Blog135 陣内秀信・稲益祐太編著「アマルフィ海岸のテリトーリオ:大地と結ばれた海洋都市群の空間構造」(鹿島出版会 2025.1.30)を読んで

 

 2025年1月19日(日)、伊豆稲取温泉に家族旅行する前日、本書が贈られてきた。2009年、織田裕二・天海祐希を主演に全編イタリアロケしたサスペンス映画「アマルフィ女神の報酬」の舞台装置を解説してくれるかの如き美しい表紙を見て、「はじめに」と「おわりに」を読み、陣内先生に御礼の葉書を書いて後、本書を伊豆旅行に持参してゆっくり読むことにした。幸い、この旅は「特急サフィール踊り子号」というアマルフィ海岸の如きダークブルーの車体と乗り心地から、車窓の風景も伊豆の青い海と空に似て、本書を読むにふさわしいかと考えてのことであったが、実際に熱海を過ぎて宇佐美から下田までの海岸線は本書のスケールと同じであったが、全く「似て非なるもの」であった。

 本書の調査、海岸とテリトーリオについて読み始めて分かったことは、絶壁沿いの高密度住宅群・教会・商店・広場・ドーモ・道路・小路・内外階段・バルコニー・ベランダ等々、一体化した立体起こし図、俯瞰図、詳細な断面図や平面図に写真を挿入しての頁をめくる度に、限りなく世界遺産都市としての歴史と宗教と日常の生活感覚を与えてくれる本書の密度は、迷宮都市アマルフィの実態を伝えてくれる。

 頁をめくる度に、伊東を過ぎ、東伊豆海岸線の漁港や海岸の砂浜等、遠くに見える伊豆七島の風景は同じに見えるも、都市国家の中心としてのアマルフィ地方では水力発電所や製紙工場、製鉄所まで建設された程の傾斜地で、伊豆よりは大きくて深い谷や河川が連なっている。しかし山奥の山脈には湧水や集落のあるところは、伊豆も同じように思われるが。

 伊豆高原駅は、1970~2020年迄の50年間、私の伊豆山荘の最寄り駅で、城ヶ崎や八幡野漁港は魚釣りの拠点で、季節毎にこの地に遊んでいたから、この別荘地はアマルフィと全く異なる景観であり、テリトーリオであることだけは本書で十分に伝えられた。

 陣内先生は地元のアマルフィ文化歴史センターの支援を得たというが、その分は本書の出版で十分に還元された。次なるステップで、地元の新鮮な食材とワインについての報告が楽しみである。伊豆稲取の銀水荘で出された「金目鯛の姿煮」や地酒の「大吟醸  銀の海」は絶品であり、この点での日本はイタリアに十分「太刀打ち」できると確信した。

 海洋都市国家として世界史的スケールで蓄積されたアマルフィ海岸周辺諸都市の実態を15年間(1998-2003、2010-2017)も調査あれた成果を東伊豆の集落と比較すること自体荒唐無稽に思われるであろうが、20~30年前にイタリアの留学生を山荘に案内したとき、伊豆は自分の田舎と同じ空気で、とても喜んでくれたことを想い出したからかもしれない。

Blog134 家族旅行で稲畑耕一郎先生と再会

 2025年の稲畑先生の賀状に「喜寿になって、中国の大学に3年、栄誉教授として勤務することになったので、3月から当分、中国滞在」との知らせ。

 45年前の1979年末、私の中国滞在中に家族3人(妻と小学生の娘と息子)を中国まで連れてきて下さって一週間、その上、先生だけは2ヶ月も中国に滞在して私の支援をして下さった当時を思い出す再会の機会、1月20日(月)の夕食を横浜のSCANDIAで、45年ぶりに稲畑先生御夫妻と私の家族全員6人の楽しい夕食会をもつことができた。

 何しろ当時の中国は自立更生時代、貧しいながらも日中友好で近代化を目指す中国と近代化の結果、熱くなる大都市への危機感をもつ日本の都市環境学への警告を得るための交換学習の日々であった。今日の地球環境問題を考えれば、今一度、昔の中国のあり方を再考する時に思えての再会であった。

 ところで、5年程前に伊東山荘を売却したお金で、年一回の家族旅行をすることになったが、正月は余りに宿代が高価な上、サービスが悪いことから、正月明けの1月19日(日)、巨大駅舎になった新宿南口の5番線から特急サフィール踊り子(Saphir ODORIKO)のプレミアムグリーン車へ。車体のダークブルーはフランス語の“SAPHIR(サファイヤ)”を意味し、「伊豆の海と空」をイメージすることから名付けられた特急だけに、なかなかの乗り心地であった。

