第9回 八ヶ岳研究会の後に御柱祭りのルーツを訪ねる

 1970年、八ヶ岳山麓の美濃戸に山荘を設けて50年。1990年にその山荘を大改築して以降は、早大尾島研の夏合宿として30余年間、毎年学生やOB達との勉強会や山登りをする間、2000年には茅野市との共同国際会議、2013年には景観学会とアジア都市環境学会を共同開催した機に、池の平ホテルの矢島社長を中心に「白樺湖畔スマートヴィラ勉強会」を開催。

 2019年には環境省OBの小林光先生、ミライ化成の中川景介社長、JESの福島朝彦社長と私の5人が幹事となって「八ヶ岳研究会」と名称を変えて、その第9回目を9月10日、池の平ホテルで開催した。

 八ヶ岳のエイトピークスに倣って8部会を設けて、縄文から現代に至る1万5千年の歴史(時間)と八ヶ岳スーパートレイル周辺50万人の地域(空間)を対象として、地元のみならず、国や地方自治体とも共同研究することについて自由討論した素案を以下に示す。

1.観光・景観部会(ソーラーコレクター、風車、小水力、廃屋、空き家対策、アート)

2.再生可能エネルギー部会(バイオマス熱利用、マイクログリッド、チップ工場経営)

3.二地域居住部会(別荘と移住者、財産区、総有権、ふるさと納税、コミュニティ)

4.防災拠点部会(バックアップシティ、大都市と地方都市の災害時・平常時交流)

5.地方創生部会(山荘、森林、農地、牧場、ベンチャー、サテライトオフィス経営)

6.縄文研究部会(「星降る中部高地の縄文世界」日本遺産から世界遺産登録)

7.白樺湖畔部会(ホテル山善撤去跡の再生と白樺湖畔の景観再生)

8.出版・広報部会(ガイドブック出版、補助申請、リニア中央新幹線) 

 翌日は、旧来の山登り仲間(丸山・寺本・相場・鬼沢・友森・渋田)と共に、木曽路の奈良井宿から鳥居峠を目指すも、土砂崩れのため途中で引き返し、縄文から弥生・古墳・平安・鎌倉・江戸・今日に至る5000年の集落が同居する平出遺跡を視察した。その帰途、2022年の御柱祭りのため随所で交通規制が行われていた。

 このグループとは2010年度合宿で、諏訪大社上社の前宮と本宮の8本の御柱は尾島山荘間近の御小屋山から伐り出す予定が、御柱に適した樅の大木が台風で倒れてしまったためとかで、辰野国有林等からトラックで運ばれたと聞き、どれ程の被害を受けたのか、御柱山の実態を調査しようと出かけた。しかし、御小屋ルートと御柱山ルートを間違って後者を選んで登ったので、屋根筋に至るも樅の大木は勿論、小さな樅の木も見つからず、本当にこの山から樅の大木が1500年間も継承して伐り出されたのか疑問を持った。

 しかし10年後の今回は、一行の一人がスマホ情報として、2022年度は間違いなく近くの御小屋山から伐り出されるとの情報に加えて、その準備のためか、多くの軽トラックと職人達が近くの道端に集まっていた。改めて、夜、地図を見直しながら、スマホの情報と比べると、御柱山ルートと御小屋ルートは八ヶ岳山荘近くの美濃戸ロッジで別れていて、沢を越した別の山道であることを発見。

 幸い、日曜の朝は久し振りの晴天で、一行6人、尾島山荘を出発。樅の大木を伐り出すための下作業に行く軽トラ一行の職人にも確認して、御柱山とは別の御小屋ルートを登ること小一時間、大社の管理地で、樅の大木が散見できる森林地帯に入る。軽トラが10台も並ぶ鬱蒼たる森林が開けた草原の周辺には大社の御小屋や小さな祠宮が散在して、その近くで樅の大木を伐り出すためか、下草刈りを行っている職人達を確認。この伐り出し地点から20kmも離れた諏訪大社までの「山出し」ルートを歩くことにした。途中、尾島山荘近くの御柱街道と鉢巻道路の交差点からは車で八ヶ岳実践農大前を通り、八ヶ岳エコーラインとの交差点「一番塚」で8本の大木を集結する。この地には2022年4月に行われる「山出し」からの様子を示す立て看板が立っていた。

 8本の大木が御小屋周辺で伐り出され、「御柱街道」と呼ばれる山路を1ヶ月かけて3月末には「一番塚」に人力で曳き出される。4月2日、3日を御柱祭りとして「山出し」がスタートし、8本の御柱が氏子や観光客に曳かれて12km程離れている諏訪大社の本宮と前宮へ。途中、「穴山の大曲」や「山出し」のクライマックスである「木落し」坂から、4月の雪解け水で洗い清められた巨木は宮川の「川越し」を終え、安国寺の御柱屋敷に曳かれ、1ヶ月後の5月4日、5日が「里曳きの祭り」になる。

 50余年間、この八ヶ岳の尾島山荘で合宿しながら、諏訪大社奥宮の祠や樅の巨木の植林地、御小屋の山林や御柱街道を散歩することもなかった。1500余年もの間、6年に一度、この地に住む諏訪大社の氏子や住民が総出の御柱祭りに来年こそは参加したいと思った。

