Blog141 ブライアン・クラース著・柴田裕之訳『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』(東洋経済新報社 2025年9月23日)を読んで

 

東洋経済新報社 2025.9.23

『1945年8月6日、「リトルボーイ」という暗号名の原子爆弾が爆撃機「エノラ・ゲイ」から投下された――京都ではなく広島の上空で。14万人もの人が亡くなり、その大半が民間人だった。3日後の8月9日、爆撃機「ボックスカー」が「ファットマン」を長崎に落とし、ゾッとするような死亡者数におよそ8万人を加えた。(中略)

 2発目の原爆は、小倉に落とされることになっていた。だが、B-29爆撃機が小倉に近づくと、雲のせいで地表が見えにくくなった。(中略)視界不良のまま目標を外すより、第2目標の長崎を攻撃することにした。』

 前者は、1926年10月30日、H.L.スティムソン夫妻が京都の都ホテルに泊まって、京都の寺院や庭園の美しさに感動し、この古都を守るためにトルーマン大統領に二度も直訴した結果であり、「ある夫妻の20年近く前に出掛けた旅行」が1つの都市を救い、別の都市が破壊された。後者は雲のせいであり、1つの都市が爆撃を免れ、別の都市が攻撃を受けた。「京都と小倉」が「広島と長崎」の代わりに救われたという物語は聞いてはいたが、本書で初めてその真相を知った。

 2025年8月27日、東京のみならず異常な暑さが続く毎日、本書が柴田君から送られ、表紙を見ると『人生は自分次第だなんて大嘘である-カオス理論や進化生物学、歴史、哲学など、多様な知見を縦横無尽に渉猟し、世界の成り立ちや人生について考えさせる壮大かつ感動的な書-』とあって、真っ黒の表紙とその帯を見る限り、この暑さの中、とてもすぐに読む気にならなかった。

 しかし第1章の「はじめに」を読みはじめると、最初から上述の如き興味津々の書き出しである。世の中はすべて「偶然」の積み重ねに支配されており、これまで「運命」と考えていたことは、実はすべてが偶然の積み重なった結果であること。然らば「偶然」とはと、「第2章 カオス理論が教えてくれること」を読み進むと、私たちの毎日の生活はカオスの世界にあり、「第3章 万事が理由があって起こるわけでない」ことが分かった。さらに「第4章では、今起こっていることを理解しているのは脳であるが、その脳がまた信用できない」という。「第5章では、そんな人間に制御や予測ができるはずがない」という。「人間社会の複雑系が戦争するに至る」に及んでは、読み進めることが苦痛になって、一眠りすることにした。

 翌早朝、半分以上読破したかと思っていたこの難解な本を開くと、なんとまだ1/3。

「第6章 ヘラクレイトスの不確実性の世界」で確率には限界があること。私自身、統計学が趣味で、学生時代から『統計学辞典』(東洋経済新報社)を座右の書にしていたことを思い出し、それが自信過剰の人間を生むとあった。教授になったばかりの頃、よく生意気な奴と言われていたことから、本書を再び読み始めることにした。

 「IMF(国際通貨基金)は年に二度見通しを発表する」が、「220回の景気後退のうち、4月の見通しが当たったことはたったの一度もなかった。」「それとは対照的に、人類が2004年に打ち上げた宇宙船は10年間飛び続け、時速13万5000キロメートルほどで動いている幅4キロメートルの彗星に軽着陸した。完璧だった。」この文章は社会科学と理工学の違いであることは明らかで、2003年、私が日本学術会議で文系の学者との論争中、「文系には真実はたくさんあることに比し、理工系では真理は一つだが」という「真理」と「真実」の違いを確認したことから、本章の内容が十分に理解できた。

 「第7章 物語を語る動物」では、いま中東で毎日、何千人もの生命が失われている(イスラエルとハマスの戦争)理解できない惨状について、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖書やコーランの「物語」がその原因とすれば、解釈次第で聖戦(ジハード)となり、この悲惨な紛争や難民を生む原因になること。本章ではそれをわかりやく解説してくれているように思えた。

 「第8章 地球の籤引き」では、久し振り「籤引き」の字を見て、限りなき「懐かしさ」を憶えたのは、「籤引き」の漢字が昔、町中にあふれていたからではなかろうか。その上「宝籤」ならぬ「地球の籤引き」というタイトルが妙に気に入った。地球上に住んでいる人間たちは地質や地理で「運命や進路が決まったり変わったりした」という。種や政治家の勝敗も「経路依存性」という概念が左右し、それが「人間時空偶発性」によるという。「時間・空間・人間」という「間の理論」である“Space module”は私の研究基盤で、一言あるも、長くなるので略したい。

 「第9章 誰もがチョウのように」では、人生に「もし(If・仮に)という仮説が許されれば、誰もが世界を変えることが出来る」という本章はよく理解できた。

 「第10章の私たちの人生を支配する時計と暦」タイミングが運命を左右した飛行機事故ではよく聞く物語である。

 「第11章 計量化と馬鹿げた方程式」でもまた、社会科学と自然科学の予測についての範例である。人間社会を理解し予測するよりも、理工分野での科学の予測は易しいことについては、すでに第5章で記した。

 「第12章 自由意志は世界を変えられるのか?」の答えは6通りあり、「ならない」が3通り、「なる」が3通り。また、1.決定論は正しい、2.世界は非決定論的だが、「それは量子の奇妙さだけに起因する」ということを本書ではじめて知ったことで、自然科学における「真理は一つという決定論は、真実は無限という論同様に疑問を持たせた」ことである。

 「第13章 私たちのすることのいっさいが大切な理由」として、この世界における不確実性こそが人間生命のもつ尊厳ともいうべきもの。自由意志の存在がカオスの世界にあって、多くの人にとって、だからこそ「偶然」によってつくられるから、人生は豊かで価値がある。という総論に至って、本当にホッとした。
 著者の途方もないたとえ話を実に正確に、忍耐強く、日本語にしてくれた柴田裕之君の労作に、今度も心より感謝して。

