Blog#69 日野行介著「原発再稼働」(2022.8 集英社新書)から自助避難を考える

 2022年8月24日、総理官邸での「GX=グリーントランスフォーメーション実行会議」で、これまでに再稼働した原発10基に加え、追加で7基の再稼働を目指す方針を確認した。

 具体的には、福井県の関西電力・高浜原発1号機と2号機、宮城県の東北電力・女川原発2号機、新潟県の東京電力・柏崎原発の6号機と7号機、茨城県の東海第2原発、島根県の中国電力・島根原発2号機で、いずれも規制委員会の審査に合格している。

 既に再稼働している10基はいずれも西日本にあり、今回は7基中4基が東日本に立地している。来夏の再稼働に向け、地元の理解を得るため国が前面に立って対応するとして、2050年のカーボンニュートラル実現に向けて、最長60年まで可能な原発の運転期間の延長の他、次世代の原子炉の開発や建設を検討することも明らかにした。

 これまで政府は原発の新増設については「想定していない」としていた上、「年末までに具体的結論を出せるよう検討を加速して欲しい」との岸田首相発言である。この会議の後、西村経産大臣は「わが国のエネルギー安定供給を再構築すべく、あらゆる選択肢を確保していく。」経団連の十倉会長は「政府は前面に立って、原発の再稼働だけでなく、次世代炉の開発についても、官民が一体となって実用化する戦略を描く」と強調した。

 政府のこうした行動を察知しての日野行介氏の出版であることは「あとがき」を読んで理解した。日野氏は2021年度末をもって23年間勤めた毎日新聞社を退社した機に、それまでに調べ、書き続けた「フクシマの教訓を闇に葬ることによって原発再稼働が進んでいる実態を調査報道すれば、分かってもらえるかもしれない」、「国民一人ひとりの意志を押しつぶさなければ国策は進められない。役所は抽象的スローガンを出し、冷酷な本質を隠し続ける。国策と対峙するのは『狂気と執念』だけ」としての出版とある。

 しかし私自身の考えは、第一部の「安全規制編」で、再稼働ありきの原発規制は確かに多くのウソがあるとしても、福島原発事故から10年間に原発施設に投下された安全対策への投資は、全く無駄ではなかったと思われる。現地を視察した者として、確率の少ない自然災害に対して、それぞれの電力会社はよくぞこれ程の投資を成し遂げたものと思っている。

 しかし、第二部の「避難計画編」では、フクシマの反省から避難計画がなければ再稼働ができないはずが、どうして既に10基も再稼働していて、これから7基も来夏には再稼働できるのだろうかと信じられない思いがする。この編でよく分かったのは、プーチンのウクライナ侵攻に対して、ロシア国民から信頼と賛同を得るためには全てに騙しという非人道的手段を用いているのと同じで、これこそが著者の民主主義の破壊そのものという意味が理解できた。

 捕逸に記された広瀬弘忠氏の鹿児島、静岡、新潟での住民アンケートに伴走されての感想として、「まず再稼働したいという強い欲求だけあって、それを実現するためにデタラメな避難計画を作って、最後に簡単にすり抜けるという騙し方が極めてうまく、微妙なところは後出しにして、再稼働までもっていく」という語りは信じられないが、プーチン並みの強権がありそうだ。

 私自身、2014年7月、松江市の原子力災害広域避難計画の実態をヒアリングする機会があり、PAZ(5km圏)、UPZ(30km圏)の人々の避難が如何に困難かということに加えて、その訓練や長期間避難まで考えると、とてもまともではないと思えたからである。

 1991年6月、都市計画学会誌に「指定容積緩和に伴う広域避難広場の不足に関する研究」として、練馬区の容積率の緩和に対して、現況でも広域避難広場面積が不足しているのに、何故、容積緩和ができるのかを指摘した時、区側は大部分は一時避難までが限度で、広域避難広場まで辿り着けないから十分OKとの見解のあったことを思い出した。

 国にとって、何が最優先課題かによって、多くのものごとの手順や仕掛け、仕組みが役人によって目くらましが行われるのは当たり前と考えるべきなのか。今もそれが政治であり行政であるとしたら、民主主義でなく専制主義であり、中国やロシアの今日の状況と変わりなかろう。少なくとも日本は民主主義の国であれば、今少し透明性を確保し、面倒でも本当に住民参加の実行できる避難計画や避難訓練によっての原発再稼働であって欲しいものである。

 一案として、原発立地周辺を歩いて「日本は世界のまほろば2」(2015.5 中央公論新社)の(p.138-143)で記した八ヶ岳周辺部への原発避難場所(案)である。「津波てんでんこ」の避難同様、原発被災に当たっても自助・共助・公助を優先順とする。先ずはUPZの人々は可能な限りマイカー等で(要介護者をもつ家族等は事前に登録しておいて)、八ヶ岳山麓へ避難することができれば、少しでも共助や公助の助けになる。

 下図に示すように、八ヶ岳山麓から半径150~250km圏内に立地する原発は、新潟県の柏崎、石川県の志賀、福井県の美浜・大飯・高浜、静岡県の浜岡原発である。マイカーであれば2~3時間の距離にあって、広域避難場所として最適である。私たちの調査では、長野県には利用可能な空き家戸数は25万戸、仮に一戸に3人避難するとして75万人のみなし仮設住宅の供給が可能である。少なくとも、住民の生命を守る義務のある地方自治体が再稼働を許可する前に、このようなことも一考して欲しい。