 それにしても、すぐ近くの中ッ原遺跡から出土した国宝「仮面の女神」が発掘された地に建つ8本の巨大な御柱が、大社の「御柱祭り」より3000年以上も昔の御柱と同じであると考えるだけで、「八ヶ岳研究会」の意義も身近に考えられてきたのである。

〇「八ヶ岳研究会」での歴史(時間)軸表とスーパートレイル周辺の地域(空間)図

「5000年前の中ッ原縄文遺跡の8本の御柱と今日の御柱祭りの関係は不詳」

 5000年前の国宝「仮面の女神」が発掘された中ッ原遺跡に建つ8本の大木①と、1500年前から6年毎に継続されている諏訪大社前宮の一之御柱②と三之御柱③。諏訪大社・前宮に4本と本宮に4本の8本が20km離れた御小屋山の大木④を8本、山出しされる。1500年以降は、御柱祭りとして諏訪大社の祭りと共によく知られているが、5000年前の中ッ原遺跡の8本の大木建立との関係は全く分かっていない。

 写真①の8本の柱は、4本が高く4本が低く建っているが、実は発掘した穴から柱跡と推測したもので、この御柱が何に使われたものか未だに分かっていない。横に見える小屋は5000年の「仮面の女神」(国宝)が発掘されたところを保存している。

①5000年前の中ッ原遺跡に建つ8本の大木    ②諏訪大社・前宮の一之御柱(2019.8)
(2019.8)
③諏訪大社・前宮の御柱(2019.8)      ④御小屋山の樅の大木(2021.8)    

「第2回東京パラリンピックのアスリートたちが創り出したレガシー」

 2021年9月5日、東京2020オリンピック(17日間)・パラリンピック(13日間)が閉会した。2020年の目標「東日本大震災からの復興」が2021年に延期され、「コロナに打ち勝った証」に目標を変更した第2回オリンピックは、205ヶ国(地域)から11,000人のアスリートが33競技339種目で競い合い、パラリンピックは162ヶ国(地域)からパラリンピック史上最多の4,400人のアスリートが22競技、539種目で競った。

 その結果は、前回のリオのパラリンピックでは金が0に対して、東京では13、銀が15、銅が23、計51個で、2004年のアテネの52個に次ぐ成果であった。肢体不自由、視覚障害、知的障害等のハンディキャップをもつアスリートたちが、血と涙の結晶として獲得したメダルである。オリンピックでは10代の若者が目立ったメダル獲得に対して、パラリンピックでは60代の高齢者がメダルをとっていた。はじめは、私自身、気の毒な人たちのすさまじき競技との偏見もあったが、次第にその余りに迫力あるテレビ画面に、いつしか引きつけられて興奮する。超高齢化社会の日本にとってのみならず、自分にとっても明るい未来のあり方を教えてくれた。

 そんな13日間も終わって、改めて、国民の大半が反対しても実行された東京2020は、どんな評価を歴史上で下されるのか。私たちはその対策も考えなければならない。何故ならば、この第2回東京オリパラの開催は、その成果や影響について、北京オリパラや第3回のロンドンオリパラの成功に比べて、世界中が注目し、東京での成果について大きな関心が寄せられていたからだ。

 建築家としての立場で考えても、第1回東京オリパラが残した国立代々木競技場については、前回のBlog36でも記したように、9月2日にこれを世界遺産に登録すべく、DOCOMOMOの国際会議と合同で第1回シンポジュームを開催して、日本の戦後復興と国際社会への復帰を宣言するものであったことに比べて、第2回は、コロナ禍とあって、世界と共に歩く「多様性と調和」を実現したのであろうか。少なくとも、第2回のオリパラ中の9月3日、菅首相は次期総裁選出馬を突然見送ると表明して、政局が一変したことからも、東京2020の開催は日本国の大事件だったこと。

 全国の感染者は9月7日時、減じ始めた反面で、自宅療養者と重症者の激増で医療現場は悲鳴をあげ続けている。世界の感染者もコロナ株の変異と共に増加を続けて、2億2万人、死者456万人。日本は156万人の感染者で、死者1万6千人。緊急事態宣言も第5波の襲来で8月31日から9月12日に延期したのを、さらに10月迄延期すべきとの声である。このような状態で、無事に東京2020が2024PARISへ、“ARIGATO”の言葉と共に引継ぎできたであろうか。

 オリンピックのみならず、パラリンピックでも事実上の無観客で、その入場料900億円の赤字は余りに大きい。その上、屋根なしで1,569億円も投下した国立競技場の年間維持費は24億円、減築できなかった東京アクアティクスセンターでは年間6億円以上の赤字予測等々と新聞報道は既にポスト東京2020の国内景気や政局に関心が向いている。

 世界遺産に登録する国立代々木競技場でも、当時の日本が精一杯頑張った施設を使い続けて、その上、実は大変な改築費と維持費が投下されていること。それに比べて屋根なし、減築なしとはいえ、今度の施設はバリアフリー化や近代的技術の粋を集めた安全性を考えれば、必ずや日本のレガシーになると信じたい。

