「アフターコロナ時代の都市環境」の「NPOまほろば賞」について

 2020年10月27日、NPOアジア都市環境学会が会員向けに募集した論文の締め切り時、世界のCOVID-19の陽性者4,317万人、死者115万人。

 2020年12月14日に論文選考会が開かれ、34編中3編がまほろば賞に選ばれた。私も選考委員の一人として全ての論文を読んだ結果、それぞれが刺激的で、新鮮な論文に感銘した。コロナ禍の惨状下にあって、会員諸兄がこの非常事態に如何に発言の場を求めていたかを知った。従って、選考に当たっては、まずは類型化して読みやすい論文集として出版することに加えて、ISBNには定価をつける必要があることや、まほろば賞の贈呈についても議論した。

 出版作業は全て三浦昌生君が九州で仕上げてくれることになり、表紙は渋田玲君が担当して、2021年2月1日、NPOアジア都市環境学会編の著作集が手元に届いた。

 この日の米国ジョンズ・ホプキンス大学発表のCOVID-19の陽性者は1億人を突破して、死者も225万余人と、この3ヶ月足らずで倍増のすさまじさであった。すでにワクチンが各国で使われ始めたにも関わらず、更に強力な変異ウイルスが増殖中という。1月7日に11都道府県に発出された緊急事態宣言は、2月7日解除の予定が1ヶ月延期され、今も医療機関の崩壊が叫ばれ続けている。

 高齢者である私自身は不要不急の要件なき身とあって、ステイホームの毎日。先日送られてきた神田順先生の「小さな声からはじまる建築思想」(現代書館)の書評に加えて、三浦君がせっかく立派な論文集として出版してくれた本についても書評を書かねばと考えて、春一番が例年より早く吹いたとのテレビ報道のあった日に係わらず、散歩に出た。

小さな声からはじまる建築思想 神田順(著/文) - 現代書館

 寒風のなかの散歩中に思い当たったのは、神田先生の著も、まほろば賞を受賞した3人の論文に共通しているところは、「自覚」「生命」を第一とする教育者としての使命感であった。

 神田先生は、東大本郷キャンパスでは建築構造学の世界的権威でありながら、建築基準法の限界から建築基本法の策定を提言し、東大柏キャンパスに移って、新領域創成科学研究科の環境学分野にあって、阪神・淡路大震災や東日本大震災の復興に当たって、建築の安全問題と共に、人間が安心できる生活環境についての体験著であった。

 また、北九州市大のD.バート君の論文は「3つのポストを超えて ポストモダン・ポストインダストリアル・ポストコロナ」と題し、「ポストモダンは思想学者に向けたものであり、ポストインダストリアルは経済の観点における議論が中心であった。ポストコロナは人々の生命を脅かすものであるとして、世界中の「日常」を変える衝撃であった」とする。彼はベルギー人らしい世界観をもって、ポストコロナ社会を見通していたこと。

 「台湾で見たCOVID-19感染症」と題した台湾国立台北大学の王世燁君の論文は、台湾の歴史・民族・自然・風土を統括した上で、ポストコロナ時代にあって、台湾人らしい生き方の代表として、世界の人々が共鳴せざるを得ない説得力をもって「世界中の誰もがマスクを着用することで、人間が口を閉じる必要があることを暗示しているかのような今日、人間は地球の生態系のグループの一つに過ぎず、もはや地球の支配者であってはなりません。感染症の流行期間に多くの生態系の回復を振り返り、新しい世代を迎えるために更に謙虚な心を持つべきでしょう。」

 「エネルギーとDXから考える分散・クラスター都市」と題した摂南大学の大橋巧君の論文は、日本としての進路を明確に示したように思える。「オフィスビルや巨大工場等の職場に多くの人を詰め込む20世紀の都市モデルは、情報化社会ではその必要性は次第に薄れつつあったが、今回のCOVID-19の感染拡大は、そのことをわかりやすい形で人々に示した。幸い、進化したデジタル技術が人々の生活をよい方向に変化させるというDX(デジタル・トランスフォーメーション)の概念が一部実証された。」

