中村桂子氏の「脱炭素社会への疑問-私は炭素でできている」に共鳴する

 8月25日、私のBlog21(2021年3月)でも紹介した(一財)日本開発構想研究所の「下河辺淳アーカイヴス」(Archives Report Vol.17、2021年6月号)に、JT生命誌研究館名誉館長のエッセイが記載されており、その表題を見た途端「よくぞ言ってくれた」と共鳴し熟読する。

 共鳴した一文を勝手に引用しようと、「・・・・・」と書き始め「しまった」と思ったのは、4p程のエッセイでありながら、引用したい文章に下線を引くと、なんと殆ど全てに線を引いてしまったからである。当たり前のことが当たり前に書かれていながら、それぞれに重要な指摘で、エネルギー源は炭素と酸素の化合物でCo2が排出されることや、その一方、人間の生命に必要な炭素化合物は全て生態系の中でつくる循環する炭素によること等、

 太陽と水とCo2あっての光合成で植物が生まれ育ち、その植物を食べ、O2を吸って人間が生きていることを知れば、「脱炭素社会」という言葉では、これからの生き方が見えなくなる。「まず自然の仕組みをよく知り、それを活かした社会に挑戦することこそが生きている人間の選択すべきこと」と諭す中村先生の指摘はさすがである。

 今一つ、さすがと思ったのは、2021年3月、三谷産業株式会社が「Carbon」を創刊したことである。一瞬、脱炭素社会に何故こんなPR誌を出したのかと思ったが、発行人である三谷忠照社長は、創刊に当たり『本誌Carbonは、未来を見据えて“非連続的”な変化を求めるビジネスパーソンの皆さまと、ベンチャー企業を含む異業種との接点を持つことの面白さを分かち合うために創刊されました。私たちの目的は、日本の産業界における一社一社の企業が、業種・業界を超えて新しい結合を生むための“触媒”となることです。』と記している。 

 また、その注として、「炭素」は結びつき次第であること、三谷産業は石炭の卸売からスタートし、当時のスピリットを大切にするとし、創刊号は「未来をつくる地方発ベンチャー」、2021年8月のNo.2では「大学発ベンチャーの潜在力」という刺激的な特集をしている。一民間企業が無料で配布する挑戦と、その斬新な内容に感心し、コロナ禍で明日の見えない日本にあって、中村桂子氏のエッセイや「Carbon」の創刊に勇気づけられた次第である。

「寺田寅彦全集」を再読しての近況

 2021年8月1日、恒例になっていた八ヶ岳山荘での合宿は、コロナ禍の東京緊急事態宣言下にあって9月に延期した。その間に、予定していた池の平ホテルでの八ヶ岳研究会も延期することになったが、バイオマス利用の地産地消再生エネルギーの研究会だけは8月2日開催。財産区や地方自治体の所有する森林の間伐材を利用したチップ工場を共有化する可能性を話し合った。

 同時に、山荘に出向いたのは「寺田寅彦全集」(1961年版、岩波書店、全17巻)をゆっくりと再読するためもあった。何故なら、日本経済新聞の連載小説、伊集院静の「みちくさ先生」に出てくる寺田寅彦と夏目漱石との余りに親密な交流が気になったからである。また、1964年10月の東京オリンピック水泳競技場になった国立代々木競技場の設計に当たっての実験中に寅彦の随筆を読んで勇気づけられ、いつかこのような随筆を書いてみたいと考えていたことを想い出したからである。

 早速、第三巻「電車の混雑について」(大正11年)は、私も九段下(神保町)で早稲田行きの都電に乗り換えていて(昭和36年)、20年間の違いと、戦争の前と後の混み具合を比較していたこと。又、「茶わんの湯」については、東大名誉教授でニュートンの編集長であった竹内均先生(1920~2004)が「継続の天才-竹内均」(扶桑社、2004年)の第二章「学問との出会い」で、「寅彦の随筆を中学時代に読んだことで進路を定めた」と記されている。竹内先生と子息・幸彦氏に、私がNHKブックス「熱くなる大都市」や「らいふめもりい」等の著書を書くきっかけをもらったこと。STAY HOMEの毎日は、この随筆集のお陰で退屈することがなくなった。

 蛇足になるが「災害は忘れた頃にやってくる」の語源も寺田寅彦と言われているが、第七巻の「津波と人間」(昭和8年、1933)の随筆は、そのまま今、発表されても通用することを考えれば、寺田寅彦(1878~1935)の死後、1940年代、60年代、70年代、80年代、2000年代と岩波書店他から全集が出版され続けていることと同時に、夏目漱石(1867~1916)も又、文豪の名の通り大変な漱石全集が出版され続けている。何が継続の秘訣かを考えるに、どの時代も人と人との交流によってのみ継続の文化が生まれる。然るに、コロナ時代の今日、隔離の持続は、文化の断絶を招きそうで心配である。第六巻の「夏目漱石先生の記憶」を読むと、寺田と夏目の関係がさらに良く分かる。