 時々しか観戦しなかったパラリンピックのテレビ画面ではあったが、女子マラソンの道下美里さんの笑顔、競泳の木村敬一さんの涙、車椅子テニスの国枝慎吾さんのガッツポーズ、ボッチャの杉村英孝さんの得意顔等々の金メダルアスリートのみならず、銀メダルの車椅子バスケットボールの日本チーム等々、テレビというVirtualな世界でも十分に伝えられた刺激は、価値ある「モノ」ではない「こと」であった。この暗い明日の見えない時代にあって、東京2020は十分なレガシーとしての価値ありに思えてきたのである。

「国立代々木競技場世界遺産登録推進協議会 第1回シンポジューム」に招かれて

 2021年9月2日(木)、(一社)国立代々木競技場世界遺産登録推進協議会主催の第1回シンポジュームが、六本木アカデミーヒルズ49階タワーホールで、第16回DOCOMOMO国際会議2020+1東京実行委員会との共催で挙行された。

 午後1時半、2016年にこの会を発起した槇文彦氏がキーノートスピーチ。主旨は「1952年に東大建築学科を神谷宏治氏と同級で卒業。ハーバード大へ留学するに当たって、1年程の準備期間中、丹下健三研でコンペを体験した。その時の丹下さんは全員で自由討論させた上、最適解を採択しての実行手法は、今に至る自分の教訓になったこと等。」

 続いての基調講演で、この会の代表理事に就任した隈研吾氏は、「建築が趣味の父に連れられて見た代々木競技場の建物に感動。この水泳プールで、その後、何度も泳いで、益々この建物は神宮内苑の森とも調和して、素晴らしい景観を形成していることを発見。自分が設計することになった神宮外苑の国立競技場の設計に当たっては、この建物を十分に意識した」と。

 続いての建築歴史家の後藤治氏は、「丹下健三の国立代々木競技場を世界遺産に登録するには、第1に日本国の法で認められた作品であること。この条件は2021年に重要文化財に指定されたことで第1条件をクリアした。第2は、日本の文化庁の世界遺産リストに登録されること。第3は、ユネスコのリストに、第4は、そのためには海外の調査を受けることで、今度、第16回のICOMOS国際会議が東京で開催されるに当たって、本日のように共同でシンポジウムを開催したことで、広く海外の専門家に代々木競技場の素晴らしさを紹介できたこと等々。(一社)代々木競技場世界遺産登録推進協議会のこれから果たすべき道程について」講演。

 続くディスカッションの司会は豊川斎赫氏。彼は当日の資料として、自著「国立代々木競技場と丹下健三」(TOTO建築叢書12)と英文版“YOYOGI National Gymnasium and KENZO TANGE”を配布。

 帰宅して、本資料を読むと、意匠や構造については詳細に述べられているが、残念ながら設備系については、冷房費が削られたので自然換気で、空調循環平面図と断面図、ノズルの位置と送風機の配置図のみ、唯、屋根の断熱に使用されたアスベストの除去等については詳細に記されていた。

 井上研の卒業生が先生の死(2009年8月)後の平成25年(2013年)3月、『井上宇市と建築設備』(丸善)を出版しており、この本には今少し詳細に記録があるので、引用。

 丹下研の基本計画が出来た段階で、冷房費がない上、鉄板屋根で天井が低く、1万4000人の観客が入ると、室温は30℃近くなる。1人当たり換気量35㎥/hから50万㎥/hの外気を送るには、径1.2m、16個のノズルを用いて、吹き出し風速8m/s、到達距離100m、残風速0.5m/s、居住者頭上で1m/s~0.5m/sを均一に分布させるためには模型実験が不可欠で、早大卒論生を動員して、次元解析で1/50を最低縮尺とする模型を作成。このスケールで初めて天井とアリーナ間にある客席の温度や風速の許容値のみならず、室内の雰囲気が分かることから、丹下研をはじめ意匠や構造の設計担当者もたくさん見学に来た。

 客席にとって大切なのは、10月のオリンピック時、照明や人体によって上昇する温度を1.0~0.5m/sの風によって、実質体感温度を25℃前後にすることで、しかもノズルからの一時噴流ではなく、それによって誘引される2次気流と3次の気流とも考えられる側壁や床、天井に沿って流れを変える気流が合成された風で、これは模型からの次元解析結果でしか得られない。

 さらに、50万㎥/hの外気を16個の巨大ノズルから吹き出し、アリーナ部分から吸い込み、外気へ放出する送排風機の配置図を見て思い出したのは、騒音対策であった。ノズルの吹き出し側でも送風機騒音が周波数毎にNC40以下にする必要があった。コンクリート側壁やチャンバー内に厚さ50mmの岩綿板をグラスクロースで鋲止めすることで、巨大ダクト等を設けないで最小限のコストでこの換気システムを完成させた。この換気は、Authenticityの貴重な技術であり、これが大改築時にもそのまま残っていた。槙さんから世界遺産登録に当たって世話人を頼まれたときに、以上のことを現場確認したことを特筆しておく。

 また、豊川著のp.239、アスベスト除去に関して、朝日新聞「声」欄投書で、「代々木競技場の屋根裏でのアスベスト吹き付け工事で職人が呼吸不全でなくなった」との記事。文献p.87で、確かに井上先生自身「屋根面からの熱の流入を少なくするために、わしが吹きつけを進言した」との記載。1975年に吹き付けアスベストは禁止され、2005年、本格的に健康被害が報道され、2006年にアスベスト被害救済法の制定。2006年3月に代々木競技場の除去予算がつき、除去された経緯については両著に記載あり。

