコロナ時代の竿灯に立っての道標として、上田篤が自身の生い立ちを赤裸々に書いた上で、私たちに日本のあるべき姿や考え方、さらには進むべき道をこの2章で示してくれていたからである。
本書は、不思議な著者達が上田に命じられるまま連著して書いたであろうが、なかなかに面白い内容である。何章かに分散して書かれている上田篤著の部分だけは少なくとも熟読する価値があると思い、一読を勧める次第である。