 「みちくさ先生」の後に始まった連載小説、安部龍太郎著「ふりさけ見れば」の主人公・阿倍仲麻呂(698~770、唐で客死)は、奈良時代に遣唐使として留学、玄宗皇帝の官僚となり唐の詩人との親交を示す記念碑のある西安の興慶公園で、私が1980年3月1日、陜西省土木建築学会で「西安市の再開発について」講演した。そのとき記念碑を設計した張錦科先生が共鳴された上、市内を案内して後、日中友好文化交流に貢献する私を阿倍仲麻呂以来の友人と記した書を贈られた。しかし今、1980年代の日中友好交流時代の熱気は消え、米中同様、日中の友好も風雲急を告げている。

 文藝春秋9月号で京都大学の中西輝政名誉教授は「習近平はヒトラーよりスターリンだ - 毛沢東やヒトラーにない「怖さ」がある-」と題して、2020年を境にして、中国は「怖い国だ」「信用できない」という認識が世界中に広まった。中国を好ましくないと見る割合は、アメリカで73%、英国で74%、北欧のスェーデンまでが85%にも上っていること。チベットやウイグル等での人権問題に加え、南シナ海や尖閣諸島での覇権行動を考える時、習近平の「中国はもっと世界から愛され、尊ばれなければならない」との語りかけは、余りにも言行不一致である。世界の国々からみて、今度のコロナ禍の原因探求や対策にも中国に不信が見られ、「怖い国」になっていること自体に気づいていないとすれば、日本人にとっての正念場である。

夏季休業のお知らせ

平素は格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。
夏季の休業期間について、以下お知らせいたします。

2021年8月7日(土)~2021年8月15日(日)

上記期間中にいただきましたお問い合わせにつきましては、2021年8月16日(月)以降にご返答させていただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

市川徹君の「リニア中央新幹線の見直し(案)」に共鳴しての八ヶ岳研究会

 早大教授であった川勝平太氏が静岡県知事として、2020年6月、JR東海の金子慎社長と会談「南アルプストンネルの中間部分の工事許可」は物別れに終わった。その直後の知事選で反対を訴えた川勝氏が4選を果たして、静岡県を迂回するルート変更を求めることも辞さないという。

 こうした新聞記事を持参しての鉄ちゃん市川君の見直し案は、元来3ルートの検討がされており、Aルートは(木曽谷ルート、建設費5兆9600億円)、Bルートは(伊那谷ルート、建設費6兆700億円)、Cルートは(南アルプスルート、建設費が5兆4300億円)で、Cルートが最も安い上に、距離的にも最短とあってJR東海がこの案を進めていたものと同じである。

 長野県はA・B案に賛成で、静岡県がC案に反対しているのであれば、地方の民意でAかB案を検討をするのが民鉄としてのJR東海の使命と市川君は主張する。しかもアフターコロナ時代にあって、東海道新幹線の利用客の減少を考えれば、「東海道新幹線のバイパス路線」の必要性は減少する上、リニアは「中央新幹線」を名乗りながら、中央本線と接続するのは岐阜県内の駅のみで、八王子・大月・韮崎・茅野・諏訪・岡谷・塩尻などの中央本線の主要都市をすべてパスする。したがって、C案では中央新幹線の役割を果たせず、「第二東海道新幹線」に他ならない。中央本線の沿線自治体やJR東日本などは、中央本線の信頼性向上のためには中央新幹線の必要性を認識している筈という。

 さらに、電力消費が4倍も大きいリニアは如何かと問う。アフターコロナ時代のライフスタイルの変化やゼロエミッションを余儀なくされている日本にあって、市川宏雄著「リニアが日本を改造する本当の理由」(2013年、メディアファクトリー)と川村晃生他著「総点検・リニア新幹線」(2017年9月、緑風出版)の二冊を改めて熟読した。結論は、日本の今を考えれば、今一度再考すべきであろうか。

 「八ヶ岳研究会」とは、2013年に白樺湖畔に面した池の平ホテルで、アジア都市環境学会の国際会議と日本景観学会を開催した機会に「八ヶ岳山麓に二地域居住時代の新天地を創る」勉強会である。昨年この研究会に入ってくれた中島恵理さん(48)が環境省を退職して、この8月、富士見町の町長選に出馬するという。現職の名取重治氏(70)との選挙戦というので、ネットで現況を調べてホッとする。二人ともこの地を活性化するには「無投票だと地域の将来を考える機会がなくなる」「まちづくりには活力が必要」との明るい選挙のようなので、是非「リニア中央新幹線を富士見町経由にすべし。そのためにはA or B案を採用すべき」とJR東海やJR東日本のみならず、国や県に働きかける住民運動を起こして欲しいと考えた。8月8日の選挙後には投票数1位が町長で、2位が副町長として八ヶ岳山麓に新天地を創って欲しいと夢みた。

