Blog137 三谷忠照著「超高齢社会とは、イノベーションのレベルを高度化させていくことが期待できる社会、かもしれない」(Carbon No.12 2025.2)を読んで

 三谷産業の会報誌「Carbon」のPROLOGUEを読んで、発行人の三谷忠照氏の考え方に共鳴した。
『一人ひとりが長寿化することによって、生産活動における技能の獲得は、習得から習熟へ、さらに熟達へと至る人も増えていくでしょう。
 また、複数の仕事や専門分野を掛け持つマルチキャリアや、再雇用・再配置によって、一人ひとりの働き方はさらに多様化していきます。
 過去の経験を活かしてより適切な判断ができる人、出身分野で培った知識や技能を異分野で活かすことができる人、そして複数の技能に熟達する人が、より多く存在するようになるでしょう。』

 しかし、超高齢化した人たちの存在価値と立場を今日の社会で見直すには、余程のインセンティブが必要で、私自身が米寿を迎え、日頃の社会活動に心理的影響を受けている。
 そんな時、Blog136でOBの柴田裕之君が訳したY.N.ハラリ著「NEXUS 情報の人類史」で、『AIは人工知能(Artificial Intelligence)の頭文字だったが、(Alien Intelligence)の頭文語と考える方がいいかもしれない』との解説で覚醒した。何故なら、昔は卒寿から白寿の超高齢者は「長老」とか「仙人」と呼ばれて、異質の知恵を持った人と尊敬されていた。

 江戸時代は40代で隠居生活に入ったが、現代は60代で定年退職、2030年代には80代まで現役として働くことになり、その後の90代は施設で介護老人にされ、まともな社会人としての地位を与えられそうにない。
 しかし、古代ローマや明治時代には元老院なる国の機関すら存在した。昔話には老人の知恵を大切にしたことで、家や国が救われた物語もあった。スターウォーズで活躍する銀河元老院にもエイリアン達の知恵が活用されており、これからのAI時代を乗りこなすヒントになるかもしれない。

 三谷忠照氏の『ただし、私たちはまだ、超高齢社会を乗りこなすことができていません。年齢的に高齢者となった方々が、生産活動に従事できる範囲を広げ、それに参加したいと思える、あるいは他の現役世代への支援をになうことができるような環境をととのえていくことこそが、私たち社会参加者が「いざ、超高齢社会へ。」と進むための意図となるはずです。』の問いかけを尊重したい。

 私が三谷忠照氏発行のCarbon誌を愛読するのは、彼の尊父・三谷充氏が現役時代、日下公人氏と相磯秀夫氏を社外監査役にされ、両氏がご高齢になられ自ら退任されても、同社は「御御御所」として特別な地位を与え、会社との関係を保ち続けられていたこと。残念ながらコロナパンデミックが続いて、日下先生は完全介護施設に入居され、社会と断絶。日下先生はエイリアン的存在で、90代になられてからは、特に悟りを開かれていたようで、懇談の機会を楽しみにしていた。しかし、社会との断絶は致命的で、この体験から社会的対策が急務と実感させられていた。

(悟りを開いた人は多くは宗教界に入ってしまうようだが、バラモンの長老は90才を超えるとセーラ(Sela)と呼ばれて、社会的特権を得る由。日本でも90代以上は民主主義の神髄である人権と公民権を保障しての地位を得ることが出来れば、生存者叙勲制度より良いかもしれない。)

「Carbon(カーボン)=「炭素」は結びつき方次第でさまざまな性能を発現することから、企業と企業とが協業して結びつき、イノベーションが生み出される」との発行人・三谷忠照氏の発想は、ハラリ著の「NEXUS 情報の人類史」の内容と考え方に共通する(Blog136参照)

Blog136 Y.N.ハラリ著、柴田裕之訳「NEXUS情報の人類史(上巻:人間のネットワーク、下巻:AI革命)」を読んで

 NPO-AIUEの国際投資研究会で、トランプ2.0が毎日のように発信する情報に一喜一憂させられている時、絶好調だったN.Y.株が余りの異常さで急落した。その原因は、機関投資家ではなく、AIに依存する多数の投資家と分かって、AIの判断が今や専門家や機関投資家以上の影響を株価にも与える時代が来たことを実感させられた。その上で、研究会ではそれがどこの国のAIなのかが話題になり、AIの未来が心配になった。そんな時、柴田君から本書が贈られてきたのに驚く。

Y.N.ハラリ著 柴田裕之訳『NEXUS 上・下巻』
(河出書房新社 2025.3.5)

 年末に、『来春には重要な本の訳が出ます』と柴田君が話していたとおり、今度も余りにタイミング良く、「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」、「21 Lessons」に続く、一読しただけで世界的ベストセラーになると分かる上・下2冊である。
 上巻は「人間のネットワーク」として、サピエンスの誕生から今日に至る人間の絆についての物語を分かり易く解説。下巻は「AI革命」と題して、AIそのもののユニークな解説を展開する。世界の独裁者、プーチン・トランプ・習近平等々がAIをどのように活用するかで世界史が一変するかもしれないと思いながら読み始めた。

