Blog127 ブライアン・クラース著・柴田裕之訳「なぜ悪人が上に立つのか」(2024.10.23 東洋経済新報社)を読んで

 2024年10月13日、第21回AIUE国際会議は、2年前に新築された豊洲の芝浦工業大学キャンパスで開催された。日曜の朝とあって、予想より早く迎えのタクシーが到着したので、実行委員長の村上公哉教授の案内で建築学部の研究室や製図室などを案内された。定員240人の施設としては実に素晴らしく、6階の講演会場も立派な階段教室で、第20回のソウル大会にも劣らない施設と準備状況に安心する。

 洪元和会長は総長業務最後の仕事と重なり、ビデオ挨拶。表彰式では名誉会長の私と前会長の尹軍氏が代理。最初に「まほろば賞」受賞者・柴田裕之君の記念スピーチ。

柴田裕之氏
AIUE2024まほろば賞授与式にて講演
(芝浦工業大学 Ceremony Hall)
「なぜ悪人が上に立つのか」
(2024.10.23東洋経済新報社)

 「AIの普及で、翻訳者は不要になるか?」というのが主要なテーマの1つだったが、そのきっかけは、「20歳も若いのだから、これからまだ20年は働いて良い仕事をしてくれ」と私が先日かけた言葉だったとのこと。
 「北朝鮮の正式国名は『朝鮮民主主義人民共和国』だが、最高指導者の金正恩の言動や同国の実情との食い違いを、AIは果たして消化できるのか? また、ロシアの憲法は言論の自由を保障し、検閲を禁じているが、これまた同国の実情とは掛け離れている」と柴田君は言う。実際、ロシア憲法をAIで翻訳すると、原則(1)ロシアは連邦国家であり、(2)三権分立を基礎とする複数政党制の民主主義的共和国である。(3)基本的人権と自由の尊重、(4)経済活動の自由、(5)私的所有権の保護、(6)国際法の遵守、とある。「人間はそうした矛盾を甘受し、本音と建て前を使い分け、忖度もできるが、AIは自ら同様のことをしたり、人間の真意を見破ったりできるだろうか? 含みを持たせた情報の理解や発信、翻訳が可能だろうか? これも、まだAIが人間に取って代われない側面の1つに思える」そうだ。

 それにつけても、町から本屋すら消える状況にあって、是非とも新本を買って欲しいとのこと。最近、彼が翻訳した2冊の本を掲げて見せた。1冊は私がBlog123で紹介した本。これから出版予定の『なぜ悪人が上に立つのか』が2冊目の本で、この表題から「どうして悪人をリーダーに選んでしまうのか?」という疑問が自ずと湧いてくる。イスラエルのネタニエフ首相、ロシア連邦のプーチン大統領、中国の習近平国家主席。そして、私自身が体験してきた近辺のリーダー達――悪人かどうか分からないまでも、どう考えても良い人に思えなかった人が上に立っていたようだ。

 この本の表紙を見ただけで読んでみたくなったが、こんな本をよく出版できたもの。さらには、どうしてこの本を柴田君が翻訳する立場になったのかと。「まほろば賞」のスピーチに感動していただけに、早速、読み始めて、期待と全く違った内容に表題との違和感を覚えた。例によって「訳者あとがき」から読んでみようと思ったら、なんと「訳者あとがき」がない。著者の謝辞を読んで、やはり表題がおかしいのではと考え、翻訳サイトや生成AIで“WHO GETS POWER AND HOW IT CHANGES US”という原書のサブタイトルを訳すと、「誰が権力を手に入れ、それが私たちをどのように変えるのか」「誰が権力を手に入れ、それが私たちをどう変えるのか」「誰が権力を持ち、それが私たちにどのように変化をもたらすか」「誰が権力を持つか、そしてそれが私たちにどのように変化をもたらすか」「誰が権力を手にし、それが我々をどう変えるのか」等々あり、「悪人」という言葉はなく、やはり、これは出版社の戦略かと。

 改めて本書を再読すると、サブタイトルに「人間社会の不都合な権力構造」とあり、著者がキャンプ用のポータブルチェアに座って書いた人生訓で、著者自身が経験した世界各地の人間社会における歴史的不都合な真実をかき集めたものであるとのこと。版元が訳者あとがきの必要なしと考えたと思い、ホッとした。その上で、本書を読ませる「ワナ」としての「悪人」という言葉の持つ意味、「歎異抄」の「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」を思い、立場によって悪人を演じる人生や、実験の範例、さらには大学や刑務所や警察で人間行動が変化する実験研究の成果やサイコパス(PSYCHOPATH=反社会的または暴力的傾向をもつ精神病質者)の人間心理の恐ろしさを記す本書のすごさに脱帽する。