「TOKYO2020オリンピック開催の日」を迎えて

 2021年7月23日(金)早朝、三波春夫の東京五輪音頭“オリンピックの顔と顔 それトトントトトント 顔と顔 待ちに待ってた世界の祭り 西の国から東から 北の空から南の海も オリンピックの晴れ姿 それトトントトトント 晴れ姿~”が昨夜からつけっぱなしのラジオから流れて目覚めた。国民の大多数が反対していたTOKYO2020が愈々開催されることになったのだ。

 西日本中心に猛暑と雷雨、沖縄では台風6号が直撃、気候変動によるドイツや中国の洪水被害に加えて、東京は四回目のコロナ禍の緊急事態宣言下にあって、世界の感染者1億9200万人、死者412万人、日本の感染者85万人、死者1万5千人。東京の感染者は22日(木)1,979人、全国で5,397人。このような状況下にあって、過去最大の33競技に参加する11,000余人のアスリートが既に到着。ソフトボールやサッカーの試合は開会宣言前から始まって、日本が勝っているとのテレビ放送も関心が湧いてこない。無観客の会場に「顔と顔」や「祭り」の雰囲気のない競技場の淋しさがテレビ画面からも伝わってくる。

 2020年から1年延期しても完全なオリパラを開催すると宣言していた安倍総理は既に菅総理に代わって、世界中のコロナ・パンデミックが全く収束していない状態で、組織委員会の森会長辞任をはじめ東京エンブレムの撤回・再公募、ザッハの国立競技場もなく、無観客を予想して設計したとしか思われない隈研吾の競技場は、開会式統括の野村萬斎に代わった佐々木宏は3月にタレントの容姿屈辱で辞任、7月には開会式の作曲者・小山田圭吾が障害者いじめで辞任、開閉会式演出者の小林賢太郎のホロコースト発言から解任との報道に昨夜はすっかり落ち込んでの就寝だった。

 朝のラジオ体操ですっきりしてテレビをつける。世界中は悲惨なニュースばかりに加えて、朝日新聞の22面に建築評論家・五十嵐太郎氏の「国立競技場黄昏の時代の象徴」の記事を読んで共鳴する。1964年10月にブルーインパルスが青空に描いた美しい五輪マークを再び期待していたが、それ程ではなくて、夜8時からすることもなくて、家族で3時間半の長い開会式のテレビ中継を見る。

 国立競技場の外は高いフェンスで、入場を許されない多くの人々が会場を眺めているテレビ中継に呆れながら、直前に解任された小林賢太郎氏のプログラムで、会場では全9章の演出が始まった。先ずは694発の夜空の花火に続いて黙祷。世界に通用する舞台とは思えない淋しい江戸情緒のショーが続いて、アイウエオ順に205ヶ国(地区)の選手団がソーシャルディスタンスをとって、全員マスク姿の不思議な入場である。11,000人中6,000人のアスリートが参加した2時間30分にわたっての入場光景は、テレビの前でも我慢を強いられる。組織委員会の橋本会長とIOCバッハ会長の挨拶、世界中の要人を招いての華やかな開会式でなくて、天皇の開会宣言も「祝い」から「記念」に代替される。

 人工のノズルからの風になびく日の丸やオリンピック旗、福島県浪江町で造られたグリーン水素の聖火の点火式はそれなりに粛々としている。最後は1824基のドローンが夜空に地球を描いて、第32回TOKYO2020オリンピックの幕が上がった。この日は斯くあって然るべしで、せめて平和の祭典になって欲しいと床に就く。

 翌朝の新聞やテレビ報道は、私の体験した開会当日の感想と余り変わらなかった。同時に、海外の報道も又、よく我慢している日本人達との評価に共鳴する。私達のこの我慢で、コロナ禍や台風等で中断されることなく、無事17日間のオリンピック閉会の日を迎えることができれば、世界の国々が体験したことのないオリンピックを日本がやり遂げた歴史をつくったことになる。

吉見俊哉著「東京復興ならず」(2021.6 中公新書)の解は伊藤滋監修「かえよう東京」(2017.4 鹿島出版会)にあるのでは

 

 吉見著の終章、『2021年は、もはや「オリンピック」の年ではなく、「ワクチン」の年なのである。

 第一に、この二度目の東京五輪は、東京の都市構造を再転換する契機にならなかったばかりでなく、多くの人が誤用してきた意味の「復興」すなわち、経済効果でもマイナスの結果しか残さない。

