現代総有研究所のパネルディスカッションに参加して

日本の社会では「建築自由」という表現で、建築家は、大都市あっても田舎にあっても、周辺環境を無視して、勝手に粗大ごみを造り出すと評価されているようです。しかし、日本には戦後60余年間、建築基準法があり、この法に依らぬ限り、建物は造ることすらできないという、世界で最も「建築不自由」な国であること。(建築基準法は法律的には禁止法の一種であると考えてよい)を知ってほしい。

もっとも、この法律に依っている限り、建築家や建設業者は建物が地震等で崩壊しても、その下敷きで死者を出しても、刑法上のみならず社会的・経済的責任が問われないことを考えれば、建築自由との評価はこの面では事実であるといえます。ヨーロッパや中国等に見る羅城都市にあっては、市民の安全に関する責任は都市の管理者が責任をもつことから、シビルミニマムとして、個人所有が多い建物は都市側の要求の下にあり、日本に比べて「建築不自由」との評価がされてきたと思います。

日本の多くの都市は城壁のない城下町の歴史をもっているため、市民意識(シビルミニマム)は少なく(戦争や大火の時には焼け出されて当たり前)、そのための景観(日照権など、やっと最近の法律で守られ始めているも)、一般的建築物の所有権者には景観三法もザル法にしか思われていないのが現状です。都市計画法で各種線引きはあっても、城壁の歴史をもたない日本の国民には未だに理解されていないように思われます。

このシンポジュームで実感した現代総有研究の面で考えるに、建物と土地の価値評価は基本的に異なることです。前者は人間が造った人工物であり、その建築物は竣工時(確認審査及び完了検査時)における強・用・美は、その瞬間から劣化を始める。特に躯体である構造・材料等の強度は必ず劣化する。インフィルとしての設備などは、その機能や性能劣化の進み具合は早く本来の用を果たせなくなる。

また流行に敏感な美については、ファッションのみならず景観的評価も周辺の状況の劣化と共に、その美的価値観が変わってくる。RC造やS造では50~60年で50%、木造では20~30年で50%も劣化し、残存価値が半減するといわれる。

しかしながら、日本の建築基準法では、この経年変化に対する評価基準が曖昧で、度重なる改正で、12条などで法定点検や機能維持が求められているも、耐震診断などの義務(公表)は無いに等しく、建物の管理者に一任されてきた。特に問題なのは、マンション等にみる区分所有ビル等の場合、管理者のみならず、素人のテナントには国が一度認可した建物であり、法的に既存不適格を認めている以上、劣化は無いに等しいものと信じている(信じたいとしている)ため、40~50年すれば建て替えは不可欠であることを本当に知らないのではないか。

「諸行無常の響き」ならぬ形あるものは無になる典型として、建物は竣工と共に劣化し、無になる宿命を持っていることを考えれば、区分所有者の所有権であるマンションの区分所有権ははじめからなくなるものと考えるべきである。