 それにしても、第9章「権力や地位は健康や寿命に影響を与える」、第10章「腐敗しない人を権力者にする」、第11章「権力に伴う責任の重みを自覚させる」、第12章「権力者に監視の目を意識させる」、第13章「模範的な指導者を権力の座に就けるために」の内容は、目下、選挙戦の最中の日本にとっても意味深長だ。本書の最後にくるこれら5つの章を政治家育成塾の教科書とすれば、定価の2,200円は実に安いと思われた。

Blog#126 帝国ホテルでの「米寿祝賀会」の御礼

 2006年1月22日、京王プラザホテルで、恩師・井上宇市先生が仲人された方々や井上研OB・OG100余人で「井上宇市先生の米寿を祝う会」が盛大に開催されるに当たって、木村建一先生や私が世話人をしなければならぬ筈が、井上研の大学院一期生で、日建設計の岩井一三氏が仲間と共に独断で招待者を決めて挙行された。
 それに倣ったのか、今度、中嶋浩三君が仲間を集めて、私のために、帝国ホテル「富士の間」で盛大な米寿祝賀会を開催してくれた。

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 最初で最後と考えていた古希と早大退職時の祝賀会は、リーガロイヤルホテルで盛大に開催。その時は、私も一緒に招待者を考えたが、今度の米寿を開催するのは気が引け、その上、高額な会費で出席を無理強いするのはやめてくれと言ったら、私たちが勝手にやることで許して欲しいと。それで井上先生の時を思い出した次第である。

 結論として、教師冥利に尽きる至福の一刻であった。(ご出席の皆様に感謝すると共に、案内が届かなかったOBやOGには私の指示でないことをご了承くだされば幸いである。)

 当日は、建築会館ホールでの国際シンポジウム「都市環境学を開くアジアの未来」の講演で、米寿に出版した本の解説は終わっていたので、司会の高口君、発起人代表の中嶋君、吉田公夫君の挨拶、長谷見君の乾杯に続いて、渋田君が制作した富山・八ヶ岳・東京の仕事場の様子などが映された。

 その後、年代別の代表者・吉田和夫・山田穂積・三浦昌生・福島朝彦・降籏哲人・岡本利之・高偉俊・梶川彩乃君に続いて、留学生の尹軍・王世燁・D.バート君らが想い出を話した後、「都市環境学を開く」を編集した岡・久保田君からの花束贈呈に続き、古希のとき同様、役に立つ舶来のカバンも贈られた。

 私の挨拶として、帝国ホテル「富士の間」での盛大な祝賀会に感謝すると共に、発起人代表の中嶋君をはじめ温かい皆様のスピーチに感無量であること。

 この「都市環境学を開く」のカバーと章扉の写真は家内の撮影である。そして、カバーを開くと、なんと久保田君のサプライズで、1964年東京オリンピックの代々木競技場(世界遺産に登録予定)の屋上で、田中俊六君が撮影した25才の私の写真が印刷されていた!

 この代々木競技場の空調の成功で、井上先生夫妻のアメリカ視察に同行することになり、ニューヨークでは世界博、レバーハウス、WTC、パンナムビル等々を視察して、東京の未来を予測した。この時の体験が全て、その後の私の研究テーマに繋がっている。

 この40日に及ぶ視察の間、私の克明な記録を察して、井上先生夫妻は、私を「メモ魔」で「求道者」と命名された専任講師時代。この60頁のメモをボランティアで清書してくれたのが、中嶋夫人の山根系子さんである。

 その成果もあって、助教授時代のEXPO‘70会場での人工衛星のR.S.を利用してのヒートアイランド現象に関して、NHKブックスから「熱くなる大都市」を出版。この本を清書してくれたのが松原純子さん。

 2008年の最終講義教材として「都市環境学へ」を鹿島出版会から、皆さんの執筆と岡・久保田君の編集で「尾島研究室の軌跡」の2冊を出版した。この2冊が座右の書として、「尾島研究室の軌跡」(続)が今度の「都市環境学を開く」である。

 この著書と、銀座オフィスでの中嶋・渋田・齋田美怜君らとの共著「東京新創造」の2冊と、大好きな帝国ホテルのチョコレートを私からのお礼とした。
 2008年に建築学会大賞、2016年に中綬章を戴いたのは「教育功労者として」であり、皆さんのお陰である。
 最後に、今日まで元気で活動できていることは幸せで、常々、健康に気遣ってくれている家内に限りなく感謝して。
 出席者一人一人にご挨拶して、お開きとなった。

Blog#125 第21回AIUE国際シンポ「都市環境学が開くアジアの未来」(2024.10.12 建築会館ホール)