 20025年9月2日に米寿を迎えるに当たって、人生観であった運命論者を一変させて、「偶然」の積み重ねによってこれからの余生が決まることを教えてくれたことによって、人生を明るく軽くしてくれた本書に、改めて脱帽!!
 人生百年時代を生きるOB・OGたちにも一読を薦める次第である。

Blog142_第32回 都市環境シンポジューム「大阪・関西万博後の臨海部BCPとカーボンニュートラル構想」に参加して

2025年9月1日(月)、品川発8:59で新大阪着11:21。南口で中嶋・佐土原君と待ち合わせ、大阪ガス南館のガスビル食堂にて、植田・真貝氏と名物のビーフカレー昼食。

 13:30からの基調講演は、服部卓也(国交省審議官)、尾花英次郎(大阪都市計画局長)、下田吉之(大阪大学教授)、田坂隆之(大阪ガス副社長)の4氏。
 15:20~17:00 私がコーディネーターとして、小川博之(国交省)他3人の講演者とパネルディスカッション。
 まずは、本シンポのテーマについて各パネリストの立場から強調しておきたい事項についての追加報告を求めた後、会場からパネリストへの質問を受ける。

 ①大阪ガスの杉岡氏から、国交省の小川氏へ。
 ②当協会の中嶋学術理事から、大阪ガスの田坂氏へ。
 ③同じく協会の佐土原専務理事から、下田先生へ。
 ④摂南大学の大橋巧先生から、大阪市の尾花氏へ。
 ⑤竹中の中林氏から、大阪市の尾花氏へ。
 ⑥東京ガスの吉田氏から、地方都市での体験から、面的熱利用には事業者育成が大切との発言があり、それを受けて会員の松原純子さんから、このようなシンポを名古屋でも開催して欲しいとの発言。

 当協会は、1970年の大阪万博でDHCを実現したこと。そのレガシーとして、南プラントが千里ニュータウンセンターで日本最初のDHCが実現したこと、また北プラントの大型冷凍機が東京の新宿や成田空港のDHCへ。1972年には熱供給事業法が制定され、第3の都市インフラとなった。しかし55年後の今回、EXPO‘25でのレガシーとして、目標にしていたH2やEメタンの利用が会場内では実現せず残念に思っていた。しかし、バーチャルな時代を考えれば、会場の内外でその原理原則が実現していたことが、この講演でよく分かった。
 問題は、会場内でリアルには実現できなかったこの実態を、どのようにこれから伝えてゆくかが、私たち(一社)都市環境エネルギー協会の役割かとも理解した。

 終了後、17時からの協会主催の「お疲れ様会」では、服部審議官の乾杯に続いて、大阪都市計画局長、下田先生、小川課長のシンポの評価も有意義であった。幸い、協会の全副理事長、学術理事の出席もあり、会費制で申し訳なかったが、最後に専務理事の挨拶で終宴。

 18時から大阪ガスの藤原隆之社長、田坂副社長他、下田先生、真貝、杉岡部長と協会関係者の夕食会は、「穂の河」で。話題は、本当に真面目な2030年、2040年、2050年対策であった。 
 20時、予定通りホテルモントレイフレール大阪泊。

 9月2日(火)、ホテル9時出発。タクシーで新大阪駅へ。少し早かったので9:45発で東京へ。東京は予想以上の猛暑で、中野駅では38℃。今度のシンポジュームでも勉強させられたのは、国交省や地方自治体、大学やガス会社の責任者からの基調報告である。忘れられた30年とか昨今の心配な世界情勢とかに対して、コロナ禍やロシアのウクライナ侵略、トランプ2.0等があっても、日本の戦略は確実に進んでいることを知ったこと。

 今度のシンポに予想を超える参加者が集まったのも、こうした実態の表れのように感じた。改めて想い出すのは、7年前の2018年8月21日、EXPO‘25が大阪で開催されることが決定する前、大阪商工会議所で、公共建築協会主催で、EXPO’25会場には「超グリーン会場構想」を、村木茂(内閣府水素SIP)、黒木淳一郎(経産省)等と報告したシンポの件であり、2020年2月3日の「熱供給事業協会50周年記念」(帝国ホテル大阪)と2月12日の「千里中央地域冷暖房50周年記念」(阪急ホテル)のことである。その時から、既に今日あるを予想しているように思えて、何故か日本の将来に自信を持った次第である。

 一眠りして目覚めると、米寿の祝いの花が贈られていたことに感謝して、早速返信とBlogに追われた9月2日の誕生日であった。

Blog140「第17回 八ヶ岳研究会」と尾島山荘夏合宿速報

 2025年8月の夏合宿は、8月2日(土)~11日(月)の9泊10日、参加者は25人で60人日。

 「第17回八ヶ岳研究会」は8月8日(金)、池の平ホテルで開催。今回の出席は矢島・小林・福島・増田・尾島・相場の6名で、ミライ化成(株)の中川社長が退任され、次回から山﨑登志夫氏が参加予定。
 第1のテーマは、2024年3月に立科町と川口市で調印された「かわぐち・たてしなの森」の利活用について。
 2025年7月27日、川口市庁舎の第二期工期竣工式で、奥ノ木市長から300万円/年×4年間、立科町に支払う森林670haの利活用についてよろしくとの要望もあり、立科町と川口市、森林組合との実装方法について話し合う必要性について、増田・福島・矢島氏が担当して、遅くとも年内には具体的行動をすることになった。

第2のテーマは、矢島氏から(株)白樺村のその後の活動について
イ.柏原財産区より400区画の土地建物の管理を依頼されたので、その利活用を検討中
ロ.池の平H&Rは立科町に立地し、(株)白樺村は茅野市に立地することから、両市との交流が容易になった。
ハ.茅野市のすずらん湯(株)は毎年赤字であったが、ボランティアの女性を中心に利活用を考えている。
ニ. 廃業したホテル山善の撤去に続き、県道拡幅工事に伴って3軒の廃屋が撤去されることになった。景観に寄与することから、景観学会の開催も検討の余地あり。
ホ.(故)木附氏の要望であった川口市の鋳物産業活性化策としての白樺湖畔の遊歩道に100m間隔で外灯を設置することや、バイオマスボイラーやストーブの発注を可能とする振興策について検討する。

