Blog#86 蒲 敏哉著「クライメット・ジャーニー」(2023年4月 新評論)を読んで

「クライメット・ジャーニー」
(新評論 2023.4)
https://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-1233-9.html

2022年4月、中日新聞を退社して岩手県立大学の環境ジャーナリズム担当教授になり、上記の本を2023年4月に出版した蒲さんと久し振り電話で話し合って、巻末の年表「気候変動対策に向けた国際支援の流れ」に敬意を表した。 その後、OB達に京都議定書を巡っての経産省と環境省の動向等について、本書に傍線した点を確認すると、意外に気候変動対策に向けて、1997年のCOP3(京都議定書)から2015年のCOP21(パリ協定)内容について理解されていないことが分った。
本書で蒲さんがこれほど詳細に気候変動に関するCOPの内容を書けたのは、オックスフォード大学とベルリン自由大学での客員研究員での環境があったことを知った。同じ大学人OBとしてヨーロッパの大学がCOPの成果に関心を持つ状況に比べて、日本の知識人が京都議定書の第二約束期間について離脱したことを知る人の少なさと、その間の経産省と環境省の確執についても知らされていないことを知った。ヨーロッパアカデミーのもつ情報力に刺激され、以下、蒲さんの著書から引用させてもらった上で、近々東京で、この辺のお話を伺う機会を持ちたいと考えている。

 「4 抹殺された京都議定書」(p.26-39)
 地球温暖化対策への初めての国際的取り決め「京都議定書」は、当時、地球温暖化問題に国際社会が取り組むための唯一の「約束」であった。温室効果ガスを、2008~12年の「第一約束期間」内に1990年比で「先進国」がどれだけ削減可能か、その目標が決められた(日本6%、米国7%、EU8%など)。加えて、排出量取引、クリーン開発メカニズム(CDM)、共同実施といった市場システムに基づく3つの仕組み、いわゆる「京都メカニズム」が盛り込まれた。
 ところが、この議定書はその後、当時の最大のCO2排出国である米国が異議を唱え、2001年3月に同議定書からの離脱を表明した。
 同議定書採択時の米国は民主党のクリントン政権下にあり(1993~2001年)、その後誕生した共和党のブッシュ(子)政権(2001~09年)が、完全にこの議定書を否定した。
 中国が、議定書の中で「発展途上国」と位置づけられ、排出責任をまったく負わないことは、米国にとって最大の不満だった。
 その後日本は、米国と同様に経産省の思惑通り、2011年のCOP17で「第二約束期間」(2013~20年)への不参加を表明。
 しかし、活動を重ねていくに従い、「先進国だけに削減義務があり、途上国には義務がない京都議定書はおかしい」という議論が広がりを見せ、「京都」とは別の国際的枠組みを求める声が徐々に高まっていった。
 その後、2011年のCOP17で、米国、中国も入った新たな枠組みづくりを協議する作業部会の設立。日本は「第二約束期間」からの事実上の離脱。2015年のCOP21(パリ)で採択されたのが「京都議定書」に代わる新たな国際的枠組み「パリ協定(・・)」である。
 2023年2月17日時点で194カ国とEUが署名しているこの協定では、米国を含む「先進国」と中国を含む「発展途上国」のすべての国が温室効果ガスの削減状況を5年毎に確認できる仕組みを設けることなどの目標が明記された。
「パリ協定」が「パリ議定書にならなかったのは、したがって多くの国が法的に拘束されることを嫌ったからにほかならない」

Blog#85 オセアニアからの水素・アンモニアサプライチェーン調査団

①団長:尾島俊雄 ②顧問:村木茂 ③顧問:三谷充 ④幹事:岡本利之(大阪ガス) ⑤副幹事:古市淳(日本環境技研) ⑥団員:真下幸雄(大林組) ⑦団員:上野純(大成建設) ⑧団員:佐藤博樹(三菱地所) ⑨団員:内田江美子(三谷産業) ⑩添乗員:三岡明美(近畿日本ツーリスト)以上10人で構成

○現地視察略記
①3月4日(土)羽田発JL051便でシドニーへ(約10時間)。

②3月5日(日)シドニー国際線から国内空港に乗り換えQF433便でメルボルン空港へ(1時間35分)。専用バスでPan Pacific Melbourne Hotelチェックイン後、歩いて5分のミュンヘン酒場でドイツビールにソーセージの昼食。3時~5時30分、市内参観。夕食はホテルでイタリアン。(泊)