 以上が4人の先生方の論旨のように思えたが、会員諸兄には是非共、原著の一読を勧める次第です。

廃業ホテル撤去で白樺湖景観蘇生

 1946年、地元住民や旧制諏訪中学在校生により農業用ため池として「蓼科大池」が完成した。1950年代に入って、標高1420mのこの地にも電気や電話が開通し、路線バスの本数も増え、農林業から観光地としての脱皮に当たって、地元の要望で「蓼科大池」が「白樺湖」に、近くの女神湖やすずらん峠、ビーナスライン等と国際観光地らしい名称に改名された。1955年、池の平ホテル開業。1964年、東京オリンピックの年には、当地に昭和天皇も行幸された。

 1964年、八ヶ岳が国定公園に指定。1967年にはレイクランド(現ファミリーランド)開園。幾多の開拓地をレジャーランドに変化させた。白樺湖周辺が開拓地から観光開発地となる創成期である。

 1970年代には石油危機を迎えるも、池の平ホテルは順調に発展。1983年にはスキー場にナイター照明を新設、1986年には池の平博21オープン。この頃、湯川財産区でも柳沢英次氏の「蓼科グランドホテル滝の湯」や矢崎善美氏等の蓼科湖周辺の開発が進み、東急の進出もある。白樺湖畔でも篠原氏の「白樺湖ホテル山善」が開業することで、地区全体が年間240万人の観光客を集める日本有数の観光地に発展。池の平ホテルも1985年の年商75億円から1995年には100億円に拡張。

 2000年、早大理工学部と慶大医学部の先生方が中心になって「茅野市の新観光産業の展開」国際シンポジュームを茅野市役所で開催したのは、ライトのタリアセンを模して尾島山荘を建設したことによる。毎年この山荘での夏合宿が恒例となった。

 2013年9月にはOB中心のアジア都市環境学会の国際会議に合わせて、池の平ホテルで日本景観学会を開催した。このシンポジューム・テーマを「白樺湖畔の景観再生を考える」としたのは、白樺湖畔の廃ホテルや空き店舗が著しく景観を破壊し、観光産業に大きなダメージを与えている状況からであった。慶応大学文学部の川村晃生教授は「風景を楽しむ建物が風景を壊している。人間が変わらなければ風景は変わらない」。法政大学法学部の五十嵐敬喜教授は「放置建物撤去に当たって財産区や公共が代執行するには法整備が必要」。柳平千代一茅野市長「1991年のバブル崩壊以降、白樺湖畔の宿泊施設が相次ぎ閉鎖した。その原因は団体から個人、物見遊山から体験学習へという観光の転換に追いつかなかった」等の発言が翌日の新聞に掲載された。

 2015年、柳平市長が柏原財産区の役員20余人と現地視察した結果、1956年創業した「白樺湖ホテル山善」が2007年に破産し、廃業された建物劣化は景観破壊に直結しているとして、市と財産区で協議会を設置した。

 2018年10月、柏原財産区から1億5千万円を借りて、柏原農業協同組合が撤去することになった。その跡地利用に当たっては市が全面支援するという約束で、2019年、道路反対側の本館を除いて、目障りな南館2棟が撤去された。かくして、白樺湖畔の景観は見事な自然景観として蘇生したのである。

 しかし、市が財産区民にバックアップすると約束した跡地利用を地主の利益と蘇った自然景観を両立させるのは大変である。 1945年に池の平地区の山林開拓者として入植し、戦争で荒廃したこの土地の農地改革に寄与し、一大観光地にまで発展させた池の平ホテル創業者の矢島三人氏が残した写真を見ながら、自然と人間との共存のあり方として、地域循環型共生圏構想を具体化する秘策を考えるコロナ禍の毎日である。

「この都市のまほろば」を電子書籍出版するに当たって

 2020年8月、突然「この都市のまほろば」vol.1を電子書籍出版しないかとの電話であった。「一読者としてこの本に感動した。ついては自分がその仕事をしているので協力してほしい。」滅多に直接電話に出ない私は、何かの運命と思ってOKしてしまった。どんなノルマや利益があるか判らないまま、コロナ禍の新常態の状況下、時代の波に乗った。

 本書のシリーズは、事実上、全7巻とその総まとめとしての「日本は世界のまほろば」シリーズ全3巻で、合計10巻は2017年7月に終了しており、出版社も既に絶版として販売を終えている。依頼された電子書籍出版は、著者の承認だけで処理できる由。手数料は必要だが、読者次第で収支は十分可能というので、その後は事務局(NPOアジア都市環境学会)にお願いすることになった。