八ヶ岳山麓バックアップシティ計画

Blog68 飯山陽著「中東問題再考」(2022年5月 扶桑社新書)を読み、NOSPを再考する

 1976年東京生まれのイスラム思想研究家で、46歳の女性アラビア語通訳者の著で学んだ「中東のパラダイムシフト」。

・一つは、自由と民主主義、西側諸国と共存志向の親米陣営にあるサウジアラビア、UAE、イスラエル、エジプト

・一つは、現在の秩序を破壊し、暴力で拡張覇権を狙う親中陣営(親日にあらず)

 イラン(8500万人)、レバノンのヒズボラ、パレスチナのハマス、アフガニスタン(4000万人)のタリバン(10万人程)はリッチなテロ組織。

(イラク、シリア、レバノン、イエメンはイランの支配下にある)

 トルコやカタールは親米のふりをしつつ、この陣営に深くコミットする。

・2021年の経産省「エネルギー白書」によると、2019年の日本の原油輸入先

 ①サウジアラビア34.1% ②UAE32.7% ③カタール9.3% ④クウェート8.9% ⑤ロシア4.8%

 この現実を直視しない日本外交と日本の報道や専門家について実名で反論する明快さに脱帽する。

 特にアフガニスタンのタリバンを支援する日本政府や日本のジャーナリスト・専門家の間違いを糾弾する。また反米国家「イランは親日」というのも間違いである。8500万人のペルシャ人、イスラム教の国でアルカイダを匿い、国家主導でテロを実行。ホメイニの大量処刑を取り仕切った4人の司法官の一人、イブラヒム・ライシが現大統領。

 トルコ(8500万人のトルコ人、イスラム教が大部分)は、親日国の代表格というが、2003年から続くエルドアン大統領の独裁下にあって、イランと並ぶ「伝統的友好国」とか「価値観を共有する民主国家」との認識は間違っている。

 2020年9月、「UAE、バーレーン、イスラエルはアブラハム合意宣言」に署名。仲介者はトランプ政権。スーダンとモロッコも参加。エジプト・ヨルダンは既にイスラエルと正常化。いずれサウジアラビアもイスラエル人とパレスチナ人の国家問題解決に向かっている。

 以上の如き偏見とは思えない情報をこの新書から読み取った結果、これ迄の私自身の中東問題に対する疑問が相当解決した上で、NOSPを再開したい。

 2009年2月、公共建築協会主催でUAEのアブダビ・ドバイ視察時、オマーンのマスカット等を訪問。UAEでは2008年から地域冷房を義務化して、既に300万RTが稼働中。日本全国を合計しても100万RTの規模である。「この都市のまほろば」(中公新書vol.5 p206の図参照)に東京-静岡間の東海道メガロポリスに比較して、UAEのアブダビードバイ間の都市建設に200兆円投資、2020年のドバイ万博を機に、2030年迄にさらに100兆円投資予定。

 少なくとも、そのためには200万kW以上の電力が不足するに当たって、2000haのソーラーパネルを設置するスペースは、このアブダビ・ドバイ間の高速道路周辺に十分用意されていた。

 このような実態を知って帰国後、このソーラー発電とソーラーパネルの受注のみならずエネルギーを日本に輸送するための液化水素技術や水素船の研究をすべきと考えた。2009年4月からNOSP(日本オーバーシーズ ソーラープロジェクト)研究会を組織して、第1期(2009~2012年、14回)、第2期(2016~2017年、6回)、第3期(2018~2020年、4回)開催している。2020年のドバイ博は、この研究チームで訪問予定であったが、コロナ・パンデミックとあって、2020年8月5日の通算第27回以降、中止になっていた。

 このNOSP調査の実現に当たって、目下、2023年春、以下の地域を訪問したいと考えている。それは2025年の大阪・関西EXPO‘25会場にグリーン水素を少なくも1000トン活用したいと考えたが、水素運搬船がNEDOの実験船「すいそ ふろんてぃあ」(78トン)のみで、とても間に合わなかった。2030年であれば川崎重工(株)の1万トンの実用船が利用できるとあって、この水素量を輸出できるのはUAE、サウジ、オマーンが有望となった。

 然るに、この親米陣営の国への訪問団に当たっての事前調査が日本の政府関係者からはなかなか困難と聞課されていた次第が飯山著で何となく理解できた。従って、今後は直接、欧米の国々や現地関係者と直接連絡を取りたいと考えた次第である。

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<NOSP第1期研究会におけるプロジェクト構想>

<2022年時 中近東におけるグリーン水素輸出可能地域調査>

○UAE:
 ①三井物産(アブダビのルワイス工業地域内、ブルー水素20万t/年)
CCUS・ENEOS・NEDO・GIB
Helios Industry グリーン水素事業 K12AD(UAE)
 ②マスダール社 マスダールシティ2030年迄グリーン水素実証事業 48万t/年
 ③ドバイ MBRソーラーパーク、万博跡地利用状況  1300kW SIEMENS
○サウジアラビア:
 ④サウジアラビア 未来都市NEOM、グリーンアンモニア事業(米・デンマーク・独)   グリーンイニチアチブ 100万kW~400万kW ソーラー発電 グリーン水素650t/日
○オマーン:
 ⑤オマーン・グリーンエナジー事業 2032年~ 250万kWソーラー発電 180万t/年 グリーン水素  1000万tグリーンアンモニア輸出

<水素運搬船の開発>

日本にグリーン水素を海外から輸入するには、LNG船同様の液化水素運搬船の開発が不可欠である。2022年4月、川崎重工(株)が16万㎥型(4万㎥タンク4基≒1万トン)の基本設計承認を取得。2022年に1,250㎥(78トン)の「すいそ ふろんてぃあ」実験船の成果をベースに、2025~2030年には実用化予定。