 本書は「サピエンス全史」(2016年日本語版出版)同様、余りに多くの内容が含まれており、3日間(72時間)で上下巻600余頁を十分に理解するのは不可能であったが、私が日頃知りたかった部分の傍線箇所と柴田君の訳者解説部分を以下に記して、本書の必読を推奨する次第である。
 特筆すべきは3点である。①民主主義と選挙制度については、人権と公民権を認めない民主主義や選挙制度は明らかに間違っていること、②人間の知識を総合した人工知能をAIと訳しているが、これがエイリアンの知能と訳したとき、そのもつ意味が理解でき、同時にその利用価値についても分かりかけたこと。③人間社会も超高齢化が進み、長老や仙人、悟りを開いた人々が多くなった今、この人達の活用を考えることの意義を、本書から学ぶことになった。 日本人の多くは、私も含めて、民主主義の本質をよく理解していないため、私たちが本書から得るものはことさら大きい。

 『ヒトラーは、民主的な選挙で権力の座に就いてから数か月のうちに、ユダヤ人と共産主義者を強制収容所に送り始めたし、アメリカでは民主的に選ばれた多くの政権が、アフリカ系アメリカ人やアメリカ先住民、その他の虐げられた人々の選挙権を奪ってきた。もちろん、民主制に対するほとんどの攻撃は、もっと目立たない形で行なわれる。ウラジーミル・プーチンやオルバーン・ヴィクトル、レジェップ・タイイップ・エルドアン、ロドリゴ・ドゥテルテ、ジャイール・ボルソナーロ、ベンヤミン・ネタニヤフのような強権的な指導者の経歴は、民主制を利用して権力の座に就いた指導者が、その後、自らの権力を使って民主制を切り崩す実例を示している。』

 『だが民主制では、多数派の支配が及ばない権利のカテゴリーが二つある。一方は、人権のカテゴリーだ。たとえ国民の99%が残る1%を皆殺しにしたくても、民主社会ではそれは禁じられている。なぜならそれは、最も基本的な人権である、生命に対する権利を侵すからだ。人権のカテゴリーには、就労する権利やプライバシーに対する権利、移動の自由、信教の自由など、他にも多くの権利が含まれる。これらの権利は、分権化という民主制の本質を神聖なものとして大切にし、人々が誰も他者を害さないかぎり、適切と思う形で人生を送れるようにしている。
 権利のきわめて重要なカテゴリーの二番目には、公民権が収まっている。公民権とは、民主制というゲームの基本的なルールであり、自己修正メカニズムを神聖なものとして大切にする。公民権のうち、明白な例が選挙権だ。仮に多数派が少数派の選挙権を奪うことを許されたなら、民主制はたった一度の選挙の後に終わりを告げる。公民権には他に、報道の自由や学問の自由や集会の自由が含まれ、そうした権利のおかげで、独立した報道機関や大学や反対運動は、政権の正統性を問うことができる。』

 下巻の「AI革命」については、訳者解説から、以下の文章を引用することで本書の情報を共有したい。
 『全世界を揺るがせている「AI革命について、より正確な歴史的視点を提供する」ことを目指す本書』では、『従来は「AIは『Artificial Intelligence(人工知能)』の頭文字だった」が、「『Alien Intelligence(人間のものとは異質の知能)』の頭字語と考えるほうがいいかもしれない」と著者は言う。「AIは進化するにつれ、(人間の設計に依存しているという意味で)『人工』である程度が下がり、より『エイリアン(人間とはまったく異質のもの)』になってきているからだ。」』

 『「ネクサス[NEXUS]」は、一般には「つながり」「結びつき」「絆」「中心」「中枢」などを意味するが、本書ではさまざまな点を繋げている情報がネクサスとなる。
そこから思い出されるのが、「サピエンス全史」で語られていた虚構と協力だ。サピエンスが地球の覇者になれたのは、多数の見知らぬ者どうしが協力する能力に負うところが大きい。……協力はネットワークと読み替えられるし、虚構は情報の一種であり、ネットワークの要として機能すれば、これがすなわちネクサスとなる。
 ここで肝心なのだが、ネクサスは秩序を生み出さなければネクサスたりえない。秩序がなければネットワークは維持できないからだ。』

『近年、さまざまな国がソーシャルメディアを悪用して敵対国の選挙結果や人々の行動に影響を与えようとしていることは周知のとおりだ。そうした活動やデータの奪取を防ぐためには、国家間での情報の流れを遮断したり、国内で独自のデジタルネットワークを開発したりすることになる。著者はそのような遮断の仕組みを、冷戦時代の「鉄のカーテン」になぞらえて「シリコンのカーテン」と呼ぶ。こうして人類は、ライバルのデジタル帝国間に下りた新しいシリコンのカーテンに沿って分断されかねないのだ。』