 早大建築学科の尾島研究室OB達によって、2001年7月、北九州市で創立したアジア都市環境学会の国際シンポジウムが200余人も参加し、毎年のように開催されて21回。いつかレフリー論文の対象にされる程に実績を重ねてきた。
 第20回のソウル大会(Blog#97)も盛大であったが、今回は日本建築学会で、2008年1月の大隈講堂での古希の最終講義に続き、「都市環境学を開く」(2024.10.4 鹿島出版会)を教材に、140名が出席して1時間余の講義に続いて、OBで大学で教職をしていた10人との意見交流会となった。

「都市環境学を開く」(2024.10 鹿島出版会)
「都市環境学が開くアジアの未来(論文集)」(2024.10.12)

 冒頭、どうせ諸君はこの教材を持ち帰っても開かないだろうからと、先ずは第1章「地球環境と都市環境学」を開いて欲しい。その扉の写真は家内が撮影した自宅の紅梅と白梅である。「熱くなる大都市」は、1975年に教授になったばかりの頃に出版したが、この本を読んで、世界的なヒートアイランドや地球温暖化対策の研究者が出現したこと(10p)。さらに、都市環境学を大学院の講座に創設した年代とその歴史的経過を13pの図で解説。究極の結論として、原子力発電所の使用済み核廃棄物の処理処分に当たって、神頼みも良しとする分別も必要なこと。

 第2章「大都市の再生」では、東京の都市環境学で最も大切な自然災害対策には、建築学会のみの力では不足として、日本学術会議で全分野の研究者の知恵を集めて、時の総理大臣(小泉純一郎)に勧告したが、『重く受け止める』とされながら、未だに学者と政治は直結していない。しかし語り続ける必要があること。

 「安心」に関しては、ロイズ等の再保険会社のシティを有するロンドンを参考に、「活力」は熱くなる大都市のモデルとしてニューヨークを例に、そのヒートアイランド対策としての「風の道」は、パークアベニューのセントラルステーションの前に建つパンナムビル(現メットライフビル 54p)を反面教師として、東京駅を低層に、八重洲口の大丸東京店を二分して、八重洲通りから行幸通りに「風の道」を開いたこと。
 同様に、大阪は太閤下水やお城への通り道である南北通りを活かして、御堂筋や船場地区の再開発を職住近接することに加えて、インフラは筋でなく、通りを軸に再開発する必要性と、水の都としての大阪の再生について研究すること。

 第3章「レガシーをつくる」では、姫路城を扉にして、私達の生活は死者ならぬ先達が築いた環境の中での生活であることを考えれば、すべては遺産である都市が生存基盤と考え、その都市のまほろばを求めて、日本の全都市を歩いた。伝統ある日本の諸都市にはクールジャパンとしてのアナログ文化がベースにあること。然るに、近代都市文明は、DX化による都市間競争下、江戸時代の大名達の参勤交代ならぬ日本人の全てが大都市と地方の二地域に生活基盤をもつことを考えたい。何故なら、日本文明を世界文明に列するためには、限界集落や空き家対策が不可欠である。私自身、八ヶ岳山荘や富山の自宅を再活用で、この問題を解決したい。

 第4章の「DXとエネルギー」では、いま取り組んでいるBIMの普及やGXとしてのカーボンニュートラル対策を参照して欲しい。

 第5章の「都市環境学を開く」では、ドイツ帝国のビスマルク宰相の名言『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』を引用して、私の「都市環境学」は全て自身の体験に学んでの内容であったことから、諸君には愚者の「都市環境学へ」を導いたことを反省して、これまでの私の都市環境学を抜本見直し、諸君は歴史に学んで、アジアの、そして世界の未来を開く都市環境学を学んで欲しいと願って、丁度60分、ご静聴感謝する。

 終了後、10人の先生方への質問として
1.台湾の王世燁氏「北投市からのコミュニティ大学を発展させているが、何故、北投が拠点になったか」
2.中国の尹軍氏「中国の都市環境学に更なるAIの活用が必要ありについて、中国にこれ以上のAIは何故必要なのか」
3.横浜国大の佐土原聡氏「Biosphere内での生活圏の完結は可能だろうか」
4.青山学院大の黒岩健一郎氏「価値観の転換とライフスタイルの変化で二地域居住制度を可能にするマーケティングの活用を期待する」
5.早大の高口洋人氏「ウェルビーイングの可視化に期待するのは不可能なのか」
6.近畿大の依田浩敏氏「地方に根づいた優しい子供文化の創造は、飯塚市特有の文化によるのではないか」
7.東北大の持田灯氏「樹木の蒸発散量を定量化(実測)するのは、私自身のやり残したテーマで、ミティゲーションに不可欠で継続して欲しい」
8.芝浦工大の鈴木俊治氏「ウォーカビリティこそ、これからのまちづくりに不可欠で、私の郷里・富山を支援して欲しい」

 以上、私の聞きたいことを簡単に述べただけで時間切れとなり、パネリストのみならず、会場の方々には本当に失礼してしまった。
 一緒に学んだ学生達との至福な一刻に感謝して。