Blog150 (一財)開構研の2026別冊「災害と社会、地球環境に関する広域的研究論文報告集」を読んで

 

UEDレポート2026別冊(2026.1月)

 2026年2月、(一財)日本開発構想研究所の広報誌・別冊が阿部和彦代表理事から送られてきた。外岡豊氏から頼まれて「地球環境、災害、市民社会といったものを中心に、広く世の中の人々に知ってもらう価値がある」と判断し、別冊として刊行したとあり、一読させてもらった。確かに、このように紙媒体として出版されたことによって、私のような高齢者にも、星野克美氏の地球環境危機を論じた「The Anthropocene Realism」の内容が理解できた。

 さらには外岡豊氏の日頃の欲求不満を解消するためのSDGsの限界論や「人新世生存」研究会の目的も理解することになった。

 熊澤栄二氏の「温暖化における二酸化炭素の寄与についてーCOPILOTとの対話」に関しては、Microsoft社のAI「COPILOT」を通しての成果について、面白く拝読する。かねてからAIでCO2と気候変動の因果を確認したいと思いながら、これ迄にできなかった研究報告には感謝である。特に、ビル・ゲイツ氏の補遺は、注目に値する。

補遺
 『長年、気候変動に対して警鐘を鳴らし続けてきたBill Gates氏はCOP30開催直前、自身のブログGates Notes(10月28日付)にて、以下のように新たなる見解を示したことで注目を浴びた。一部、私訳にて紹介したい。

 気候変動の終末論者の見方は、およそ次のような論調であった。
 今後20-30年以内に、破局的な気候変動が文明社会を破滅させるであろう。その証拠はわれわれのいたるところにある-見よ、あらゆる熱波や嵐は地球の気温上昇により引き起こされているのだ。気温上昇を抑えることほど重要なものは無い。

 幸運なことに、われわれ人類にとってこの見方は間違っている。とりわけ最貧国の人々にとって気候変動が深刻な結果を引き起こすことに変わりはないが、人類滅亡に導くものではない。少なくとも今後数十年は、地球上のほとんどの場所において、人類は生存し繁栄することができるであろう。排出量の予測は減少してきており、正しい政策と投資をもってイノベーションは排出量のより一層の削減をわれわれにもたらすに違いない。


 私自身、富山市の出身で、今も富山の自宅を一部賃借し、一部研究室に使用しており、能登半島地震でかなりの被害を受けていたので、橋本隆雄氏の報告と富樫豊氏の提言について関心をもって読ませていただいた。

 SDGsの2030年目標達成や地球温暖化防止の目標も遅々として達成されそうにない今日、阿部氏の勇気で別冊の如き研究報告書が出版され、日本が動き出す兆しを見たようで、このBlogを書くことになった。2月8日の高市早苗政権の圧勝で、愈々「働いて働いて働いて」世界の真ん中に飛躍する兆しを実感している。

 別冊で他に注目したのは、建築学会のレジェンド、神田順氏と糸永浩司氏の報告である。神田順先生の「建築の自然災害への対応の限界と社会のあり方」で、建築基本法の必要性を改めて教えられる。常々私も主張しているが、建築基準法で許可された建物は、既存不適格であっても、国(社会)が認めた建物である以上、その時の自然災害は「天災」として災害保険が適用されない不条理であること。
 この建築基準法がある限り、金融庁は、建築には災害保険制度が適用されないとの風説もある。然るに今日の自然災害はゲリラ的であり、しかもそれは地球規模であることを考えれば、建築のつくり手と、それを維持する建物管理者と金融関係者等、社会制度として建物の安全が守られてしかるべきである。神田先生の主張は余りに正論であるが故に、社会がこれを認めようとしない現実がある。2026年度には「防災庁」が発足するに当たって、今年こそ神田先生の主張が認められることを願って。

 また糸永浩司先生の「チッソ水俣病と東電原発災害の共通性」は、貴重な実態調査資料である。私自身、水俣市や福島県浪江町を何度か訪ねたが、復興による明るさのみが取り上げられ、悲惨な公害のあることがいつか忘れ去られている。
 糸永氏はこれを憂いて、原発事故災害は「里山の長期公害」であり、水俣病は「里海の長期公害」と称して、両方ともまだ解決できていないと警告する。今も長期公害地域が存在しており、その双方を比較しつつ、少しでも解決の糸口を見つけたいとして一覧表に示している。2025年9月の建築学会大会協議会で報告された資料であるが、学会隠居の身の私としては、この別冊で詳細を学ばせてもらったのは有意義であった。

Blog149 「失われた日本の30年」を再考して、実証から実装に向けた2026年度へ

 今年の賀状に「失われた日本の30年」を再考して、「これからの明るい日本を開くには何をすべきか模索する年始」と記した。
 ハンチントン等の文明史は、日本国は西欧や中国の文化・文明とは異なるユニークな文化・文明を継承している。確かなことは、「おもてなしの心」や「民主主義」、「世界の法秩序を遵守する」気持ちは毅然としている筈だ。

 然るに、この30年間の行動は、
 第一に、1997年のCOP3(京都議定書)を発出した国でありながら、2013年からの第二約束期間には離脱(不履行)してしまった。
 第二に、2015年のCOP21(パリ協定)では、特にJCM(二国間クレジット制度)を認めてもらいながら、2023年のCOP28での「化石燃料の段階的廃止」にはアメリカと共に反対(毎年「化石賞」を授与される屈辱を味わっている)。
 第三は、2025年7月のICJ(国際司法裁判所)の勧告は、日本国のみならず企業としても注意すべきである。毎年開催されるCOPで、次々と新しい目標として各国にNDC(温室効果ガス削減目標)が課せられるにつけ、いつまでもトランプ政権に追従する日本国の現状は(アメリカと違って日本はICJの加盟国である)恥ずかしい。
 以上、民主主義と国際法を遵守する日本国として、5年毎に提出を要求されているNDCを達成すること。

 1997年11月に講談社から『千メートルビルを建てる』を出版したことから、今日に至るも東京に千メートルビルが建っていないのは何故かを検証するNHKテレビ「未来予測反省会」に出演した((Bog144)。
 執筆当時(1990年頃)の日本の国力をもってすれば、2020年には1000mの超高層は十分に実現できると本気で考えていた。然るに、1989年の東西冷戦終結と共に、日本は経済バブルの崩壊、1995年の阪神淡路大震災、21世紀に入って人口減少、東日本大震災等々、度重なる自然災害に遭遇した。それでもODAやJICA等を通して、中国や韓国をはじめアジアの国々に大きな支援を続けてきた。その成果として、日本の技術を学んだ人たちが中国や東南アジア、中近東の国々で立派に超々高層ビルを建設している。一方、東京ではお金も需要もなく実現できなかったが、世界では実現していることを伝えた。

