Blog127 ブライアン・クラース著・柴田裕之訳「なぜ悪人が上に立つのか」(2024.10.23 東洋経済新報社)を読んで

 2024年10月13日、第21回AIUE国際会議は、2年前に新築された豊洲の芝浦工業大学キャンパスで開催された。日曜の朝とあって、予想より早く迎えのタクシーが到着したので、実行委員長の村上公哉教授の案内で建築学部の研究室や製図室などを案内された。定員240人の施設としては実に素晴らしく、6階の講演会場も立派な階段教室で、第20回のソウル大会にも劣らない施設と準備状況に安心する。

 洪元和会長は総長業務最後の仕事と重なり、ビデオ挨拶。表彰式では名誉会長の私と前会長の尹軍氏が代理。最初に「まほろば賞」受賞者・柴田裕之君の記念スピーチ。

柴田裕之氏
AIUE2024まほろば賞授与式にて講演
(芝浦工業大学 Ceremony Hall)
「なぜ悪人が上に立つのか」
(2024.10.23東洋経済新報社)

 「AIの普及で、翻訳者は不要になるか?」というのが主要なテーマの1つだったが、そのきっかけは、「20歳も若いのだから、これからまだ20年は働いて良い仕事をしてくれ」と私が先日かけた言葉だったとのこと。
 「北朝鮮の正式国名は『朝鮮民主主義人民共和国』だが、最高指導者の金正恩の言動や同国の実情との食い違いを、AIは果たして消化できるのか? また、ロシアの憲法は言論の自由を保障し、検閲を禁じているが、これまた同国の実情とは掛け離れている」と柴田君は言う。実際、ロシア憲法をAIで翻訳すると、原則(1)ロシアは連邦国家であり、(2)三権分立を基礎とする複数政党制の民主主義的共和国である。(3)基本的人権と自由の尊重、(4)経済活動の自由、(5)私的所有権の保護、(6)国際法の遵守、とある。「人間はそうした矛盾を甘受し、本音と建て前を使い分け、忖度もできるが、AIは自ら同様のことをしたり、人間の真意を見破ったりできるだろうか? 含みを持たせた情報の理解や発信、翻訳が可能だろうか? これも、まだAIが人間に取って代われない側面の1つに思える」そうだ。

 それにつけても、町から本屋すら消える状況にあって、是非とも新本を買って欲しいとのこと。最近、彼が翻訳した2冊の本を掲げて見せた。1冊は私がBlog123で紹介した本。これから出版予定の『なぜ悪人が上に立つのか』が2冊目の本で、この表題から「どうして悪人をリーダーに選んでしまうのか?」という疑問が自ずと湧いてくる。イスラエルのネタニエフ首相、ロシア連邦のプーチン大統領、中国の習近平国家主席。そして、私自身が体験してきた近辺のリーダー達――悪人かどうか分からないまでも、どう考えても良い人に思えなかった人が上に立っていたようだ。

 この本の表紙を見ただけで読んでみたくなったが、こんな本をよく出版できたもの。さらには、どうしてこの本を柴田君が翻訳する立場になったのかと。「まほろば賞」のスピーチに感動していただけに、早速、読み始めて、期待と全く違った内容に表題との違和感を覚えた。例によって「訳者あとがき」から読んでみようと思ったら、なんと「訳者あとがき」がない。著者の謝辞を読んで、やはり表題がおかしいのではと考え、翻訳サイトや生成AIで“WHO GETS POWER AND HOW IT CHANGES US”という原書のサブタイトルを訳すと、「誰が権力を手に入れ、それが私たちをどのように変えるのか」「誰が権力を手に入れ、それが私たちをどう変えるのか」「誰が権力を持ち、それが私たちにどのように変化をもたらすか」「誰が権力を持つか、そしてそれが私たちにどのように変化をもたらすか」「誰が権力を手にし、それが我々をどう変えるのか」等々あり、「悪人」という言葉はなく、やはり、これは出版社の戦略かと。

 改めて本書を再読すると、サブタイトルに「人間社会の不都合な権力構造」とあり、著者がキャンプ用のポータブルチェアに座って書いた人生訓で、著者自身が経験した世界各地の人間社会における歴史的不都合な真実をかき集めたものであるとのこと。版元が訳者あとがきの必要なしと考えたと思い、ホッとした。その上で、本書を読ませる「ワナ」としての「悪人」という言葉の持つ意味、「歎異抄」の「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」を思い、立場によって悪人を演じる人生や、実験の範例、さらには大学や刑務所や警察で人間行動が変化する実験研究の成果やサイコパス(PSYCHOPATH=反社会的または暴力的傾向をもつ精神病質者)の人間心理の恐ろしさを記す本書のすごさに脱帽する。

