Blog#118 久し振り2024年度早大建築学科の環境系OB会である「七月会」に出席

 7月5日(金)、10年ぶりに早大建築学科の環境系研究室が順番で主催している「七月会」に出席する。
 乾杯の前に一言挨拶を、と言われて『2008年の定年退職時の最終講義テーマは「未完のプロジェクトⅩ」で、教材に「都市環境学へ」を出版。その12章「未完のプロジェクト実現に向けてⅩ」について、2007年開設した銀座尾島研究室で継続研究して10年余、コロナ禍で銀座から練馬へ移転して、その活動を続けていると共に、(一社)都市環境エネルギー協会の理事長として、国土強靱化策の一環で、CGSによる分散電源を推進、2050年対策としてのカーボンニュートラル推進に当たっては、水素等の普及調査活動をしている。

 幸い、大学時代からよく遊び、よく学ぶ方で、このように身体は頗る元気なので、今も研究活動を続ける。諸君もよく遊び、よく学んで、更なる活躍を祈る次第』と。

 思えば、1970年代までは木村幸一郎教授と井上宇市助教授時代、卒論が始まる7月、大学院生と共に湯豆腐会を始めたのがきっかけで、この会が盛大になったのは、1980年代の井上宇市教授時代で、建築設備系の学生は早大では機械や電気工学科にもOBで活躍する人が居たことから、「建築設備研究会」に改めたのがベースになる。しかし、既に木村建一研や尾島研では建築設備系以外に金融機関やエネルギー会社等への就職者が多くなり、「建築設備研究会」では入会できないOBも居て、「七月会」と名称を変更した筈。

 その上、研究室単位のOB会があまり盛大になると稲門建築会とバッティングするということで、研究室単位のOB会はやめてくれと言われ、私が稲門建築会の会長時は「七月会」への出席を見合わせることで、稲門建築会に「七月会」の存続をお願いした経緯があった。しかし、もう時効と考えての今回の出席である。

 気がつけば米寿の年齢に至って、早大退職時の「都市環境学へ」の(続)として「都市環境学を開く」の出版を鹿島出版会に依頼中である。

 久々に出席した「七月会」は、環境系の教職にあった石福昭・木村建一名誉教授の出席はなく、現職の田辺新一教授の会長挨拶は一言で、高口洋人教授と伯耆原 智世講師の時代である。

 長谷見名誉教授に新任の伯耆原講師を紹介してもらって、高口君と4人で富山の職藝学院について相談する。また、OBの松村亘君や大西君たちとDHC協会で近況を伺う会をもつことになった。

 18:30からの56号館カフェテリアでの懇親会に一時間ほど参加する間、尾島研OBの村上正吾君から始まって、牧村功君の建築基本法制度に当たっては、小川富由さんと神田先生との話し合いの必要性をアドバイス。井上研OBの板谷敏正君が客員教授になったとの挨拶あり。三機の清水君にはアーカイブスでお世話になったこと、相変わらずの外岡、柴田、前川、辻村、大竹君等もなつかしく、DHC協会で世話になった木村研OBの堀川、小野島、伊香賀君等との懇談も実に有意義であった。

 田辺君とは2018年、州一が白川君と開設した中華店での「五人会」以降、5年以上も中断していたので新任の先生を入れての再開を約束する。「七月会」出席はこれを最後と考えていたが、この会はなかなかに価値ありと考えながら早々に退席する。

 西早稲田駅と直結の地下鉄はなんと石神井公園行きで、練馬駅まで15分であった。来たときは高田馬場のBig Box前からタクシーで早大51号館の正面玄関前まで、すっかり生い茂った戸山公園の中を走って5分で到着。住み慣れていた51号館の研究棟から57号館前で古谷誠章・栗生明氏と合う。彼等はEXPO’25の海外パビリオン設計を支援するため、公開シンポジウムを開催中であった。大阪・関西万博EXPO’25会場の設計支援活動が早稲田で行われていたのは嬉しく、何故かホッとした。

 2030年に向けて、西早稲田キャンパスが日建設計と清水建設によって改築中とは承知していたが、予想以上に雑然とした昔ながらの校舎の雰囲気はなかなかに活力がある。

 七月会の名簿を見ると、1941~2024年(83年間)に2500人の名前や住所を記載。尾島研は1965~2008年(43年間)で1000人程か。それにしても、個人情報満載の名簿の取り扱いには留意すべきだ!!