Blog#67 楠浩一教授の「建物残余耐震計測法」と「BΣS」の開発普及に期待する

 2022年8月29日(月)、東大地震研の楠浩一教授の「加速度観測記録を用いた建物の被災度判定」の講義をwebで聴講するに当たって、彼の略歴をみて、急に一緒に聴講する仲間達もBΣS開発の意義を知ってもらうことにした。

 楠教授は九州で生まれ関西で育ち、1997年、東大生研の岡田・中埜研で博士修了。生研助手から2000年建研、2006年横国大、2018年東大地震研教授とあった。

 私にとって六本木の東大生研は、1964年の東京オリンピックで丹下健三の代々木競技場の模型実験をしていた場所であり、1994年から1997年迄、第1部の岡田教授と第5部の村上教授の共通・客員教授として4年間在籍し、思い出の多い研究所である。

 この間に1995年の阪神大震災があり、建物の安全性への関心を高くした。1997年からの建築学会長に続いて2004年迄、日本学術会議会員として、大都市や建築の安全問題を検討した。当時の学術会議の理系リーダー達の関心は、センサー技術の開発こそ日本のこれからの進路と熱心であったこと。同じ頃、私の早大研究室に、突然、三谷産業(株)がCAD-BIM開発に多大な研究費と社員を派遣され、共同研究を始めた。当時の大学院生や助手が増田幸宏君や渋田玲君達であったこと。2008年に早大を退職した後も三谷産業の役員に招かれ、また安全・安心をテーマとする(株)セコムからはデータセンターの設計を請け、研究助成は(公財)セコム科学技術振興財団の全面協力を受けたことから、この財団にBΣS研究所を附属できないか検討したが、(公財)の制度限界もあってCAD-BIMの研究継続だけは大型助成制度をつくって対処した。

 幸い、楠教授や増田君の今日のテーマに着目。これを支援すると共に、共同研究に入った。後に建築保全センター理事長時、次世代公共建築委員会の座長として「BIM部会」をつくり、これが今日のBIMコンソーシアムを形成、今日のBLCJに発展した。この間、BΣSとは“Building Safety, Security, Sensing, System, Service”の略で、建物の安全・安心を科学的に感知するシステムを構築して、これをサービスとする産業を育成することを目指してきた。

 しかし、現実にBΣSを実装・普及するには建物の所有者やテナント、設計者や施工者、管理会社の賛同が不可欠である。実装の第1ステップとして、増田君へのセコム財団からの研究助成で新宿の超高層マンションにBΣSの原型を設置することからスタートした。続いて洪水予測値に市庁舎を立地した時からの責任者として、川口市役所、また千里中央駅周辺のエリアマネージメントの防災分野を担当する大阪ガスグループにBΣS普及の第2ステップの導入を予定することができた。この間、楠教授の研究グループとエーラボの荒木氏等の協力で被災度判定のセンサーやサーバーの開発も進み、建防協の認定等に当たっては、三谷産業(株)の支援をお願いして今日に至った。

 2022年度はBΣS普及元年と考え、J.P.R.の渋田君には商標登録も(4部門)でお願いした。同時に、空調とインフィル部門をベースに、リフォームサブコンを目指していた三谷産業(株)がBΣSを事業化することでリフォームゼネコンへのステップを切ることが可能として、役員会で資金の支援を要請し、三谷社長の賛同を得た。

 この機会に、阪神大震災から30周年を迎える神戸市三宮駅周辺でのBCD事業化に向け、大阪ガスの岡本氏やDHC協会の中嶋氏には破壊された神戸市庁舎建て替えに当たって、この庁舎再建に当たって、是非BΣS導入に努めてもらいたい。 楠教授と中嶋氏の千里中央駅周辺エリマネでの第2、第3ステップに向けた話を聞いて、東京直下地震や東南海地震を想定するまでもなく、被災時の避難や建物の応急危険度判定に当たって、技術者の目視による判定の限界を考えれば、楠方式による被災度判定が如何に優れているかを認識した。願わくば、年末か来春には是非、神戸市で関係者を集め、直接、両氏のお話を聴かせて欲しい。

Blog#66 ウクライナ侵攻を憂う「D.バート君の戦い」を支援したい

 2022年8月14日、北九大のD.バート君からメールが届いた。

 「ご存知の通り、ロシアがウクライナに侵攻しています。私たち、関係ないかも知れませんが、国が、都市が破壊されている。私たちに何ができるか。私はウクライナ大学と連絡をとって、学部卒の学生5名を北九大の大学院に入れたい。彼らに日本の建築と技術、まちづくりと日本の良さを知ってもらいたい。ウクライナの都市を一から造り直す必要があるから。」

 

 D.バート君の壮挙に賛同すると同時に、1979年、日中理工系交換教授として半年間、中国科学院に在籍して、中国の重点大学の全てを訪問したことから、1980年代、沢山の中国留学生や先生方を日本に招くことになった。当時の貧しい中国留学生たちを大学院生として、また招聘教授として招くには、少なくとも1人年間10万円の宿舎と食事代の他、大学院の授業料を免除してもらうため、大学当局との間で激しいバトルがあった。

 そんなことを思い出すと、D.バート君の5人の学生には、少なくとも一人当たり年間100万円の寝食費の他、授業料免責という大学当局の支援が必要である。彼の戦いに要する費用負担は2年間に5人で1000万円必要になる。ウクライナ支援プログラムの募金一口1,000円として1万口の応募は可能であろうか。