 それにしても、この30年間の日本は失われたものが余りに多く、それを取り戻すために、アメリカのトランプ政権やロシアのプーチンのように、他国を侵略してまで取り戻すことの是非である。改めて問う。自国の経済力は失われても、アメリカやEUと共に途上国を支援し、世界平和と地球環境への寄与を続けてきたと考えれば、国民は納得できる筈である。然るにトランプ2.0のように、それを取り戻すことに正義を見い出し、今日のロシアや中国同様に自国ファーストになれば、世界の破局である。
 幸いなことに日本やEU圏は女性のリーダーを擁立して、この難局に当たり成功を治め始めて、その手段は実に巧みで、確実にその兆しがある。 

 少なくとも先進国は、これまで国連の諸機関を通して、民主主義による国際貢献や地球環境に貢献してきたことは確かで、その継続が困難になっているのは、途上国の急ぎすぎと先進国の驕りと怠慢である。
 頼みの国際連合の安全保障理事会は機能不全で、今日の危機的状況を招いている。その大きな原因は、第二次世界大戦で完敗した国々の国連での地位は余りに低いため、WHO、COP、SDGs、UNESCO、ICJ等々における国際貢献に比して報いられることが少なかった。しかし、日本のこれまでの実績は歴史上、今が一番、世界の信用を得ているはずで、自信を持って、これまで以上の国際貢献を継続すべきである。

 身近では(一社)都市環境エネルギー協会で取り組んでいるBCPとCNのDHC普及に当たって、国際発信することである。
 具体的には、日本の火力発電所からのCO2を利用したeメタンを地域循環共生圏構想として、CNの達成に寄与するNDC-報告とする。またeメタンをアメリカやカナダから輸入する場合は、JCMとしての認証書を国際循環共生圏構想として、国際的に広報する。

 そのための報告書を、2026年度、東京にあっては扇島を中心に、大阪にあっては泉北を中心に考えては如何か。例えば、
〇臨海部におけるBCDと地域と国際循環共生圏構想に関する調査研究
〇日本の熱供給事業のCNに寄与するeメタンについて、NDCとJCMのあり方に関しての調査研究として

 2023年10月、日本でもカーボンクレジット事業として、日本取引所グループ(JPX)が開設された。2026年度に排出量取引制度(GX-ETS、J-クレジットで、不足枠の調達を義務付ける制度)が本格稼働するに当たって、2月6日(金)、NHKラジオで、京大の諸富徹先生が、EUに比べて遅れたが「日本のカーボンプライシングは年間10万トン以上のCO2を排出する300~400社の大企業に要求され、取引が開始される」と解説。
 CO2が少なくとも4,000円/ton以上で取引される時代。一方で、LNG  8万円/ton、石油7万円/tonに比べてeメタンは30万円/ton以上、H2は50万円/ton以上である。CGSのCN達成に当たって、2030年~2035年を目指して、このコスト差をどのように縮め、実証から実装のDHCシステムを構築できるかが試されている。

 2月8日(日)の衆議院議員総選挙では高市早苗政権圧勝。自民単独で3分の2以上の議席確保は歴史的勝利である。1.外交力、2.防衛力、3.経済力、4.技術力、5.情報力に加えた人材力で、世界の真中への夢が実現する時、3月19日にはトランプ政権との日米首脳会議も予定され、愈々、前進する日本の未来が開かれる。2026年度(午年)こそ、勝負の年としたい。

Blog148 箱根湯本温泉への家族旅行で「温泉地学研究所」訪問

 2026年1月9日(金)新宿発12:20の小田急ロマンスカーで、箱根湯本駅13:47着。
一駅バックして、箱根登山鉄道の入生田駅下車。徒歩5分の「神奈川県温泉地学研究所」へ。

 1995年、通産省の石油代替エネルギー委員会の地熱調査部会長として、日本各地の地熱調査をするに当たって、何故か熱海・箱根の温泉組合等の反対があった。その時、温泉組合と発電などの地熱利用者の利権が面倒なことを痛感した。最近はどうなっているかを聞くことができたらと考えての訪問。

 年賀状に、失われた日本の30年間を考えるに、カーボンフリーとしての地熱利用が再び注目されたこともあって、当研究所が、1961年に「神奈川県温泉研究所」として設立され、1995年に今日の研究所が当地に移転したことを知ったことからの突然の訪問であった。

 残念ながら、大涌谷や小涌谷、さらには箱根七湯の温泉源を結ぶ湯守や地域配管等の引き湯ネットワーク等に関しては、地元の専門業者が昔からの伝統を守って仕事をしている様子で、当研究所の研究対象ではない由。唯、地熱利用としての発電と温泉源との利害に関しては、敏感な関係にあることは今も変わらないのではとの意見。
 カーボンフリー対策として都市環境エネルギーの問題として、日本の地中熱の活用については、温泉源・地熱・地中温度の活用に当たって、本格的に検討すべき時と考えさせられた。

 帰途、家族と共に「生命の星・地球博物館」へ。立派な建物や展示物にふれて、日常生活にはない刺激を受けた後、タクシーで箱根湯本温泉の天成園へ。

 箱根町の標高は800~1000m、南北12キロ、東西6キロ(東京の山手線のスケール)の外輪山に囲まれた地に400余軒(10,000室)の温泉旅館やホテルが立地し、年間2,000万人以上の観光客で賑わう。1919年、箱根登山鉄道が開通、早雲山の東斜面に湧く温泉を利用して強羅温泉街が形成され、戦後は大涌谷から引き湯した仙石原温泉街が形成された。

 今度の温泉旅館(天成園)は箱根湯本駅から須雲川づたいに歩いて12分。江戸時代の春日局の血を引く稲葉氏の別邸のあった敷地に60余年前に開業。俳人・荻原井泉水が(天の成したる園)として「天成園」と命名。敷地内には与謝野晶子の「玉簾の瀧」の歌碑等もあり、自然の素晴らしさに満ちた敷地内に198室の巨大な宿である。

 天成園の屋上には天空大露天風呂があり、敷地内の4本の源泉は地下227mから一日200トン、泉温45.9℃の温泉を揚湯。草津温泉の自噴湧出量は1位で32万トン、別府温泉は2位で2万トン、箱根温泉は5位で1.5万トン/日の湯量。
 4:00pmチェックインして、まずは屋上の露天風呂へ。何はともあれ、自然の温泉は気分爽快で、夕食のバイキングも美味い。