 それにしても、第9章「権力や地位は健康や寿命に影響を与える」、第10章「腐敗しない人を権力者にする」、第11章「権力に伴う責任の重みを自覚させる」、第12章「権力者に監視の目を意識させる」、第13章「模範的な指導者を権力の座に就けるために」の内容は、目下、選挙戦の最中の日本にとっても意味深長だ。本書の最後にくるこれら5つの章を政治家育成塾の教科書とすれば、定価の2,200円は実に安いと思われた。

Blog#126 帝国ホテルでの「米寿祝賀会」の御礼

 2006年1月22日、京王プラザホテルで、恩師・井上宇市先生が仲人された方々や井上研OB・OG100余人で「井上宇市先生の米寿を祝う会」が盛大に開催されるに当たって、木村建一先生や私が世話人をしなければならぬ筈が、井上研の大学院一期生で、日建設計の岩井一三氏が仲間と共に独断で招待者を決めて挙行された。
 それに倣ったのか、今度、中嶋浩三君が仲間を集めて、私のために、帝国ホテル「富士の間」で盛大な米寿祝賀会を開催してくれた。

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 最初で最後と考えていた古希と早大退職時の祝賀会は、リーガロイヤルホテルで盛大に開催。その時は、私も一緒に招待者を考えたが、今度の米寿を開催するのは気が引け、その上、高額な会費で出席を無理強いするのはやめてくれと言ったら、私たちが勝手にやることで許して欲しいと。それで井上先生の時を思い出した次第である。

 結論として、教師冥利に尽きる至福の一刻であった。(ご出席の皆様に感謝すると共に、案内が届かなかったOBやOGには私の指示でないことをご了承くだされば幸いである。)

 当日は、建築会館ホールでの国際シンポジウム「都市環境学を開くアジアの未来」の講演で、米寿に出版した本の解説は終わっていたので、司会の高口君、発起人代表の中嶋君、吉田公夫君の挨拶、長谷見君の乾杯に続いて、渋田君が制作した富山・八ヶ岳・東京の仕事場の様子などが映された。

 その後、年代別の代表者・吉田和夫・山田穂積・三浦昌生・福島朝彦・降籏哲人・岡本利之・高偉俊・梶川彩乃君に続いて、留学生の尹軍・王世燁・D.バート君らが想い出を話した後、「都市環境学を開く」を編集した岡・久保田君からの花束贈呈に続き、古希のとき同様、役に立つ舶来のカバンも贈られた。

 私の挨拶として、帝国ホテル「富士の間」での盛大な祝賀会に感謝すると共に、発起人代表の中嶋君をはじめ温かい皆様のスピーチに感無量であること。

 この「都市環境学を開く」のカバーと章扉の写真は家内の撮影である。そして、カバーを開くと、なんと久保田君のサプライズで、1964年東京オリンピックの代々木競技場(世界遺産に登録予定)の屋上で、田中俊六君が撮影した25才の私の写真が印刷されていた!

 この代々木競技場の空調の成功で、井上先生夫妻のアメリカ視察に同行することになり、ニューヨークでは世界博、レバーハウス、WTC、パンナムビル等々を視察して、東京の未来を予測した。この時の体験が全て、その後の私の研究テーマに繋がっている。

 この40日に及ぶ視察の間、私の克明な記録を察して、井上先生夫妻は、私を「メモ魔」で「求道者」と命名された専任講師時代。この60頁のメモをボランティアで清書してくれたのが、中嶋夫人の山根系子さんである。

 その成果もあって、助教授時代のEXPO‘70会場での人工衛星のR.S.を利用してのヒートアイランド現象に関して、NHKブックスから「熱くなる大都市」を出版。この本を清書してくれたのが松原純子さん。

 2008年の最終講義教材として「都市環境学へ」を鹿島出版会から、皆さんの執筆と岡・久保田君の編集で「尾島研究室の軌跡」の2冊を出版した。この2冊が座右の書として、「尾島研究室の軌跡」(続)が今度の「都市環境学を開く」である。