 私自身、何はともあれ賛同する以上、今の私にできる範囲で3万円を、このBlogを書く前に送金した。40年以上昔の私の現役時代と違って、インターネット時代のファンド募金の威力は分からないが、私が40代であった当時の友人たちに手当たり次第に無理を承知でお願いしたことを思い出しながら、D.バート君のこれからの戦いを支援したいと考えている

Blog#65 「第12回八ヶ岳研究会」に参加しての抄録

 2022年8月1日(月)14:00~16:00、白樺湖畔の池の平ホテル会議室で開催。

 テーマは①エネルギー地域創生部会:福島氏から、山形県最上町役場が推進する「木質バイオマスを用いた地域熱供給事業」について報告。地元の三浦秀一教授(尾島研OB)が指導して、2007年から2012年度までの4年間、木質バイオマス利用でオーストリア製木質チップボイラーを使って550kW、700kW、180k W、900kW発電。さらに2015年からは地域熱供給と1000kWのバイオマス発電で、マイクログリッド化を達成した資料説明。この実例を参考に、立科町・池の平ホテル・ミライ化成・JESが事業主体となって、2030年を目標に白樺村のマイクログリッド事業を軌道に乗せたいとの発言。ミライ化成の中川氏は、100~50kWの小規模水力と1000kW程のバイオマス熱供給事業を関係会社の製品を使って実装したいと報告。

 尾島からは「白樺スマートヴィラ構想」として、2018年のDHC協会での研究成果を下に、新たに白樺湖畔約4kmの遊歩道(白樺ぐるりん)に沿って、マイクログリッドの電力・情報・熱などのインフラ整備とともに、アートをランドマークとした遊歩道の観光やCVS、PRHの設置等、池の平ホテル本館から蓼科ティディベア美術館に至る参道計画。S-PRHの構造体を活用したアート作品をアートコモンズの協力で配置できないか。さらに別荘群の未来イメージを模型にした経過とその事業体の必要性とGuidebookの作成について提言。

 小林光氏からは金山地区での二地域居住者として、集落毎の法被を着て、里曳きの一員になった体験記、金山デッキでの脱炭素プロジェクトへの補助金のあり方、金山デッキ周辺の自然環境について、実践者ならではの提案。

 司会の矢島社長によるweb参加の五十嵐、阿部、小泉、日置、菅谷、田尻、新野、山路、齋藤氏との質疑応答。

 最後に小平氏と矢島氏から①(株)白樺村が柏原財産区と茅野市・立科町から白樺湖畔と湖上の利用権を得て、観光と環境産業の事業化を推進する承認を得たこと、②立科町と茅野市が合同記者発表会で、白樺湖、女神湖、蓼科湖を連携した「レイクリゾート構想」を宣言したこと。この宣言では③白樺湖では大型廃屋を撤去し、大型施設への建て替えや公園の整備を実施すること。  次回第13回研究会は10月3日に幹事会として開催。本日の成果を下に実装可能なテーマを絞る。この研究会で、新野氏は、美濃戸の森でアートコモンズを創造し、地域資源開発についてサロンを開催。村野藤吾氏の孫や大小島真木、辻陽介氏等を講師として開催。私のGuidebook出版に当たっては、阿部氏より単なる写真集ではなく、存在価値や創成由来についても書いて欲しい。webのため聞き取りにくい発言が多かったが、編集時に再確認の上、皆様の意見を十分に取り入れての実装計画を、次回の幹事会で検討して、年末か年始に第14回研究会を予定する。

Blog#64 2022年度・八ヶ岳山荘の夏合宿

 7月30日(土)午前6時前、丸山車で八ヶ岳山荘へ。途中、財布と上着を忘れたことに気づいて、夕刻到着予定の渋田君に依頼。午前9時30分に山荘到着。早速山荘の内と外の掃除。手慣れたもので11時には終了。山荘での新鮮野菜の天ぷらと冷えたソーメンの昼食は格別に美味である。相場・友森・渋田君到着。5人で夕食前に庭の水場やテントの整備後、縄文温泉で一風呂。コロナ禍にあっても盛況で気分爽快。夕食は渋田シェフのカレーに、原村の朝市で買った新鮮野菜と持参した多様なドレッシングがよくマッチする。昨年仕入れた大吟醸の真澄は格別。加えて、仕舞っていた五粮液に高級ワイン等が気化して半減していたのは驚きで、3本程処理して飲むも、さすがに良い気分で10時半Bed in。夜は寒くなって、シュラフの上に毛布を一枚乗せた。

 7月31日(日)6:00am、全員起床。快晴。朝食の野菜サラダ、八ヶ岳牛乳、ベーコンエッグは定番。午前中、八ヶ岳山荘を若い女性や子供にも好まれるよう、これまでのベースキャンプ機能からリゾートの拠点(グランピング場)にすべく、外も内も大改造することにした。早速、裏庭の整備。ツリーハウスは無理としても、ハンモックを2~3吊せるように天井落下防止の実験に使ったネットで研究する。巨木と雑木を切り、下草はシダのみとして、落下しても怪我をしない上、歩きやすい庭に整備する。

 昼食は新鮮野菜の天ぷらにソーメン。午後は2台の車で柳川に沿った新野氏の八ヶ岳アートコモンズのデザイン拠点を見て、町に出る。マサカリを購入し、茅野駅前ワークラボ八ヶ岳を見学。買い物はオギノで。夜のBBQはピザ釜をフル活用する。