 1月10日(土)早朝の6:30am、屋上の露天風呂に浴して、朝食後は玉簾の瀧、玉簾神社、延命水、飛烟の瀧等、30分程の庭園散歩。
 10:30チェックアウト。歩いて箱根湯本駅へ。1泊2日(延べ24時間)の短時間の旅行であったが、長いお正月休み中にあって、最も刺激の多い、充実した時間であった。

 天成園の源泉と荻原井泉水の歌     (神奈川温泉地学研究所内の地表標本前で)
「瀧は玉だれ 天女しらぶる 琴を聞く」

Blog147 山本理著『甲州街道てくてく歩き』(東京図書出版)を読んで

 2024年正月、Blog105で『東海道五十三次てくてく歩き』を読んでの書評で、次はぜひ「中山道六十九次を期待する」と記したが、その時には、すでに甲州街道を2022年から2023年にかけて取材済みであった。鉄道ファンとして中央線の魅力、歴史ファンとして新選組と武田勝頼、東京人としての甲州街道200kmのてくてく歩きはマストであったのだ。
 あの時から丸2年の正月2日、なんと山本理さんが家族と共に来宅され、久しく甲州街道の面白さを話してくださった。

徳川家がこの街道を五街道の一つとして整備したのは、江戸城が攻められたときに、先ずは親藩・譜代の甲府城を経て、富士川から舟で駿河へ避難するための緊急避難路であった由。幕末に近藤勇や土方歳三らがこの道を利用したことや、徳川家康が武田や北条と戦った跡等、甲州街道にはそれ相当の魅力があったのだ。私自身も上京してすぐに、万一の場合、郷里の富山への避難ルートとして、甲州街道沿いの八ヶ岳山荘を拠点にしたことを考えると、国道20号線と中央線は中山道とは全く違った江戸・東京からの避難ルートであったのだ。

 本書で山本さんが歩いた道を『この都市のまほろば』で利用した晶文社の『ライトマップル 山梨県道路地図』と『長野県道路地図』を見ながら、国道20号線に沿って、山本さんの手書きのイラスト地図と標高図を確認しながら読み始めると、私自身が歩いている気分になる。国道20号線から外れた旧甲州街道は荒れ果て、蜘蛛の巣や雑草で見えなくなっており、そんな坂道を歩く苦労が共有されてくる。旧街道を示す標識を見つけ、ホッとして謝意を表する山本さんに共鳴・賛同する。

 本書の11~109頁は文字通り甲州街道をひたすら歩いて、日本橋から半蔵門前の国道20号線に沿って、旧道を見分け、
・第一日目は、日本橋から①内藤新宿(②下高井戸・③上高井戸)、(④国領・⑤下布田・⑥上布田・⑦下石原・⑧上石原)、⑨府中・⑩日野宿まで <41.8kmを8時間36分>
・第二日目は、日野から⑪八王子・⑫駒木野(⑬小原・⑭与瀬)・⑮吉野・⑯関野まで <30.1kmを6時間34分>
・第三日目は、関野から⑰上野原・⑱鶴川・⑲野田尻・⑳犬目(㉑下鳥沢・㉒上鳥沢)・㉓猿橋・㉔駒橋・㉕大月㉕大月まで <26.6km 5時間41分>
・第四日目は、大月から(㉖下花咲・㉗上花咲)・(㉘下初狩・㉙中初狩)・(㉚白野・㉛阿弥陀海道)・㉜黒野田(㉝駒飼・㉞鶴瀬・㉟勝沼まで <35.5km 7時間41分>
・第五日目は、 勝沼から㊱栗原・㊲石和・㊳甲府柳町・㊴韮崎まで <32.5km 6時間6分>
・第六日目は、 韮崎から㊵台ケ原・㊶教来石・㊷蔦木まで <30.1km 5時間41分>
・第七日目は、 蔦木から㊸金沢・㊹上諏訪・下諏訪まで <35.2km 6時間53分>

 旧甲州街道の歩きは231.7kmを47時間余、平均5km/hの健脚は驚くばかりである。「この体力であれば、ぜひ中山道も」というと、「和田峠の熊が怖いですから」といわれ絶句する。既に調査済みであったのかと。
 確かに、中山道の和田宿周辺を5~6年前に歩いた時、道に迷った上、こんな坂道をどのように和宮様が通ったのかと思う程の難所であったことを想い出した。

 本書の127頁以下は「第二章 多摩・新撰組紀行」。私の著した『この都市のまほろばVol.6 東京編』で、理解するところ多々あり面白く拝読する。
 「第三章 甲州海道各駅停車の旅」については、OBの鉄チャンである市川徹君から多々 情報を得ており、これも理解するところであった。
 「第四章 武田勝頼タイムトラベル」はユニークで、勝頼の生まれのルーツは信濃国上原城。初めて城主になったのは信濃国高遠城で、17才から24才迄。24才で武蔵国滝山城・相模国三増峠、28才で甲斐府中躑躅ケ崎館、36才で甲斐国新府城、37才で甲斐国岩殿城。終焉の地の甲斐国田野についての物語は学ぶこと多く、今年の私たちの八ヶ岳合宿で、ぜひお招きしたいお客様である。

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     『甲州街道てくてく歩き』(山本理著、2025.4)       山本理氏

Blog146 マーセル・ディルサル著・柴田裕之様訳

「独裁者の倒し方」(2026.1 東洋経済新報社)を読んで

 素晴らしい本が今年も柴田裕之君によって翻訳出版された。
「序―黄金の銃のパラドックス」では「地上最強の独裁者たちは、恐怖におびえながら生きることを運命づけられている」との文章に、そうか、そうだったのか。毎日の新聞やテレビの報道の裏にはこんな事実があったのかと、これまで思ってもいなかったことが書き出しから記されており、引きずり込まれて読み始めたら眠れなくなってしまった。

        「独裁者の倒し方」(東洋経済新報社 2026.1.20)

 あまりに生々しい実態を教えられて、歴史の裏面を知ることになる。これまで書籍やテレビ、新聞等から学んだ自分自身の歴史観の面には裏があり、本当の姿は、その表裏が一体になってこその歴史であることを、最近の出来事を通して語られていたからである。よくぞ、こんな本を出版することができたと驚くと共に、今日の世界が独裁者で動いていることを考えさせられる。本書は、明日の世界を予言してくれる程の内容であり、刺激的な著書である。

 「第1章 降りることのできないランニングマシン」では、独裁者はひたすら走り続けるしかないことを示す。高齢になっても、疲れていても、マシンを降りるときは死あるのみ、という恐ろしい実話。トルクメニスタンの大統領ナザルバエフの哀れな末路が例に挙げられている。同じようにルーマニアの独裁者チャウシェスク夫妻の惨めな最期やリビアのカダフィ大佐の最期等、どれ程に悲惨なものであったかを教えられた。常々不思議に思っていた国外亡命の実態とその困難さも、この章は明らかにしてくれている。