 第3のテーマは、尾島が作成した『白樺湖と八ヶ岳物語』の見本について、(株)白樺村で販売可能か、検討を依頼する。1冊1000円で原価800円以下、最低1000部以上。内容については、著作権登録もあり、2026年5月頃までに追加したい写真や内容変更をNPO-AIUE事務局(渋田)宛に送付するよう依頼。

 最後に、小林光氏の長野日報の連載記事「長野環境人士」(地元産業人との対談)は、単行本として出版される由。

 次回「第18回研究会」は(株)白樺村のあり方を中心に10月頃開催できれば、後日連絡することになった。
 5時から尾島山荘で、渋田君の焼きたてのPizzaと矢島氏持参の信濃ウィスキーや鹿肉ジャーキー等で懇親会。

 2025年度夏合宿の日程は、第1日(8月2日(土))快晴。
 茅野駅前の蕎麦店集合。丸山・相場・寺本・友森・福島・鬼沢・尾島の7人。夕食は寺本氏のカレー。

 8月3日(日)の早朝、気温18℃。
 朝食は鬼沢氏担当、昼食は岡谷名物の鰻。タカボッチ山では富士山は見えなかったものの快晴のハイキング。山田夫妻が奈良から6時間のドライブで到着。雷鳴と豪雨のため室内で9人の夕食。BBQと五一ワインの一升瓶で賑やかな宴会が21時頃まで。

 8月4日(月)夜半の雨が止み、快晴18℃。寒くて皆さん5時起床。
 6時からPizza窯に火入れして、7時には朝から美味しいPizzaを食べる。午前中に寺本・福島・友森・鬼沢帰京。山田夫妻は富士見高原「創造の森彫刻公園」へ。10時、原君到着。続いて吉田君着。13時、丸山氏の流しソーメン。山田夫妻・吉田・原・丸山・相場・尾島(7人)午後、本箱整理。18時、夕食は山田夫妻のBBQ料理。

 8月5日(火)曇り、20℃。6時起床。
 朝食は山田夫妻担当でフレンチトースト。9時、山田夫妻奈良へ帰る。丸山氏は8日まで一時帰宅。昼食と夕食は相場氏担当。山田夫妻持参の赤福餅の白と黒、カレーライス。その後、望岳の湯へ。

 8月6日(水)晴。
 朝食3人で、吉田氏担当:サバ缶のサラダ。吉田氏帰京。相場氏と2人だけの2日間。昼食は「おっこと亭」の十割蕎麦とてんぷら。臥龍遺跡。夕食は寿司とヒラメの煮付け。

 8月7日(木)雨、6時起床。
 午前中、石窯パン購入。防蟻対策。望岳の湯。昼食は竜神亭でフレンチ(帝国ホテルのシェフ)、この店のコーンスープは格別。

 8月8日(金)晴、18℃。6時起床
 7時朝食はおかゆ、アジの塩焼き、タクアン、梅干し、純和食に満足。9時、丸山氏到着。午後、相場・尾島は池の平ホテルでの「八ヶ岳研究会」へ。丸山氏はPizza窯の火入れ。渋田君Pizza担当。17時から懇親会(矢島・小林・増田・尾島・相場・福島・丸山・渋田 8人)

8月9日(土)晴、6時起床
 朝食5人。渋田君はホテル滝の湯へ(渋田君の案内で尾島伶子・糸乙が写真撮影のため滝の湯で2泊)。朝の散歩時、柳川の対岸に熊が出たとの情報。アブに刺されて腫れる。9時、増田氏帰京。11時、天ぷら、流しソーメンの準備。JESの6人と3人分。13時、望岳の湯へ(丸山・相場・尾島/古市・磯崎・阪田・山崎・山田9人)。夕食は渋田のPizzaと丸山氏の餅料理。

8月3日 夕食風景
8月9日昼食 流しソーメン

 8月10日(日)豪雨。アブに刺された手首が痒いため一晩中眠れぬほど。 
 朝食(11人分)は渋田・相場担当。JESの6人は富士見高原でパラグライダーの予定であったが、雨で中止。尖石遺跡や平山郁夫美術館等の見学。丸山・相場・州一と私は本箱の整理。昼は天ぷらにソーメン。午後は河童の湯。夕食はJESの担当でカレーの特別食。

 8月11日(月)雨。昨夜は早く寝たので全員早い起床。
 朝食はJESの担当で、なかなかの料理に満足。雨の晴れ間に清掃、片付け、早々に終了。丸山・相場氏の帰京後、昼食は早々「おっこと亭」での十割蕎麦とてんぷら(8人)。
 13時39分、茅野駅発新宿行き。中央線の人身事故で1時間遅れで到着。

 今回の夏合宿は、3月に心不全の診断でお酒が厳禁されたが、皆様の協力で10日間も楽しい合宿を無事終えたことに感謝して。

Blog139 大阪・関西万博(EXPO‘25)の旅日記

EXPO’25の入場券

 東京ガス(株)から右図の如き、EXPO‘25の入場券を贈られたので、娘に入場手続きの予約と2泊3日のスケジュールを一任する。

 2025年5月29日(木)、東京駅10:30発、新大阪13:00到着。初日は、御堂筋線で千里中央駅からモノレールで「万博記念公園駅」下車。夢洲のEXPO’25会場と間違えて、この公園に来る人も多いと聞いていたが、この人波を見る限り、間違いなく、この記念公園が目的の観光客である。「太陽の塔」内の展示場で、昔、六本木のカフェで激論した岡本太郎の懐かしい顔写真やスケッチを見る。塔内演出スコア“いのち”の歴史<生命の樹>40億年前から現在・未来に至る高さ41mに及ぶ巨大造形「生物進化模型」を地下から上へと見学する。既に見た筈の展示であったが、改めて太郎氏の活力と『芸術は爆発だ』とする力作に脱帽する。

 外に出て4人で記念撮影。
 55年前、妻のお腹の息子が55才、3才の娘がこの旅のツアーコンダクターである。
  EXPO‘70は、100万坪の会場に6,400万人の入場者、ピークの日には65万人が入場したことを想い出す。
 宿泊は、昨年新築の淀屋橋のカンデオホテルズ大阪ザ・タワーの28階で、眼下に堂島川添いの超高層ビル群や高速道路。夕食は北新地でKOBE STEAK Tsubasa。