 戦後東京は「復興」を「経済成長」として受け止め、都市がより「豊かに」なることは、「より速く、より高く、より強く」なることだと考えてきた。「東京マイナス首都機能」に向けた多極分散的な都市、具体的には皇室の京都への帰還や諸官庁の地方分散による田園都市構想で、大学都市構想を実現することこそ真の東京復興であり、コロナ禍の先にあるポストオリンピックシティである。』

 吉見は、「序章 焼け野原の東京」では、復興の意義について

「第Ⅰ章 文化国家と文化革命のあいだ」では、最低限度の生活と文化と経済について

「第Ⅱ章 文化首都・東京を構想する」では、1946年、東京帝国大学最後の総長・南原繁が東京の文化復興のモデルとしてオックスフォードを挙げ、その構想として、上野と本郷の文教地区を高山・丹下が、早稲田地区は吉阪・武が、神田は市川・笠原、三田は奥井、大岡山は谷口・清家等が幻の大学都市を描いた。

「第Ⅲ章 より高く、より速い東京を実現する」では、丹下健三の1960年の東京計画が東京湾上に求められ、東京メガロポリス構想へと発展、1964年の東京オリンピックを機に、文化の東京から道路の東京へ転換した経緯を。

「第Ⅳ章 カルチャー時代とその終焉」では、東京からTOKYOへ、大学都市から広告都市、経済バブルの崩壊と中曽根民活は世界都市博の中止と共に、パンデミック禍の東京は先行き見えない終焉下、今こそ、本当の文化都市としての東京復興を成し遂げる時。

 吉見のこの願望を10年程前から知っていた伊藤滋は、「かえよう東京」と題して解答したのが鹿島出版会からの大著と思われる。

 伊藤が自分で筆を入れた7章「大学を活かした東京都心のまちづくり」は、吉見が第Ⅱ章で記した幻の文化首都・東京へのこれからを示したもので、その解が、伊藤の「かえよう東京」構想にあるように思われたが。

小林光著の「エコなお家が横につながる」を読む

 元環境省事務次官で、東京大学客員教授といういかにも堅物風の経歴の人が、自身の体験と私生活を露出しての出版「エコなお家が横につながる」(「エネルギー使いの主人公になる」シリーズ1、2021年6月5日、海象社)を熟読する。

 内容は、21年間も自宅(東京都世田谷区)羽根木エコハウスの実践で経験したことや、再エネ電力の活用に尽力されている現場を取材、再エネ電力を多く使うよう訴える、海象社ブックレットのシリーズ第1号である。

 主旨は、エネルギー政策には下克上が必要とあって、この分野は革命最中にあり、私達の日常にもこれから大いなる変化が起こることを予告している。

 第1章「エコハウスを建てた」では、羽根木の自宅で21年間、建て替え前に2100kg/年CO2排出量が、建て替え時1400kg/年と35%減(OMソーラー(株)による内訳のシミュレーション:高断熱による暖房削減31.9%、太陽光発電27.5%、太陽熱床暖房による暖房削減24.3%、太陽熱給湯11.2%、高断熱による冷房削減1%、インバーター蛍光灯0.1%、節水0.1%、その他0.9%)。それから毎年減らして、今日500kg/年と75%も削減した。

 第2章「今住んでいる家でできること」では、電力自由化で、東京電力のみならず東京ガス他、種々の会社が電力を売り始めたが、少しでもkWh当たりCO2発生量の少ない電力を買い取るためにはどうしたらよいか。冷蔵庫やエアコン、テレビ、照明器具など、最近、革命的に効率を上げていることから買い換えが必要。窓やガラス戸の断熱は有効で、そのリフォームは特に効果的であるが、そのためにどうしたらよいか。その他にも、蓄電や直流ワールド他、専門家顔負けの知識である。

 第3章「お家をエコにすると良いこと」では、LEDにすると5年で償却、羽根木のエコハウスは省エネで快適に生活できた上に、35年で償却できた等。

 第4章「共助でエコな生活をするには」では、人口15万人のアメリカの街は、市が再生可能エネルギー起源の増大を図り、ダイナミック・プライシングでピーク需要を減らすなど温暖化対策に取り組んでいる。また、ハワイでは、電力会社が2045年までにゼロエミッションを達成するためと同時に、低所得者対策も実行するプロジェクトを展開。

 日本の島々でも、宮古島や来間島でハワイ電力以上のスマートグリッドの実現に成功していること。現地での調査で、日本でもやればできることを立証している。

 私が注目したのは、福島原発事故後に福島県が再生可能エネルギー開発に取り組んでいる実情である。2040年に県内の需要総量以上に県内生産の再生エネルギー量を達成する由。これはハワイに比べても5年も早い実装で、そのための努力は並みでないことが詳しく記されている。