③3月6日(月)、川崎重工のメルボルン在住5年の川副洋史事務所長の案内で、専用バスで3時間(190キロ)走って11時からAG LOY YANG炭田見学。褐炭の露天掘り現場は深さ200m、周辺15km、350万kW(2ヶ所)の石炭火力発電所の巨大な現場に圧倒される(図-A)。
 水素製造設備へ移動。安全教育を受けた後、J-POWER担当者より説明。水素製造の設備一式。小さな町のレストランでなかなか美味しいワインとサンドイッチの昼食。

図A AG Loy YANG褐炭露天掘り・火力発電   図B メルボルンの盛り場   
  

再び180キロの道のりを、車内で川副さんの説明を聞きながら3時間走ってヘイスティング港湾に沿った水素液化積荷基地を視察後、メルボルンのホテルへ。延べ8時間のバスはさすがに疲れる。
 19時、タクシーに分乗してフィレンツェの如き盛り場のレストランへ(図-B)。和牛ステーキ300gに赤ワイン(図-C)。ワイルドで味は今ひとつだが。帰りはヤラ川に沿ってリバーフロントの景観と賑わいを楽しみながら30分かけてホテルへ。東京・新宿を超え、シドニーを超える程、500万人の都心の発展と酒と食事のおいしさに圧倒され、ホテルの窓からの夜景を見ながら休む。

 図C 300gの和牛ステーキ         図D メルボルン・ヤラ川に沿って散歩


④3月7日(火)晴。ヤラ川に沿って散歩(図-D)。東京湾の芝浦を超えた景観と賑わい。早朝からジョギングやボートやカヌーの若者達の活力。Yシャツとネクタイに着替えてチェックアウト。メルボルン発ブリスベン空港へ。10時30分着(2時間10分)。バスでSofitel Brisbane Central Hotelへ。ブリスベンのセントラルステーショ駅の真上に位置した巨大ホテルであった。ホテルで村木さんと合流して近くのレストランで昼食。×××ビールに魚フライはなかなかの味である(図-E)。

  図E ブリスベンでの食事会      図F クイーンズランド州政府庁舎よりの景観

 案内されたブリスベンのクイーンズランド州政府の建物は41階の巨大オフィス棟で、新築されたばかりの都庁以上に立派なビルで、最上階の応接室や会議室は豪華である、私達12人のメンバーに対して、相手はそれ以上。最初は州政府の副首相で水素担当のHon Glenn、Butcher MP氏。30分、私の方で訪問理由を話し、通訳。その主旨に興味を持った様子で、要望に対して全面的に協力できると自信を持って回答してくれた。その上で、20人の担当者と私達10人のスタッフは軽食をしながら長時間の討論。日本の安達さんの立場や州政府の水素など再生可能エネルギーの日本への輸出は政府の政策そのものであることも理解。沢山の立派な資料も提供される。ホテルで一休みして、ホテル内での夕食も良し。ワインや今日の成果に皆満足の様子。

⑤3月8日(水)5時起床。朝食前に東京駅のステーションホテルの如き宿から周辺を散歩。メルボルンに次ぐ第三の人口集積地223万人で、2032年のオリンピック開催地として再開発の進む活力に満ちた都市の実態を認識する。8時10分集合。ブリスベン空港からグラッドストーン空港へ(約300キロ北方へ、1時間10分)
 空港から専用バスでグラッドストーン全域を見渡せる200m程の高台へ案内されて、東京湾と比較する。3.7万haの工場用地を整備中で、明治維新の関東平野や東京湾工業地帯の開拓時代の様子に、2032年まで3400万kW発電で余剰電力2000万kWを全て輸出用にとの州政府の説明に、村木さんや三谷さんのみならず一行は、この地は日本の将来に途方もなく貢献してくれそうな気持ちになって興奮する。帰国後、オーストラリア大使館とは別に設置されているクイーンズランド州政府の役所に勤める安達さんや村木さんを中心に研究会をすることにして、グラッドストーン空港からQF2339便でブリスベンへ。ブリスベンでは駅近く、歩いて10分程の都心のレストランへ。夕食のワインと話し合いに時を忘れての討論会で、オーストラリアの日本の将来に万歳して乾杯する。

