Blog#129 三谷産業のベトナム創業30周年行事に参加して

 2024年11月12日(火)~15(金)、ベトナムのハノイ市とフエ市を訪問したのは、三谷産業グループのベトナム創業30周年記念行事に出席するためであった。2006年8月、初めてのベトナム訪問時については「この都市のまほろば Vol.3」でハノイとホーチミン市について記した。フエ市は今回が初めてである。1990年頃から早大の中川武教授や佐藤滋教授等がフエ氏の文化遺産や都市計画の調査をしていたことから、10月28日、佐藤先生からフエ市の状況をヒアリングした結果、非情に興味深い都市で、研究の価値ある都市と考え、三谷産業の三浦秀平氏に早大と交流あるフエ科学大学の訪問をお願いした。

 11月13日(水)、ハノイのHotel du Parc(2022年リニューアル 5星)に宿泊。新設されたHo Guomオペラハウスでの三谷産業の記念式典に出席する。ベトナムの元計画投資大臣VO HONG PHUC氏、日本国特命全権大使の伊藤直樹氏、三谷忠照社長のご挨拶は実に素晴らしかった 。
 ベトナムでの創業者・三谷充氏は大学やグエン・ファン・チャン絵画保存修復などの文化活動を再認識する。夕食はNgon Gardenでのベトナム料理。

 11月14日(木)、三谷のベトナム7社は4拠点に2,400人を雇用。ハノイのACSD社(Aureole Construction Software Development Inc.)は、BIMを中心に活動し、そのオフィスは都心から45分、2009年新設された2万5000社が集中するIT特区にあった。平均年齢30才、離職率10%という超優良企業として、日本の建設業を下支えしている様子に感動する。
午後はハノイからフエ市へ。1時間程のフライトであったが、空港での待ち時間が長く、4~5時間を経てフーン川辺のシルクパスホテル(SILK PATH HOTEL))に到着。
 夕食はベトナム海鮮料理のDuyen Anhで賑やかな夕食会となった。

 11月15日(金)快晴。早朝の散歩はハノイと違って、静かで快適だ。
 8:00~10:00am、フエ科学大学訪問。建築学部長は、2009年頃から3年間、京大に留学したNGUYEN NGOC TUNG氏を中心に8人程の先生方とダン常務の通訳で話し合う。建築学部の先生は23人、学生は5年制で400人、これからのテーマとしては、①BIMでの点群計測、②ハザードマップやスマートシティ、③都市のカーボンニュートラル(JCM)、④交換教授の助成等々について意見交換した後、環境学部の副学長LE LCONG TUAM教授と共同研究の大切さについて話し合った。
 10:00~12:00am、グエン朝王宮の視察。王宮門(午門)、1970年再建された太和殿、太平楼、フラッグタワー、ロイヤルシアター(閲是堂)等々を見学。予想以上に広大で、北京の紫禁城にも匹敵する敷地に点在する庭園や破壊された建物跡地に驚く。多くの観光客と一緒に日本語のガイドについて歩く間、日除けの傘を差しても暑く、一休みして飲んだココナッツの生ジュースは格別であった。
 昼食は家庭料理で有名なCHANでベトナム料理を堪能する。
 午後、2018年開設のACSDのフエ支店を訪問。240人のBIM作業者が働く現場を視察後、ホテルに戻り、フエ空港経由、ハノイ空港から成田空港へ。両空港での延べ5時間以上の待ち時間中、花田光世先生には実に多くの人間関係、特にウェルビーイングのあり方について学ぶことが多く、豊かな時間をもつことができた4度目のベトナム訪問であった(第1回:2006年8月、第2回:2012年9月、第3回:2019年はホーチミンで25周年行事)。

三谷産業ベトナム創業30周辺記念式典
パーティ(オペラハウス)
Office
SILK PATH HOTEL(フエ市)
会食(Duyen Anh)
フエ王宮(午門)