 他にも地産地消の実例として、福島県の葛尾村(原発事故前の人口1400人、現在は400人)では、太陽光発電と電気自動車、自営線を使って既に実装している他、東日本大震災の被災地では、災害対策を兼ねた地産地消型ゼロエミッション電力供給として、岩手県の久慈市や野田村、葛巻町、宮城県の南三陸町がある。福島県のLNGガスでCGSを使った新地町や水素を製造したことで有名な浪江町については知っていたが、これ程、多種多様な試みがあるとは知らず、DHC協会として、改めてこの地方を調査しなければと思った。

 ドイツの地産地消としてのシュタットベルケについても、私達専門家以上の鋭い見方で詳しく説明されているのも驚きであった。

 第5章では「東京や大阪でできること」として、2021年の東京オリパラ、2025年の大阪・関西万博を機に、水素活用の現況についての報告としてもさすがである。

 さらに興味深いのは、自宅の世田谷区で地産地消をするには自営線がない限り、非常時の役に立たないため、マイクログリッドの必要性について提言されている。電柱・電線の地中化と同時に、巨大都市での分散電源によるマイクログリッド化は、北海道で体験したブラックアウトを防ぐためにも必要なBCD対策である。電力・ガスの自由化で電力会社は発電と送配電が別会社となった。ガス会社もガスの導管会社とガスの販売会社は別会社となり、ガス管や電力線はすべて託送方式になることから、その利用法を巡って料金や災害時の問題等、沢山の問題が起こってくる筈で、この点についても、この小冊子で様々な問題点が指摘されている。

 第6章「生活者目線で物申そう」というまとめの背景には、20世紀の日本はエネルギーの殆どが海外からの輸入とあって、通産省がすべてを仕切っていた。しかし石油や石炭、天然ガスなどの化石エネルギーの大量消費によって、地球温暖化対策が21世紀の大きな課題となり、環境省の出番になった。その大ボスとして小林先生は身を以て対策に当たってこられたことが、本ブックレットの随所に見られたが、最後に、この問題は経産省や環境省の力のみでは達成できず、私達自身の意志や行動にあることを記されている。

 これを拝読して、小林先生の師である高橋潤二郎先生と福澤諭吉先生の教えであることに気づいた。2011年6月、東大の伊藤滋先生と慶応大の高橋潤二郎先生と早大の私が共編した「東日本大震災からの日本再生」の「刊行に寄せて」で、高橋先生は『東日本大震災の復興再生の主体はあくまで地元住民・地元自治体であって、国や大学等の専門家は、その支援は出来ても主体になり得ないことである。「住民更新」を考慮にいれた新たな住民力の開発が要望される』と記されていること。また福澤諭吉の「一身独立して一国独立す」の名言に思い当たった。エネルギーと環境問題は、まさに明治維新ならぬ令和維新にあると考えさせられた。

 

東日本大震災(津波)から10周年(B)

 2021年6月10日(木)、東京を早朝出発。東北新幹線(はやぶさ5号)内で渋田玲君と合流して、午前9時、仙台駅東口のトヨタレンタカー店でアクアに乗る。12日の10時迄にJR八戸駅前のレンタカー店に返却する乗り捨て方式で、三陸自動車道で「石巻南浜津波復興祈念公園」に直行する。

 石巻港I.C.から石巻工業港(外港)を通過すると、日本製紙の煙突やバイオマスチップの巨大な山が現れ驚く。これまで旧北上河口の内港や漁港の被害のみに心を奪われていたが、工場地帯でも大きな被害があったことに気づく。

 石巻南浜復興祈念公園は今年3月末に開園したものの、周辺は今も整備中で、南端の雲雀野駐車場から徒歩で「みやぎ東日本大震災津波伝承館」へ。UFOの如きで、円形屋根の高さは6.9m。この地を襲った津波が到達したときの高さという12分のビデオに改めて緊張。一丁目の丘(築山)の標高10mから、40haの公園全体像と共に、4000人の死亡者(津波に加えて火災の延焼で500人も亡くなられたことを、このビデオではじめて知る)。

 何度か登った日和山の眺めは感無量。予定した時間を越えて善海田池や堤防を視察。想い出多い内海橋(新設)を渡って石ノ森漫画館と旧石巻ハリストス正教会教会堂へ。東西内海橋は撤去されたようでアプローチに迷ってしまった。すっかり解体・再築された市指定文化財として機能している旧ハリストス正教会の建物案内者と話し合う。中瀬公園周辺はすっかり変わったことについて、ボランティアガイドらしき案内者から贈られた令和3年3月改定の「いしのまき案内地図」やこの木造のハリストス教会が奇跡的に流されずに残ったこと、解体・再築された話を聞くにつけ、10年前同様、この公園のシンボルとしての石ノ森漫画館とこの小さな木造教会が、この地の大きなランドマークになり続けていることを実感する。「この都市のまほろばvol.7」をこの女性に返礼として贈る。