 爽やかな一日。前庭でのBBQは全員手慣れてきて、アフターコロナ時代の山荘スタイルを相談。85歳にもなると、今のうちに、動けなくなってもこの山荘が使えるような大改築を決心する。早速、相場・友森・丸山氏による電動ノコギリと芝刈り機の音が軽やかに響く。その音を聞きながら、Blogを書く気分は悪くない。

 渋田君のよく焼けた特製ピザを中心に、このBBQに使ったのはなんと姉が持参した炭火焼きコンロで、焼き肉や焼き野菜には最高である。お酒は真澄を一升。雷雨模様で、急いで室内へ移動。そのまま炭火焼きを楽しむ。夜の1:00am、なんと8時間もエネルギー論や黒部の幻の大滝、早大山岳部著”リュックサック”の本を見ながら、台湾の新高山(玉山)登山などの昔話に加えて、友森氏の原発論。寺本氏の差し入れボウモア18年ウィスキーは格別で、仙人湯の遠北君も話題に。

 8月1日(月)6:00am起床。午前中に富山のBook Cafe用に利用する本を50冊程選定。なんとクール宅急便で官庁営繕で四国に転勤された井上高秋氏より大吟醸無濾過原酒(香川の綾菊酒造「国重」)が届き、全員感動する。残念ながら相場・友森氏、昼頃レンタカー返却で、先に帰宅。私は渋田・丸山車で池の平ホテルへ。

 八ヶ岳研究会はWeb10人、対面10人と20人出席。矢島社長司会で、福島・中川・尾島・小林の発表。Web参加の五十嵐先生他、新野、阿部、山路、齋藤氏他からの質問。4:00pm終了(研究会の詳細はBlog65)。

 地元では①(株)白樺村を発足させ、白樺湖周辺と湖上の活用を柏原財産区と立科町・茅野市より権利移し、経営を行う計画。②「レイクリゾート構想」を立科町と茅野市で7月6日に合同発表。女神湖・蓼科湖・白樺湖を中心に、それぞれの特性を活かす。③二地域居住用のワーケーション施設を計画している由。次回第13回は幹事会で10月3日(月)予定(池の平ホテルで)。

 4:00pm現地解散。丸山氏と二人カッパの湯。オギノ、DIY店。6:30pm、山荘でスーパーで購入した鰻と味噌汁、冷や奴、枝豆、お酒とビール。10:00pm、本日の研究会資料を修正してBed in。

 8月2日(火)、朝食は2人とあって、ゆっくりした時間。ニラのバター炒めは失敗。ニラ炒めの料理ぐらい学ぶべきで、トマトとウインナーはよくマッチする。富山へ送る本を3箱選定。快晴で、実にすがすがしい日だ。

 朝食後、裏庭を測量してハンモックを吊るための配置計画。図面を見つけ出して本格的に裏庭の設計準備、2人で測量する。朝市は休日とあってJA・農協へ。豆腐・大根・わさび・インゲン・きゅうり・トウモロコシ・枝豆などを買い、山荘へ。

 50余年昔、この山荘の土地買い付けに当たって手付金として5000円の手持ち金を支払ったのは、当時、私の秘書であった増田夫人で、その増田夫人と増田君がこの山荘が出来て初めての来荘で、昼食を共にする。昼食は山菜天ぷらとソーメン。増田夫妻へのお土産はトウモロコシ・トマト・枝豆。増田君の病気は26年前に奥さんが体験したとかで、何とかなりそう。男の子2人で孫が5人とか。吉田公夫君からも電話でタイの計画で、NEDOと環境省を分けることなど了解済みとか。

 増田夫妻が帰ると原君が来訪。丸山氏と早速にして前庭の唐松と赤松の処理に1時間半。縄文の湯へ。夕食はカレーライス。山荘の利用計画と管理体制について相談。

 8月3日(水)6:00am起床、快晴。ピザ釜と炉の屋根防水計画。9:30~12:00丸山・原チームの買い出し。昼は雑煮・コンソメとソーセージの出汁。3時、森山・山田氏到着。天候は良くなり、外でピザ釜活用して4枚の大型ピザ。アンチョビ、ベーコン、マッシュルーム、シラス、焼き鳥etc. 5人で4枚のピザ。焼き肉は牛と牛タン。外での食事は快適。新野氏の「対話と創造の森」のサロン、アートコモンズのように各月一回のサロンを開催するのも悪くない。

 8月4日(木)早朝から雨音が激しかったので、ゆっくり休んで7:00am起床。8:00朝食。山田シェフ、なかなかの味。8:30am出発。なんと青空になった。新野氏のアートコモンズを見て、柳川橋で一休み。御小屋で駐車。昨年の4~8本の御柱の切り株を確認。OKOYAの石堂から4本切り株のみならず、新しく伐り出される予定の(建屋酢蔵神社酢之御柱)を見て下山。丸山式のそば打ちで昼食。香川県に転勤した井上氏からクール宅急便で生酒1本(悦凱陣の燕石)が追加で届く。12:30玉川の王宮温泉「望岳の湯」で一風呂。木落しの公園を見学してスーパーオギノで夕食の買い物。

 昼寝後の夕食は山田シェフによるフランス料理。井上氏の銘酒とフランス料理はなかなかのもの。御柱祭りの7年目毎と申寅年との表現の違いについて。明日は前宮と上社本宮で新設の御柱を見てから、岡谷で名物うなぎ昼食後に解散予定。