EXPO’70会場「太陽の塔」(2025.5.29)

 5月30日(金)、タクシーで咲洲のコスモスクエア駅へ向かい、超満員の中央線で夢洲駅下車。東ゲート11:00入場予定者の行列に並ぶ。ものすごく大勢の人波に小一時間も並び、手荷物検査の上、やっと入場する。幸い天候に恵まれていたが、風雨や陽射しの強い日に、この入場状況を考えると心配されるのは救急車の手配である。

 会場内の予想入場者2,840万人、一日平均15万人。当日は14万人であった。ミラノ万博や愛知万博以上の人の流れとスケール感である。それにしても、家族一緒に行動するのは不可能と考えて、非常食のおにぎりを分配して解散。唯一、14:30に予約できたオーストラリア館前集合。

 私はEXPO‘70や愛知EXPOと比較するためにも、また会場のインフラ計画に当たって配慮していた通路や建物(パビリオン)間の導線と、終了後のレガシーとなるべき施設を考えて、会場全体を視察することにした。

  EXPO’25会場 大屋根リングで

 11:00に入場して、先ずはアメリカ館とフランス館前で解散。早速、会場デザインプロデューサーの藤本壮介氏設計の木造大屋根リンクへ。ギネス認定、世界最大の集成材を使った木造建築(高さ20m、幅30m、一周2km)。エスカレーターで上って、アメリカ館やフランス館、反対側の日本館などを見渡す。20分程歩いて会場全体のスケールを実感する。EXPO‘70会場に比べて3分の1、各パビリオンのスケールも3分の1程である。

 再びエレベーターで地表に下りて、先ずは伊東豊雄氏のEXPO’25会場ホールを見る。岡本太郎の太陽の塔に刺激されたという黄金に輝く屋根と白壁の単調な建物は、「いのち輝く未来社会のデザイン」を表現して、心地よい。

 佐藤オオキ氏と日建設計の日本館は、日本政府が目指す森林の循環活用をリアルに示すため、鉄骨をCLTで挟んだ板壁を円周上に雁行させたデザインで、一見して日本のパビリオンと分かる。

 平山祐子さんのウーマンズパビリオンもまた、2020年のドバイ万博で見覚えのある棒状のチューブと球状のノードで、軽快に形作られた 組子構造の合間を三角形のフッ素樹脂膜を張り巡らした美しいパビリオン。全て再利用とあって、好感をもった。

 再び大屋根リングに沿って、アラブ首長国連邦、カナダ館、ポルトガル館を見ながら水辺に出て、人の流れが少なくなったので、一休みしておにぎりを食べる。噴水ショーを背にして、シグネチャーゾーンに入って、豊田・落合らの鏡面のキューブによる異世界の建築は、近づくことすら躊躇されたので通り過ぎる。遠藤治郎らの黒い外観が異様な「いのちの未来」や橋本尚樹・福島伸一等の「いのち動的平衡館」。これも素通りして、期待の「静けさの森」で休もうとしたが、小・中学生らしき団体の行列が続いて、とても休める雰囲気ではなく、植樹された森は可哀想である。

 そんなところに隈研吾等の「EARTH MART」の茅葺き屋根パビリオンがあって驚く。また中国館の「竹筒」に漢詩を刻んだ近代中国らしからぬ地味な入口を横に見て歩く間に、場違いの廃校舎を移築したパビリオンに導かれてしまった。これもやはり「いのちのあかし」とか「いのちを守る」と称して、この場所で人種・宗教・文化・因習の違いと分断を超える筈とする映画作家と新進建築家のコラボ作。よく分からぬまま、唯ほっとしたことも事実の空間。いつかセービングゾーンに入っていて、入館したかったイタリア館とポルトガル館(隈研吾)の前で一休み。西ゲート近くのブルーオーシャンドームの周辺は、比較的人混みが少なく、ガスパビリオンのおばけワンダーランドもどこから入場して良いか分からぬまま、ベンチで休んでいると娘に発見される。

 丁度、予約時間であったので、早速オーストラリア館に入るも、森(ユーカリの森にコアラの映像)・空・海がテーマの大スクリーンの映像で、予約するほどの価値もないパビリオンであったが、期待が大きすぎたためか。

オーストラリア館前のオブジェ

 これが最後の会場視察とあって、西ゲート大広場に出る。15:30西ゲートから受付番号YJRXULR9、第一交通ターミナルから大型バスには私たち4人のみ乗車で、特設の夢洲船着場から大阪水上バス、水素燃料電池船「まほろば」乗船。可動式夢洲大橋から海遊館を目指して、大阪港を一望しながら、天保山からユニバーサルシティ・ボートへ。30分の船旅は素晴らしかった。9月1日に予定しているDHC協会主催のシンポジューム「大阪・関西万博後のBCPカーボンフリー構想」の司会に役立つ風景。舞洲・夢洲・咲洲を結ぶ地域循環共生プロジェクトは是非成功させたく思った。

「まほろば号」とRoute map

 また、新大阪駅から淀川を下って夢洲への水素船のみならず、神戸港や関西空港から大型クルージング船で観光客を万博会場への導入する提案をしていたが、このルートでの岩谷産業の試行が限界であったことも理解された。唯、EXPO‘70当時に比べて挑戦が皆無で、全てが仮設的で、バーチャルであってもリアルさは欠けている。環境破壊を心配する余りに、安全を第一にしたプロジェクトでは余りに刺激の少ないEXPO’25であった。
 この船旅で、夢舞大橋は可動橋と知って、舞洲ゴミ処理場の排熱を夢洲へ導入するに当たって、海底トンネルに決定することになった。

 水素船「まほろば」は岩谷産業が運行する。中之島GATEサウスピアからユニバーサルシティポート夢洲を結ぶ定期運行で、定員150人、船速10ノット(20km/h)、177トン、水素利用の燃料電池で発電した電気と「プラグイン電力」のハイブリッド動力で航行する。他に、公式船としてミャクミャク号が同じルートで運航している(運航会社はユニバーサルクルーズ)。