 それから4ヶ月後、350頁の校正が送られてきたので、お正月に熟読することになった。「この都市のまほろば」vol.1は、雑誌「中央公論」に2003年4月号から2004年12月号まで連載した20都市を単行本とし、2005年5月、中央公論新社より「この都市のまほろば(消えるもの、残すもの、そして創ること)」と題して、編集は関知良、写真は高橋信之、挿絵は藪野健さん、私が著者として出版したものである。

 早稲田大学教授として最も多忙な時期に4人が一緒にこの20都市を歩き、楽しく議論しながら著した書である。十分に時間をかけた現職時代の作品だけに、改めて読み直してみるとよく勉強している上、中央公論の編集者や中央公論新社の目が通っているだけに殆ど修正するところがなかった。20年前の著作であるが、それぞれの都市への熱い思いは、今も殆ど変わらなかったことに、むしろ驚いてしまった。同時に、日本は失われた20年と言われるだに、上海・ソウルの海外2都市を除いた日本の18都市は全く変わっていないので、当時提言した試みが成功すればと今も思えてきた。従って、vol.1が読まれることに成功すれば、是非ともvol.2~7のみならず、「日本は世界のまほろば」も電子書籍出版してほしいと考えた。アフターコロナ時代の二地域居住や地方創生の支援策としても、原発立地周辺の再生に当たっても、今度の試みを機会に、一緒に考えてほしいと考える次第である。COVID-19の禍がいつ収束するか判らず、事実上ロックアウト状況下にあって、改めて、本書シリーズの抜本見直しの旅をしてみたいと考えた2021年の長い長い正月休みであった。

(2021年4月初旬 amazonで販売予定)

東日本大震災から10周年 田尾陽一著の「飯舘村からの挑戦」(ちくま新書)に学ぶ

  2011年3月11日、東京電力福島第一原子力発電所事故「山を荒らし、川を荒らし、村を破り、避難の過程で結果的に人を殺してしまった」この事実は揺らぎようがない。まして、この事故の責任をとる人がいないのだから、日本は倫理的には欠陥を持つ社会である。

 広島の原爆を体験し、東京大学大学院で高エネルギー物理学を専攻した田尾氏は、NPO法人「ふくしま再生の会」を立ち上げ10年、今は福島県飯舘村に移り住み、原発被害地域再生に取り組み、住民目線で考え続け、当地こそ二地域居住を希望する若者達に最適とする説に共鳴する。

 私も田尾氏の案内で何度か当地を訪問し、その魅力と田尾氏の人柄や熱意に惚れ込んで、以下に引用文を記す。

 『飯舘村は、日本で最も美しい村の一つとして「までいな村つくり」を全村あげて推進してきたことで知られていた。原発事故はこの試みを破壊した。しかし完全に破壊されたと諦めることはできない。諦めきれない人たちが村の中にも周辺にも、都会の人たちの中にも存在している。2020年、原発事故とウィルス感染の安全度では、東京と福島、都市と地方の逆転が起こっている。』

 田尾氏等は『原発事故から10年の現在、コロナ後の活動を見通して「ふくしま再生の会」として、放射能・放射線のレベルを長期に監視して安全レベルを住民目線で確認しながら、事実に基づいて活動する。しなやかな感性を持った地域内外の若手の魅力あるプロジェクトを立ち上げる。

 独自の歴史・文化・地理をもつ飯舘村が原発事故による放射能被害を受けた。この環境下で食糧・エネルギー・健康医療の三領域で自立する力をつけなければならない。それには科学・技術・人文科学、そして自然と人間の共生を目指す現代アートなどが必要である。そこで「原点回帰と新発想」をベースに、新しいプロジェクトを自力で切り拓く若者が必要とされている。若者よ!大志を抱き集まれ! 飯舘村の若いプロジェクトに!』

 私は、もう少し若ければ、佐須地域の「風と土の家」に泊して現地を体験した上、きっと二地域居住を決意したであろう。

早稲田大学 尾島俊雄研究室OBから二人の学長就任を祝し、コロナ禍での都市環境学を考える

 早稲田大学理工学部建築学科の修士・博士過程で、私の研究室に学んでいた二人のOBが相次いで学長に就任したという連絡があった。一人は10月から韓国の有名な国立大学・慶北大学の第19代総長に就任した洪元和君、一人は日本の有名私立大学である東北工業大学の学長に来春から就任する渡辺浩文君である。