 石巻駅から石巻マンガロードとして賑わった通りや石巻港線沿いの鮨店や料理店等が、津波の心配なき土地に移転したことを知り、10年前の美味かった料理店をスマホで調べると、新しい三陸自動車道のI.C.近くに見つける。昼食は割烹「浜長」のミニ海鮮丼、やはり美味かった。

 津波伝承館でのビデオや写真、展示品の数々から、津波の脅威と生命の大切さを教えられ、当地訪問毎に痛みが強くなることに気づく。今度の視察目的は、国営の3つの祈念公園と気仙沼市東日本大震災遺構等を10年後の世界遺産に登録するため、現況を調べることを再確認した上で、R45と併走し復興道路として十分に機能している三陸沿岸道路E45で気仙沼へ。

 気仙沼の被害状況が一望できる場所に、市民を中心に建設されたという「陣山」の気仙沼市復興祈念公園は確かに良い立地で、狭いところであったが眺望は抜群であった。復興著しい港湾や新築された気仙沼湾横断橋(かなえおおはし)と大島への新橋も気仙沼市の新しい観光施設になっていた。その一方で、火攻め水攻めの地獄絵を展開した鹿折地区の災害復興住宅群は、何故か生気なく淋しく思えた。「陣山」直下で何度か訪ねた五十鈴神社の神明崎浮見堂前に、サッポロホールディングスの支援によって三代目となる恵比寿様の銅像が再建されていたのは嬉しかった。

 NHKの朝ドラ「おかえりモネ」の舞台になっている大島へ新しい気仙沼大島大橋(鶴亀大橋)ができていたので直行する。ロケ地はどの辺か分からぬまま、田中浜や浦の浜を見て、浦島トンネルと乙姫トンネルを結ぶ気仙沼大島大橋を再び通って、気仙沼湾横断橋へ。NHKスペシャル「あの日から8年 黒い津波」で、気仙沼湾のヘドロが津波の黒い水となって市民の命を奪ったという番組を見ていたので、状況を連想せんとしたが、ピンとこない程に美しい湾景である。

 この日に泊まった気仙沼プラザホテルからの夕日や露天風呂からの漁港の景観は余りに美しく、10年前、このホテルが体験した戦場の如き慌ただしさに比べて、この日は唯々静かで、美しかったのは、コロナ禍の週日であったからか。気仙沼漁港に並ぶ漁船が全て真新しく勢揃いした景観は、禍い転じて福となったように思われた。しかし内情は、地元民の生活苦が予想以上とあって、それどころではないことを、夜、マッサージ師に教えられた。

 翌6月11日(金)、コロナ禍とあって大広間の朝食は2~3組、昨夜の夕膳や朝食に並ぶ地産地消の食卓の豪華さに驚きながらも、少しでも地元復興に寄与すべくと、男山の地酒をしたたか飲んだ上、深夜のNHK BSテレビ「天安門事件30年」の再放送を最後まで見てしまって、寝不足。

 E45で陸前高田市へ。見覚えのある気仙大橋を9時前に渡って、新設の国営追悼記念施設「高田松原津波復興祈念公園」入口へ。車のナビが開館は9時と告げたので、街中が高台に移転した大船渡線の北側、300haもの土地を8m盛り土造成した新市街地へ、シンボルロードを走る。

 BRTの陸前高田駅の広場に面した気仙大工の技や地場の素材を最大限活かして設計したという隈研吾氏の「まちの縁側」に入る。『気仙大工の家には必ず南側に縁側があるという意味で、ゼロからつくったかさ上げ地のまちの南側端部、家でいえば「縁側」という意味からの巨大な木造公共施設である。当地を訪ねるすべての人に優しい拠点となる観光や福祉、子育て支援、市民の交流、相談の場として、2020年1月末にオープンした複合コミュニティ施設である。

 隈さんや内藤さんをよく知っていると話したら、ボランティアガイドの説明が一段と熱を帯び、この地のまちづくりや公園の素晴らしさを話してくれた。

 彼等の説明資料『内藤氏の公園設計の主旨は、伝承施設と新しい道の駅を含む建物は全長160mで、復興の軸の上にゲートのように配置されており、正面の壁には追悼の意を表すために、亡くなられた方たちの数である18,434個の穴(2018年3月11日時点)が開けられています。海に向かう祈りの軸の線上には、手前に「鏡のような水盤」、緩やかに降りていったところに「式典広場」と「献花の場」、さらに防潮堤の上に「海を望む場」が設けられています。』

 良く出来たパンフレットで、この案内に従って現地を視察することにした。この地を次世代世界遺産として登録することによって、日本のみならず、世界中で自然の恐怖に立ち向かった当地の人々の記憶が永遠に語り継がれる施設になると考えた。東北大震災での津波対策に日本が国家予算の50%に相当する復興費を投下したのみならず、自然災害に対する体験を忘れないためのレガシーとするための研究はこれからが大切である。内藤廣氏は東大土木工学科の教授を務めたことが、この施設計画の素材選定やスケール感覚、堤防や河川の水辺計画に役立っているように思えた。世界遺産登録申請はこの施設を中心にすべきか。