     うめきた(大阪駅北地区)再開発

 5月31日(土)、ホテルからタクシーで梅田スカイビル展望台へ。大阪府市のスーパーシティ計画第一号の二拠点である「夢洲」と「うめきた再開発」の成果を見るためであった。午前10時というに、もう展望台への人の流れが列をつくっていたのに驚き、また以前に来たとき以上に整備された空中庭園展望台(40階)からの360度、一見の価値ありで、舞洲のゴミ処理煙突や咲洲の庁舎、眼下のうめきた公園やGRAN GREEN OSAKAの超高層ビルも完成。関君の「うめきた温泉 蓮 Wellbeing Park」も既に開業していた。
 特に印象に残ったのは、うめきた公園の芝生や水場で遊ぶ家族連れの賑わいであった。2泊3日の大阪家族旅行は天候にも恵まれ、楽しませてもらったことに感謝して。

Blog138 NPO-AIUE新生第一回理事会に参加して

 2025年4月2日(水)の理事会開催に合わせて、柴田裕之君の翻訳出版記念会(Blog136)を、自宅の庭での「観桜会」を兼ねて計画していたが雨で中止。室内での茶会となった。

 NPO-AIUEの主な事業は毎年の国際会議で、第1回は北九州、第2回は西安と続き、第20回はソウル、第21回は東京大会。都市環境学の国際シンポジュームとしても、発表論文集としても、それなりの成果を得た。
 最初からアジアの大学間を結ぶ情報拠点は東京よりも発祥の地である北九州市が最適と考えていたこともあり、2025年を期して北九州市立大学にAIUEの国際会議や論文出版の拠点を移すことになった。
 事実、北九州市立大学の福田展淳君、高偉俊君、D.バート君等は、20余年間、アジア各地からの学生たちを教育し、今日のAIUEの実績も彼等の支援無くして成立しない状況になっていた。
 2001年から、私が初代会長、二代目が中国の尹軍先生、三代目が韓国の洪元和先生と20余年の間務めたが、既に日中韓からASEAN各地からの留学生が増すにつれ研究教育の拠点が拡張しつつあることから、(一社)AIUEとして、NPO-AIUEと分離独立させた次第である。
 いずれ(一社)AIUEに関しては広報され、その第1回(通算第22回大会)は西安で開催される予定とのこと。

 このような状況を理解した上で、国際会議や論文集の出版は(一社)AIUEに移すも、NPO-AIUEはこれまで通りに支部活動の支援や尾島研OBの研究活動支援のため活動を続けることとし、2025年4月2日をその第1回理事会とした次第である。

 新理事10名と各支部長は別紙の通りであるが、主なる事業は会員相互の自由な研究活動を支援することによって、得られる利益からの寄附(Donation)を財源として『一に親睦、二に親睦』として、現役時代とは異なる楽しいグループ活動の拠点にしたいと考えている。

 以下、既に活動している研究グループを紹介する。

25-1         (一社)アジア都市環境学会の国際会議支援(福田・高他)
25-2         国際投資研究会(尾島州一・市川徹他)
25-3         日越共同研究会(吉田公夫・増田幸宏他)
25-4         IPO SAKURA研究会(谷健太郎・福島朝彦他)
25-5         海外水素等サプライチェーン研究会(吉田・佐土原聡他、DHC協会)
25-6         八ヶ岳研究会・写真集出版予定(尾島俊雄・福島朝彦他)
25-7         富山ウォーカブルシティ研究会(西岡哲平・渋田玲他)
25-8         名古屋栄町のBCD研究会(松原純子・原英嗣他、DHC協会)
25-9         BLCJの法人化研究会(渋田玲・増田幸宏・寺本英治他)
25-10      東京の安全から安心への研究会(佐土原聡・村上公哉他)
25-11      「尾島俊雄の軌跡」出版(尾島俊雄・小林)

その他、支部活動の主な計画案件として

  • 九州支部(依田・堀・福田・高)西安国際会議(第22回)
  • 関西支部(森山・山田・大橋)大阪・関西EXPO25見学
  • 東北支部(須藤・渡辺・三浦・八十川) 震災跡の世界遺産見学
  • 北陸支部(西岡・尾久・川上)太田口・WPRH再生
  • 東海支部(松原)名古屋都心部の再開発

以上、気づいた点をメモすることで、任意にスタートすることを了解。次回は6月総会予定を5月下旬に開催したい。( )担当者より状況報告を期待する次第。

出席者:尾島・吉田・中嶋・佐土原・村上・松原・市川・州一・渋田・小林(web西岡・増田)
(欠席:今泉・高口・原)

Blog137 三谷忠照著「超高齢社会とは、イノベーションのレベルを高度化させていくことが期待できる社会、かもしれない」(Carbon No.12 2025.2)を読んで

 三谷産業の会報誌「Carbon」のPROLOGUEを読んで、発行人の三谷忠照氏の考え方に共鳴した。
『一人ひとりが長寿化することによって、生産活動における技能の獲得は、習得から習熟へ、さらに熟達へと至る人も増えていくでしょう。
 また、複数の仕事や専門分野を掛け持つマルチキャリアや、再雇用・再配置によって、一人ひとりの働き方はさらに多様化していきます。
 過去の経験を活かしてより適切な判断ができる人、出身分野で培った知識や技能を異分野で活かすことができる人、そして複数の技能に熟達する人が、より多く存在するようになるでしょう。』

 しかし、超高齢化した人たちの存在価値と立場を今日の社会で見直すには、余程のインセンティブが必要で、私自身が米寿を迎え、日頃の社会活動に心理的影響を受けている。
 そんな時、Blog136でOBの柴田裕之君が訳したY.N.ハラリ著「NEXUS 情報の人類史」で、『AIは人工知能(Artificial Intelligence)の頭文字だったが、(Alien Intelligence)の頭文語と考える方がいいかもしれない』との解説で覚醒した。何故なら、昔は卒寿から白寿の超高齢者は「長老」とか「仙人」と呼ばれて、異質の知恵を持った人と尊敬されていた。