 私の早大時代に開設した都市環境学のあり方が、コロナ禍で問われていることから、この学問分野で、私の研究室OBで大学教授になっている50余人に、芝浦工業大学教授を退職した三浦昌生君(都市環境学教材の編集幹事)に頼んで、アフターコロナ時代の都市環境学を展望する論文を募集してもらったところ、なんと日英文で35編も手元に届いた。

 12月14日、私の自宅に横浜国立大学の初代都市科学部長で、来春から副学長に就任予定という佐土原聡君とJ-Power OBで、国際的にスマートシティ等を設計していたNPOアジア都市環境学会理事長の吉田公夫君と三浦君が集まって、既に事前評価されていた論文の評価と公表について話し合った。

 第一線の学者として既に実績をもつ諸先生方の都市環境観は、全て一考に値すること、その中で、建築家の伊東豊雄氏の紹介でベルギーから私の研究室に留学し、北九州市立大学の教授になっているD.バート君の「3つのポストを超えて、ポストモダン・ポストインダストリアル・ポストコロナ」や台湾の建築学会長であった林慶豊先生の紹介で、長い間、私の研究室に在籍し、今は台湾国立台北大学の王世燁君の論文が強く印象に残った。

 私自身、早大の教師時代、常々、大学院生達には、学職に就いても学部長や学長になると自分の目指す学問の道を踏み外すから、余程のことが無い限り就任すべきでない。就任することになったとしても、できる限り早く降りるべきと話していただけに、祝福すべきかどうか考えてしまった。しかし、今度のコロナ禍はやはり余程のことが起こっており、しかも都市環境のあり方自体が問われていること。1970年代に都市環境学の必要性を叫ぶ学生達を集めて学んだポストモダンからポストインダストリー時代の都市のあり方が問われているからである。ポストコロナ時代の都市環境学は、そのあり方と同時に、人間としての生き方そのものが問われている時代にあって、学部長や学長は多様な学問分野の教授や学生達を導く役職であるだけに、その立場に就くことは生命を賭けるに値する。彼等の勇気を称え、影ながら支援することにした。

早稲田大学東京安全研究所の「都市の安全と環境」シリーズ出版に当たって

 2014年から5年余、早稲田大学東京安全研究所で、伊藤滋・尾島俊雄・濱田政則名誉教授を中心に、「東京の減災戦略」「防災性向上」「インフラ老朽化対策」「経済被害削減」を中心とした研究成果を出版した。

  • 伊藤編の都市計画分野 4冊
  • 尾島編の建築分野 3冊
  • 濱田編の土木分野 3冊

 これを基に、2020年1月に早大井深大記念ホールで、「防災・減災の行方」と題し、『国土と社会の強靱化はどこまで進んだか』をテーマにシンポジウムを開催した。

 その結果、1995年の阪神・淡路大震災からの25年、2011年の東日本大震災からの10年は決して失われた年月でなく、2013年の国土強靱化基本法を待つまでもなく、専門的な技術や対策は相当進んだこと。しかし、それ以上に都市の拡大や老朽化が進み、加えて自然災害の規模は想定以上に巨大化しつつあることから、減災対策が喫緊の課題である。特に、政治・行政等の公助限界を考え、共助・自助の面では、東京の安全・安心は、私たちは各自の自己責任で取り組むべきであること。しかし、不安のみが先行してのパニックが心配されることもあり、本研究を指導された先生方から「生命を守る強力な建築・土木・都市計画分野の技術が、どれ程進んでいるか」について知る必要があるというご意見をいただいた。

 これを若手研究者に伝えたところ、鹿島学術振興財団の研究助成を得て、早稲田大学の秋山充良教授が中心に検討して下さった。
 2020年12月、その中間報告会があり、次のような研究目次(案)が出された。


「首都東京の災害から命を守る技術」(案)

序  予測される首都東京の被災     尾島・秋山・(福島)
(東京直下地震・南海トラフ地震・富士山爆発他/気候変動・津波・洪水・新型コロナ・原発事故)

1編 建築技術分野
   1章 超高層建築         小林紳也/(高口洋人)
   2章 地下空間          原 英嗣/(村上公哉)
   3章 仮設住宅・みなし仮設    小林昌一/(小野道生)
   4章 即時耐震性能センサー    (楠 浩一)/増田幸宏

