廃業ホテル撤去で白樺湖景観蘇生

 1946年、地元住民や旧制諏訪中学在校生により農業用ため池として「蓼科大池」が完成した。1950年代に入って、標高1420mのこの地にも電気や電話が開通し、路線バスの本数も増え、農林業から観光地としての脱皮に当たって、地元の要望で「蓼科大池」が「白樺湖」に、近くの女神湖やすずらん峠、ビーナスライン等と国際観光地らしい名称に改名された。1955年、池の平ホテル開業。1964年、東京オリンピックの年には、当地に昭和天皇も行幸された。

 1964年、八ヶ岳が国定公園に指定。1967年にはレイクランド(現ファミリーランド)開園。幾多の開拓地をレジャーランドに変化させた。白樺湖周辺が開拓地から観光開発地となる創成期である。

 1970年代には石油危機を迎えるも、池の平ホテルは順調に発展。1983年にはスキー場にナイター照明を新設、1986年には池の平博21オープン。この頃、湯川財産区でも柳沢英次氏の「蓼科グランドホテル滝の湯」や矢崎善美氏等の蓼科湖周辺の開発が進み、東急の進出もある。白樺湖畔でも篠原氏の「白樺湖ホテル山善」が開業することで、地区全体が年間240万人の観光客を集める日本有数の観光地に発展。池の平ホテルも1985年の年商75億円から1995年には100億円に拡張。

 2000年、早大理工学部と慶大医学部の先生方が中心になって「茅野市の新観光産業の展開」国際シンポジュームを茅野市役所で開催したのは、ライトのタリアセンを模して尾島山荘を建設したことによる。毎年この山荘での夏合宿が恒例となった。

 2013年9月にはOB中心のアジア都市環境学会の国際会議に合わせて、池の平ホテルで日本景観学会を開催した。このシンポジューム・テーマを「白樺湖畔の景観再生を考える」としたのは、白樺湖畔の廃ホテルや空き店舗が著しく景観を破壊し、観光産業に大きなダメージを与えている状況からであった。慶応大学文学部の川村晃生教授は「風景を楽しむ建物が風景を壊している。人間が変わらなければ風景は変わらない」。法政大学法学部の五十嵐敬喜教授は「放置建物撤去に当たって財産区や公共が代執行するには法整備が必要」。柳平千代一茅野市長「1991年のバブル崩壊以降、白樺湖畔の宿泊施設が相次ぎ閉鎖した。その原因は団体から個人、物見遊山から体験学習へという観光の転換に追いつかなかった」等の発言が翌日の新聞に掲載された。

 2015年、柳平市長が柏原財産区の役員20余人と現地視察した結果、1956年創業した「白樺湖ホテル山善」が2007年に破産し、廃業された建物劣化は景観破壊に直結しているとして、市と財産区で協議会を設置した。

 2018年10月、柏原財産区から1億5千万円を借りて、柏原農業協同組合が撤去することになった。その跡地利用に当たっては市が全面支援するという約束で、2019年、道路反対側の本館を除いて、目障りな南館2棟が撤去された。かくして、白樺湖畔の景観は見事な自然景観として蘇生したのである。

 しかし、市が財産区民にバックアップすると約束した跡地利用を地主の利益と蘇った自然景観を両立させるのは大変である。 1945年に池の平地区の山林開拓者として入植し、戦争で荒廃したこの土地の農地改革に寄与し、一大観光地にまで発展させた池の平ホテル創業者の矢島三人氏が残した写真を見ながら、自然と人間との共存のあり方として、地域循環型共生圏構想を具体化する秘策を考えるコロナ禍の毎日である。

「この都市のまほろば」を電子書籍出版するに当たって

 2020年8月、突然「この都市のまほろば」vol.1を電子書籍出版しないかとの電話であった。「一読者としてこの本に感動した。ついては自分がその仕事をしているので協力してほしい。」滅多に直接電話に出ない私は、何かの運命と思ってOKしてしまった。どんなノルマや利益があるか判らないまま、コロナ禍の新常態の状況下、時代の波に乗った。

 本書のシリーズは、事実上、全7巻とその総まとめとしての「日本は世界のまほろば」シリーズ全3巻で、合計10巻は2017年7月に終了しており、出版社も既に絶版として販売を終えている。依頼された電子書籍出版は、著者の承認だけで処理できる由。手数料は必要だが、読者次第で収支は十分可能というので、その後は事務局(NPOアジア都市環境学会)にお願いすることになった。

 それから4ヶ月後、350頁の校正が送られてきたので、お正月に熟読することになった。「この都市のまほろば」vol.1は、雑誌「中央公論」に2003年4月号から2004年12月号まで連載した20都市を単行本とし、2005年5月、中央公論新社より「この都市のまほろば(消えるもの、残すもの、そして創ること)」と題して、編集は関知良、写真は高橋信之、挿絵は藪野健さん、私が著者として出版したものである。

 早稲田大学教授として最も多忙な時期に4人が一緒にこの20都市を歩き、楽しく議論しながら著した書である。十分に時間をかけた現職時代の作品だけに、改めて読み直してみるとよく勉強している上、中央公論の編集者や中央公論新社の目が通っているだけに殆ど修正するところがなかった。20年前の著作であるが、それぞれの都市への熱い思いは、今も殆ど変わらなかったことに、むしろ驚いてしまった。同時に、日本は失われた20年と言われるだに、上海・ソウルの海外2都市を除いた日本の18都市は全く変わっていないので、当時提言した試みが成功すればと今も思えてきた。従って、vol.1が読まれることに成功すれば、是非ともvol.2~7のみならず、「日本は世界のまほろば」も電子書籍出版してほしいと考えた。アフターコロナ時代の二地域居住や地方創生の支援策としても、原発立地周辺の再生に当たっても、今度の試みを機会に、一緒に考えてほしいと考える次第である。COVID-19の禍がいつ収束するか判らず、事実上ロックアウト状況下にあって、改めて、本書シリーズの抜本見直しの旅をしてみたいと考えた2021年の長い長い正月休みであった。

(2021年4月初旬 amazonで販売予定)