 「第2章 内なる敵という脅威」に対する独裁者の精神状態として、No.2や後継者の立場の困難さについては、日本でも歴史的によく理解されてきたことであるが、改めて認識した。

 「第3章 軍人たちを弱体化する」については、専門的で理解できない点が多かった。しかし、東京の首都直下地震時にクーデターが起きる可能性を研究したことを思い出した。クーデターの成功率にまで踏み込んでの解説は見事である。

 「第4章 叛逆者、武器、資金」については、昨今のトランプ大統領のディール政策で連日繰り広げられるEU・中国・ロシア・北朝鮮とウクライナ戦争での情報合戦はあまりに不透明な情報の混沌下にあって、終わりなき戦争と平和のあり方を教えてくれた。

 「第5章 国外の敵、国内の敵」では、ソ連のスターリンの粛清実態やアメリカのカストロ(キューバ)対策の本音が分かる物語で興味深い。

 「第6章 民衆に銃を向ければ負け」は、天安門事件を考えればよく分かる話題。

 「第7章 暗殺の他に選択肢がないとき」は、ロシアやサウジアラビア、北朝鮮の暗殺を考えれば、やはりそうであったかと頷くばかり。ロシアのプーチンを例に、国民から切り離された世界(分断)、次元の違った国家を演出することで政権交代を不可能にすることの容易さについての解説で「リアルはバーチャル以上」、「事実は小説以上の世界」であると教えられる。

 「第8章 政権交代の難しさ」は、日本ではよく理解されないが、情報の分断されたアフリカの政権交代による悲惨な報道を見ればよく分かる。

 「第9章 独裁者の倒し方」の章は秀逸である。北朝鮮を実例に、独裁者を倒すのは如何に困難かを示している。国民国家体制という不思議な世界の今日、大小様々にして、それぞれの歴史をもった結界が世界を構成している以上、しかも「内政不干渉の原則」という国際法上の原則がある以上、この問題は簡単ではないことを改めて認識させられた。

 米寿を過ぎた自分自身の人生を振り返ると、自分は本物のランニングマシンに乗ったこともなかったし、自分の立場や役職を辞めようと思ったら「一身上の都合」と称して、いつでもすぐに辞めることができる立場でしかなかった。これは淋しいことだが、今日の日本社会は、やはり世界的に見ても民主国家であることを実感する。しかし、日本の失われた30年を考えると、独裁者の必要性を求める声が出始めているようで心配である。少なくとも自分の意志でランニングマシンの乗り降りが可能な立場で人生を終えることができる幸せな国を育んでいきたいものである。

 読後の感想は、独裁者でない私たち普通の人であっても、何のために、どんな目標達成のためにランニングマシンに乗るのか、マシンで蓄えた力を降りたときにどう使うのか等を改めて考えさせられる名著であった。巻末、参考文献の数は延べ608冊にも及び、著者が本書にどれ程の労力をかけたかを知る貴重な資料である。

今回も翻訳者として柴田君の名訳に脱帽、OB・OG諸君に本書の一読を薦める次第である。というのは、本書を読んだ前と後では、これからの新聞やテレビの報道の受け取り方が一変するに違いないからだ。

Blog145 (一社)都市環境エネルギー協会の2026年度  年頭所感に寄せて

会員各位

明けましておめでとうございます。代表理事より会員の皆様に新年のご挨拶を申し上げます。

 2025年10月13日、大阪・関西万博が「いのち輝く 未来社会のデザイン」をテーマに、予想を超える成功裡に閉幕し、「Beyond EXPO 2025 ~万博後の大阪の未来に向けて~」として、新たな「成長戦略」が検討されています。

 2025年9月1日、大阪ガス本社ビルのホールで恒例のシンポジュームを開催し、翌2日にはEXPO‘25会場を視察。会場でのレガシーを活用しての「大阪夢洲BCD・脱炭素化推進委員会」や「神戸三ノ宮駅周辺BCD・脱炭素化推進委員会」をベースに、実証から実装に向け、推進予定です。

 また、東京都にあっては、中央区、港区、豊島区、新宿区のBCD・カーボンハーフ推進委員会は、ゴミ焼却場からの排熱利用やCO2対策等で、国や都と連携、これも実証から実装へのステップが見えてきました。

 関東・関西地区での活動のみならず、名古屋や福岡でも副理事長会議の合意を得て、面的熱利用の普及を推進する予定です。

 すでに「海外からの水素等サプライチェーン調査委員会」では、オセアニア、中近東、EUでの調査を終えて、SDGsやC.N.の2030年目標達成に当たっての情報交流を進める昨今。当協会が英語のホームページを開設したこともあって、海外のエネルギー関係者との意見交換が多くなりました。

 2026年6月、カナダのオタワで「IDEA年次会議(Connecting Networks)」が開催されるなど、世界的に面的熱利用のネットワーク拡張や大変革が伝えられている状況下、日本のモデルとなってきたパリやロンドン、ベルリン、ニューヨーク等、最近の実情を知るため、できれば(一社)日本熱供給事業協会との共催で、北米やヨーロッパへの視察団の派遣について考えています。

 こうした活動を続けるためにも、第一種正会員のみならず、第二種正会員、特別会員の参加を要請する次第です。
 2026年度も新たな決意の下、BCDとカーボンニュートラルの目標達成に向け、面的熱利用のネットワークの拡張に努力したいと考えています。

 会員皆様の益々の御支援・御鞭撻をよろしくお願いする次第です。

                            代表理事 尾島俊雄

 2026年の元旦、「年頭所感」と1月29日の「賀詞交換会」でのご挨拶を考えるとき、今日の世界状況から、カーボンニュートラルの目標達成は水素等の生産と運搬が予測を超えて困難なことから、eメタンや熱供給事業の拡張が注目され、特にパリ、ロンドン、N.Y.等の大都市での排熱利用の地域熱供給事業の拡張が進んでいることを考え、当協会の役割が期待されることに気づいた。

 河川や海水、下水処理場のHP利用の地域冷房、CGSやゴミ焼却場等からの高温排熱利用の地域暖房の普及は、これからの日本の都市にあっては不可欠の都市インフラであることをもっと一般に理解してもらうための活動が、当協会の使命であること。そのために、当協会が準備してきた二種会員(学識者)と特別会員(地方自治体)の参加を中心とした研究会を立ち上げたいと考える年始である。