 私自身も1964年のオリンピック開催直前、アスベスト吹き付け直後の天井と屋根の間にあるキャットウォークから室内環境の実測で何日間もこの屋根裏で過ごしたことが原因と思われるアスベスト破片が肺に何個か今も残っており、慈恵医大のMRIで毎年検査して、健康確認をしている。当時の建設現場や新技術導入に当たっては、多分に体を張っての仕事は当然の時代であったこと。改めて当時の資料を見直した2021年9月のコロナ禍である。

白井裕子著「森林で日本は蘇る」(2021年6月、新潮新書)に覚醒する

 東京の緊急事態宣言が延長されたので、2021年8月24日のロータリークラブの例会は中止。この日は東京パラリンピックの開会当日とあって、午後2時には自衛隊のブルーインパルスの展示飛行があるというが、生憎、朝から曇天。

 正午、地下鉄東西線の竹橋駅で下車3分の東京国立近代美術館で開かれている隈研吾展を観て後、京橋のDHC協会へ。大阪・関西EXPO’25会場のグリーン水素活用の目途が立たないため、この分では本当に会場でのゼロエミッション計画が不可能になると考え、相談に行く。先日は、横浜でのIR反対市長の当選もあり、コロナ禍の政情が続く限り、日本のみならず、世界中で新しいプロジェクトやイベントの開催が出来なくなりそうだ。

 DHC協会からの帰途、東京駅内のBook Caféに立ち寄る。東京駅の改築が完成した後に新設された不思議な本屋で、こんな便利な場所がいつも空いており、立ち読み自由、椅子やテーブルまであって、実に買い求めやすい。今回購入した一冊が、25年前に卒論や修論で尾島研に籍を置いた優秀な学生の著であった。

 白井裕子君は、大学院時代にドイツのバウハウス大学に留学して、何かと物議を醸した上、論文では建築学科の縄張りを超えた土木領域で、必要とあれば構わず調査に入るため、時として当方が忍耐させられたことを思い出した。又、白井君は博士論文でも私の専門領域を超えた河川流域の生活文化を取り上げて、審査に苦労したこと。しかしこの著述を読むと、人品が一変した如くに、社会や世話になった人々に対して、実に礼儀深いと思ったが。その途端に、日本の制度や社会、政治に対して、真っ正面から異議を申し立てる正論は当時のままで、実に堂々と自信に満ちている。世界中を研究放浪しての成長を実感して嬉しくなった。

 白井君が研究室に在籍していた頃、私は出身地の富山で大工の専門学校(現・職藝学院)を設立し、当時から森林の大切さや伝統木造建築の職人養成の必要性を叫んでいた。又、日本の経済復興やグローバリズム、激変する社会情勢に流される毎日であったが、そんな状況を見てか、本書では森と木をテーマに、この道一筋とも思える程に日本の社会制度に異議ありを告発している。

 第1章の「日本の建築基準法には自国の伝統木造は存在しない」では、戦後70余年間、多くの先輩達が挑戦して達成されていない伝統木造の実態について、実に分かり易く解説している。富山で挑戦し続けている大工職人の専門学校「職藝学院」は設立25年、四半世紀に至って、宮大工の伝統技術の修得と社会での実装、マイスターの先生方と学生たちは今も苦労している筈。本書を教科書に座学で学生や先生方を勇気づけて欲しいものである。

 第4章「誰のためのバイオマス発電か」も又、著者が記すように理解できない現況である。EUでは大型のバイオマス発電は既に禁止した上に、熱供給を併用するCGSでなければ許可していない。一方、日本では、私の調査した限りでも、立派な建築用材になる丸太まで燃料にされている。この実態は、経産・農林・環境省庁の分断や補助金の制度によるものである。誰しもこの実態については苦情を出し続けている正論で、実に詳細にその原因まで追及している。

 第9章「いつの間にか国民から徴収される新税」については、私も初めて知らされたことが多い。側聞はしており、まさかと思っていたが、日本から中国に大量の丸太が輸出されている実情は、民も官も評価していない上、輸出している木材の生産に多額の補助金が注ぎ込まれていること。山に道を造る、林業機械を買う、山中から立木を間引くための補助金の結果、破格の丸太がバーゲンとなって中国への運び出されるという説は、実によく分かる。補助金行政こそが直接・間接的に日本の森林という国富を持ち腐れにしているという。一見して各省庁が良かれと思って実行している補助金が、日本の文化や社会生活の根本を腐らせていると説得する本書は、学生時代と変わらぬ縄張りを超え、”Science for Science(あるものの探究)”ではなく、”Science for Society(あるべきものの探求)”としての新しい分野の先駆者となっている白井君には教えられること多く、卒業生達に一読を勧める次第である。

中村桂子氏の「脱炭素社会への疑問-私は炭素でできている」に共鳴する

 8月25日、私のBlog21(2021年3月)でも紹介した(一財)日本開発構想研究所の「下河辺淳アーカイヴス」(Archives Report Vol.17、2021年6月号)に、JT生命誌研究館名誉館長のエッセイが記載されており、その表題を見た途端「よくぞ言ってくれた」と共鳴し熟読する。