 8月5日(金)7:00朝食。快晴とあって山荘の内外清掃後、9:00出発。諏訪神社前宮へ直行。5月に新築した前宮の御柱4本共を見て、上社本宮では2本の御柱を視察。諏訪湖の噴水と天竜川への水門を見て、名物の岡谷市天竜町の濱丑川魚店でうな重と肝焼き、肝吸いでの昼食。森山・山田君と西と東に分かれて15時帰宅。(写真①御小屋OKOYA、②切り株は2021年の跡(Blog#38)、③2022年築の前宮の御柱、④伐り出し前の建屋酢蔵神社の御柱、⑤井上氏から贈られた御酒)

①御小屋視察(2022年8月)
②御小屋の切り株(2021年)
③諏訪神社前宮の御柱(2022年5月)
④御小屋(諏訪大社備林)の伐り出し予定の御柱
⑤香川県高松に転勤された井上高秋氏からクール宅急便で届いた銘酒2本

Blog#63 久保田昭子氏の手伝った「復興・陸前高田~ゼロからのまちづくり」(鹿島出版会)を読んで

 東日本大震災から10年を機に、陸前高田市役所の阿部勝・永山悟氏と東工大の中井検裕教授、流通科学大の長坂泰之准教授が編著で「復興・陸前高田~ゼロからのまちづくり」を出版。これを一読して、よくぞこれ程までに分かり易く、しかも詳細なデータを実名で、災害大国・日本の復興計画に参考となる出版をされたと感動した。特に「あとがき」の最後に『企画から出版に至るまでお世話になった鹿島出版会の久保田昭子氏の粘り強い努力なしには実現しなかった。編者四名を代表して深く御礼申し上げる(中井検裕)』とあったことから、久保田君の能力を熟知する者として、今一度、本書を熟読しながら、このBlogを書くことにした。

 Blog15(2021年2月)の五十嵐敬喜先生他著「震災復興10年の総点検―「創造的復興」に向けて」(岩波ブックレット)の書評で、32兆円もの国費を投資した日本再生の取り組みと、これに学ぶ東京の災害事前復興計画が見えてこないこと。しかし、使われた国費の価値を評価し、教訓を得る大切さを教えられた。

 そのこともあり、Blog28の「東日本大震災(津波)から10周年」で、2021年6月10日から3日間、渋田玲君と現地視察した。目的は復興地の世界遺産登録であり、その価値を見つけたのは、内藤廣氏の公園設計の案内パンフレットで、この案内に従って現地を視察することにした。その結果、この地を次世代世界遺産として登録することによって、日本のみならず世界中で、自然災害の恐怖に立ち向かった当地の人々の記憶が永遠に語り継がれる施設になると考えた。東北大震災での津波対策に、日本が国家予算の50%に相当する復興費を投下したのみならず、自然災害に対する体験を忘れないためのレガシーとするための研究はこれからが大切であると。

 この時の視察では、街中が高台に移転した大船渡線の北側に300haもの土地を8m盛り土造成するために1200万㎥(500万㎥はベルトコンベア)を使っての新市街地を建設した状況や、シンボルロードを走って、BRTの陸前高田駅の様子や広場に面した気仙大工の技や地場の素材を最大限活かして設計した「まちの縁側」、新設された商店や公共建築の何棟かを視察した。この町には他の町とは違った主体者の存在があるように感じたので、内藤氏に、少なくとも彼の設計した祈念公園を中心に世界遺産登録に向けた運動をすべきと伝えた。そんな状況下にあっての今度の出版である。

 本書を熟読して、空前絶後のゼロからのまちづくりを成功させた秘訣は、分かり易く見える化して公開したことである。本書を事前に入手しての視察であれば、もっと詳しく現地の実態を知ることができたと思われる。その主体者の努力を知らないままに、突然の視察であったが、この陸前高田市の復興は国費2000億円という巨額投資をした成果は十分であった。

 本書の端々に出てくるBRTの羽藤英二、建築家の内藤廣、隈研吾、野城智也、伊東豊雄、戸羽太市長やURの方々、そして主体者である商店街の人々の参画した成果は素晴らしいに尽きる。浸水域人口に対する犠牲者率は10.6%人と最大、市職員400人中111人、地元商工会員699事業者の604者が被災という犠牲を出しながら、5月には「けせん朝市」や8月には地元の「けんか七夕まつり」開催等、市民・商工会・国・県・復興の動向など、主体者の成果毎に10年間の足取りをまとめた年表などに脱帽した。この出版は、陸前高田市の復興事業の全てが世界遺産登録のためのオーセンティシティに寄与するように思えた。

 蛇足だが、高田松原は1940年に国の名勝に、1964年には陸中海岸国立公園に指定された白砂青松が2kmにわたる約7万本の松林で、350年に渡り防砂林・防風林として守り育ててきた。それが3.11の大津波で1本だけ(「奇跡の一本松」として著名)残して流失。県が4万本の松林に復旧、地元NPO法人「高田松原を守る会」は4万本のうち1万本の植栽作業を申請、2021年5月に完了。

 高田松原津波復興祈念公園は市民3万人の署名による要望で、2017年3月着工。2019年9月、主要3施設である「国営追悼・祈念施設」「東日本大震災津波伝承館」「道の駅高田松原」がオープンした。公園面積は175ha、オープンから2年で110万人の来場者という。

 新しい高田松原市は、空前絶後の盛り土をした新市街地と祈念公園他の施設をもって、新しい日本の名勝としてのみならず、世界の人々にこの復興の成果を現地で体験させたいレガシーと考えた。それにしても、今またウクライナの惨状で100兆円の復興財源の必要性を考えれば、人間のレガシーは人命の犠牲の下にしか生まれないのであろうか。