Blog144 NHKテレビで『千メートルビルを2025年までに建てる』の著者として反省する番組に出演して

 2025年8月22日(金)、テレビ番組製作会社の永井・多田両氏が研究室に来て、以下のような出演依頼があった。
 『11月18日(火)23時~23時27分放送予定のNHK「未来予測反省会」で、「過去の未来予測を検証すると…テクノロジーの創発、人間社会の変遷、知られざる業界発展史が見えてくる!」という内容のもので、過去4回放送しています。

「東京に高さ1000メートル超の高層ビルができる!?(仮)」というテーマでの制作を企画検討しております。尾島先生が1997年の御著書「千メートルビルを建てる」で語られた「2020年ごろには、1000メートル級の超々高層建築が、実際に建つ機が熟す」という予測が2025年の現時点では実現しておりません。過密解消をはじめ、巨大都市東京が抱える様々な課題を解決するために21世紀の東京像として提唱された、1000メートル級の超々高層建築と大深度地下共同溝のネットワーク構想。そして1990年代に入り官民共に目指したハイパービル構想。1000メートル建築は技術的には可能とされるが、そこに立ちはだかったのは何か?容積規制、地震と台風のリスクへの対応等々その理由を解明していきたいと思っております。また、世界各国の高層建築事情等にも触れていきたいと考えております。尾島先生には未来予測者として、先生の構想についてのご知見をいただくとともに、現状、1000メートルビルが存在しない理由、そして未来の高層建築についてのお考え、ご意見を頂ければと思っております。

 番組はスタジオでのトーク形式です。出演者は、MC影山優佳さん、シソンヌ長谷川忍さん、そして尾島先生に出演いただく予定です。また、歴史上、国内外で高層建築物の発展に貢献した方にCGキャラクターとして登場してもらいます。』

 当日、私が解説したのは、以下の2枚の図である。
 20世紀の日本は、人口も都市への人口集積も上昇を続け、中でも東京の建物は、地上(地下)1900年の10m(1m)から30年毎に30m(3m)、100m(10m)、300m(30m)と対数尺で半桁ずつ上昇。2020年には地上1,000m(地下100m)時代が到来するはず、と1997年、『千メートルビルを建てる-超々高層のハードとソフト-』(講談社選書メチエ)に書いたのは事実である。

 同時に、菊竹・衛藤・岡田等と産官学を総動員して、1999年に『HYPER首都-世界に向けて発信する1000年都市-』(BKJ books 2)と題して出版した著書でも、日本で是非とも1,000mビルを建設すべしとして、高さ1,000m、延床1,000ha、寿命1,000年、10万人が居住できるハイパービルとして、古谷誠章(日本)・トム・コールハース(オランダ)・パオロ・ソレリ(アメリカ)にそれぞれ計画案を委託した。

 すでに日本の大手G.C.の竹中は、1989年6月に「スカイシティ1000」(高さ1,000m、250階、延床800ha、10万人就業)として、超々高層ビルを14年間、4兆円で、大林組は1989年8月、「エアロポリス2001」(高さ2,001m、500階、延床1,100ha、30万人居住)の超々高層ビルを25年間、46兆円で、鹿島は1990年9月、「DIB-200」(高さ800m、200階、延床150ha)を7年間、1兆円で、大成は1989年11月に「X-seed4000」(高さ4,000m、800階建て、延床7,000ha、70万人居住)として、30年間、150兆円、清水は「TRY-2004」(高さ2,004m、500階、延床8,800ha、100万人居住)として、7年間、88兆円の構想を発表していた。

 20世紀末の当時は、21世紀も20世紀同様、30年間で対数半桁ずつ高層建築に挑戦することができればと考え、1991年1月、東京首都圏3,000万人を1棟の建物に収容する高さ10,000m、延床17万ha、3,000兆円の「東京バベルタワー構想」を提案し、1992年のブラジルのリオ・サミットで発表した。

 この時代のバブル景気と“Japan as No.1”としての日本の国力をもってすれば、2020年頃には1,000mの超高層は十分に実現できると本気で考えていたことは確かである。しかし、1989年のベルリンの壁崩壊や天安門事件、そして東西冷戦の終結と同時に、日本ではバブル崩壊、1992年のリオでの地球環境サミット、1995年の阪神・淡路大震災で、少なくとも日本は人口減少、都市の縮減、首都移転、首都直下地震や航空規制等から1997年には1000mビルへの挑戦は絶望となっていた。

 しかし、日本の産官学の人たちには、21世紀に急成長する中国や中近東の需要を考えれば、鉄鋼やエレベーター、ロボットによる施工技術の開発のため、また日本の300mクラスのタワーマンション等の安心・安全対策として、たとえ立地が不便で、居住者が居なくても、研究開発のため、実験用のモデルとして、2020年代には1棟は建設しておきたいという夢と希望があった。

 NHKの「未来予測反省会」の試みに対して、これまでに出版した私の著書を並べてみた。1960~1990年の30年間は、東京一極集中・高度経済成長期の土地代の高騰で、Sky Front、Geo Front、Sea Front時代となって、建物の高さは100mから300mに発展。この間は以下の3冊に注目。

・『熱くなる大都市』1975(NHKブックス)
・『アングラ東京構想』1982(模型の展示)
・『21世紀の建築のシナリオ』1985(NHK出版)*日本建築画像大系 YouTubeで公開
・『東京湾埋立提言2025提言』1987
 (1990年のバブル崩壊を機に、1990~2020年の30年間は、300mから1,000mへの日本での挑戦は断念したが、この間には以下のプロジェクトに注目)・『大手G.C.1000m~4000m計画』1991(上述)
・『東京バベルタワー』1992(リオ・サミットで発表)
・『異議あり!臨海副都心』1992(岩波書店)
・『千メートルビルを建てる』1997(講談社選書メチエ)
・『東京の大深度地下』1998(早大出版部)

 2020年~2050年の30年間は、世界の何処かで日本の技術が1,000mビル建設に挑戦し続けている。今度のNHK TV出演がきっかけか、既に絶版になっていた『千メートルビルを建てる』が2025年8月付けでオンデマンド出版契約となったのは喜ばしい。加えて、YouTubeで公開している『日本建築画像大系』が再び注目されることになったのは喜ばしいことだ!