 共鳴した一文を勝手に引用しようと、「・・・・・」と書き始め「しまった」と思ったのは、4p程のエッセイでありながら、引用したい文章に下線を引くと、なんと殆ど全てに線を引いてしまったからである。当たり前のことが当たり前に書かれていながら、それぞれに重要な指摘で、エネルギー源は炭素と酸素の化合物でCo2が排出されることや、その一方、人間の生命に必要な炭素化合物は全て生態系の中でつくる循環する炭素によること等、

 太陽と水とCo2あっての光合成で植物が生まれ育ち、その植物を食べ、O2を吸って人間が生きていることを知れば、「脱炭素社会」という言葉では、これからの生き方が見えなくなる。「まず自然の仕組みをよく知り、それを活かした社会に挑戦することこそが生きている人間の選択すべきこと」と諭す中村先生の指摘はさすがである。

 今一つ、さすがと思ったのは、2021年3月、三谷産業株式会社が「Carbon」を創刊したことである。一瞬、脱炭素社会に何故こんなPR誌を出したのかと思ったが、発行人である三谷忠照社長は、創刊に当たり『本誌Carbonは、未来を見据えて“非連続的”な変化を求めるビジネスパーソンの皆さまと、ベンチャー企業を含む異業種との接点を持つことの面白さを分かち合うために創刊されました。私たちの目的は、日本の産業界における一社一社の企業が、業種・業界を超えて新しい結合を生むための“触媒”となることです。』と記している。 

 また、その注として、「炭素」は結びつき次第であること、三谷産業は石炭の卸売からスタートし、当時のスピリットを大切にするとし、創刊号は「未来をつくる地方発ベンチャー」、2021年8月のNo.2では「大学発ベンチャーの潜在力」という刺激的な特集をしている。一民間企業が無料で配布する挑戦と、その斬新な内容に感心し、コロナ禍で明日の見えない日本にあって、中村桂子氏のエッセイや「Carbon」の創刊に勇気づけられた次第である。

「寺田寅彦全集」を再読しての近況

 2021年8月1日、恒例になっていた八ヶ岳山荘での合宿は、コロナ禍の東京緊急事態宣言下にあって9月に延期した。その間に、予定していた池の平ホテルでの八ヶ岳研究会も延期することになったが、バイオマス利用の地産地消再生エネルギーの研究会だけは8月2日開催。財産区や地方自治体の所有する森林の間伐材を利用したチップ工場を共有化する可能性を話し合った。

 同時に、山荘に出向いたのは「寺田寅彦全集」(1961年版、岩波書店、全17巻)をゆっくりと再読するためもあった。何故なら、日本経済新聞の連載小説、伊集院静の「みちくさ先生」に出てくる寺田寅彦と夏目漱石との余りに親密な交流が気になったからである。また、1964年10月の東京オリンピック水泳競技場になった国立代々木競技場の設計に当たっての実験中に寅彦の随筆を読んで勇気づけられ、いつかこのような随筆を書いてみたいと考えていたことを想い出したからである。

 早速、第三巻「電車の混雑について」(大正11年)は、私も九段下(神保町)で早稲田行きの都電に乗り換えていて(昭和36年)、20年間の違いと、戦争の前と後の混み具合を比較していたこと。又、「茶わんの湯」については、東大名誉教授でニュートンの編集長であった竹内均先生(1920~2004)が「継続の天才-竹内均」(扶桑社、2004年)の第二章「学問との出会い」で、「寅彦の随筆を中学時代に読んだことで進路を定めた」と記されている。竹内先生と子息・幸彦氏に、私がNHKブックス「熱くなる大都市」や「らいふめもりい」等の著書を書くきっかけをもらったこと。STAY HOMEの毎日は、この随筆集のお陰で退屈することがなくなった。

 蛇足になるが「災害は忘れた頃にやってくる」の語源も寺田寅彦と言われているが、第七巻の「津波と人間」(昭和8年、1933)の随筆は、そのまま今、発表されても通用することを考えれば、寺田寅彦(1878~1935)の死後、1940年代、60年代、70年代、80年代、2000年代と岩波書店他から全集が出版され続けていることと同時に、夏目漱石(1867~1916)も又、文豪の名の通り大変な漱石全集が出版され続けている。何が継続の秘訣かを考えるに、どの時代も人と人との交流によってのみ継続の文化が生まれる。然るに、コロナ時代の今日、隔離の持続は、文化の断絶を招きそうで心配である。第六巻の「夏目漱石先生の記憶」を読むと、寺田と夏目の関係がさらに良く分かる。

 「みちくさ先生」の後に始まった連載小説、安部龍太郎著「ふりさけ見れば」の主人公・阿倍仲麻呂(698~770、唐で客死)は、奈良時代に遣唐使として留学、玄宗皇帝の官僚となり唐の詩人との親交を示す記念碑のある西安の興慶公園で、私が1980年3月1日、陜西省土木建築学会で「西安市の再開発について」講演した。そのとき記念碑を設計した張錦科先生が共鳴された上、市内を案内して後、日中友好文化交流に貢献する私を阿倍仲麻呂以来の友人と記した書を贈られた。しかし今、1980年代の日中友好交流時代の熱気は消え、米中同様、日中の友好も風雲急を告げている。