 この地で予定以上の時間をとってしまったので、大船渡駅や盛駅の周辺は立ち寄りだけにして、また唐丹の柴先生や神田先生の別荘もE45から遠望して、「釜石市民ホールTETTO」と千葉学氏の釜石市復興住宅を一見し、「幸楼」へ。予定の11時30分、若女将に「この都市のまほろばvol.7」を贈呈して、10年前に市長や校長等との復興戦略を話し合った修羅場を想い出しながらの昼食。本田敏秋遠野市長や野田武則釜石市長も健在とあって、今日の復興と今後の市勢について話し合う機会を「幸楼」で今一度話し合うことが出来ればと考え、早々に鵜住居駅へ。

 鵜住居駅周辺の区画整理や駅から見える復興スタジアムや市民公会堂、小中学校の使われ方を考えると、新日鉄のような巨大産業拠点の必要性が今更不可欠に思えてくる。宝来館や大槌町文化センターも今一度見たかったが、八戸までの道程を考え、宮古の田老堤防に直行する。田老観光ホテルの津波遺構や周辺の整備状況は、野田村で内藤廣氏が防潮堤を三線堤で構成するようにアドバイスした津波対策に比べて分かりにくい。

 NHK朝ドラの「あまちゃん」ロケで有名になった久慈市では、三陸鉄道の北リアス線の始発駅とJR久慈駅に立ち寄る。すっかり当時の活気は消えて淋しき駅前と町並みになっていたので、八戸へ直行する。E45復興道路は一段と整備されて、BRTの路線の如き道を50km。30分もかからないで青森県の階上I.C.に到着する。海岸沿いのウミネコラインに入らんとしたところ、交通規制で大きく迂回させられる。2020東京オリパラの聖火ランナーが走っていたためだった。種差海岸やウミネコの繁殖地として知られる蕪嶋神社は7年前のまほろば取材時見れなかっただけにゆっくりと散策、本八戸のドーミーイン本八戸へ。この夜は「蔵」という居酒屋風の料理店でせんべい汁と八戸酒造の「八仙」で昨夜の睡眠不足を癒やす。

「北海道・北東北の縄文遺跡」の世界遺産登録を祝して

 2018年11月27日、上田篤先生の体調から東京での研究会開催が困難となり、5年続いた縄文社会研究会は「京都部会」と「東京部会」に分け、別々に開催することになった。全体の会長は、名誉会長として上田篤先生が、顧問は尾島、東京部会の会長は松浦氏、副会長は雛元氏、事務局長に山岸氏と決めた。

 2019年4月7日、東京部会の第1回目は、法人化することで会員を増加させ、会計処理を容易にすることを決める。また雛元氏は、縄文文化を文明とすれば、日本文明は5世紀を起源とするハンチントン説を1万年以上も拡張することができ、日本文明は世界一長期の文明として、第8の付属的世界文明ではなくなるとの提言。この提言は、上田篤先生も長年考えていたところと思われる。その証拠に、上田先生は既に日本建築の木造様式は2万年も継承されてきたことを、雑誌「環」の特集「ウッドファースト!建築に木を使い、日本の山を生かす」(2016年5月10日、藤原書店)の編集をされたことに加えて、京都部会では「建築から見た日本~その歴史と未来~」(2020年10月30日、鹿島出版会)の編集に、京都部会のメンバーを中心に全力を投入されていた。

 その結果として、1万年以上続いた縄文百姓の住居や祭柱の建築技術、縄文以来のライフスタイルや価値観、特に民家は弥生や平安、戦国、さらには現代に至るまで不変と説く。少なくとも、この考え方は上田説と考えられるのみならず、日本の代表的建築界のオピニオンリーダーの合意として、分担部分執筆させたことである。その辺の状況について、田中充子氏は「あとがき」で立証している。

 この京都部会の努力に比べて、東京部会は、コロナ禍とあって、2020年8月、雛元、山岸、尾島等が八ヶ岳山麓で合宿したぐらいである。唯、尖石縄文考古館、井戸尻考古館、中ッ原・阿久・平出遺跡の他、黒耀石の星糞峠、諏訪大社の上社前宮・本宮、神長官守矢資料館等、精力的に調査した結果から、縄文の世界遺産には当地こそ世界遺産登録すべき所で、そのための研究を各自の方法で進めることになった。

 2020年10月、上田篤+縄文社会研究会編の出版を機に、東京部会として、登録に詳しい五十嵐敬喜法政大名教授にこの件を相談する。「北海道・北東北の縄文の遺跡群」が2006年から先行しているので、「少なくとも、その邪魔をしてはならない」との五十嵐先生の説得があった。