 この著書と、銀座オフィスでの中嶋・渋田・齋田美怜君らとの共著「東京新創造」の2冊と、大好きな帝国ホテルのチョコレートを私からのお礼とした。
 2008年に建築学会大賞、2016年に中綬章を戴いたのは「教育功労者として」であり、皆さんのお陰である。
 最後に、今日まで元気で活動できていることは幸せで、常々、健康に気遣ってくれている家内に限りなく感謝して。
 出席者一人一人にご挨拶して、お開きとなった。

Blog#125 第21回AIUE国際シンポ「都市環境学が開くアジアの未来」(2024.10.12 建築会館ホール)

 早大建築学科の尾島研究室OB達によって、2001年7月、北九州市で創立したアジア都市環境学会の国際シンポジウムが200余人も参加し、毎年のように開催されて21回。いつかレフリー論文の対象にされる程に実績を重ねてきた。
 第20回のソウル大会(Blog#97)も盛大であったが、今回は日本建築学会で、2008年1月の大隈講堂での古希の最終講義に続き、「都市環境学を開く」(2024.10.4 鹿島出版会)を教材に、140名が出席して1時間余の講義に続いて、OBで大学で教職をしていた10人との意見交流会となった。

「都市環境学を開く」(2024.10 鹿島出版会)
「都市環境学が開くアジアの未来(論文集)」(2024.10.12)

 冒頭、どうせ諸君はこの教材を持ち帰っても開かないだろうからと、先ずは第1章「地球環境と都市環境学」を開いて欲しい。その扉の写真は家内が撮影した自宅の紅梅と白梅である。「熱くなる大都市」は、1975年に教授になったばかりの頃に出版したが、この本を読んで、世界的なヒートアイランドや地球温暖化対策の研究者が出現したこと(10p)。さらに、都市環境学を大学院の講座に創設した年代とその歴史的経過を13pの図で解説。究極の結論として、原子力発電所の使用済み核廃棄物の処理処分に当たって、神頼みも良しとする分別も必要なこと。

 第2章「大都市の再生」では、東京の都市環境学で最も大切な自然災害対策には、建築学会のみの力では不足として、日本学術会議で全分野の研究者の知恵を集めて、時の総理大臣(小泉純一郎)に勧告したが、『重く受け止める』とされながら、未だに学者と政治は直結していない。しかし語り続ける必要があること。

 「安心」に関しては、ロイズ等の再保険会社のシティを有するロンドンを参考に、「活力」は熱くなる大都市のモデルとしてニューヨークを例に、そのヒートアイランド対策としての「風の道」は、パークアベニューのセントラルステーションの前に建つパンナムビル(現メットライフビル 54p)を反面教師として、東京駅を低層に、八重洲口の大丸東京店を二分して、八重洲通りから行幸通りに「風の道」を開いたこと。
 同様に、大阪は太閤下水やお城への通り道である南北通りを活かして、御堂筋や船場地区の再開発を職住近接することに加えて、インフラは筋でなく、通りを軸に再開発する必要性と、水の都としての大阪の再生について研究すること。

 第3章「レガシーをつくる」では、姫路城を扉にして、私達の生活は死者ならぬ先達が築いた環境の中での生活であることを考えれば、すべては遺産である都市が生存基盤と考え、その都市のまほろばを求めて、日本の全都市を歩いた。伝統ある日本の諸都市にはクールジャパンとしてのアナログ文化がベースにあること。然るに、近代都市文明は、DX化による都市間競争下、江戸時代の大名達の参勤交代ならぬ日本人の全てが大都市と地方の二地域に生活基盤をもつことを考えたい。何故なら、日本文明を世界文明に列するためには、限界集落や空き家対策が不可欠である。私自身、八ヶ岳山荘や富山の自宅を再活用で、この問題を解決したい。

 第4章の「DXとエネルギー」では、いま取り組んでいるBIMの普及やGXとしてのカーボンニュートラル対策を参照して欲しい。

 第5章の「都市環境学を開く」では、ドイツ帝国のビスマルク宰相の名言『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』を引用して、私の「都市環境学」は全て自身の体験に学んでの内容であったことから、諸君には愚者の「都市環境学へ」を導いたことを反省して、これまでの私の都市環境学を抜本見直し、諸君は歴史に学んで、アジアの、そして世界の未来を開く都市環境学を学んで欲しいと願って、丁度60分、ご静聴感謝する。