 熱海はインバウンドに犯されている昨今に比べて、伊豆稲取のホテルは十分に空きがある上、「銀水荘」の料理、特に金目鯛の姿煮と地酒「銀の海」は絶品であった。

 幸いにも翌日の下田は天候にも恵まれ、白浜神社から爪木崎の水仙と白浜の景観は実に美しかった。何度も下田を訪れて気になっていた下田ロープウェイで寝姿山の遊歩道を歩いて、下田港や伊豆七島を見渡し、すっかり解放されての旅人気分。

 幸い帰途も最後のサフィールの乗車券が入手できて、下田から横浜駅へ。
 巨大な横浜駅から、みなとみらい線で「日本大通り駅」下車。優雅な県庁舎からSCANDIAの見慣れた建物へ。そして稲畑夫妻と家族の昔話に至福の時間を過ごした。

Blog133 村上陽一郎著「科学史家の宗教論ノート」(2025.1.10 中央公論新社)を読んで

 Blog50で、2022年2月出版の「エリートと教養」の六章で生命と教養についての考えを示され、次は「宗教」との予告通り、今度、本書を出版された。しかも実に分かり易く、科学史家としての立場で。

 本書の出版前に、2022年10月に「専門家とは誰か」(Blog74参照)を、また2023年9月には「音楽 地の塩となりて」(Blog94参照)を出版された。体力の限界と聞いていた先生が次々と出版される様は、建築界の先達で、1967年に文化勲章を受章されてなお、これが最後の遺作と称しながら、その後の作品の方が多かった村野藤吾(1891-1984)先生のことを想い出す。

 村上先生に宗教について書いて欲しかったのは、Blog102(2023年12月)「原発鎮守として、各地の一宮から鳥居を勧請する夢」を報告し、さらに2024年10月に「都市環境学を開く」(鹿島出版会)の第1章で「原発の使用済み核燃料の廃棄保存や緊急事態の住民避難を考えれば、科学的に「安全」を保障することは当然として、「安心」については神頼みとして、各国一宮からの鳥居の勧請で周辺住民は氏子となることを期待しては如何かと。結果は、多くの友人達から原発の安全安心を放棄して再稼働を容認する無責任な発想として非難されることになった。

 しかし今日、原発の再稼働が次々に進められ、第7次エネルギー基本計画でも原発推進を容認するしかない現状を考えると、原発周辺に生活する住民側の立場で考える限り、原発からの「災い」や「穢れ」を取り除く仕掛けとして、安全・安心の守り神である地域の一宮を勧請するという私の考え方についての賛否を村上陽一郎先生に聞きたいと願っていた。

 かくして、私が本書から学んだことは、全ての宗教は「知る」と「信じる」ところを起源として、「人類は本能の壊れた動物である。本能の中に具備されている筈の欲望抑制機能を破壊してしまった結果としての産物が原発であると考えれば、人間がその回復を託した宗教によってしか今日の原発に対する住民の安心が得られない」と解釈してよいであろうが、こんな無責任な解釈をした上、本書を勝手に解釈することで、私の自己実現の一如にさせてもらう幸せを宗教が与えてくれることも学んだ。

 読後感は実に爽やかで、今日のロシアのプーチン大統領がウクライナを侵攻した理由やイスラエルのネタニヤフ首相がガザ地区での非人道的空爆を続ける理由、さらにはイスラム教のコーランはムハンマドの口伝であることは知っていたが、メッカとメディナの両方が聖地である理由やインドネシアのイスラム教の実態、インドのモディ首相の言動なども本書で学ぶことができた。昨今読んだ本で、これほど短時間に多くの理解できない社会現象や世界状況まで知ることが出来たのは、教養としての宗教をベースに、「知る」ことと「信じる」ことの意味が分かったからか。AIが科学と宗教を結ぶ鍵であり、デカルトの「もの」と「こころ」についてまでも。

       科学史家の宗教論ノート (中公新書ラクレ 831)

  末筆ながら、終章の「信仰と私」で、村上先生が「信じる」ことと「愛する」ことについて『両者は類似で、平行の現象と言えそうです』という記述、先生自身がカトリシズムに止まるのかについて書かれたこと。私自身が今年の年賀状で『余生は自己実現に努めたい』と書いてしまって後悔していたが、先生の「あとがき」を読んでホッとしたことなど、何はともあれ、本書の恩恵に浴したことに感謝して。