Blog#62 2022年度現代総有研シンポジューム「土地は誰のものか」に参加して

 2022年7月26日(日)2:00~4:00pm、五十嵐敬喜先生と元農水省事務次官の奥原正明氏の対談、司会は弁護士の日置雅晴氏をwebで聞くことができた。共鳴する内容が多い上に、もっと早くこのような日本の状況を知っておればと残念に思えたこと等を記して、私の理解に間違いがなかったか、現代総有研の方々に聞いた上で、このBlogを公開することにした。

 まず、奥原氏の農水官僚40年の体験談は実に明快で、最後の5年間に大仕事をされた2013年の農地バンク法の制定についてである。

 戦後の農地解放は多数の零細な自作農という生産性の低い農業構造を作り出し、しかも、農地を所有したことで、農地の流動化も進まなくなったため、農業の競争力は向上しなかった。昨今、人口減少に伴う都市での空地・空き家の増大、農地の耕作放棄問題は喫緊の課題である。農地の責務と活用に当たっての政策に、地方自治体等の公共機関をベースにした第三セクターで農地バンクをつくり、零細農地や耕作放棄地を預かり、それを有効活用する企業を含めた農業者に貸し付ける制度である。「農地の有効利用を」は名案であるが、この仕組みの活用を加速するには強制力のある措置を考えることも必要とのこと。

 江戸時代の大岡裁きの(「三方一両損(三方二両得)」の解が出来たのは、大岡が一両損をすることができたので)、農地バンクの有効利用には第三セクターに一両損をさせることが出来ない今日に問題があるのではないか。

 何故なら、私自身、2015年初春、M社の依頼で「アーバンアグリカルチャー株式会社」の設立を依頼されて、2016年5月、オランダの植物工場を視察。大規模化あっての経営であることから、千葉県佐倉市のK農家とともに、2017年に第1期0.2haのK氏の農地で試作、第2期は2019年度2haで、K氏の一族の農地で、第3期は2020年に企業10社の出資で20ha~30haと大規模化する計画であった。しかし、第3期の段階から農地の手当が、K氏の人徳では進まず、地元農業組合との度重なる打ち合わせと契約条件の折り合いの面倒さから、このプロジェクトは失敗した。この時にもし信頼出来る千葉県の第三セクター(農地バンク)が手助けしてくれていたら、と奥原氏の話を聞いて残念に思えた。

 五十嵐先生のタワーマンションの区分所有者に対する心配については、既に先生の出版された「土地は誰のものか」(岩波新書)の書評を書いたが、本日の話題にもあったので一言。

 土地と建物の違いは「建物は必ず劣化し無価値になる」、然るに建築基準法では、国が最低限の安全を保証する確認受理をする。これは明らかに国が戦災復興のため建設省と建築基準法を設立して、災害等の免罪符を出すことで建設業者を育成した。勿論、その後、基準法8条で管理責任をどんどん厳しくしている。しかし、究極的に災害や劣化による建築の安全について、国が「人的災害」と思われるものまで「天災」として保証している(既存不適格建物)。その確認審査機関は既に90%以上が民間になっていることから、この制度を廃止して、民間の損害保険会社が建物の安全保障を代替することである。建物の安全について人間の健康保険のように損害保険への加入を義務化すれば、危険な空き家は保険料が高くなるから自然淘汰される。然るに今は逆で、空き家にしておいた方が土地の税金が安いという問題がある。この点等について、是非、現代総有研の皆さまでご検討されることをお願いする次第です。

 このシンポジュームは良い勉強になりましたので、是非とも継続を期待しています。

Blog#61 池田武邦さんの回顧展で「在りし日」を偲ぶ

 2022年7月19日(火)、新宿京王プラザホテルで、去る5月15日、98歳で永眠された池田武邦氏の「お別れの会」があった。4階の花の間で受付後、5階の回顧展入口で池田武邦(1924~2022)の年譜と回顧展チラシを受け取る。その冒頭に『自然を畏れ敬う 池田武邦は2001年より長崎県大村湾の琵琶の首鼻に茅葺の「邦久庵」を建て 夫人とともに約10年間居住していました』を読む。

 ハウステンボスは何度も利用して、是非、聞いておきたいことがあって、2005年12月24日、クリスマスイブの日、この別荘に「この都市のまほろばvol.2」(長崎)の取材で、中央公論新社の関知良編集者とお訪ねしたことを思い出した。

 2000年から設計責任をとってハウステンボス(株)の代表取締役会長に就任され、2003年には会社更生の申請で、都市環境学を専門とする私には、この点が大関心事であった。

 (7月21日(木)の朝日新聞と日経新聞の夕刊にHISが「ハウステンボス」を香港の投資会社などに数百億円で売却する方向であること、2022年4月の中間決算で265億円の赤字で、HISが保有する66.7%、他の九州電力や西部ガス、JR九州等の地元株主5社も手放すが、営業は続ける見込みとある。1992年に開業したが、2003年に会社更生法申請、野村Hの投資会社の支援で2010年にHISと九州の地元5社が買収して今日に至っていた記事)

 私の訪問時、池田さんは82歳で、隠居の身といいながらの回答は「ハウステンボスの設計主旨はあくまで“環境”と“やすらぎ”をキーワードにした日本再生のプロジェクトであり、ヘドロで埋め立てられた工場団地の土壌を再生させるために取り組んだ事業であること。池田さんの計算では、創造型環境会計では1750億円の黒字であると教えられ、詳細な内訳についても説明された。しかし、環境会計の普及には私は5年は必要と申し上げて、今一度、上京すべきとお願いした。この時も本物のオランダの街以上に美しいハウステンボスの価値を教えられた。確かに「会社は倒産しても、このプロジェクトは必ずや後世の歴史家からは21世紀の日本のレガシーと評される」説に感動・共鳴したが、この考え方の普及にはリーダーが必要と、私の提言は間違っていなかったこと思い出し、在りし日の池田武邦氏を偲んだ。