 10月29日(水)、千代田区北の丸公園の科学技術館2Fの千代田ビデオスタジオで収録。当日は高田馬場駅で小林さんと待ち合わせ、タクシーで会場へ。

 既に準備ができている様子で、「尾島先生控室」と表札の出ている部屋の机上には「未来予測反省会」のスタジオ台本(出演者様用)が昼食の弁当と共に二人分置かれていた。

 予定通り11:15にはプロデューサーの多田さんが打ち合わせに来る。血圧が上がったようで顔が赤くなっているのを心配して「緊張されないよう、主役は堂々としていて下さい」との指示。トイレに行き気分一新。弁当は若者向け大盛り。とても食欲が出ず、焼肉とたこ焼き2個食べて終了。無意識に血圧が上がっているのは、やはり心房細動の影響であろう。

 予定通り11:45~12:05スタジオに入り、ディレクターの矢部氏の進行で事前打ち合わせ。
日建設計・設計グループ部長の勝矢武之氏(渋谷スクランブルスクエア等設計)と三菱地所の宮ノ内大資氏(日本一高いTorch Tower 385mの事業部ユニットリーダー)と10分程のリハーサル。

 テレビ出演は初めてかとの矢部氏の質問に「30年前はよく出演していたが、何しろ30年ぶりだからよろしく」と挨拶した頃から昔の調子が戻ってきた。勝手なアドリブで、すぐリハーサルOKの指示。12:15~13:45、台本通りに収録終了。全員で記念撮影。

 1時間30分の収録を30分に編集し、NHK総合で11月18日(火)23:00~23:27「未来予測反省会」で『2020年ごろ東京に高さ1,000メートルの超高層ビルが建つ』というテーマで放送される由(再放送が最大6回、NHK ONE見逃し(放送後3週間 有料)、国際放送(放送後1年))。

 88歳の高齢者として、テレビには絶対出演しないつもりだったが、未来予測をした『千メートルビルを建てる』の本に対する反省会とあっては、生存する以上、止む無し。悔いはなかった。気分も良く、小林さんに関係者への周知もOKとした。

 アドリブで話した余話が1点
①ライトのマイルハイタワー(ジ・イリノイ)のスケッチが大好きで、今も私のアトリエに飾っていると話したら、その写真を送れというので渋田君に撮影してもらった。

 アドリブでは話しきれなかったことが2点。
①建築物の高さ規制が撤廃された後、最初に建設されたのが早大理工の校舎(51号館)で、その18階に私の研究室があったこと(但し、剛構造であった)。

②虎ノ門周辺の再開発、高層化に当たって、当時、森ビルの森稔社長にお願いして、天然の地表で、23区で最も標高の高い愛宕山(25.7m)と愛宕神社の石段(86段)を残させたこと。

Blog143「第18回  八ヶ岳研究会」に参加するに当たって

 2025年9月27日(土)、新宿発10:04、臨時あずさ83号で茅野駅へ。八王子で相場洋氏、茅野駅で丸山二郎氏と合流。信州蕎麦さらしなで昼食後、オギノ茅野ショッピングセンターで買い物して、そのまま美濃戸の御柱街道に沿った山ブドウ狩りの目的地へ。早朝、丸山氏が調査済みの拠点で1時間。信じられない程の山ブドウを背負い籠いっぱいに採集する。

 山荘で一休みした後、縄文湯で一風呂。その後、自然農園で夕食の買い物をして17:00pm、山荘到着。早速、山ブドウのジャムづくりの工程と夕食のカレーに取りかかるが、ルウが見当たらず、明日の予定であった肴の焼き物を主とした夕食は豪華で美味。

 私は体調もあり8:00pm就寝。2人は深夜まで山ブドウのジャムづくり。

 2:00am~4:00am、東京出発前に送られてきた五十嵐敬喜・三木邦之編著『真鶴町 美の条例―自治体消滅時代と自治を問う―』(2025.9.25発行、ほんの木社)を読む。

 9月28日(日)6:00am、すでに丸山・相場両氏は朝食の用意。パンと牛乳、卵焼きの軽食後、昨夜つくった大鍋いっぱいのジャムに満足せず、再度山へ出発。

 私は五十嵐先生の2018年、現代総有研究所所長就任時の「現代総有研究所設立宣言」を「第18回 八ヶ岳研究会」の議題にしていたことから、1993年(平成5年6月16日)に制定された「真鶴町まちづくり条例」を読む。
(目的)
第1条 (前略)真鶴町の豊かで自然に恵まれた美しいまちづくりを行うため、建設行為の規制と誘導に関し基本的な事項を定めることにより、町民の健康で文化的な生活の維持及び向上を図る(後略)
(基本理念)
第2条 真鶴町は、古来より青い海と輝く緑に恵まれた、美しく豊かな町である。
町民は、これまでこの資産を守り、これを活かしつつ、この町に独自な自然環境、生活環境及び歴史的文化的環境を形成してきた。環境に係わるあらゆる行為は、この環境の保全及び創造に貢献し、町民の福祉の向上に寄与しなければならない。

「真鶴町 美の条例」出版(2025.9.30)

 五十嵐先生のあとがきに依れば、
『本書は「美の条例」制定30周年を記念して、さらにその後も「永遠たらん」ことを期して執筆された。しかしその最中、「美の基準」創出の原動力となった貴重で偉大な人物を失ったことを記しておかなければならない。
 一人は条例制定のために獅子奮迅の活躍をした元真鶴の町長、三木邦之<1941~2024>である。私は今から30年以上前、三木が町長に当選した頃、三木の招きで出会い、「美の条例」の制定を提案した。しかし、「美の条例」は、当時の都市法体系からはみ出るものであり「違法」として裁判で争われる心配を幾度も三木に伝えた。それに対する三木の回答は「最高裁判所」まで争い、それでも敗北したら、その責任はすべて自分が取るというものであった。(中略)この30年間、特に専門委員を辞職して以降、必ずしも十分には真鶴とかかわってこなかった自己批判をふくめながら(後略)』
五十嵐先生は、1993年に三木町長と共にこの条例を創られた。

 私は2008年、黒川紀章氏の逝去で日本景観学会会長に就任。その時の副会長が五十嵐先生であった。
 2013年に池の平ホテルで日本景観学会開催時に、白樺湖畔の廃ホテル「山善」が景観破壊の原因として、この代執行策を提言。その実行に当たって、五十嵐先生の指導もあって、茅野市長や池の平ホテルの矢島社長等の尽力により撤去に成功したこと等から、2018年「白樺湖畔スマートヴィラ研究会」を創立。「白樺湖と現代総有」について五十嵐・矢島・尾島が鼎談し、『現代総有』(vol.5,2023.6.20)で報告した。
 2020年にこの研究会を「八ヶ岳研究会」と改名して、今回は第18回目で、総有の発想を改めて(株)白樺村に活用しては如何かと提案することになった。