 終了後、10人の先生方への質問として
1.台湾の王世燁氏「北投市からのコミュニティ大学を発展させているが、何故、北投が拠点になったか」
2.中国の尹軍氏「中国の都市環境学に更なるAIの活用が必要ありについて、中国にこれ以上のAIは何故必要なのか」
3.横浜国大の佐土原聡氏「Biosphere内での生活圏の完結は可能だろうか」
4.青山学院大の黒岩健一郎氏「価値観の転換とライフスタイルの変化で二地域居住制度を可能にするマーケティングの活用を期待する」
5.早大の高口洋人氏「ウェルビーイングの可視化に期待するのは不可能なのか」
6.近畿大の依田浩敏氏「地方に根づいた優しい子供文化の創造は、飯塚市特有の文化によるのではないか」
7.東北大の持田灯氏「樹木の蒸発散量を定量化(実測)するのは、私自身のやり残したテーマで、ミティゲーションに不可欠で継続して欲しい」
8.芝浦工大の鈴木俊治氏「ウォーカビリティこそ、これからのまちづくりに不可欠で、私の郷里・富山を支援して欲しい」

 以上、私の聞きたいことを簡単に述べただけで時間切れとなり、パネリストのみならず、会場の方々には本当に失礼してしまった。
 一緒に学んだ学生達との至福な一刻に感謝して。

Blog#124 石井翔大著「恣意と必然の建築 大江宏の作品と思想」(2023.3.20、鹿島出版会)を読んで

 Blog#117でピュリツァー賞の建築評論家ポール・ゴールドバーガーによる初の評伝『建築という芸術 評伝フランク・ゲーリー』が鹿島出版会から出されたのを読んで、こんな評伝を日本の建築家たちにも期待したいと書いた。
 その甲斐あってか、2024年9月18日、藤本貴子さんが法政大学建築学科の創立者の一人、大江宏研究のため、陣内秀信・小堀哲夫・種田元晴氏と共に石井翔大さんを伴って来宅。石井さんから『恣意と必然の建築 大江宏の作品と思想』なる著書を手渡された。

(2023.3 鹿島出版会)

 手元に「建築を教える者と学ぶ者」(1980、鹿島出版会)、「建築学大系(1)概論」(1982、彰国社)、「大江宏=歴史意匠論」(1984、大江宏の会)、「21世紀建築のシナリオ 木から教えられてつくる」(1985、NHK出版会)、日本建築画像大系ビデオ(1985、岩波映画製作所)等と共に、石井翔大著の「大江宏の作品と思想」があり、懇談中に一見して、これはすごい本だと思って開くと、大江作品を全て見て歩いた上、現地でヒアリングしての本当の大江宏研究者の労作であると分かった。本書は、ゴールドバーグ並の労作であり、大江宏の生い立ちや作品の質・量・人格・見識などの面で、大江宏はフランク・ゲーリー並のすごい建築家であることも理解できた。

 当日は、日本の近代建築教育の創始者たちが、如何に偉くて、立派な反面、面白い人たちであったの論は、あまりに楽しく、私としたことがすっかり陣内ペースに乗せられ、その上、陣内先生持参のイタリアの上等な赤ワインをその場で開栓した結果、約束の2時~4時が6時まで、なんと4時間もの懇談会になった(写真)。

後列:石井翔大 種田元晴 藤本貴子
前列:小堀哲夫 陣内秀信 尾島  

 取り急ぎ、多忙な陣内先生や小堀先生のご来宅を感謝し、Blog#117、#123のご一読を願う次第。 

Blog#123 バーツラフ・シュミル著・柴田裕之訳「世界の本当の仕組み」(2024.9.5、草思社)を読んで

 

 2024年9月、OBの柴田裕之(しばた やすし)君が10月に「MAHOROBA賞」を受賞することになったが、その推薦人の佐土原聡君から、彼がまた大変な訳書を出版したと聞き、当人から贈られた書を読むことになった。

 研究者がテーマを選び、探究するに当たっては、先ずは、そのテーマの「本当の仕組みや仕掛け」を知ることが大切なことを繰り返し教えてくれたのが、早稲田大学建築学科時代の3年先輩で、私の郷里・富山県の出身でもあった古田敏雄氏であった。

(2024.9.5 草思社) 