 文藝春秋9月号で京都大学の中西輝政名誉教授は「習近平はヒトラーよりスターリンだ - 毛沢東やヒトラーにない「怖さ」がある-」と題して、2020年を境にして、中国は「怖い国だ」「信用できない」という認識が世界中に広まった。中国を好ましくないと見る割合は、アメリカで73%、英国で74%、北欧のスェーデンまでが85%にも上っていること。チベットやウイグル等での人権問題に加え、南シナ海や尖閣諸島での覇権行動を考える時、習近平の「中国はもっと世界から愛され、尊ばれなければならない」との語りかけは、余りにも言行不一致である。世界の国々からみて、今度のコロナ禍の原因探求や対策にも中国に不信が見られ、「怖い国」になっていること自体に気づいていないとすれば、日本人にとっての正念場である。

市川徹君の「リニア中央新幹線の見直し(案)」に共鳴しての八ヶ岳研究会

 早大教授であった川勝平太氏が静岡県知事として、2020年6月、JR東海の金子慎社長と会談「南アルプストンネルの中間部分の工事許可」は物別れに終わった。その直後の知事選で反対を訴えた川勝氏が4選を果たして、静岡県を迂回するルート変更を求めることも辞さないという。

 こうした新聞記事を持参しての鉄ちゃん市川君の見直し案は、元来3ルートの検討がされており、Aルートは(木曽谷ルート、建設費5兆9600億円)、Bルートは(伊那谷ルート、建設費6兆700億円)、Cルートは(南アルプスルート、建設費が5兆4300億円)で、Cルートが最も安い上に、距離的にも最短とあってJR東海がこの案を進めていたものと同じである。

 長野県はA・B案に賛成で、静岡県がC案に反対しているのであれば、地方の民意でAかB案を検討をするのが民鉄としてのJR東海の使命と市川君は主張する。しかもアフターコロナ時代にあって、東海道新幹線の利用客の減少を考えれば、「東海道新幹線のバイパス路線」の必要性は減少する上、リニアは「中央新幹線」を名乗りながら、中央本線と接続するのは岐阜県内の駅のみで、八王子・大月・韮崎・茅野・諏訪・岡谷・塩尻などの中央本線の主要都市をすべてパスする。したがって、C案では中央新幹線の役割を果たせず、「第二東海道新幹線」に他ならない。中央本線の沿線自治体やJR東日本などは、中央本線の信頼性向上のためには中央新幹線の必要性を認識している筈という。

 さらに、電力消費が4倍も大きいリニアは如何かと問う。アフターコロナ時代のライフスタイルの変化やゼロエミッションを余儀なくされている日本にあって、市川宏雄著「リニアが日本を改造する本当の理由」(2013年、メディアファクトリー)と川村晃生他著「総点検・リニア新幹線」(2017年9月、緑風出版)の二冊を改めて熟読した。結論は、日本の今を考えれば、今一度再考すべきであろうか。

 「八ヶ岳研究会」とは、2013年に白樺湖畔に面した池の平ホテルで、アジア都市環境学会の国際会議と日本景観学会を開催した機会に「八ヶ岳山麓に二地域居住時代の新天地を創る」勉強会である。昨年この研究会に入ってくれた中島恵理さん(48)が環境省を退職して、この8月、富士見町の町長選に出馬するという。現職の名取重治氏(70)との選挙戦というので、ネットで現況を調べてホッとする。二人ともこの地を活性化するには「無投票だと地域の将来を考える機会がなくなる」「まちづくりには活力が必要」との明るい選挙のようなので、是非「リニア中央新幹線を富士見町経由にすべし。そのためにはA or B案を採用すべき」とJR東海やJR東日本のみならず、国や県に働きかける住民運動を起こして欲しいと考えた。8月8日の選挙後には投票数1位が町長で、2位が副町長として八ヶ岳山麓に新天地を創って欲しいと夢みた。

「TOKYO2020オリンピック開催の日」を迎えて

 2021年7月23日(金)早朝、三波春夫の東京五輪音頭“オリンピックの顔と顔 それトトントトトント 顔と顔 待ちに待ってた世界の祭り 西の国から東から 北の空から南の海も オリンピックの晴れ姿 それトトントトトント 晴れ姿~”が昨夜からつけっぱなしのラジオから流れて目覚めた。国民の大多数が反対していたTOKYO2020が愈々開催されることになったのだ。

 西日本中心に猛暑と雷雨、沖縄では台風6号が直撃、気候変動によるドイツや中国の洪水被害に加えて、東京は四回目のコロナ禍の緊急事態宣言下にあって、世界の感染者1億9200万人、死者412万人、日本の感染者85万人、死者1万5千人。東京の感染者は22日(木)1,979人、全国で5,397人。このような状況下にあって、過去最大の33競技に参加する11,000余人のアスリートが既に到着。ソフトボールやサッカーの試合は開会宣言前から始まって、日本が勝っているとのテレビ放送も関心が湧いてこない。無観客の会場に「顔と顔」や「祭り」の雰囲気のない競技場の淋しさがテレビ画面からも伝わってくる。