 以上の次第で、本書を28日中に読破して、要点を整理して考えたのは、この条例を創った三木町長や五十嵐先生が2013年まで、真鶴町の発展に寄与されながら、2014年以後、町長は引退、また2003年の情報センター設計案がまちづくり審議会で「美の基準」に照らして不適当と判断されたことから、五十嵐先生が委員を辞任された。「美の条例」という「仏を作って」、審議会委員として「魂を入れる」筈の先生が離脱した。五十嵐先生は「法」をつくりながら、その実行に当たっては、すぐ辞退されてしまう悪癖があることが問題である。

 日本景観学会でも一期2年、最大三期6年の会長職を、私は2代目で三期6年、五十嵐先生が3代目会長で、会長を一期で何故か辞退された。私は会長をやめても、今も継続して理事を務めているのは、学会の「継続は力」であるという格言を信じているから。

 夕方になってやっと山ブドウの処理に目途がつき、今日も縄文の湯で一風呂。自由農園で夕食のカレーのルウを仕入れ、この日はカレーライス。

 9月29日(月)早朝から小雨で6:30am朝食後、山ブドウのジャムを分配。東京へ持ち帰るために持参したビンが不足するほど大収穫。砂糖不足でジャムが十分に固化しないので余計処理に困る(出来る限り現地で分配せんと八ヶ岳研究会のメンバーにも分配した結果、矢島社長から山のキャビアといわれる程の貴重なもので、自分もこれ程の収穫した写真は見たことがないと褒めてくれる)。
 10:00am早々に清掃、山荘の冬支度をした後、八ヶ岳農場でハロウィンの風景などを見学して、竜神亭の近くの溜め池(三井の森が管理)を視察して、フレンチの竜神亭へ。さすが10月の月曜とあって空いていたが、当地自慢のランチ定食後、早めに白樺湖畔のすずらんの湯や周辺の貸別荘群を視察。

 2:00~4:00pm、池の平ホテルにて「第18回八ヶ岳研究会」。出席者は、矢島・小林(光)・福島・中川景介・山﨑登志夫・相場洋・私の7人。
 私が議長役として、まずは第17回議事録(Blog140)を中心に説明後、五十嵐先生の「現代総有研究所設立宣言」コピーを配布。以下、現代総有とはの説明で、(株)白樺村のあり方を問うことになった。矢島社長は考え方に反対はなく、コモンズの発想は共有しているとして、(株)白樺村の事業計画の現況について説明する。

 次回第19回は2026年8月に予定して、その時からは「すずらんの湯跡」で会議が出来るよう、また(株)白樺村のコモンズについても検討することになった。加えて、八ヶ岳美術館の閉館の話題やJESと(株)ミライ化成、小林先生の参加の仕方についても話し合った。

 帰途は福島氏のレンタカーに便乗して茅野駅へ。

茅野市営白樺湖温泉すずらんの湯は(株)白樺村で管理することになったので、次回「第19回八ヶ岳研究会」は当地開催予定
        貸別荘(2025.09.29)
       八ヶ岳農場広場のハロウィン用展示会
山ブドウの収穫量と丸山氏の笑顔

Blog141 ブライアン・クラース著・柴田裕之訳『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』(東洋経済新報社 2025年9月23日)を読んで

 

東洋経済新報社 2025.9.23

『1945年8月6日、「リトルボーイ」という暗号名の原子爆弾が爆撃機「エノラ・ゲイ」から投下された――京都ではなく広島の上空で。14万人もの人が亡くなり、その大半が民間人だった。3日後の8月9日、爆撃機「ボックスカー」が「ファットマン」を長崎に落とし、ゾッとするような死亡者数におよそ8万人を加えた。(中略)

 2発目の原爆は、小倉に落とされることになっていた。だが、B-29爆撃機が小倉に近づくと、雲のせいで地表が見えにくくなった。(中略)視界不良のまま目標を外すより、第2目標の長崎を攻撃することにした。』

 前者は、1926年10月30日、H.L.スティムソン夫妻が京都の都ホテルに泊まって、京都の寺院や庭園の美しさに感動し、この古都を守るためにトルーマン大統領に二度も直訴した結果であり、「ある夫妻の20年近く前に出掛けた旅行」が1つの都市を救い、別の都市が破壊された。後者は雲のせいであり、1つの都市が爆撃を免れ、別の都市が攻撃を受けた。「京都と小倉」が「広島と長崎」の代わりに救われたという物語は聞いてはいたが、本書で初めてその真相を知った。

 2025年8月27日、東京のみならず異常な暑さが続く毎日、本書が柴田君から送られ、表紙を見ると『人生は自分次第だなんて大嘘である-カオス理論や進化生物学、歴史、哲学など、多様な知見を縦横無尽に渉猟し、世界の成り立ちや人生について考えさせる壮大かつ感動的な書-』とあって、真っ黒の表紙とその帯を見る限り、この暑さの中、とてもすぐに読む気にならなかった。

 しかし第1章の「はじめに」を読みはじめると、最初から上述の如き興味津々の書き出しである。世の中はすべて「偶然」の積み重ねに支配されており、これまで「運命」と考えていたことは、実はすべてが偶然の積み重なった結果であること。然らば「偶然」とはと、「第2章 カオス理論が教えてくれること」を読み進むと、私たちの毎日の生活はカオスの世界にあり、「第3章 万事が理由があって起こるわけでない」ことが分かった。さらに「第4章では、今起こっていることを理解しているのは脳であるが、その脳がまた信用できない」という。「第5章では、そんな人間に制御や予測ができるはずがない」という。「人間社会の複雑系が戦争するに至る」に及んでは、読み進めることが苦痛になって、一眠りすることにした。

 翌早朝、半分以上読破したかと思っていたこの難解な本を開くと、なんとまだ1/3。

「第6章 ヘラクレイトスの不確実性の世界」で確率には限界があること。私自身、統計学が趣味で、学生時代から『統計学辞典』(東洋経済新報社)を座右の書にしていたことを思い出し、それが自信過剰の人間を生むとあった。教授になったばかりの頃、よく生意気な奴と言われていたことから、本書を再び読み始めることにした。

 「IMF(国際通貨基金)は年に二度見通しを発表する」が、「220回の景気後退のうち、4月の見通しが当たったことはたったの一度もなかった。」「それとは対照的に、人類が2004年に打ち上げた宇宙船は10年間飛び続け、時速13万5000キロメートルほどで動いている幅4キロメートルの彗星に軽着陸した。完璧だった。」この文章は社会科学と理工学の違いであることは明らかで、2003年、私が日本学術会議で文系の学者との論争中、「文系には真実はたくさんあることに比し、理工系では真理は一つだが」という「真理」と「真実」の違いを確認したことから、本章の内容が十分に理解できた。