 江戸時代は40代で隠居生活に入ったが、現代は60代で定年退職、2030年代には80代まで現役として働くことになり、その後の90代は施設で介護老人にされ、まともな社会人としての地位を与えられそうにない。
 しかし、古代ローマや明治時代には元老院なる国の機関すら存在した。昔話には老人の知恵を大切にしたことで、家や国が救われた物語もあった。スターウォーズで活躍する銀河元老院にもエイリアン達の知恵が活用されており、これからのAI時代を乗りこなすヒントになるかもしれない。

 三谷忠照氏の『ただし、私たちはまだ、超高齢社会を乗りこなすことができていません。年齢的に高齢者となった方々が、生産活動に従事できる範囲を広げ、それに参加したいと思える、あるいは他の現役世代への支援をになうことができるような環境をととのえていくことこそが、私たち社会参加者が「いざ、超高齢社会へ。」と進むための意図となるはずです。』の問いかけを尊重したい。

 私が三谷忠照氏発行のCarbon誌を愛読するのは、彼の尊父・三谷充氏が現役時代、日下公人氏と相磯秀夫氏を社外監査役にされ、両氏がご高齢になられ自ら退任されても、同社は「御御御所」として特別な地位を与え、会社との関係を保ち続けられていたこと。残念ながらコロナパンデミックが続いて、日下先生は完全介護施設に入居され、社会と断絶。日下先生はエイリアン的存在で、90代になられてからは、特に悟りを開かれていたようで、懇談の機会を楽しみにしていた。しかし、社会との断絶は致命的で、この体験から社会的対策が急務と実感させられていた。

(悟りを開いた人は多くは宗教界に入ってしまうようだが、バラモンの長老は90才を超えるとセーラ(Sela)と呼ばれて、社会的特権を得る由。日本でも90代以上は民主主義の神髄である人権と公民権を保障しての地位を得ることが出来れば、生存者叙勲制度より良いかもしれない。)

「Carbon(カーボン)=「炭素」は結びつき方次第でさまざまな性能を発現することから、企業と企業とが協業して結びつき、イノベーションが生み出される」との発行人・三谷忠照氏の発想は、ハラリ著の「NEXUS 情報の人類史」の内容と考え方に共通する(Blog136参照)

Blog136 Y.N.ハラリ著、柴田裕之訳「NEXUS情報の人類史(上巻:人間のネットワーク、下巻:AI革命)」を読んで

 NPO-AIUEの国際投資研究会で、トランプ2.0が毎日のように発信する情報に一喜一憂させられている時、絶好調だったN.Y.株が余りの異常さで急落した。その原因は、機関投資家ではなく、AIに依存する多数の投資家と分かって、AIの判断が今や専門家や機関投資家以上の影響を株価にも与える時代が来たことを実感させられた。その上で、研究会ではそれがどこの国のAIなのかが話題になり、AIの未来が心配になった。そんな時、柴田君から本書が贈られてきたのに驚く。

Y.N.ハラリ著 柴田裕之訳『NEXUS 上・下巻』
(河出書房新社 2025.3.5)

 年末に、『来春には重要な本の訳が出ます』と柴田君が話していたとおり、今度も余りにタイミング良く、「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」、「21 Lessons」に続く、一読しただけで世界的ベストセラーになると分かる上・下2冊である。
 上巻は「人間のネットワーク」として、サピエンスの誕生から今日に至る人間の絆についての物語を分かり易く解説。下巻は「AI革命」と題して、AIそのもののユニークな解説を展開する。世界の独裁者、プーチン・トランプ・習近平等々がAIをどのように活用するかで世界史が一変するかもしれないと思いながら読み始めた。

 本書は「サピエンス全史」(2016年日本語版出版)同様、余りに多くの内容が含まれており、3日間(72時間)で上下巻600余頁を十分に理解するのは不可能であったが、私が日頃知りたかった部分の傍線箇所と柴田君の訳者解説部分を以下に記して、本書の必読を推奨する次第である。
 特筆すべきは3点である。①民主主義と選挙制度については、人権と公民権を認めない民主主義や選挙制度は明らかに間違っていること、②人間の知識を総合した人工知能をAIと訳しているが、これがエイリアンの知能と訳したとき、そのもつ意味が理解でき、同時にその利用価値についても分かりかけたこと。③人間社会も超高齢化が進み、長老や仙人、悟りを開いた人々が多くなった今、この人達の活用を考えることの意義を、本書から学ぶことになった。 日本人の多くは、私も含めて、民主主義の本質をよく理解していないため、私たちが本書から得るものはことさら大きい。

 『ヒトラーは、民主的な選挙で権力の座に就いてから数か月のうちに、ユダヤ人と共産主義者を強制収容所に送り始めたし、アメリカでは民主的に選ばれた多くの政権が、アフリカ系アメリカ人やアメリカ先住民、その他の虐げられた人々の選挙権を奪ってきた。もちろん、民主制に対するほとんどの攻撃は、もっと目立たない形で行なわれる。ウラジーミル・プーチンやオルバーン・ヴィクトル、レジェップ・タイイップ・エルドアン、ロドリゴ・ドゥテルテ、ジャイール・ボルソナーロ、ベンヤミン・ネタニヤフのような強権的な指導者の経歴は、民主制を利用して権力の座に就いた指導者が、その後、自らの権力を使って民主制を切り崩す実例を示している。』

 『だが民主制では、多数派の支配が及ばない権利のカテゴリーが二つある。一方は、人権のカテゴリーだ。たとえ国民の99%が残る1%を皆殺しにしたくても、民主社会ではそれは禁じられている。なぜならそれは、最も基本的な人権である、生命に対する権利を侵すからだ。人権のカテゴリーには、就労する権利やプライバシーに対する権利、移動の自由、信教の自由など、他にも多くの権利が含まれる。これらの権利は、分権化という民主制の本質を神聖なものとして大切にし、人々が誰も他者を害さないかぎり、適切と思う形で人生を送れるようにしている。
 権利のきわめて重要なカテゴリーの二番目には、公民権が収まっている。公民権とは、民主制というゲームの基本的なルールであり、自己修正メカニズムを神聖なものとして大切にする。公民権のうち、明白な例が選挙権だ。仮に多数派が少数派の選挙権を奪うことを許されたなら、民主制はたった一度の選挙の後に終わりを告げる。公民権には他に、報道の自由や学問の自由や集会の自由が含まれ、そうした権利のおかげで、独立した報道機関や大学や反対運動は、政権の正統性を問うことができる。』