 2020年から1年延期しても完全なオリパラを開催すると宣言していた安倍総理は既に菅総理に代わって、世界中のコロナ・パンデミックが全く収束していない状態で、組織委員会の森会長辞任をはじめ東京エンブレムの撤回・再公募、ザッハの国立競技場もなく、無観客を予想して設計したとしか思われない隈研吾の競技場は、開会式統括の野村萬斎に代わった佐々木宏は3月にタレントの容姿屈辱で辞任、7月には開会式の作曲者・小山田圭吾が障害者いじめで辞任、開閉会式演出者の小林賢太郎のホロコースト発言から解任との報道に昨夜はすっかり落ち込んでの就寝だった。

 朝のラジオ体操ですっきりしてテレビをつける。世界中は悲惨なニュースばかりに加えて、朝日新聞の22面に建築評論家・五十嵐太郎氏の「国立競技場黄昏の時代の象徴」の記事を読んで共鳴する。1964年10月にブルーインパルスが青空に描いた美しい五輪マークを再び期待していたが、それ程ではなくて、夜8時からすることもなくて、家族で3時間半の長い開会式のテレビ中継を見る。

 国立競技場の外は高いフェンスで、入場を許されない多くの人々が会場を眺めているテレビ中継に呆れながら、直前に解任された小林賢太郎氏のプログラムで、会場では全9章の演出が始まった。先ずは694発の夜空の花火に続いて黙祷。世界に通用する舞台とは思えない淋しい江戸情緒のショーが続いて、アイウエオ順に205ヶ国(地区)の選手団がソーシャルディスタンスをとって、全員マスク姿の不思議な入場である。11,000人中6,000人のアスリートが参加した2時間30分にわたっての入場光景は、テレビの前でも我慢を強いられる。組織委員会の橋本会長とIOCバッハ会長の挨拶、世界中の要人を招いての華やかな開会式でなくて、天皇の開会宣言も「祝い」から「記念」に代替される。

 人工のノズルからの風になびく日の丸やオリンピック旗、福島県浪江町で造られたグリーン水素の聖火の点火式はそれなりに粛々としている。最後は1824基のドローンが夜空に地球を描いて、第32回TOKYO2020オリンピックの幕が上がった。この日は斯くあって然るべしで、せめて平和の祭典になって欲しいと床に就く。

 翌朝の新聞やテレビ報道は、私の体験した開会当日の感想と余り変わらなかった。同時に、海外の報道も又、よく我慢している日本人達との評価に共鳴する。私達のこの我慢で、コロナ禍や台風等で中断されることなく、無事17日間のオリンピック閉会の日を迎えることができれば、世界の国々が体験したことのないオリンピックを日本がやり遂げた歴史をつくったことになる。

吉見俊哉著「東京復興ならず」(2021.6 中公新書)の解は伊藤滋監修「かえよう東京」(2017.4 鹿島出版会)にあるのでは

 

 吉見著の終章、『2021年は、もはや「オリンピック」の年ではなく、「ワクチン」の年なのである。

 第一に、この二度目の東京五輪は、東京の都市構造を再転換する契機にならなかったばかりでなく、多くの人が誤用してきた意味の「復興」すなわち、経済効果でもマイナスの結果しか残さない。

 戦後東京は「復興」を「経済成長」として受け止め、都市がより「豊かに」なることは、「より速く、より高く、より強く」なることだと考えてきた。「東京マイナス首都機能」に向けた多極分散的な都市、具体的には皇室の京都への帰還や諸官庁の地方分散による田園都市構想で、大学都市構想を実現することこそ真の東京復興であり、コロナ禍の先にあるポストオリンピックシティである。』

 吉見は、「序章 焼け野原の東京」では、復興の意義について

「第Ⅰ章 文化国家と文化革命のあいだ」では、最低限度の生活と文化と経済について

「第Ⅱ章 文化首都・東京を構想する」では、1946年、東京帝国大学最後の総長・南原繁が東京の文化復興のモデルとしてオックスフォードを挙げ、その構想として、上野と本郷の文教地区を高山・丹下が、早稲田地区は吉阪・武が、神田は市川・笠原、三田は奥井、大岡山は谷口・清家等が幻の大学都市を描いた。

「第Ⅲ章 より高く、より速い東京を実現する」では、丹下健三の1960年の東京計画が東京湾上に求められ、東京メガロポリス構想へと発展、1964年の東京オリンピックを機に、文化の東京から道路の東京へ転換した経緯を。

「第Ⅳ章 カルチャー時代とその終焉」では、東京からTOKYOへ、大学都市から広告都市、経済バブルの崩壊と中曽根民活は世界都市博の中止と共に、パンデミック禍の東京は先行き見えない終焉下、今こそ、本当の文化都市としての東京復興を成し遂げる時。

 吉見のこの願望を10年程前から知っていた伊藤滋は、「かえよう東京」と題して解答したのが鹿島出版会からの大著と思われる。

 伊藤が自分で筆を入れた7章「大学を活かした東京都心のまちづくり」は、吉見が第Ⅱ章で記した幻の文化首都・東京へのこれからを示したもので、その解が、伊藤の「かえよう東京」構想にあるように思われたが。

小林光著の「エコなお家が横につながる」を読む

 元環境省事務次官で、東京大学客員教授といういかにも堅物風の経歴の人が、自身の体験と私生活を露出しての出版「エコなお家が横につながる」(「エネルギー使いの主人公になる」シリーズ1、2021年6月5日、海象社)を熟読する。