⑥3月9日(木)、ブリスベン空港国際線へ。早すぎたが8時発NZ7272便で約4時間の超満員フライトでウェリントン空港へ。オーストラリアとは全く違うスケールと密度、日本的雰囲気に包まれている。村木さんから大林組の現地駐在員で、ニュージーランド事務所長の井口達也さんの案内でSofitel Wellington Hotelへ。ニュージーランドの首都ではあるが、坂と風の強い小さな港町。長崎の如き都市とホテル周辺散歩で土地勘を得る。国会議事堂と戦争記念碑、ウェリントン駅等、坂のある交通の多い道を歩く。Sofitel Hotelにしては簡素な部屋。

⑦3月10日(金)、ホテルの会議室で大林組の現地での事業説明と共に、日本での再生可能エネルギー事業について井口達也所長を中心に日本語で討論。大林組は北島の道路・トンネル工事入札がきっかけでタウポのマオリ族の土地にTuaropaki Trustと共同で設立した合弁会社ハルシオンパワーで、113MWの地熱発電プラントから1MW相当で180t/年の水素を車用に提供する。この会社の将来についても話し合う。17%のマオリ族が持つ土地や自然資源の権利が大きく、南島の水力発電からのアンモニア 60万t/年生産もマオリからの土地利用権が支配する由。

場所:MBIEビルPastoral House
10:35- Presentation on New Zealand’s policy context
10:50- New Zealand’s investment environment
11:00- Discussion/Lunch
14:00-15:00 Meridian Energy 本社 NTT Tower Wellington
Southern Green Hydrogen Projectについて、村木さんを中心に討論。南島の水力発電からNH3をつくり、日本へ輸出する手法を中心にして。
16:00-16:30 在NZ日本大使館訪問。伊藤康一特命全権大使を表敬訪問(図-G)。大使館からの眺望は抜群(図-H)。
16:30-17:30 車で都市内観光、ケーブルカーの山頂駅、Kelburn Parkingや植物園からの40万人程との都市を展望して、中心市街地を歩いてホテルへ。夕食は解散会を兼ねて海辺のレストランで盛り上がる。一行は小雨の風の吹く街を歩いてホテルへ。

図G NZの日本大使館で伊藤大使と       図H 大使館からのウェリントン景観

⑧3月11日(土)、岡本・上野・佐藤氏等に見送られて、私と三谷さん・内田さんの3人は三岡さんと共に空港へ。国際線は超満員。2時間待ちで、NZ5345便で約4時間、クライストチャーチ空港へ。空港には河村さんが手配してくださったガイドの林さんの出迎えで、ガーデン都市と呼ぶにふさわしい世界三大公園(N.Y.のセントラルパ―ク・ロンドンのハイドパークと当地のハグレイ・パーク)に沿ったThe George Christchurch Hotelに到着。五星ホテル(53室)。日本のメニューで昼の軽食後、日本女性の案内でなんとヒラリー・クリントンも泊まったことのあるスイートへ。室内外の眺望、静けさ、使いやすさは抜群。

図I クライストチャーチ・河村さんのThe George Hotel 迎賓館で
図J クライストチャーチ被災地          図K クライストチャーチの復興住宅
図L クライストチャーチ都心         図M クライストチャーチ公園

早速、林さんの案内でクライストチャーチの地震跡地や坂茂の段ボールの仮設教会・エイボン川に沿った賑わいのある市場を視察。夕食は東京から私達のために来てくれた河村守康氏の長男・祥宏さんと日本料理店KINJI(世界の日本料理ベスト10に入るとか)へ。10卓(40席)の店は超満員。日本語のメニューに日本の地酒もKimuraワインも刺身の新鮮さや種類も豊富で、しかも本当に美味である。
 The George Hotelは100%河村家の資本。祥宏氏は社長としてクライストチャーチ都心のオフィス用地の活用や、東京の新丸ビルのニュージーランドレストランZEALANDER、長野の野沢温泉のアパート、白馬村のThe Ridge Hotelなどの経営を一任されている由。35年前、OBの大崎・渡邉君が祥宏君の家庭教師であったことが話題になる。

⑨3月12日(日)快晴、散歩。8時30分、私達4人は林さんの車でクライストチャーチ駅へ。観光列車で2時間程、Spring field からアーサーズ・パス・ビレッジ駅で下車(標高700m、しかし日本の北海道以北とあって1000m以上の森林限界高さの差で、このレベルで室堂レベル、近くの2000m級の山々は日本の3000m以上の景観である)。