 下巻の「AI革命」については、訳者解説から、以下の文章を引用することで本書の情報を共有したい。
 『全世界を揺るがせている「AI革命について、より正確な歴史的視点を提供する」ことを目指す本書』では、『従来は「AIは『Artificial Intelligence(人工知能)』の頭文字だった」が、「『Alien Intelligence(人間のものとは異質の知能)』の頭字語と考えるほうがいいかもしれない」と著者は言う。「AIは進化するにつれ、(人間の設計に依存しているという意味で)『人工』である程度が下がり、より『エイリアン(人間とはまったく異質のもの)』になってきているからだ。」』

 『「ネクサス[NEXUS]」は、一般には「つながり」「結びつき」「絆」「中心」「中枢」などを意味するが、本書ではさまざまな点を繋げている情報がネクサスとなる。
そこから思い出されるのが、「サピエンス全史」で語られていた虚構と協力だ。サピエンスが地球の覇者になれたのは、多数の見知らぬ者どうしが協力する能力に負うところが大きい。……協力はネットワークと読み替えられるし、虚構は情報の一種であり、ネットワークの要として機能すれば、これがすなわちネクサスとなる。
 ここで肝心なのだが、ネクサスは秩序を生み出さなければネクサスたりえない。秩序がなければネットワークは維持できないからだ。』

『近年、さまざまな国がソーシャルメディアを悪用して敵対国の選挙結果や人々の行動に影響を与えようとしていることは周知のとおりだ。そうした活動やデータの奪取を防ぐためには、国家間での情報の流れを遮断したり、国内で独自のデジタルネットワークを開発したりすることになる。著者はそのような遮断の仕組みを、冷戦時代の「鉄のカーテン」になぞらえて「シリコンのカーテン」と呼ぶ。こうして人類は、ライバルのデジタル帝国間に下りた新しいシリコンのカーテンに沿って分断されかねないのだ。』

Blog135 陣内秀信・稲益祐太編著「アマルフィ海岸のテリトーリオ:大地と結ばれた海洋都市群の空間構造」(鹿島出版会 2025.1.30)を読んで

 

 2025年1月19日(日)、伊豆稲取温泉に家族旅行する前日、本書が贈られてきた。2009年、織田裕二・天海祐希を主演に全編イタリアロケしたサスペンス映画「アマルフィ女神の報酬」の舞台装置を解説してくれるかの如き美しい表紙を見て、「はじめに」と「おわりに」を読み、陣内先生に御礼の葉書を書いて後、本書を伊豆旅行に持参してゆっくり読むことにした。幸い、この旅は「特急サフィール踊り子号」というアマルフィ海岸の如きダークブルーの車体と乗り心地から、車窓の風景も伊豆の青い海と空に似て、本書を読むにふさわしいかと考えてのことであったが、実際に熱海を過ぎて宇佐美から下田までの海岸線は本書のスケールと同じであったが、全く「似て非なるもの」であった。

 本書の調査、海岸とテリトーリオについて読み始めて分かったことは、絶壁沿いの高密度住宅群・教会・商店・広場・ドーモ・道路・小路・内外階段・バルコニー・ベランダ等々、一体化した立体起こし図、俯瞰図、詳細な断面図や平面図に写真を挿入しての頁をめくる度に、限りなく世界遺産都市としての歴史と宗教と日常の生活感覚を与えてくれる本書の密度は、迷宮都市アマルフィの実態を伝えてくれる。

 頁をめくる度に、伊東を過ぎ、東伊豆海岸線の漁港や海岸の砂浜等、遠くに見える伊豆七島の風景は同じに見えるも、都市国家の中心としてのアマルフィ地方では水力発電所や製紙工場、製鉄所まで建設された程の傾斜地で、伊豆よりは大きくて深い谷や河川が連なっている。しかし山奥の山脈には湧水や集落のあるところは、伊豆も同じように思われるが。

 伊豆高原駅は、1970~2020年迄の50年間、私の伊豆山荘の最寄り駅で、城ヶ崎や八幡野漁港は魚釣りの拠点で、季節毎にこの地に遊んでいたから、この別荘地はアマルフィと全く異なる景観であり、テリトーリオであることだけは本書で十分に伝えられた。

 陣内先生は地元のアマルフィ文化歴史センターの支援を得たというが、その分は本書の出版で十分に還元された。次なるステップで、地元の新鮮な食材とワインについての報告が楽しみである。伊豆稲取の銀水荘で出された「金目鯛の姿煮」や地酒の「大吟醸  銀の海」は絶品であり、この点での日本はイタリアに十分「太刀打ち」できると確信した。

 海洋都市国家として世界史的スケールで蓄積されたアマルフィ海岸周辺諸都市の実態を15年間(1998-2003、2010-2017)も調査あれた成果を東伊豆の集落と比較すること自体荒唐無稽に思われるであろうが、20~30年前にイタリアの留学生を山荘に案内したとき、伊豆は自分の田舎と同じ空気で、とても喜んでくれたことを想い出したからかもしれない。

Blog134 家族旅行で稲畑耕一郎先生と再会

 2025年の稲畑先生の賀状に「喜寿になって、中国の大学に3年、栄誉教授として勤務することになったので、3月から当分、中国滞在」との知らせ。

 45年前の1979年末、私の中国滞在中に家族3人(妻と小学生の娘と息子)を中国まで連れてきて下さって一週間、その上、先生だけは2ヶ月も中国に滞在して私の支援をして下さった当時を思い出す再会の機会、1月20日(月)の夕食を横浜のSCANDIAで、45年ぶりに稲畑先生御夫妻と私の家族全員6人の楽しい夕食会をもつことができた。

 何しろ当時の中国は自立更生時代、貧しいながらも日中友好で近代化を目指す中国と近代化の結果、熱くなる大都市への危機感をもつ日本の都市環境学への警告を得るための交換学習の日々であった。今日の地球環境問題を考えれば、今一度、昔の中国のあり方を再考する時に思えての再会であった。