Blog128 三陸リアス海岸エリアにおける「防潮堤の景観」を考える

 東日本大震災から十余年が経過したいま、防潮堤の議論を冷静に振り返り、選ばれた結果が適切だったのか否かを再検討したい。特に、当時の議論において「景観」がどう位置づけられ、あるいは位置づけられなかったのか、景観学の観点から再検討したい。

基調講演:山路 永司 (東京大学)
調査報告:齋藤 正己 (法政大学)
     成田イクコ(センスアップ・プランニング)
     西原 聡 (中央開発)
コメント:尾島俊雄 (早稲田大学)
ディスカッション:発表者ほか

▢コメント
 「景観」とは「主体」から「客体」に向けられた「視線」の存在を前提とする。一般に「客体」である実景をつくるのは建築家(土木技術者)であり、防潮堤の場合、多くは土木技術者である。建築家は実景の創造に当たって「強・用・美」を不可欠とする。防潮堤は高潮や津波に耐える機能(用)と強さに加えて、美しくなければならない。
 「主体」とは、被災地におけるイ.居住者、ロ.漁師等、海で業を営む人、ハ.旅行者(観光客)、ニ.(B/C)の公共事業者。

▢山路永司先生の基調報告に対して
 東北三県に及ぶ被災地全域を十分に調査された上で事例報告として、宮城県南三陸町の志津川周辺に焦点を当て、防潮堤の景観を考察された。当地は、1896年の明治三陸津波で441名、2011年の東日本大震災で620名もの死者を出した。その津波被害の遺構として、南三陸旧防災対策庁舎が残されて、周辺に造られた海拔20mの築山「祈りの丘」公園から市街地を遠望して、自然の風光明媚なリアス海岸の「清水(しず)漁港」や「伊里前(いさとまえ)漁港」の河川改修や大堤防や高台移転の民家を考察。この地は自然景観を保護すべき陸中海岸国立公園内であり、また自然遺産の破壊を禁止したジオパークにも指定されている。美しかった漁港の巨大防潮堤や水辺に近づけなくなった河川改修の大堤防は、景観学の観点から見れば許せない景色であって、景観破壊のモデルといってもよいのではないか。「三陸復興国立公園」と名称変更したことで、これを「創造的復興」と称するのは景観学として許しがたいと考えるが。

▢齋藤・成田・西原さんの報告に対して
 岩手県と宮城県の三陸リアス海岸エリアの防潮堤について検討されて、
①西原報告の岩手県大槌町については、B/Cの土木技術者の立場としては素晴らしい復興事業で、JR山田線の駅舎や水門の景観。しかし、地元のコミュニティや未利用空地が心配。

②齋藤報告の岩手県釜石市の宝来館については、「津波てんでんこ」の教えで、「釜石の奇跡」を生み、高台に学校、低地にラグビー場等、適した防潮堤と逃げる「あり方」をソフト解とする。

③成田報告の宮城県気仙沼市大谷の海岸は、「気仙沼横断橋」や「鉄道駅」や「道の駅」の建設で、巨大防潮堤はその手段として活用。大谷の美しい砂浜や海岸の里海を守る市民参加は有意義。

④石巻市の雄勝町は「日本一美しい漁村」であった筈で、これは南三陸の清水漁港や伊里前漁港と同じで、日本の景観美を破壊。

⑤宮城県の女川町は、適切なまちづくりに成功(海の見える商店街)した様子。

▢日本大震災遺構を中心に世界遺産登録を提言
 東日本大震災の復旧復興に投資された国費は10年間に32兆円(Blog15で、岩波ブックレット(2021年出版)に詳細)、(Blog28で、2021年6月、災害から10年の視察)で、岩手県と宮城県・福島県の各一ヶ所、建設された復興祈念館を見学する限り、その巨大な施設とこれからの維持管理費を考えれば、これを景観学の見地からの対象として世界遺産登録することで観光客を誘致する必要性を痛感した。景観学会での講演を聞きながら、登録申請協力者(案)として、復興庁/東北三県/日本景観学会/伊藤滋/中島正弘/五十嵐敬喜/内藤廣 等の著名人を考えてみた。