附記

「文藝春秋」2月号の緊急特集「崩れゆく国のかたち」で、ユダヤ教である仏の歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏が「イスラエル・ガザ紛争」について記された文中に「宗教の三段階」と題し、第一段階は、人々は信者としてミサや日曜礼拝に行き、安息日を守る(宗教の活動的状態)。第二段階は(宗教のゾンビ状態)で、人々はもはや信者ではなく、ナチズムなど政治的イデオロギーが宗教の代替物として登場する。第三段階は(宗教のゼロ状態)で、個人レベルの道徳観も宗教的道徳観に由来する社会的枠組みも、もはや存在しない。イスラエルは宗教的に生まれたユダヤ人の国家であったが、今や信仰が崩壊し「ユダヤ教ゾンビ」の段階から、アラブ人と戦うイスラエル人の国家となり、第三段階の「本物のユダヤ人の消滅」した「ユダヤ国家」ではなくなっている。従って「イスラエル建国の父達が『神は存在しないが、神は私たちに国家を与えた』は消滅か?
 「宗教と国家」の関係を論説した、1951年生まれでカトリックの洗礼を受けたエマニュエル・トッド説をこのBlogに附記することを許されたい。

Blog132 「憲法第9条の碑」と「揺らぐ国際規範」について考える

 2025年の川村晃生先生からの年賀状に「甲府市に『第9条の碑』を建立する実行委員会をつくるに当たって、事務局を自宅に置き、運動を始めました」とあった。
 

 丁度この日「ロータリークラブ在籍60年」を書いている最中で、メンバーであった(一財)IDCJの品川正治会長から生前に聞かされた話を引用していた。
『あの悲惨な戦争で日本人は310万人、アジア太平洋では2,181万人(中国ではこれにプラスすること1,000万人)の人々が亡くなった。戦争は、勝つためには敵ならず味方の生命さえも鴻毛の軽きにおく。戦争させない力である憲法第九条2項を持っている国は日本のみである。この憲法を制定する時期だけが日本国に軍がなかった。そんな時期が偶然あったからこそ、この日本国憲法の第九条2項が生まれた。第九条「戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認、2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 私のロータリー歴で最も影響を受け、お世話になった品川正治氏の遺言ともいえる「九条を守れ!!」いう言葉をどのように実践すればよいか分からなかったが、今度の川村先生からの「憲法第9条の碑」をつくるための募金活動を支援するのが第一歩かと考えた。

 この日の朝日新聞の社説で、人道理念(揺らぐ国際規範)で「先の大戦から80年、国際社会が積み上げてきた『人道法』というルールがいともたやすく破られ、人命が理不尽に奪われていく-略-大国による二重基準として、大国の横暴はロシアだけではない。-パレスチナ自治区ガザでの戦争だ-略-ハマス壊滅を掲げた軍事作戦は苛烈を極めた。このイスラエルを米国は「特別な同盟国」として5度の停戦を求める決議案を拒否権を行使して否決し、武器の供与も続けた。
 国際刑事裁判所(ICC)はロシアのプーチン大統領、イスラエルのネタニエフ首相に逮捕状を発行した。前者を「当然だ」と評価したバイデン大統領は、後者については「言語道断」と非難した。米ロや中国はICCに加盟していない。ロシアはICCの赤根智子所長を指名手配し、米国は経済制裁をちらつかせる。」

 日本外交の柱の一つに国連中心主義があり、日本国民は『人の命を守る』民主主義を重視し、憲法や国連・国際法を守るという実績を積み重ねてきた。

 2024年の賀状でも川村先生から「金葉和歌集」(岩波文庫)が送られて、1月12日のBlog108で報告したが、2024年中は毎週テレビで平安中期の日本の一番平和な時代の物語『光る君へ』を楽しませてもらったが、2025年の賀状は「戦争」という大きなテーマを持つことになった。

  1月6日、先ずは近くの郵便局で10口を送金をして、今年の仕事始めとさせてもらった。

Blog131(一社)都市環境エネルギー協会の2025年年頭所感

 大阪・関西万博が、愈々4月13日(日)~10月13日(月)の184日間、「いのち輝く 未来社会のデザイン」をテーマに、大阪市の人工島「夢洲」で開催されるに当たって、当協会も9月1日(月)には恒例の第32回シンポジュームを大阪ガス本社ビルのホールで開催し、翌2日にはEXPO’25会場のバックヤード見学ツアーを計画中です。皆様のご参加を期待しています。