 ところで、5年程前に伊東山荘を売却したお金で、年一回の家族旅行をすることになったが、正月は余りに宿代が高価な上、サービスが悪いことから、正月明けの1月19日(日)、巨大駅舎になった新宿南口の5番線から特急サフィール踊り子(Saphir ODORIKO)のプレミアムグリーン車へ。車体のダークブルーはフランス語の“SAPHIR(サファイヤ)”を意味し、「伊豆の海と空」をイメージすることから名付けられた特急だけに、なかなかの乗り心地であった。

 熱海はインバウンドに犯されている昨今に比べて、伊豆稲取のホテルは十分に空きがある上、「銀水荘」の料理、特に金目鯛の姿煮と地酒「銀の海」は絶品であった。

 幸いにも翌日の下田は天候にも恵まれ、白浜神社から爪木崎の水仙と白浜の景観は実に美しかった。何度も下田を訪れて気になっていた下田ロープウェイで寝姿山の遊歩道を歩いて、下田港や伊豆七島を見渡し、すっかり解放されての旅人気分。

 幸い帰途も最後のサフィールの乗車券が入手できて、下田から横浜駅へ。
 巨大な横浜駅から、みなとみらい線で「日本大通り駅」下車。優雅な県庁舎からSCANDIAの見慣れた建物へ。そして稲畑夫妻と家族の昔話に至福の時間を過ごした。

Blog133 村上陽一郎著「科学史家の宗教論ノート」(2025.1.10 中央公論新社)を読んで

 Blog50で、2022年2月出版の「エリートと教養」の六章で生命と教養についての考えを示され、次は「宗教」との予告通り、今度、本書を出版された。しかも実に分かり易く、科学史家としての立場で。

 本書の出版前に、2022年10月に「専門家とは誰か」(Blog74参照)を、また2023年9月には「音楽 地の塩となりて」(Blog94参照)を出版された。体力の限界と聞いていた先生が次々と出版される様は、建築界の先達で、1967年に文化勲章を受章されてなお、これが最後の遺作と称しながら、その後の作品の方が多かった村野藤吾(1891-1984)先生のことを想い出す。

 村上先生に宗教について書いて欲しかったのは、Blog102(2023年12月)「原発鎮守として、各地の一宮から鳥居を勧請する夢」を報告し、さらに2024年10月に「都市環境学を開く」(鹿島出版会)の第1章で「原発の使用済み核燃料の廃棄保存や緊急事態の住民避難を考えれば、科学的に「安全」を保障することは当然として、「安心」については神頼みとして、各国一宮からの鳥居の勧請で周辺住民は氏子となることを期待しては如何かと。結果は、多くの友人達から原発の安全安心を放棄して再稼働を容認する無責任な発想として非難されることになった。

 しかし今日、原発の再稼働が次々に進められ、第7次エネルギー基本計画でも原発推進を容認するしかない現状を考えると、原発周辺に生活する住民側の立場で考える限り、原発からの「災い」や「穢れ」を取り除く仕掛けとして、安全・安心の守り神である地域の一宮を勧請するという私の考え方についての賛否を村上陽一郎先生に聞きたいと願っていた。

 かくして、私が本書から学んだことは、全ての宗教は「知る」と「信じる」ところを起源として、「人類は本能の壊れた動物である。本能の中に具備されている筈の欲望抑制機能を破壊してしまった結果としての産物が原発であると考えれば、人間がその回復を託した宗教によってしか今日の原発に対する住民の安心が得られない」と解釈してよいであろうが、こんな無責任な解釈をした上、本書を勝手に解釈することで、私の自己実現の一如にさせてもらう幸せを宗教が与えてくれることも学んだ。

 読後感は実に爽やかで、今日のロシアのプーチン大統領がウクライナを侵攻した理由やイスラエルのネタニヤフ首相がガザ地区での非人道的空爆を続ける理由、さらにはイスラム教のコーランはムハンマドの口伝であることは知っていたが、メッカとメディナの両方が聖地である理由やインドネシアのイスラム教の実態、インドのモディ首相の言動なども本書で学ぶことができた。昨今読んだ本で、これほど短時間に多くの理解できない社会現象や世界状況まで知ることが出来たのは、教養としての宗教をベースに、「知る」ことと「信じる」ことの意味が分かったからか。AIが科学と宗教を結ぶ鍵であり、デカルトの「もの」と「こころ」についてまでも。

       科学史家の宗教論ノート (中公新書ラクレ 831)

  末筆ながら、終章の「信仰と私」で、村上先生が「信じる」ことと「愛する」ことについて『両者は類似で、平行の現象と言えそうです』という記述、先生自身がカトリシズムに止まるのかについて書かれたこと。私自身が今年の年賀状で『余生は自己実現に努めたい』と書いてしまって後悔していたが、先生の「あとがき」を読んでホッとしたことなど、何はともあれ、本書の恩恵に浴したことに感謝して。

附記

「文藝春秋」2月号の緊急特集「崩れゆく国のかたち」で、ユダヤ教である仏の歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏が「イスラエル・ガザ紛争」について記された文中に「宗教の三段階」と題し、第一段階は、人々は信者としてミサや日曜礼拝に行き、安息日を守る(宗教の活動的状態)。第二段階は(宗教のゾンビ状態)で、人々はもはや信者ではなく、ナチズムなど政治的イデオロギーが宗教の代替物として登場する。第三段階は(宗教のゼロ状態)で、個人レベルの道徳観も宗教的道徳観に由来する社会的枠組みも、もはや存在しない。イスラエルは宗教的に生まれたユダヤ人の国家であったが、今や信仰が崩壊し「ユダヤ教ゾンビ」の段階から、アラブ人と戦うイスラエル人の国家となり、第三段階の「本物のユダヤ人の消滅」した「ユダヤ国家」ではなくなっている。従って「イスラエル建国の父達が『神は存在しないが、神は私たちに国家を与えた』は消滅か?
 「宗教と国家」の関係を論説した、1951年生まれでカトリックの洗礼を受けたエマニュエル・トッド説をこのBlogに附記することを許されたい。