Blog#125 第21回AIUE国際シンポ「都市環境学が開くアジアの未来」(2024.10.12 建築会館ホール)

 早大建築学科の尾島研究室OB達によって、2001年7月、北九州市で創立したアジア都市環境学会の国際シンポジウムが200余人も参加し、毎年のように開催されて21回。いつかレフリー論文の対象にされる程に実績を重ねてきた。
 第20回のソウル大会(Blog#97)も盛大であったが、今回は日本建築学会で、2008年1月の大隈講堂での古希の最終講義に続き、「都市環境学を開く」(2024.10.4 鹿島出版会)を教材に、100余人が出席して1時間余の講義に続いて、OBで大学で教職をしていた10人との意見交流会となった。

「都市環境学を開く」(2024.10 鹿島出版会)
「都市環境学が開くアジアの未来(論文集)」(2024.10.12)

冒頭、どうせ諸君はこの教材を持ち帰っても開かないだろうからと、先ずは第1章「地球環境と都市環境学」を開いて欲しい。その扉の写真は家内が撮影した自宅の紅梅と白梅である。「熱くなる大都市」は、1975年に教授になったばかりの頃に出版したが、この本を読んで、世界的なヒートアイランドや地球温暖化対策の研究者が出現したこと(10p)。さらに、都市環境学を大学院の講座に創設した年代とその歴史的経過を13pの図で解説。究極の結論として、原子力発電所の使用済み核廃棄物の処理処分に当たって、神頼みも良しとする分別も必要なこと。

 第2章「大都市の再生」では、東京の都市環境学で最も大切な自然災害対策には、建築学会のみの力では不足として、日本学術会議で全分野の研究者の知恵を集めて、時の総理大臣(小泉純一郎)に勧告したが、『重く受け止める』とされながら、未だに学者と政治は直結していない。しかし語り続ける必要があること。

 「安心」に関しては、ロイズ等の再保険会社のシティを有するロンドンを参考に、「活力」は熱くなる大都市のモデルとしてニューヨークを例に、そのヒートアイランド対策としての「風の道」は、パークアベニューのセントラルステーションの前に建つパンナムビル(現メットライフビル 54p)を反面教師として、東京駅を低層に、八重洲口の大丸東京店を二分して、八重洲通りから行幸通りに「風の道」を開いたこと。
 同様に、大阪は太閤下水やお城への通り道である南北通りを活かして、御堂筋や船場地区の再開発を職住近接することに加えて、インフラは筋でなく、通りを軸に再開発する必要性と、水の都としての大阪の再生について研究すること。

 第3章「レガシーをつくる」では、姫路城を扉にして、私達の生活は死者ならぬ先達が築いた環境の中での生活であることを考えれば、すべては遺産である都市が生存基盤と考え、その都市のまほろばを求めて、日本の全都市を歩いた。伝統ある日本の諸都市にはクールジャパンとしてのアナログ文化がベースにあること。然るに、近代都市文明は、DX化による都市間競争下、江戸時代の大名達の参勤交代ならぬ日本人の全てが大都市と地方の二地域に生活基盤をもつことを考えたい。何故なら、日本文明を世界文明に列するためには、限界集落や空き家対策が不可欠である。私自身、八ヶ岳山荘や富山の自宅を再活用で、この問題を解決したい。

 第4章の「DXとエネルギー」では、いま取り組んでいるBIMの普及やGXとしてのカーボンニュートラル対策を参照して欲しい。

 第5章の「都市環境学を開く」では、ドイツ帝国のビスマルク宰相の名言『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』を引用して、私の「都市環境学」は全て自身の体験に学んでの内容であったことから、諸君には愚者の「都市環境学へ」を導いたことを反省して、これまでの私の都市環境学を抜本見直し、諸君は歴史に学んで、アジアの、そして世界の未来を開く都市環境学を学んで欲しいと願って、丁度60分、ご静聴感謝する。

 終了後、10人の先生方への質問として
1.台湾の王世燁氏「北投市からのコミュニティ大学を発展させているが、何故、北投が拠点になったか」
2.中国の尹軍氏「中国の都市環境学に更なるAIの活用が必要ありについて、中国にこれ以上のAIは何故必要なのか」
3.横浜国大の佐土原聡氏「Biosphere内での生活圏の完結は可能だろうか」
4.青山学院大の黒岩健一郎氏「価値観の転換とライフスタイルの変化で二地域居住制度を可能にするマーケティングの活用を期待する」
5.早大の高口洋人氏「ウェルビーイングの可視化に期待するのは不可能なのか」
6.近畿大の依田浩敏氏「地方に根づいた優しい子供文化の創造は、飯塚市特有の文化によるのではないか」
7.東北大の持田灯氏「樹木の蒸発散量を定量化(実測)するのは、私自身のやり残したテーマで、ミティゲーションに不可欠で継続して欲しい」
8.芝浦工大の鈴木俊治氏「ウォーカビリティこそ、これからのまちづくりに不可欠で、私の郷里・富山を支援して欲しい」

 以上、私の聞きたいことを簡単に述べただけで時間切れとなり、パネリストのみならず、会場の方々には本当に失礼してしまった。
 一緒に学んだ学生達との至福な一刻に感謝して。