 2021年5月にはユネスコの勧告で、これが世界遺産登録確実になった。主な遺跡は①BC1万3000年前の大平山元遺跡は簡素な居住地、②BC5000年前の田小屋野貝塚、三内丸山遺跡は集落の施設が大規模であること、③BC2000年前の大湯環状列石の祭祀場。

 それにしても、1万年以上の時間に加えて空間の分散した縄文遺跡を世界遺産に登録し、保全し続けるためには、地元4道県の関係者の苦労が充分に理解される。それだけに、どのように努力したかについて新聞各紙が多様に伝えてくれるのを詳読しながら、改めて五十嵐先生の忠告に感謝する。

「熱くなる大都市」から「地球温暖化」対策を考える

 日本建築学会「建築雑誌」(2021年5月号)の特集17(暑くなる日本-蒸暑アジアからの挑戦)の論考1に、飯塚悟名古屋大学教授の「日本はどこまで暑くなるのか、そのとき建築や都市はどうあるべきか」、論考2にシンガポール国立大学の「Jiat-Hwee Chang氏とJason C. S. Ng氏の「エアコン近代から低炭素社会へ」という論文があり、この二編に注目した。

 後者の「シンガポールはいかに気候変動の危機に対応しているか」については、一昨日、OGでPwCの田頭亜里さんから「シンガポールの巨大な新都市における地域冷房事業に関して、日本で初めて地域冷暖房を導入した経験をもつ先生の意見を聞きたい」との連絡があった。

 横浜のMM21の地域冷房から学んだというマリーナベイ計画は、目下、大阪・夢洲のEXPO’25とIR計画でも、その事業のあり方を中心にゼロエミッション対策を検討中であった。今や、地球環境への寄与なしの単なる事業収支では、日本からのコンサル業務としてはならないと話したばかりであった。

 シンガポールを筆頭に、ASEAN各国の冷房普及は、個別エアコンの段階から大規模な地域冷房事業へと発展している。1972年に私が設立して、今年で50周年を迎える(一社)都市環境エネルギー協会にとっても、こうした国際的プロジェクトを支援すべく、環境省や経産省、JICA等に協力していたところであった。

 論考1の飯塚教授の論文「日本の東京・大阪・名古屋の最近100年間の平均気温上昇は3.2℃、2.6℃、2.9℃と中小都市の1.5℃上昇に比べて、地球温暖化の0.75℃上昇に対する割合は2.5~3.3倍大きいこと」、また「IPCCの報告である2081~2100年の平均気温上昇4.8℃の予測から、人口減少や省エネが予想される日本の三大都市の気温上昇はこの値以下である点に着目。大都市の都市計画を考えるに当たって、IPCCの地球規模での気候予測モデル(「温暖化ダウンスケーリング技術の建築・都市環境問題への活用に関する研究」で日本建築学会賞(論文)を受賞)を利用し、名古屋市を例に、2030年、2050年、2070年、2090年の気温上昇の状況を算出している。」

 2005年、国交省のヒートアイランド研究会で、スーパーコンピュータを用いた東京のヒートアイランド状況を算定した足永靖信(国総研室長)氏の東京ヒートマップ(CFDによる東京23区全域の熱環境解析)は、東京のヒートアイランド現象を緩和するに当たって、海からの冷風をとり入れる「風の道」研究に役立ったこと。今や脱炭素を目指し、2050年までのゼロエミッションを達成するためには、日本の大都市計画に、飯塚論文は大きな成果で、役立つことは確かである。

 1970年の大阪万国博会場で、世界最大規模の地域冷房を設計した結果、300haの会場に展開したパビリオンや駐車場が、千里の緑の丘をコンクリートと冷房排熱による熱汚染でヒートアイランド現象を起こしていることが人工衛星(ランドサット)からのリモートセンシングで見える化したことから、NHKのTV放送で大きな話題になり、NHKブックスから「熱くなる大都市」(1975年6月)を出版した。その本を高校生時代に読んだのがきっかけで、今やヒートアイランド研究の第一人者・足永靖信氏があることを考えると、OBの飯塚悟君が、IPCCの最先端情報から都市のヒートアイランド現象を予測することによって、日本の企業がASEANの都市計画にとって貴重な情報を提供することになるであろうことは嬉しい限りである。

 昨今では、気象庁のヒートアイランド情報が、毎年、大都市の夏・冬について図解報道されている。こうしたエビデンスに基づいてのまちづくりを考えると共に、大都市に住む私達の日常生活をゼロエミッションにすべく努力すると共に、現役第一線で活躍しているOB・OG達の活躍を見守ることができるのも、ウイズコロナ時のなぐさめであろうか。