 2024年5月に閣議決定された第六次環境基本計画では「高い生活の質として、ウエルビーイングの実現」を目指すこと。また年末に決着した第7次エネルギー基本計画では、4~5割は再生可能エネルギーとしても、エネルギー安全保障の面から、原子力や化石エネルギーも考え直せざるを得ない状況下にあって、当協会もDXやGX推進法の施行下、企業の脱炭素化投資を後押しする20兆円の国債や2050年に向けてのカーボンフリー達成に当たっての150兆円投資の有効利用を考えざるを得ません。

 こうした国の支援に応えるべく、当協会の2025年度目標は、EXPO’25会場のレガシーを活用しての「大阪夢洲地区BCD・脱炭素化推進委員会」や阪神・淡路大震災から30周年を期しての「神戸三ノ宮駅周辺カーボンニュートラルBCD委員会」の実装を強力に推進すること。
加えて、東京都の地域エネルギー供給における脱炭素化の推進制度の支援で、副理事長会の合意の下に実績を重ねてきた
 ①中央区BCD・カーボンハーフ推進委員会
 ②港区BCD・カーボンハーフ推進委員会
 ③豊島区BCD・カーボンハーフ推進委員会
 ④新宿区BCD・カーボンハーフ推進委員会の実装。
 さらには、令和6年3月、環境省による一般廃棄物処理事業における地方公共団体実行計画ガイダンスに基づき、ゴミ焼却場からの排熱やCO2の有効利用をベースに、
 ⑤横浜都心臨海部BCD・脱炭素化推進委員会
 ⑧名古屋都心部BCD・脱炭素化推進委員会
 ⑨福岡天神地区BCD・脱炭素化推進委員会   等についても再検討する予定です。

 2025年1月には、米国のトランプ大統領の就任で世界状況が一変するとの予測もありますが、今年からは当協会の第7期中期計画の策定に基づいて実績を重ねて参る所存です。
会員皆様の御支援御鞭撻をよろしくお願いする次第です。

Blog130 2024年のOB忘年会で米寿から卒寿を展望

 2024年12月27日(金)、自宅で忘年会を開催することになったのは、Blog126で報告した「米寿祝賀会」と建築会館ホールで「都市環境を開く」を用いた講演会の高揚感もあった。幸い14人もの参加者を得て、NPO-AIUEは私の自己実現の場として活用させてもらうことにした。唯、自民党の裏金問題等、お金の流れに関して、コンプライアンスが厳しくなって、NPOとしてもこの点は気をつけるべしとの意見から、あくまで個人の指定寄附を中心に、テーマ毎にOBの同窓会方式にすることで決着する。

 当日は晴天であったが年末の寒風吹く中庭で、渋田君のピザ窯で焼き上げた特製ピザをメインに、乾杯後、写真の如き室内での賑やかな宴会となり、人生百年時代にあって、こうした共生の場の有り難さを痛感して、再生NPO-AIUEの催事を考えてみた。

 2025年4月には新理事の登録と再生第1回理事会は自宅庭での観桜会として、第2回は6月の総会、第3回は8月の八ヶ岳合宿、第4回は9月2日の大阪・関西EXPO見学、第5回は12月の忘年会を予定する。

 NPO-AIUEの新理事候補は、忘年会出席者である尾島・中嶋*・(熊谷)・市川・吉田*・前川・佐土原*・今泉*・村上*・高口*・原*・渋田*・松原*・(長谷見)他に加えて、支部長の森山・西岡・須藤・依田君他にお願いすることにして、登記は*印の10人を常任理事推しては如何であろう。

2025年度に期待される寄附研究として
1)国際投資研究会(尾島州一・市川徹)
2)八ヶ岳研究会(尾島俊雄・福島朝彦・増田幸宏他)
3)北陸・東海支部の活性化支援(松原純子・西岡哲平・原英嗣・渋田玲)
  富山都心再開発(ギャラリー太田口の活用)や名古屋中心C.N.とBCD計画
4)海外からの水素サプライチェーン調査(吉田公夫・佐土原聡)
5)日本各地のBCDとC.N.研究(中嶋浩三・佐土原聡・村上公哉・増田幸宏)
6)「尾島研究室の軌跡」出版とBlogの発信(尾島俊雄
7)(一社)AIUEの国際会議支援(福田展淳・高偉俊他)
  国際会議(第22回以降の継続支援)
8)NPO-AIUEの理事会と催事の事務局機能(吉田公夫・渋田玲他)

