Blog147 山本理著『甲州街道てくてく歩き』(東京図書出版)を読んで

 2024年正月、Blog105で『東海道五十三次てくてく歩き』を読んでの書評で、次はぜひ「中山道六十九次を期待する」と記したが、その時には、すでに甲州街道を2022年から2023年にかけて取材済みであった。鉄道ファンとして中央線の魅力、歴史ファンとして新選組と武田勝頼、東京人としての甲州街道200kmのてくてく歩きはマストであったのだ。
 あの時から丸2年の正月2日、なんと山本理さんが家族と共に来宅され、久しく甲州街道の面白さを話してくださった。

徳川家がこの街道を五街道の一つとして整備したのは、江戸城が攻められたときに、先ずは親藩・譜代の甲府城を経て、富士川から舟で駿河へ避難するための緊急避難路であった由。幕末に近藤勇や土方歳三らがこの道を利用したことや、徳川家康が武田や北条と戦った跡等、甲州街道にはそれ相当の魅力があったのだ。私自身も上京してすぐに、万一の場合、郷里の富山への避難ルートとして、甲州街道沿いの八ヶ岳山荘を拠点にしたことを考えると、国道20号線と中央線は中山道とは全く違った江戸・東京からの避難ルートであったのだ。

 本書で山本さんが歩いた道を『この都市のまほろば』で利用した晶文社の『ライトマップル 山梨県道路地図』と『長野県道路地図』を見ながら、国道20号線に沿って、山本さんの手書きのイラスト地図と標高図を確認しながら読み始めると、私自身が歩いている気分になる。国道20号線から外れた旧甲州街道は荒れ果て、蜘蛛の巣や雑草で見えなくなっており、そんな坂道を歩く苦労が共有されてくる。旧街道を示す標識を見つけ、ホッとして謝意を表する山本さんに共鳴・賛同する。

 本書の11~109頁は文字通り甲州街道をひたすら歩いて、日本橋から半蔵門前の国道20号線に沿って、旧道を見分け、
・第一日目は、日本橋から①内藤新宿(②下高井戸・③上高井戸)、(④国領・⑤下布田・⑥上布田・⑦下石原・⑧上石原)、⑨府中・⑩日野宿まで <41.8kmを8時間36分>
・第二日目は、日野から⑪八王子・⑫駒木野(⑬小原・⑭与瀬)・⑮吉野・⑯関野まで <30.1kmを6時間34分>
・第三日目は、関野から⑰上野原・⑱鶴川・⑲野田尻・⑳犬目(㉑下鳥沢・㉒上鳥沢)・㉓猿橋・㉔駒橋・㉕大月㉕大月まで <26.6km 5時間41分>
・第四日目は、大月から(㉖下花咲・㉗上花咲)・(㉘下初狩・㉙中初狩)・(㉚白野・㉛阿弥陀海道)・㉜黒野田(㉝駒飼・㉞鶴瀬・㉟勝沼まで <35.5km 7時間41分>
・第五日目は、 勝沼から㊱栗原・㊲石和・㊳甲府柳町・㊴韮崎まで <32.5km 6時間6分>
・第六日目は、 韮崎から㊵台ケ原・㊶教来石・㊷蔦木まで <30.1km 5時間41分>
・第七日目は、 蔦木から㊸金沢・㊹上諏訪・下諏訪まで <35.2km 6時間53分>

 旧甲州街道の歩きは231.7kmを47時間余、平均5km/hの健脚は驚くばかりである。「この体力であれば、ぜひ中山道も」というと、「和田峠の熊が怖いですから」といわれ絶句する。既に調査済みであったのかと。
 確かに、中山道の和田宿周辺を5~6年前に歩いた時、道に迷った上、こんな坂道をどのように和宮様が通ったのかと思う程の難所であったことを想い出した。

 本書の127頁以下は「第二章 多摩・新撰組紀行」。私の著した『この都市のまほろばVol.6 東京編』で、理解するところ多々あり面白く拝読する。
 「第三章 甲州海道各駅停車の旅」については、OBの鉄チャンである市川徹君から多々 情報を得ており、これも理解するところであった。
 「第四章 武田勝頼タイムトラベル」はユニークで、勝頼の生まれのルーツは信濃国上原城。初めて城主になったのは信濃国高遠城で、17才から24才迄。24才で武蔵国滝山城・相模国三増峠、28才で甲斐府中躑躅ケ崎館、36才で甲斐国新府城、37才で甲斐国岩殿城。終焉の地の甲斐国田野についての物語は学ぶこと多く、今年の私たちの八ヶ岳合宿で、ぜひお招きしたいお客様である。

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     『甲州街道てくてく歩き』(山本理著、2025.4)       山本理氏