 内容は、21年間も自宅(東京都世田谷区)羽根木エコハウスの実践で経験したことや、再エネ電力の活用に尽力されている現場を取材、再エネ電力を多く使うよう訴える、海象社ブックレットのシリーズ第1号である。

 主旨は、エネルギー政策には下克上が必要とあって、この分野は革命最中にあり、私達の日常にもこれから大いなる変化が起こることを予告している。

 第1章「エコハウスを建てた」では、羽根木の自宅で21年間、建て替え前に2100kg/年CO2排出量が、建て替え時1400kg/年と35%減(OMソーラー(株)による内訳のシミュレーション:高断熱による暖房削減31.9%、太陽光発電27.5%、太陽熱床暖房による暖房削減24.3%、太陽熱給湯11.2%、高断熱による冷房削減1%、インバーター蛍光灯0.1%、節水0.1%、その他0.9%)。それから毎年減らして、今日500kg/年と75%も削減した。

 第2章「今住んでいる家でできること」では、電力自由化で、東京電力のみならず東京ガス他、種々の会社が電力を売り始めたが、少しでもkWh当たりCO2発生量の少ない電力を買い取るためにはどうしたらよいか。冷蔵庫やエアコン、テレビ、照明器具など、最近、革命的に効率を上げていることから買い換えが必要。窓やガラス戸の断熱は有効で、そのリフォームは特に効果的であるが、そのためにどうしたらよいか。その他にも、蓄電や直流ワールド他、専門家顔負けの知識である。

 第3章「お家をエコにすると良いこと」では、LEDにすると5年で償却、羽根木のエコハウスは省エネで快適に生活できた上に、35年で償却できた等。

 第4章「共助でエコな生活をするには」では、人口15万人のアメリカの街は、市が再生可能エネルギー起源の増大を図り、ダイナミック・プライシングでピーク需要を減らすなど温暖化対策に取り組んでいる。また、ハワイでは、電力会社が2045年までにゼロエミッションを達成するためと同時に、低所得者対策も実行するプロジェクトを展開。

 日本の島々でも、宮古島や来間島でハワイ電力以上のスマートグリッドの実現に成功していること。現地での調査で、日本でもやればできることを立証している。

 私が注目したのは、福島原発事故後に福島県が再生可能エネルギー開発に取り組んでいる実情である。2040年に県内の需要総量以上に県内生産の再生エネルギー量を達成する由。これはハワイに比べても5年も早い実装で、そのための努力は並みでないことが詳しく記されている。

 他にも地産地消の実例として、福島県の葛尾村(原発事故前の人口1400人、現在は400人)では、太陽光発電と電気自動車、自営線を使って既に実装している他、東日本大震災の被災地では、災害対策を兼ねた地産地消型ゼロエミッション電力供給として、岩手県の久慈市や野田村、葛巻町、宮城県の南三陸町がある。福島県のLNGガスでCGSを使った新地町や水素を製造したことで有名な浪江町については知っていたが、これ程、多種多様な試みがあるとは知らず、DHC協会として、改めてこの地方を調査しなければと思った。

 ドイツの地産地消としてのシュタットベルケについても、私達専門家以上の鋭い見方で詳しく説明されているのも驚きであった。

 第5章では「東京や大阪でできること」として、2021年の東京オリパラ、2025年の大阪・関西万博を機に、水素活用の現況についての報告としてもさすがである。

 さらに興味深いのは、自宅の世田谷区で地産地消をするには自営線がない限り、非常時の役に立たないため、マイクログリッドの必要性について提言されている。電柱・電線の地中化と同時に、巨大都市での分散電源によるマイクログリッド化は、北海道で体験したブラックアウトを防ぐためにも必要なBCD対策である。電力・ガスの自由化で電力会社は発電と送配電が別会社となった。ガス会社もガスの導管会社とガスの販売会社は別会社となり、ガス管や電力線はすべて託送方式になることから、その利用法を巡って料金や災害時の問題等、沢山の問題が起こってくる筈で、この点についても、この小冊子で様々な問題点が指摘されている。

 第6章「生活者目線で物申そう」というまとめの背景には、20世紀の日本はエネルギーの殆どが海外からの輸入とあって、通産省がすべてを仕切っていた。しかし石油や石炭、天然ガスなどの化石エネルギーの大量消費によって、地球温暖化対策が21世紀の大きな課題となり、環境省の出番になった。その大ボスとして小林先生は身を以て対策に当たってこられたことが、本ブックレットの随所に見られたが、最後に、この問題は経産省や環境省の力のみでは達成できず、私達自身の意志や行動にあることを記されている。

 これを拝読して、小林先生の師である高橋潤二郎先生と福澤諭吉先生の教えであることに気づいた。2011年6月、東大の伊藤滋先生と慶応大の高橋潤二郎先生と早大の私が共編した「東日本大震災からの日本再生」の「刊行に寄せて」で、高橋先生は『東日本大震災の復興再生の主体はあくまで地元住民・地元自治体であって、国や大学等の専門家は、その支援は出来ても主体になり得ないことである。「住民更新」を考慮にいれた新たな住民力の開発が要望される』と記されていること。また福澤諭吉の「一身独立して一国独立す」の名言に思い当たった。エネルギーと環境問題は、まさに明治維新ならぬ令和維新にあると考えさせられた。