 林さんは車で30分前について待っていてくれていて、その車でアーサーズ・パス国立公園を案内される。NZ最初の国立公園だけに景観は素晴らしい。トレッキングしながら昼食は小さなレストランでサンドイッチとワイン。
 昼食後は60haもの牧場を持つ老夫婦の山荘へ。年間降雨1000ミリ、標高1000m、冷たい水の集まる牧場地で、羊毛刈りと牧羊犬の見事な実演を見て後、道沿いのLakeで休みながらホテルへ。途中、街全体を眺めるため標高200m程のMt.Vermon Parkに登り、ホテル近くのHana Valeでは美しいエイボン川のほとりの豪邸群に驚き、この国の豊かさを実感する(図-H)。
 18時30分、離れ別館の豪華な迎賓館で4人だけの夕食会。ブラフオイスターのイクラとポン酢、ツナのたたきとココナッツミルク、セサミソースとワカメ、ラムラックとビーフテンダーロイン等々、ニュージーランドの肉やオイスターがこんなに美味とは。シェフは東洋人で格別とはいえ、お酒も地元のみならず日本の酒も出て、グルメの三谷さんも御満悦の様子。デザートのタルトも絶品の味、コーヒーも格別だ。接待してくださった河村さんの長男もすっかりホテルマンらしく上手である。

図N アーサーズ・パス駅            図O アーサーズ・パスの湖畔

⑩3月13日(月)朝3時起床。日記や荷物の整理。スイート316の部屋を楽しむ。韓国サムソンのR.C.はどうも上手に使えない。chが余りに多いためだ。7時30分朝食、9時、林さんのガイドで祥宏さんも同行してワイナリーへ。ホテルから小雨の中、小一時間、北のWaipara Valleyへ。Waipara HillsとPegasus Bayの2軒で試飲後、Kumikosゲストハウス隣接のBlock Estate B&Bで昼食。一時間以上待たされ心配したが、14時、クライストチャーチ空港着。国際線も一時間遅れとあって、All BlacksのTシャツを購入するためわざわざ都心のスポーツ店へ。コロナ後と人気が高いため、全てに公認のオールブラックスは品切れとか。18時、シドニー空港で河村さんと別れて、出迎えの案内でシドニー都心のAMORA Hotel Jamisonへ。ランチボックスで朝食代替。日本からの味噌汁・ワカメスープを2杯飲んで休む。

⑪3月14日(火)、最後のインスタントの味噌汁とランチボックスのクロワッサンとヨーグルトの朝食。JAL往復切符のためシドニー一泊は実に無駄以上に、体力に影響する。9時、シドニー空港の国際線は広く、2時間の待ち時間は退屈だ。幸い三谷さんの顔で特別待合室へ。土産物に羊毛のスリッパ、これは大きく重い。
 JAL052便の機内食はシドニーのJAL食のため特別なシェフで充実していると言うだけあって酒も日本食も最高に美味。羽田では森田氏出迎え、タクシーで自宅へ。

Blog#84 磯崎新著「瓦礫(デブリ)の未来」(2019.9 青土社)を購入して

 毎月一回は決まって丸善で2時間余、持てるだけの本を購入するようになったのは、3年前のコロナ・パンデミックが始まった頃からだ。

 2023年3月29日は、恒川恵市著「新興国は世界を変えるか」(2023.1 中公新書)、クーリエ・ジャポン編「新しい世界―世界の賢人16人が語る未来」(2021.1 講談社現代新書)、エマニュエル・トッド、マルクス・ガブリエル他書「2035年の世界地図」(2023.2 朝日新書)、伊藤亜聖著「デジタル化する新興国」(2021.6 中公新書)、伊藤元重著「世界インフレと日本経済の未来」(202.3 PHPビジネス新書)、石井亜矢子著、岩崎隼画「仏像図解新書」(2022.8 小学館101新書)を手にしてレジに向かったところで、磯崎新氏の著書が何冊か並んでいるのに気付いた。

「瓦礫(デブリ)の未来」
(2019.9 青土社)