 「第7章 物語を語る動物」では、いま中東で毎日、何千人もの生命が失われている(イスラエルとハマスの戦争)理解できない惨状について、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖書やコーランの「物語」がその原因とすれば、解釈次第で聖戦(ジハード)となり、この悲惨な紛争や難民を生む原因になること。本章ではそれをわかりやく解説してくれているように思えた。

 「第8章 地球の籤引き」では、久し振り「籤引き」の字を見て、限りなき「懐かしさ」を憶えたのは、「籤引き」の漢字が昔、町中にあふれていたからではなかろうか。その上「宝籤」ならぬ「地球の籤引き」というタイトルが妙に気に入った。地球上に住んでいる人間たちは地質や地理で「運命や進路が決まったり変わったりした」という。種や政治家の勝敗も「経路依存性」という概念が左右し、それが「人間時空偶発性」によるという。「時間・空間・人間」という「間の理論」である“Space module”は私の研究基盤で、一言あるも、長くなるので略したい。

 「第9章 誰もがチョウのように」では、人生に「もし(If・仮に)という仮説が許されれば、誰もが世界を変えることが出来る」という本章はよく理解できた。

 「第10章の私たちの人生を支配する時計と暦」タイミングが運命を左右した飛行機事故ではよく聞く物語である。

 「第11章 計量化と馬鹿げた方程式」でもまた、社会科学と自然科学の予測についての範例である。人間社会を理解し予測するよりも、理工分野での科学の予測は易しいことについては、すでに第5章で記した。

 「第12章 自由意志は世界を変えられるのか?」の答えは6通りあり、「ならない」が3通り、「なる」が3通り。また、1.決定論は正しい、2.世界は非決定論的だが、「それは量子の奇妙さだけに起因する」ということを本書ではじめて知ったことで、自然科学における「真理は一つという決定論は、真実は無限という論同様に疑問を持たせた」ことである。

 「第13章 私たちのすることのいっさいが大切な理由」として、この世界における不確実性こそが人間生命のもつ尊厳ともいうべきもの。自由意志の存在がカオスの世界にあって、多くの人にとって、だからこそ「偶然」によってつくられるから、人生は豊かで価値がある。という総論に至って、本当にホッとした。
 著者の途方もないたとえ話を実に正確に、忍耐強く、日本語にしてくれた柴田裕之君の労作に、今度も心より感謝して。

 20025年9月2日に米寿を迎えるに当たって、人生観であった運命論者を一変させて、「偶然」の積み重ねによってこれからの余生が決まることを教えてくれたことによって、人生を明るく軽くしてくれた本書に、改めて脱帽!!
 人生百年時代を生きるOB・OGたちにも一読を薦める次第である。

Blog142_第32回 都市環境シンポジューム「大阪・関西万博後の臨海部BCPとカーボンニュートラル構想」に参加して

2025年9月1日(月)、品川発8:59で新大阪着11:21。南口で中嶋・佐土原君と待ち合わせ、大阪ガス南館のガスビル食堂にて、植田・真貝氏と名物のビーフカレー昼食。

 13:30からの基調講演は、服部卓也(国交省審議官)、尾花英次郎(大阪都市計画局長)、下田吉之(大阪大学教授)、田坂隆之(大阪ガス副社長)の4氏。
 15:20~17:00 私がコーディネーターとして、小川博之(国交省)他3人の講演者とパネルディスカッション。
 まずは、本シンポのテーマについて各パネリストの立場から強調しておきたい事項についての追加報告を求めた後、会場からパネリストへの質問を受ける。

 ①大阪ガスの杉岡氏から、国交省の小川氏へ。
 ②当協会の中嶋学術理事から、大阪ガスの田坂氏へ。
 ③同じく協会の佐土原専務理事から、下田先生へ。
 ④摂南大学の大橋巧先生から、大阪市の尾花氏へ。
 ⑤竹中の中村氏から、大阪市の尾花氏へ。
 ⑥東京ガスの吉田氏から、地方都市での体験から、面的熱利用には事業者育成が大切との発言があり、それを受けて会員の松原純子さんから、このようなシンポを名古屋でも開催して欲しいとの発言。

 当協会は、1970年の大阪万博でDHCを実現したこと。そのレガシーとして、東プラントは千里ニュータウンセンターで日本最初のDHCとして実現したこと、また北プラントの大型冷凍機は東京の新宿や成田空港のDHCへ。1972年には熱供給事業法が制定され、第3の都市インフラとなった。しかし55年後の今回、EXPO‘25でのレガシーとして、目標にしていたH2やEメタンの利用が会場内では実現せず残念に思っていた。しかし、バーチャルな時代を考えれば、会場の内外でその原理原則が実現していたことが、この講演でよく分かった。
 問題は、会場内でリアルには実現できなかったこの実態を、どのようにこれから伝えてゆくかが、私たち(一社)都市環境エネルギー協会の役割かとも理解した。

 終了後、17時からの協会主催の「お疲れ様会」では、服部審議官の乾杯に続いて、大阪都市計画局長、下田先生、小川課長のシンポの評価も有意義であった。幸い、協会の全副理事長、学術理事の出席もあり、会費制で申し訳なかったが、最後に専務理事の挨拶で終宴。

 18時から大阪ガスの藤原正隆社長、田坂副社長他、下田先生、真貝、杉岡部長と協会関係者の夕食会は、「穂の河」で。話題は、本当に真面目な2030年、2040年、2050年対策であった。 
 20時、予定通りホテルモントレイフレール大阪泊。

 9月2日(火)、ホテル9時出発。タクシーで新大阪駅へ。少し早かったので9:45発で東京へ。東京は予想以上の猛暑で、中野駅では38℃。今度のシンポジュームでも勉強させられたのは、国交省や地方自治体、大学やガス会社の責任者からの基調報告である。忘れられた30年とか昨今の心配な世界情勢とかに対して、コロナ禍やロシアのウクライナ侵略、トランプ2.0等があっても、日本の戦略は確実に進んでいることを知ったこと。

 今度のシンポに予想を超える参加者が集まったのも、こうした実態の表れのように感じた。改めて想い出すのは、7年前の2018年8月21日、EXPO‘25が大阪で開催されることが決定する前、大阪商工会議所で、公共建築協会主催で、EXPO’25会場には「超グリーン会場構想」を、村木茂(内閣府水素SIP)、黒木淳一郎(経産省)等と報告したシンポの件であり、2020年2月3日の「熱供給事業協会50周年記念」(帝国ホテル大阪)と2月12日の「千里中央地域冷暖房50周年記念」(阪急ホテル)のことである。その時から、既に今日あるを予想しているように思えて、何故か日本の将来に自信を持った次第である。

 一眠りして目覚めると、米寿の祝いの花が贈られていたことに感謝して、早速返信とBlogに追われた9月2日の誕生日であった。