Blog151 隠居の三連休 高麗神社でイランの現況を偲ぶ

 2026年2月22日(日)9:30am、娘と自宅を出発。西武新宿線で小平・拝島経由、JR八高線の高麗川駅下車。タクシーで高麗神社へ。

 朝日・日経の朝刊で、ミラノ・コルティナオリンピックとトランプのイラン攻撃の記事。1979年のイラン革命から50年、パフラヴィー国王は石油の冨を背景に急速な近代化を推進した結果、格差拡大、宗教の否定で、ホメイニ師が指導するイスラム革命が起こり、パフラヴィー国王はエジプトに亡命するも、1980年7月、カイロで死去。日本にもイランからの亡命留学生が来ていたことを思い出す。
 国王の長男で、元皇太子(レザ・パフラヴィー)はアメリカに亡命して50余年。イランの現体制(イスラム共和国)は民主的ではないと批判し、王政復興または民主的な体制転換を望む亡命イラン人社会の象徴的存在として活動している(GoogleのAI)。トランプ大統領が彼の支援をしているとは思えないまでも、イランの現政権を倒した後の混乱を考えれば、イラク、キューバ、ベネズエラの国々の現況を考え、簡単に元国王の息子をリーダーにする訳にはいかないであろう。米空母がジブラルタル海峡を通過、地中海に入った由。

 高麗神社の由緒によると「高句麗からの渡来人、高麗王若光を主祭神として祀る社で、666年(天智天皇5年)、唐と新羅が連合して、建国から700年間も東アジアの強国であった高句麗に侵攻。高句麗は大和朝廷に救援を求め、若光が使節団の一員として日本に渡来したが、668年に高句麗が滅亡し、若光は二度と祖国の土を踏むことはなかった。その後、若光は大和朝廷に仕える。『続日本書紀』に703年「従五位下の高麗(こま)()若光(こしきじゃっこう)に王の姓を賜う」とある。姓(カバネ)とは、家柄を定める大和朝廷の称号で、王(コキシ)の姓は外国の王族の出身者に与えられていたもの。

 若光の渡来から半世紀を経た716年、大和朝廷は静岡・山梨・神奈川・千葉・茨城・栃木の各地に住む高句麗人1,799人を武蔵国に移し、「高麗郡」を創設(続日本書紀)。若光はこの郡の長官に任命され、生涯を終えたが、郡民はその徳を偲び、その霊を祀り、高麗郡の守護神とした」。

 若光は郡民を指導し、その子孫と共に高麗氏の家系血脈が1300年(60代)も続き、代々、当神社の祭祀を司ってきたことから、高麗神社は「子孫繁栄・子授け祈願」、「安産・初宮・七五三・成人式」等の参拝多く、今日に至る。日本の政治家、文人の参拝者が多く、参拝後に総理大臣になった政治家が相次いだことから「出世明神」と称されているとか。

 高麗郡のエリアは、現在の日高市を含む埼玉県南西部一帯で、今日の人口は10万人以上で、1,799人が100倍になっている。1955年、高麗川村と高麗村の合併時、当地の日和田山の「日」と高麗の「高」から「日高町」となり、人口5万人を超えたので、1991年に「日高市」となった。

 JR高麗川駅からタクシー(5分程)で高麗神社着。「天下大将軍」と「地下女将軍」のトーテムポールの如き石柱(将軍標は韓国の民俗信仰で魔除け)の入口から二つの鳥居を通って社殿に参拝(本殿は伊東忠太設計)。裏側の高麗家住宅を一見して、聖天院へ。

高麗神社「天下大将軍」「地下女将軍」

 近道を歩くこと10分。聖天院は、高句麗人1,799人の首長(若光)、侍念僧(勝楽)、弟子(聖雲)他、一族の菩提寺として、奈良時代に創建。僧(勝楽)の開基。本尊は王の守護仏として故国より請来した聖天尊(歓喜天)を祀ったことから「聖天院勝楽寺」と称した。1345年、真言宗に改宗。本堂には本尊の不動明王とともに、若光守護仏聖天尊も祀られている。

 聖天院 (上)多宝塔、(下)本院

 聖天院から車で西武線の高麗駅へ。駅前の手打ちうどん「しょうへい」で「ひだか巾着田うどん」を食べる。当地商工会で開発したご当地うどんはなかなかの味。

 食後、国指定史跡の高麗村石器時代住居跡を視察。約4500年前の縄文時代中期の円形(直径6m)の竪穴住居跡の遺跡。のどかな日和山を背景にした住居跡は、当地が太古の昔から人々に使われていたことに気づく。

 帰途は高麗駅から飯能・所沢経由、Fライナーで練馬まで50分で到着。快晴(9℃~14℃)の5時間余は充実した一日であった。
 関東平野にも関西同様、長い歴史と人々の生活文化があったことを再認識する一日。幸い、トランプのイラン空爆のニュースはなく、平和な日本で昼寝の一刻。