 理事・支部長他の年会費をベースに、研究会は会員個人の指定寄附。毎年1回は支部主催の「この都市のまほろば研究会」。
 以上、OB・OG達との共有可能な自己実現の場を創る。如何であろうか。

Blog#129 三谷産業のベトナム創業30周年行事に参加して

 2024年11月12日(火)~15(金)、ベトナムのハノイ市とフエ市を訪問したのは、三谷産業グループのベトナム創業30周年記念行事に出席するためであった。2006年8月、初めてのベトナム訪問時については「この都市のまほろば Vol.3」でハノイとホーチミン市について記した。フエ市は今回が初めてである。1990年頃から早大の中川武教授や佐藤滋教授等がフエ氏の文化遺産や都市計画の調査をしていたことから、10月28日、佐藤先生からフエ市の状況をヒアリングした結果、非情に興味深い都市で、研究の価値ある都市と考え、三谷産業の三浦秀平氏に早大と交流あるフエ科学大学の訪問をお願いした。

 11月13日(水)、ハノイのHotel du Parc(2022年リニューアル 5星)に宿泊。新設されたHo Guomオペラハウスでの三谷産業の記念式典に出席する。ベトナムの元計画投資大臣VO HONG PHUC氏、日本国特命全権大使の伊藤直樹氏、三谷忠照社長のご挨拶は実に素晴らしかった 。
 ベトナムでの創業者・三谷充氏は大学やグエン・ファン・チャン絵画保存修復などの文化活動を再認識する。夕食はNgon Gardenでのベトナム料理。

 11月14日(木)、三谷のベトナム7社は4拠点に2,400人を雇用。ハノイのACSD社(Aureole Construction Software Development Inc.)は、BIMを中心に活動し、そのオフィスは都心から45分、2009年新設された2万5000社が集中するIT特区にあった。平均年齢30才、離職率10%という超優良企業として、日本の建設業を下支えしている様子に感動する。
午後はハノイからフエ市へ。1時間程のフライトであったが、空港での待ち時間が長く、4~5時間を経てフーン川辺のシルクパスホテル(SILK PATH HOTEL))に到着。
 夕食はベトナム海鮮料理のDuyen Anhで賑やかな夕食会となった。

 11月15日(金)快晴。早朝の散歩はハノイと違って、静かで快適だ。
 8:00~10:00am、フエ科学大学訪問。建築学部長は、2009年頃から3年間、京大に留学したNGUYEN NGOC TUNG氏を中心に8人程の先生方とダン常務の通訳で話し合う。建築学部の先生は23人、学生は5年制で400人、これからのテーマとしては、①BIMでの点群計測、②ハザードマップやスマートシティ、③都市のカーボンニュートラル(JCM)、④交換教授の助成等々について意見交換した後、環境学部の副学長LE LCONG TUAM教授と共同研究の大切さについて話し合った。
 10:00~12:00am、グエン朝王宮の視察。王宮門(午門)、1970年再建された太和殿、太平楼、フラッグタワー、ロイヤルシアター(閲是堂)等々を見学。予想以上に広大で、北京の紫禁城にも匹敵する敷地に点在する庭園や破壊された建物跡地に驚く。多くの観光客と一緒に日本語のガイドについて歩く間、日除けの傘を差しても暑く、一休みして飲んだココナッツの生ジュースは格別であった。
 昼食は家庭料理で有名なCHANでベトナム料理を堪能する。
 午後、2018年開設のACSDのフエ支店を訪問。240人のBIM作業者が働く現場を視察後、ホテルに戻り、フエ空港経由、ハノイ空港から成田空港へ。両空港での延べ5時間以上の待ち時間中、花田光世先生には実に多くの人間関係、特にウェルビーイングのあり方について学ぶことが多く、豊かな時間をもつことができた4度目のベトナム訪問であった(第1回:2006年8月、第2回:2012年9月、第3回:2019年はホーチミンで25周年行事)。

三谷産業ベトナム創業30周辺記念式典
パーティ(オペラハウス)
Office
SILK PATH HOTEL(フエ市)
会食(Duyen Anh)
フエ王宮(午門)

