平素は格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。
年末年始の休業期間について、以下お知らせいたします。
2021年12月28日(火)~2022年1月10日(月)
上記期間中にいただきましたお問い合わせにつきましては、2022年1月12日(水)以降にご返答させていただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
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2021年12月9日(木)、新幹線の上野駅12:30出発で富山駅途中下車。お土産は上野駅で購入する恒例の品と違って、新しいカステラとキャラメル煎餅にする。
富山駅14:52着。金沢駅に比べて相変わらず実に殺風景である。南富山行きの市電(LRT)に直行して西町下車、210円。隈研吾設計のガラス美術館「TOYAMA キラリ」はなかなかの景観で安心する。太田口通りへのアプローチはよくなったが、15階建てのマンションが自宅の向かい側に建設され、町の変化が激しい。ギャラリー太田口の(Ⅰ)も(Ⅱ)も、改築構想が定まらない。
16:00~17:00、西町北総曲輪再開発の近況について、理事長代行の石井隆信氏と相談。主テナント予定の病院がコロナ禍で入居不可能な事態になって、その代替のキーテナントを探すことで、来春こそ本組合立ち上げに合意する。
高岡から妹夫婦が来てくれて、夜食は高岡の川魚料理「北栄亭」へ。好物のどじょうの唐揚げと柳川鍋、鱈白子の酢漬け、里いもの煮ころがし、三笑楽の熱燗、昆布のおにぎりに白菜の漬け物は郷里の食べ慣れた家庭の味で、すっかり満足して、新高岡駅から新幹線で金沢駅前のANAホテル泊。
翌10日(金)は一日中、某社の役員会とビジネスコンクール。夜は金城楼で夕食。今が旬の「ぶりしゃぶ」や「蟹」の加賀料理で実に美味しい。加賀鳶の大吟醸酒にすっかり良い気持ちで、ゆとりある人は「ひがし茶屋」へ。夕食からの接待は茶屋の芸者や仲居さんが主で、それぞれに金沢大学文学部の史学科や哲学科の卒業生というインテリだ。ひがし茶屋には20年前にもお茶大卒の芸妓さんが居たが、金沢の茶屋で勤めることは、当時から出世と金持ちへの近道とか。
しかし、コロナ禍の2年間はインバウンドの旅行客も激減して、政府からの給付金に助けられていた由。コロナ・パンデミックはこの分野に最もインパクトを与えた様子。しかしこの間に考えることや学ぶことも多かったとか。ひがし茶屋の「八の福」の女将、福太郎さんや佳丸、小梅さんの話題は、これまでの酒席では考えられないほど真面目な話が多く、10人程の役員達も三味線や太鼓に手を出す人は居ない。これもコロナ禍の生々しい現況で、23:00にホテルへ。このホテルで何度もお世話になっているマッサージのおばさんに、筋肉はまだ70才の若さと褒められて、熟睡する。
11日(土)も北陸では珍しく青空とあって、9:00am、金沢駅で土産の銘菓店を覗きながら、年末のお菓子は何処も過飽和と考え、自分用の酒のつまみとしてハタハタ、フグ、金目、のどぐろ等々の干物を購入。富山駅途中下車でコインロッカーへ。
この日は魚津の金太郎温泉か小川温泉に泊まって、宮崎海岸の寒鱈の味噌汁を食す予定であったが、地元の名士・浜多氏が手配するも超満員で、キャンセルも期待されぬ状況下、長い町の歴史でこんなことはコロナ禍の惨事か珍事という。尤も、お店にとっては嬉しい悲鳴であろうか。仔細は、県内の食事クーポン券の給付であった。この2年間ものコロナの嵐の合間とあってか、「緊急事態ならぬ異常事態発生」という浜多氏からの電話。
幸い、わざわざ神戸から来てくれた吉國君と、伊東山荘の売却値相当の改修費でギャラリー太田口(Ⅰ)の Book Café 改築設計について現場で相談した後、太田口通りや総曲輪通りを散策して、魚津に寄らず帰京する。
それにしても新高岡駅や富山駅等の駅内のみならず、周辺にはなんと多くの江戸前すし屋が増したことか。それらの店々は余りに画一的なチェーン店の様子に、本当に地元の”きときと”の魚や旬の料理を出しているのだろうかと心配になる。その上、政府や自治体のバラマキ給付のクーポン券での食事や温泉での憩いは幸せなのか。コロナ・パンデミックの心の傷を癒やす本当の「故郷の味」は来春に延期することにした。
(注) ひがし茶屋街は、1820年に加賀藩主の許可で金沢の中心部に点在していた百軒程のお茶屋を集めて、格子戸と大戸、二階の造りが高い街並みのある公認遊里とした。芸妓も百人余と大いに賑わい、この藩政時代からの伝統を受け継いで、現在、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、電柱・電線も地中に埋設した石畳は美しい。1960年代に加賀藩の菩提寺の一つである宝円寺住職の中野松禅氏の次男・忠松氏と従姉が結婚したことから設計を頼まれ、よくひがし茶屋で遊んで芸者遊びの面白さを知る。その忠松氏と伊東温泉で遊んだときに購入した伊豆高原の土地に1975年建設した山荘を、今年売却することになった。その資金で今度ギャラリー太田口の改装費を充てることになったのも因果である。