2編 土木技術分野
   5章 洪水(予測・対策)     関根正人/(秋山充良)
   6章 津波            秋山充良
   7章 コンビナート        濱田政則
   8章 防災・教育         重川希志枝/(福島淑彦)

3編 都市計画技術分野
   9章 BCD・分散電源・CGS    (尾島俊雄)/中嶋浩三
  10章 防災情報・ICT        渋田 玲/(増田幸宏)
  11章 木造密集地         三舩康道/(長谷見雄二)
  12章 エリア防災DCD       関口太一/(小野康道)

4編 総論
  大丸有地区モデル(伊藤 滋)    加藤孝明  

 秋山充良・原 英嗣・増田幸宏氏等の意見では、『2021年には東日本大震災から10周年に当たり、その間の建築・土木・都市計画分野での技術開発は、それなりの成果もあったが、同時に、新型コロナ禍での三密対策やロックダウンの実状から、都市そのもののあり方やライフスタイル、価値観の転換を余儀なくされている今日、シリーズ10冊の既出版物の見直しとアフターコロナ時代の建築・土木・都市計画分野で連携して、ソフト・ハード面からの再構築を検討することになった。

上田篤+縄文社会研究会著「建築から見た日本」を読んで

 「建築から見た日本 その歴史と未来」(2020年10月30日 鹿島出版会)を贈呈されてから一ヶ月後にやっと一読することができた。何故、こんなに時間をかけなければ読むことができなかったのかと改めて思うに、本書の編集時から上田篤の並々ならぬ情熱と編集時の執念のすさまじさを知り、辟易していたからである。無理矢理に自説を押しつけ、それに従えない著者や文章は除去するという方針に賛同しつつも、最初からこれは上田篤の遺言であり、遺書であり、上田の生きた証であり、日本人や私たちへの教書を出版するつもりでもあると判ったからである。

 きっと読みたくない本に違いないと判っていたので、この本の出版を編集した私の研究室卒業生の久保田昭子さんには、申し訳ないが、きっと誰にも読まれないし、売れない本になるかもしれないけれど、きっと良い本になることだけは確かであると告げていたが、最後まで頑張ってくれた。

 そんな状況であったから、何年か後に本書を読むつもりで本棚の奥に入れてあったのが、昨今のコロナ禍で、11月29日の日曜日、余りに時間を持て余していたため、つい読んでしまったのである。

 丸一日掛けて読み終えた夕刻、上田篤著の「30 田園都市」の章と「31 天地笑生」を読み終えて、これは大変だ、早く仲間達に本書を読ませる価値ありと考え、このブログに取り上げた次第である。

 アフターコロナ時代の竿灯に立っての道標として、上田篤が自身の生い立ちを赤裸々に書いた上で、私たちに日本のあるべき姿や考え方、さらには進むべき道をこの2章で示してくれていたからである。

 本書は、不思議な著者達が上田に命じられるまま連著して書いたであろうが、なかなかに面白い内容である。何章かに分散して書かれている上田篤著の部分だけは少なくとも熟読する価値があると思い、一読を勧める次第である。

日本建築画像大系全60巻をYouTubeで公開するに当たって

 1980年春、中国科学院で半年間の在外研究を終えての実感である。日本の建築技術は全て古くは中国、新しくは欧米の模倣としか見られていないことから、日本建築の本質を世界に知ってもらうには、1964年のオリンピックや1970年の万博以降の日本建築の1980年代における高度な専門技術を映像で伝えることが最適と考えた。

 1982年から文部省の研究助成や民間企業の募金を得て、1983年から岩波映画にお願いし、またこの間の記録はNHK出版から「21世紀建築のシナリオ」と題して出版。15分×25本のビデオを完成。引き続き1988年から住宅シリーズ25本に取り組み、そのシナリオは1989年「21世紀住宅のシナリオ」シリーズとして早大出版部から出版し、25本の住宅シリーズを1990年には完成した。50本の建築と住宅のビデオを製作した上で、大学の教材として担当者に無料で配布していた。

 次なる都市シリーズを製作するに当たっては、バブル崩壊もあって資金が集まらず、これまでの成果を早大出版部に販売してもらうことにして、その20%を大学に寄附してもらうことによって数本を製作。また英語や中国語版、さらにはVHSビデオテープからDVDビデオへの転換も考え、日本学術振興会にも助成を申請した結果として、DVD化を行った。