Blog128 三陸リアス海岸エリアにおける「防潮堤の景観」を考える

 東日本大震災から十余年が経過したいま、防潮堤の議論を冷静に振り返り、選ばれた結果が適切だったのか否かを再検討したい。特に、当時の議論において「景観」がどう位置づけられ、あるいは位置づけられなかったのか、景観学の観点から再検討したい。

基調講演:山路 永司 (東京大学)
調査報告:齋藤 正己 (法政大学)
     成田イクコ(センスアップ・プランニング)
     西原 聡 (中央開発)
コメント:尾島俊雄 (早稲田大学)
ディスカッション:発表者ほか

▢コメント
 「景観」とは「主体」から「客体」に向けられた「視線」の存在を前提とする。一般に「客体」である実景をつくるのは建築家(土木技術者)であり、防潮堤の場合、多くは土木技術者である。建築家は実景の創造に当たって「強・用・美」を不可欠とする。防潮堤は高潮や津波に耐える機能(用)と強さに加えて、美しくなければならない。
 「主体」とは、被災地におけるイ.居住者、ロ.漁師等、海で業を営む人、ハ.旅行者(観光客)、ニ.(B/C)の公共事業者。

▢山路永司先生の基調報告に対して
 東北三県に及ぶ被災地全域を十分に調査された上で事例報告として、宮城県南三陸町の志津川周辺に焦点を当て、防潮堤の景観を考察された。当地は、1896年の明治三陸津波で441名、2011年の東日本大震災で620名もの死者を出した。その津波被害の遺構として、南三陸旧防災対策庁舎が残されて、周辺に造られた海拔20mの築山「祈りの丘」公園から市街地を遠望して、自然の風光明媚なリアス海岸の「清水(しず)漁港」や「伊里前(いさとまえ)漁港」の河川改修や大堤防や高台移転の民家を考察。この地は自然景観を保護すべき陸中海岸国立公園内であり、また自然遺産の破壊を禁止したジオパークにも指定されている。美しかった漁港の巨大防潮堤や水辺に近づけなくなった河川改修の大堤防は、景観学の観点から見れば許せない景色であって、景観破壊のモデルといってもよいのではないか。「三陸復興国立公園」と名称変更したことで、これを「創造的復興」と称するのは景観学として許しがたいと考えるが。

▢齋藤・成田・西原さんの報告に対して
 岩手県と宮城県の三陸リアス海岸エリアの防潮堤について検討されて、
①西原報告の岩手県大槌町については、B/Cの土木技術者の立場としては素晴らしい復興事業で、JR山田線の駅舎や水門の景観。しかし、地元のコミュニティや未利用空地が心配。

②齋藤報告の岩手県釜石市の宝来館については、「津波てんでんこ」の教えで、「釜石の奇跡」を生み、高台に学校、低地にラグビー場等、適した防潮堤と逃げる「あり方」をソフト解とする。

③成田報告の宮城県気仙沼市大谷の海岸は、「気仙沼横断橋」や「鉄道駅」や「道の駅」の建設で、巨大防潮堤はその手段として活用。大谷の美しい砂浜や海岸の里海を守る市民参加は有意義。

④石巻市の雄勝町は「日本一美しい漁村」であった筈で、これは南三陸の清水漁港や伊里前漁港と同じで、日本の景観美を破壊。

⑤宮城県の女川町は、適切なまちづくりに成功(海の見える商店街)した様子。

▢日本大震災遺構を中心に世界遺産登録を提言
 東日本大震災の復旧復興に投資された国費は10年間に32兆円(Blog15で、岩波ブックレット(2021年出版)に詳細)、(Blog28で、2021年6月、災害から10年の視察)で、岩手県と宮城県・福島県の各一ヶ所、建設された復興祈念館を見学する限り、その巨大な施設とこれからの維持管理費を考えれば、これを景観学の見地からの対象として世界遺産登録することで観光客を誘致する必要性を痛感した。景観学会での講演を聞きながら、登録申請協力者(案)として、復興庁/東北三県/日本景観学会/伊藤滋/中島正弘/五十嵐敬喜/内藤廣 等の著名人を考えてみた。

Blog127 ブライアン・クラース著・柴田裕之訳「なぜ悪人が上に立つのか」(2024.10.23 東洋経済新報社)を読んで

 2024年10月13日、第21回AIUE国際会議は、2年前に新築された豊洲の芝浦工業大学キャンパスで開催された。日曜の朝とあって、予想より早く迎えのタクシーが到着したので、実行委員長の村上公哉教授の案内で建築学部の研究室や製図室などを案内された。定員240人の施設としては実に素晴らしく、6階の講演会場も立派な階段教室で、第20回のソウル大会にも劣らない施設と準備状況に安心する。