2020年に中国の青島理工大学で予定していた第17回の国際会議がコロナ禍とあってweb開催となったため、2021年度も青島開催になった。しかし、これも第5波のコロナ禍とあって、2021年の第18回アジア都市環境学会は、国と国との交流はできないが、同一国内であれば比較的自由に動けることから、中国は長春と青島、韓国は大邱、日本は北九州で対面での異例の国際会議になった。
12月4日午前10時30分に、私は北九大ひびきのキャンパスで参加。80人程の聴講者と主催者の先生方20余名は4ケ所の拠点を結んで、大変な通信装置を駆使しての合同講演会になった。開会挨拶は初代の尾島、2代目の尹軍、3代目の洪元和会長がそれぞれの国から挨拶し、基調講演はD.バート氏で「Beyond the 3posts, Post-Modern, Post-Industry, Post-Corona」のテーマで30分間、多様な画像を示しての熱演で、それぞれの拠点に集まった聴講者や自宅でオンライン参加している総勢300~500余人にとっては、不幸中の幸いの一般公開講演になった。これも大会運営委員、特に高偉俊教授と研究室の大学院生達の支援によるもので、北九州市の役員もこの国際会議には大変満足している様子を実感する。
昼食の金鍋の弁当はなかなかの質。午後の論文発表会は多拠点でwebを利用し、司会者と解説者、発表者は、4拠点会場からの質疑に対しても、英語を駆使しての国際会議は大成功と思われる。最後にwebで、第19回は横浜国立大で開催するに当たってのプレゼンは佐土原聡副学長。久し振りに4時間も大教室での論文発表会を、しかも英語での聴講に疲れも並みではない。
手元に配布された”18th International Conference of Asia Institute of Urban EnvironmentのJournal of A.I.U.E”( Special Issue:AIUE2021@Hybrid Conference in Qingdao(China),Daegu(Korea),Kitakyushu(Japan) Dec.4th-5th)はNET536頁の論文集で、100余人の発表者からなる。
懇親会は学生たちとは別に車で移動、小倉でも著名な料亭・観山荘別館へ。なかなかに立派な料亭で、D.バート、福田、高教授等、OBの接待を受けたのは、東京から出席した高口洋人、吉田公夫、私の3人。地元福岡の酒は繁枡で、座敷・庭の一如景色もなかなかにして、久し振りOB達との懇談は教師冥利に尽きる。北九大に留学している東南アジアからの留学生は博士過程が多い。その論文受理には福田、高、バートの3人の審査委員チームが最適で、建築のみならず、早大理工大学院の学生も対象にするという。各自50余人を担当する学生の内訳は、博士20、修士15、学生10、他という一般の私立大とは反対の逆ピラミッドで、これが大きな戦力である。博士の教育ができない東南アジアの途上国を支援できるのは、これからの20年程で、今が大切な時代との結論。
かくして2日目の長い一日が終わって、リーガロイヤル小倉での休息は快適。マッサージのおばさんは10年前に北九大の清掃員であったことから、創立期からの10余年間、北九大の先生や学生たちの裏話を心地良く聞かせてもらった。
第1日目は「ふく一」での白子三昧コース、ふく料理に最適の佐賀の大吟醸酒・鍋島に続いての二日目もまた素晴らしい接待に感謝のみ。
3日目は快晴であったが、学生たちは朝から一日論文発表とあって、私と吉田君は福田・バート氏の案内で福岡市へ。北九州市から1時間程で福岡市内の見覚えのある渡辺通りに到着。途中、磯崎新設計のJR博多駅前の西日本シティ銀行本店が撤去されたことや航空規制が改正され、天神の建物高さを上げることができ、天神ビッグバン再開発が行われていること、地下街の災害時利用を考えて尾島研OB達が実態調査をしたその後や、古谷研OBの平瀨有人君等の作品が注目されていること、アクロス福岡に代表されるグリーン建築の成功実態、再開発による環境問題として、特にエネルギーインフラについて心配している由。これが三日目にわざわざ2人で都心案内した理由と思われたので、早速、(一社)都市環境エネルギー協会で「天神都心BCD特別委員会」を東京で発足させた時の中心スタッフになる了解を得る。都市再開発緊急整備地区としてのみならず、安全確保地エリアに含まれていると思われる大名小学校跡地活用とザ・リッツ・カールトン福岡等の高層複合ビルの再開発現場を視察。黒川紀章設計の福岡銀行本店は、幸い撤去の話題になっていないことにホッとして、この建物内オープンスペースでコーヒータイム。その後、重松氏や日本設計の再開発ビルを見学。アクロス福岡のステップガーデンの20年間の変遷画像や旧福岡公会堂貴賓館、平瀨君の作品に満足して、昼食は河岸のステーキ。話題が尽きずゆっくりしてしまって、急いで地下街を視察後、空港へ。
翌6日の午後、(一社)都市環境エネルギー協会で、早速、福岡市の状況をネットで確認。中嶋理事や井原部長と来年度の特別委員会について検討を深めることにした。同時に、アジア都市環境学会の第1回国際会議が2001年7月、北九州市で開催されて20周年を機会に、北九州を本部とする法人化と東南アジア諸国の支部を設立、支援することにした。