 石原慎太郎や安倍晋三、稲盛和夫等、著名人の逝去に伴っての追悼出版かと思ったが、そのようでもない。これまで彼の著書は殆ど贈呈されていたことから、不思議な気持ちで、初めて見る表紙にArata Isozaki:磯崎新「瓦礫(デブリ)の未来」とあり、彼自身のスケッチとすぐ分かるDEBRISの大文字とデブリの絵が墓標の如きに見えたからである。
開いた瞬間、I.ザハ無念 Ⅱ.クルディスタン Ⅲ. 安仁鎮 Ⅳ.平壌の目次で、2019年9月の出版とあった。

 2018年11月28日、国際文化会館で、中国雄安スマートシティコンペの件で磯崎さんと話し合って、何故か沖縄に住んでいることを聞かされ、玄関で記念撮影をしたときに、これが最後の予感があった。何故なら、上京が最後になるからとの上田篤先生の接待で、わざわざニューオータニの「ほり川」で話し合ったとき、その料亭がEXPO’70の西山・上田対丹下・磯崎の東西戦争の談合の場であったこと等と聞かされ、そのことを翌日、磯崎さんに伝えると、上田・磯崎の最後の談合話を聞くことになった。

 そんなこともあって、初めて購入したこの著書を早速、自宅で読み始めた。最初は支離滅裂で全く面白くないと思いながら、読む程に、こんな磯崎の頭の中をもっと早く知っておきたかったと思うと、急に面白くなって、2日間も本書の虜になってしまった。やはりこの著書は磯崎の遺書か回顧録に思えてきた。

 Blog#83で「戦後空間史」を読んでの感想を述べたと同様、磯崎の歩んだ91年間こそ自分が生きていた建築界の最先端の歴史であり、世界の建築家達が活躍した空間であったことを教えられた。本書で語っている磯崎が出合った人々の多くが私も出合ったことのある人たちであったから、余計に面白くなった。

 丹下健三、黒川紀章、菊竹清訓、岡本太郎、東野芳明、川添登、山口勝広、松浦浩平、勅使河原宏、西山卯三、上田篤、折口信夫、バックミンスター・フラー等々は直接に、間接的には、文献などから学んだことのある岡倉天心、柳田国男、大江健三郎、石原裕次郎、安部公房、谷崎潤一郎、三島由紀夫、宮沢賢治、伊藤忠太、毛沢東、周恩来、一柳慧、アンドレア・パラディオ、ラフカディオ・ハーン、スターリン、ヒトラー、ビートルズ、金日成、金正日、金正恩、金寿根、レーニン、ナポレオン、ホーチミン、フリーメーソン、ジェファーソン、ルイ16世、マリーアントワネット、孫文、鄧小平、ジョン・レノン、ガガーリン、エリツィン、アドルフ・ロース、エッフェル、シンケル、ミース・ファンデル・ローエ、アインシュタイン、フィリップ・ジョンソン、ピーター・アイゼンマン、ザハ・ハディド、ノイトラ、ドクシャデス、ダライラマ、ケネディ、ヴィトロ・ヴィウス、ギーデオン、フランク・ロイド・ライト、ル・コルビュジエ、アル・ゴア、栄西、西行、重源、フセイン等々。

 見えない都市、インビジブルシティ、不可視都市、都江堰、デロス島、賢人会議、議定書、CIAM、アテネ憲章、ARK NOVA、宇宙船地球号、御嶽、千年王国、導師、主体思想、先軍思想、パクストン、クリスタルハウス、カツラ(桂離宮)、ガリア戦記、文化大革命、大洪水、未来―弥勒、アルハンブラ、建築の解体、DECON、MOMA、クルド人、トリエンナーレ、梁山泊、電脳都市、アルカイダ、アララット山、ローマクラブ、シャーマン、宇津保物語、結界、補陀落渡海、即身仏、日本書紀、グレートバリアリーフ等々。

 以上、連記した固有名詞が磯崎にとってのDEBRISであり、これが未来を切り拓く種となり、頭の中に棲み着いて連鎖し、生々しい実体験として彼の人生を形成し、彼の作品に反映して未来を切り拓く。これまで贈呈された数多くの磯崎著書の中でもユニークな一冊として、私にとって座右の書となった。

 建築や都市が解体されるとDEBRISになり、そのDEBRISこそが新しい建築や都市の未来を創る。その創り方を教えてくれる人も又、磯崎にとってはDEBRISであったのか。本書を理解するには経験と時間がもっと必要である。