 洪元和会長は総長業務最後の仕事と重なり、ビデオ挨拶。表彰式では名誉会長の私と前会長の尹軍氏が代理。最初に「まほろば賞」受賞者・柴田裕之君の記念スピーチ。

柴田裕之氏
AIUE2024まほろば賞授与式にて講演
(芝浦工業大学 Ceremony Hall)
「なぜ悪人が上に立つのか」
(2024.10.23東洋経済新報社)

 「AIの普及で、翻訳者は不要になるか?」というのが主要なテーマの1つだったが、そのきっかけは、「20歳も若いのだから、これからまだ20年は働いて良い仕事をしてくれ」と私が先日かけた言葉だったとのこと。
 「北朝鮮の正式国名は『朝鮮民主主義人民共和国』だが、最高指導者の金正恩の言動や同国の実情との食い違いを、AIは果たして消化できるのか? また、ロシアの憲法は言論の自由を保障し、検閲を禁じているが、これまた同国の実情とは掛け離れている」と柴田君は言う。実際、ロシア憲法をAIで翻訳すると、原則(1)ロシアは連邦国家であり、(2)三権分立を基礎とする複数政党制の民主主義的共和国である。(3)基本的人権と自由の尊重、(4)経済活動の自由、(5)私的所有権の保護、(6)国際法の遵守、とある。「人間はそうした矛盾を甘受し、本音と建て前を使い分け、忖度もできるが、AIは自ら同様のことをしたり、人間の真意を見破ったりできるだろうか? 含みを持たせた情報の理解や発信、翻訳が可能だろうか? これも、まだAIが人間に取って代われない側面の1つに思える」そうだ。

 それにつけても、町から本屋すら消える状況にあって、是非とも新本を買って欲しいとのこと。最近、彼が翻訳した2冊の本を掲げて見せた。1冊は私がBlog123で紹介した本。これから出版予定の『なぜ悪人が上に立つのか』が2冊目の本で、この表題から「どうして悪人をリーダーに選んでしまうのか?」という疑問が自ずと湧いてくる。イスラエルのネタニエフ首相、ロシア連邦のプーチン大統領、中国の習近平国家主席。そして、私自身が体験してきた近辺のリーダー達――悪人かどうか分からないまでも、どう考えても良い人に思えなかった人が上に立っていたようだ。

 この本の表紙を見ただけで読んでみたくなったが、こんな本をよく出版できたもの。さらには、どうしてこの本を柴田君が翻訳する立場になったのかと。「まほろば賞」のスピーチに感動していただけに、早速、読み始めて、期待と全く違った内容に表題との違和感を覚えた。例によって「訳者あとがき」から読んでみようと思ったら、なんと「訳者あとがき」がない。著者の謝辞を読んで、やはり表題がおかしいのではと考え、翻訳サイトや生成AIで“WHO GETS POWER AND HOW IT CHANGES US”という原書のサブタイトルを訳すと、「誰が権力を手に入れ、それが私たちをどのように変えるのか」「誰が権力を手に入れ、それが私たちをどう変えるのか」「誰が権力を持ち、それが私たちにどのように変化をもたらすか」「誰が権力を持つか、そしてそれが私たちにどのように変化をもたらすか」「誰が権力を手にし、それが我々をどう変えるのか」等々あり、「悪人」という言葉はなく、やはり、これは出版社の戦略かと。

 改めて本書を再読すると、サブタイトルに「人間社会の不都合な権力構造」とあり、著者がキャンプ用のポータブルチェアに座って書いた人生訓で、著者自身が経験した世界各地の人間社会における歴史的不都合な真実をかき集めたものであるとのこと。版元が訳者あとがきの必要なしと考えたと思い、ホッとした。その上で、本書を読ませる「ワナ」としての「悪人」という言葉の持つ意味、「歎異抄」の「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」を思い、立場によって悪人を演じる人生や、実験の範例、さらには大学や刑務所や警察で人間行動が変化する実験研究の成果やサイコパス(PSYCHOPATH=反社会的または暴力的傾向をもつ精神病質者)の人間心理の恐ろしさを記す本書のすごさに脱帽する。