 このお別れの会の第一会場「在りし日の池田武邦Ⅰ 近代を開拓する」から「Ⅱ 近代を超克する」でも小一時間、多くの映像から偉大なる先駆者の一生涯を学ぶことが出来た。池田氏の一周遅れで社会体験をしてきた私にとっては、このお別れの場は懐かしく、改めて身近かに池田さんの声を聞けて嬉しかった。

 会場は「邦久庵」の周辺に広がる環境をイメージし、日本の在来の草花で設え、自然を愛し海に帰る池田武邦を送る場を表現。献花はないが、自由な形で偲べというコンセプトに、主催者である日本設計の篠崎淳社長は池田さんの志を本当に良く理解されてのことが頼もしく、脱帽してお別れさせていただいた。

 このBlog61の原稿を書いていた翌日の7月22日(金)、朝日新聞朝刊9面に「長崎県と佐世保市はハウステンボスの一画にカジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致を目指しており、今年4月に県がIR整備計画を政府に申請し、ハウステンボスとIR事業者が土地の売買で合意している。佐世保市の朝長則男市長は、21日午後、会社が倒産という話でなく、資本の移動ということ」として、IRやハウステンボスの営業は続けるという。

 資本の移動や創造型環境会計での収支に関することはよく分からないままであるが、池田氏が最後に挑戦したハウステンボスの継承は地元のみならず、日本の、そして世界中の課題であり、SDGs達成の試金石のように思えて、改めて池田さんにもっと学んでおくべきだったと反省する。

Blog#60 第25回TOYAMA FAN CLUBに出席して

 2022年7月15日、ホテルルポール麹町で開催された第25回の会員交流会は、この2年間のコロナ禍にあって中止されていた。加えて、主催者の(公財)富山県ひとづくり財団の主である知事が、石井隆一氏から新田八朗氏に代わり、この間に私も「世話役」から「顧問」になって初めての会とあって、当日まで出欠を決めかねていた。

 しかし考えるまでもなく、この交流会は毎年1回、中沖知事時代から知事と親しく会話し、富山県の近況を得る唯一の情報交流の場であり、特に箱物行政で建築界に人気のあった中沖時代には著名な建築家達が出席して、真夏の一大情報交流の場であった。続く石井知事の時代は、世話役の一員として、交流会の直前に一時間、知事との直接懇談できる場であるとともに、詳細な資料を下に、その年の富山県行政について知事から直接説明があった。その上で会員交流会では、橘慶一郎衆議院議員や富山県庁の有力な局長との懇談も出来る、実に有意義なFAN CLUBであった。

 大学の現役時代には岐阜県や和歌山県、福岡県等、職務上の交流のあった県は、FAN CLUBに属して年1回の交流会にも出席することもあった。しかし退職後は富山県のみの出席になっていたことに今頃気づいた次第。

 今回の交流会も「世話人」としてではなく、新設された「顧問」という立場で、交流会のみの出欠であったことから、当日の体調次第で出席しようと考えていた。

 当日は朝から土砂降りの雨で、特別の用もない以上、欠席の連絡をしてもらうため改めて開催通知を見ると、「出席予定に新田知事他とあって、その他に新型コロナウィルス感染拡大防止のため、参加人数を制限し、着席スタイルで、万一都合の悪い場合は早めに連絡を」とあった。これを見て、新田知事には新任されてまだ表敬訪問もしていないことから、意を決して出掛けることにした。

 幸い、橘慶一郎代議士も予定外の出席で、このお二人と親しく交流することが出来た上、着席での松花堂弁当には富山の名産品づくし、かまぼこ、ほたるいか沖漬け、ばい貝、白海老、昆布締め、富山産牛、ます寿司、ぶり大根、氷見うどん等に地酒の各種に、久し振りの富山づくしの料理に嬉しくなった。

 八十路を越えて、第一線の方々と情報交流できる幸せを実感して、代表世話人の桑山征洋氏にお礼を述べる。常連の福川伸次氏が欠席されており、その席に新居千秋氏が着席されたので話が弾む。橘議員や山田俊男参議院議員の挨拶はさすがであり、新知事の新田氏も又、頼もしいリーダーとして演説に何故か一安心したのは、やはり顧問の立場になったのかと。

 それにしても、常連であった仙田満、栗生明、中川武、藤江和子、渡部与四郎、吉田忠裕、高橋志保彦、伊東順二、神野直彦、蓑原敬、一柳良雄氏等の姿が見えず、高橋正征、大嶋戍、マリ・クリスチーヌ等、数人のみと淋しく、やはり今回が出番の最後かと考えながら帰途につく。

 20年程前に環境省の仕事で御一緒した北大理学部出身で、開拓民三世という大嶋戍氏が私小説を書いたのでと贈られた「未明の丘」(文芸社出版、2020年)を一読して、FAN CLUBには富山県と何らかの関係(因縁)のある人々の参加者が多いことにも気づく。全国各地のFAN CLUBはふるさと大使の指名やアンテナショップの支援等、地方創生の大事な役割と共に、教育とひとづくり財団の大切さを知り、貧者の一灯、ふるさと納税のみならず、賛助会員として、又顧問として、元気な間はFAN CLUBに出席することにした。