 2007年、私が大学を定年退職したときには合計60本の製作を終えていたが、それ以降は早大理工総研の研究会に委ねることにした。

その時から15年、DVD化した60本のメディアが劣化して利用できなくなった上、VHSビデオ版として5セットの蓄えがあった分も新鮮みがないことや製作された先生方の多くも逝去され、岩波映画の倒産等もあって、理工総研の研究会や著作権者からも私に全て一任されて今日に至ってしまった。

 私の研究室の卒業生を中心に、2001年設立したNPOアジア都市環境学会に、2020年、この成果(負債?)を引き受けてもらうことにして、有識者の意向に沿ってYouTubeにuploadしてもらうことになった。今後のビデオテープの劣化も考えれば、この時点でデジタル化しなければ、20年前の貴重な記録や努力が水泡に帰すると考えた次第である。この間、残された画像大系の1セットは八ヶ岳の尾島山荘に、2セットは某大学に寄贈し、1セットは当方で保管することにした。

 日本の建築界が輝いていた1980年代の先駆者達の建築にかけた情熱と当時の建築界の実態を、この映像を通して見て下されば、コロナ感染対策でStay Homeされている方々の一興になればと考え、公開した次第である。

2050年の脱炭素化を考える(2020年11月5日 (一社)都市環境エネルギー協会の第27回シンポジウムに寄せて)

東京ガス(株)本社2階大会議室に120人の聴衆を得たシンポジウム。基調講演は東京大学名誉教授・橘川武郎、基調報告は国交省技術審議官・渡辺浩司、東京都地球環境エネルギー部長・小川謙司、東京ガス(株)副社長・野畑邦夫、話題提供は横浜国立大学教授・佐土原聡氏等で、そのパネル討論の成果は、「2050年に菅義偉首相が日本も温室効果ガスの実質ゼロを10月26日に宣言したこと」もあり、これを実行するための具体策について、集中的に検討することになった。

 筆者は、このパネルディスカッションのコーディネーターとして、(一社)都市環境エネルギー協会が貢献可能な分野に限ってパネリストに質問し、その反応を確認しながら、以下の如き活動方針を理事長(私案)として作成してみた。

『当協会も発足して半世紀、電力・ガスに次ぐ、環境にやさしいゼロエミッションとしての熱エネルギー供給を普及促進する産学官の団体として、当協会の役割が益々重要になってきた。2030年をステップとして、2050年には日本も地球温暖化の原因によるCO2等のゼロエミッション宣言により、自然災害対策としてのBCDや格差増大に伴うSDGs等の政策実現に寄与すべく、当協会の実行を伴う活動が期待されている。

世界中が直面している気候変動に伴う自然災害の多発と、その原因となる温室効果ガスを2050年には実質ゼロとすることに、2020年、日本政府も同意した。英仏等では、すでに実質ゼロを法制化する状況下、原発依存が期待されなくなった日本は、中国の2060年ゼロ目標同様、極めて厳しいのが現実である。

当協会は、すでに半世紀の間、都市の安全と脱炭素に向けてCGS活用等の熱エネルギーインフラの普及に努めてきたが、2030年を新しいステップとして、2050年に向けて革命的脱炭素目標を策定する必要がある。

 具体的には、

① 現在の全国における熱供給網(50年間で200km、2,000ha)を2030年までに現状の2倍、2050年までには5倍に拡張すること。

② その熱源としてゴミ焼却熱は全量活用し、分散電源として、東京70万kW、大阪30万kWを、2030年までに東京150万kW、大阪60万kW、2050年までに東京300万kW、大阪150万kWに拡張する。

③ ガス中圧管利用CGS利用を主とする分散電源のため、カーボンオフセット(CCSやCCO等JCM)の必要性から、地方自治体等が事業主体となって、国策として途上国の都市エネルギーインフラの整備をする場合、当協会はそれを支援する。

④ 以上は東京や大阪を中心としての具体策を記したが、大都市以上に地方創生の中心にこのシュタットベルケとして、この手法を普及推進する。

すでに都市環境エネルギー協会は、一種会員企業が中心に、二種会員の学識者と共にBCD事業化委員会を設け、地方自治体が主体となるべく、その可能性を追求し、2021年度からその実装に努めている。