 それにしても、第9章「権力や地位は健康や寿命に影響を与える」、第10章「腐敗しない人を権力者にする」、第11章「権力に伴う責任の重みを自覚させる」、第12章「権力者に監視の目を意識させる」、第13章「模範的な指導者を権力の座に就けるために」の内容は、目下、選挙戦の最中の日本にとっても意味深長だ。本書の最後にくるこれら5つの章を政治家育成塾の教科書とすれば、定価の2,200円は実に安いと思われた。

Blog#126 帝国ホテルでの「米寿祝賀会」の御礼

 2006年1月22日、京王プラザホテルで、恩師・井上宇市先生が仲人された方々や井上研OB・OG100余人で「井上宇市先生の米寿を祝う会」が盛大に開催されるに当たって、木村建一先生や私が世話人をしなければならぬ筈が、井上研の大学院一期生で、日建設計の岩井一三氏が仲間と共に独断で招待者を決めて挙行された。
 それに倣ったのか、今度、中嶋浩三君が仲間を集めて、私のために、帝国ホテル「富士の間」で盛大な米寿祝賀会を開催してくれた。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 最初で最後と考えていた古希と早大退職時の祝賀会は、リーガロイヤルホテルで盛大に開催。その時は、私も一緒に招待者を考えたが、今度の米寿を開催するのは気が引け、その上、高額な会費で出席を無理強いするのはやめてくれと言ったら、私たちが勝手にやることで許して欲しいと。それで井上先生の時を思い出した次第である。

 結論として、教師冥利に尽きる至福の一刻であった。(ご出席の皆様に感謝すると共に、案内が届かなかったOBやOGには私の指示でないことをご了承くだされば幸いである。)

 当日は、建築会館ホールでの国際シンポジウム「都市環境学を開くアジアの未来」の講演で、米寿に出版した本の解説は終わっていたので、司会の高口君、発起人代表の中嶋君、吉田公夫君の挨拶、長谷見君の乾杯に続いて、渋田君が制作した富山・八ヶ岳・東京の仕事場の様子などが映された。

 その後、年代別の代表者・吉田和夫・山田穂積・三浦昌生・福島朝彦・降籏哲人・岡本利之・高偉俊・梶川彩乃君に続いて、留学生の尹軍・王世燁・D.バート君らが想い出を話した後、「都市環境学を開く」を編集した岡・久保田君からの花束贈呈に続き、古希のとき同様、役に立つ舶来のカバンも贈られた。

 私の挨拶として、帝国ホテル「富士の間」での盛大な祝賀会に感謝すると共に、発起人代表の中嶋君をはじめ温かい皆様のスピーチに感無量であること。

 この「都市環境学を開く」のカバーと章扉の写真は家内の撮影である。そして、カバーを開くと、なんと久保田君のサプライズで、1964年東京オリンピックの代々木競技場(世界遺産に登録予定)の屋上で、田中俊六君が撮影した25才の私の写真が印刷されていた!

 この代々木競技場の空調の成功で、井上先生夫妻のアメリカ視察に同行することになり、ニューヨークでは世界博、レバーハウス、WTC、パンナムビル等々を視察して、東京の未来を予測した。この時の体験が全て、その後の私の研究テーマに繋がっている。

 この40日に及ぶ視察の間、私の克明な記録を察して、井上先生夫妻は、私を「メモ魔」で「求道者」と命名された専任講師時代。この60頁のメモをボランティアで清書してくれたのが、中嶋夫人の山根系子さんである。

 その成果もあって、助教授時代のEXPO‘70会場での人工衛星のR.S.を利用してのヒートアイランド現象に関して、NHKブックスから「熱くなる大都市」を出版。この本を清書してくれたのが松原純子さん。

 2008年の最終講義教材として「都市環境学へ」を鹿島出版会から、皆さんの執筆と岡・久保田君の編集で「尾島研究室の軌跡」の2冊を出版した。この2冊が座右の書として、「尾島研究室の軌跡」(続)が今度の「都市環境学を開く」である。

 この著書と、銀座オフィスでの中嶋・渋田・齋田美怜君らとの共著「東京新創造」の2冊と、大好きな帝国ホテルのチョコレートを私からのお礼とした。
 2008年に建築学会大賞、2016年に中綬章を戴いたのは「教育功労者として」であり、皆さんのお陰である。
 最後に、今日まで元気で活動できていることは幸せで、常々、健康に気遣ってくれている家内に限りなく感謝して。
 出席者一人一人にご挨拶して、お開きとなった。