 彼は卒業して清水建設に入社、間もなくカナダのマニトバ大学に留学した。当時はMITやハーバード、イエールかUCLA等への留学が人気の大学であった。然るに、日本ではあまり知られていないカナダの大学へ留学するのかと聞いたら、彼は「本当の近代建築を学ぶのはマニトバ大学の建築学部しかないのだ!!」と啖呵を切られたことを今も鮮明に覚えている。

 この先輩は、学生時代から物知りで、理屈っぽくて、本質論が大好き、とにかく説明し始めたら止まらない癖があった。その彼は、清水建設の設計本部長となり、専務取締役となった後も、よく先輩として面倒をみてくれた。彼の親切な妹さんも建築家になって、郷里の富山で活躍していたこともあって、1990年代、清水建設の初代社長の清水喜助氏の出身地でもあったことから、日本建築様式の本当の技術を継承してゆくには、宮大工の職人学校を創ることしかないと説得され、富山国際職藝学院を創立。その学院長として20余年間、1000人もの大工職人を輩出したが、今はコロナ禍と大工職人の不況下で、休業状況にある。

 何故急に古田先輩のことを書き始めたかと言えば、序の「なぜ本書が必要なのか?」と第一章の「エネルギーを理解する」は、私自身の研究テーマであり、多分に古田先輩の影響であった上に、本書の著者がマニトバ大学の特別栄誉教授であることを知って驚いたからである。

 読後感は、実に素晴らしく,何の反論もできない完璧な説得力で、本当の仕組みを教えてくれる著書であった。古田先輩の学んだマニトバ大学の伝統を輝かしいものにしたシュミル先生に最敬礼、そして脱帽!!である。

 OB・OGたちへの推薦書として、簡単に書評を記せば、第1章の「エネルギーを理解する」については、私自身が「熱くなる大都市」を著し、今日の気候変動による地球温暖化対策に追われていること。政治家の2050年ゼロエミッション宣言の無責任さに日頃憤慨していること。然るに本書では、「ある惑星のきわめて高度な文明が近隣のさまざまな銀河に探査機を送り込み、地球とその生き物も遠隔監視の対象としての論」、その監視の結果、地球上の化石燃料の活用は、2050年では終わらないことと同時に、安心したのは、酸素は地球上の生命を支えるに十分存在しうることを教えられた。

 第2章の「食料生産を理解する」では、縄文時代の採集社会は、光合成による植物由来の食物であったが、今日80億人の多くが都市に住み、その人々の食料は化石エネルギーの支援なくては成立しないことは、日常の食品を考えればよく分かると。

 第3章の「素材の世界を理解する」では、私自身、初めて知る知識であった。「現代文明の四本柱」は、すなわちセメント、鋼鉄、プラスティック、アンモニアだ。2019年時点で、世界では、セメントが約45億トン、鋼鉄は18億トン、プラスティックは3億7千万トン、アンモニアが1億5千万トン消費された。確かに、建築や土木工事に使われるセメントや鋼鉄、プラスティックなくして近代都市生活は成立しないことは分かる。アンモニアは肥料の主役として不可欠であることも、この章で教えられて納得する。

 第4章の「グローバル化を理解する」では、第一次産業の農水産物の世界物流の実態や第二次産業の工業化社会でのエンジンの存在なくしてグローバル化はあり得なかったことはよく理解できる。第三次産業の情報化に至っては、台湾の半導体ならぬマイクロチップがグローバル化を支えていることも確かである。

 第5章の「リスクを理解する」では、ウィルスによるパンデミックや地球温暖化が、世界中の人々にとって、今や最大のリスクであることは、よく理解できた。しかし、全てのエネルギーを再生可能エネルギーである太陽に依存することによって、リスクを避けること以前に、太陽の異変そのもののリスクを考えれば、本当のリスクは何かが見えてくる。

 第6章の「環境を理解する」も、私自身の研究テーマで、人類のみならず生命を育む地球はかけがえのない星で、その地球は、2050年から2060年迄にゼロエミッションにすることによって環境破壊を止めることなどできないことが分かっているのに分かりたくない「本当の仕組み」を説明している。

  第7章の「未来を理解する」では、2030年のSDGs目標達成も不可能なことのみならず、2050年のゼロエミッション、NC達成も今から不可能なことは学者でなくても分かっている。目標が達成できなかった時、結果は「この世の終わり、アポカリプス*と特異点シンキュラリー**」の狭間に入る。人口問題、食糧問題、エネルギー問題、核開発や気候変動等々の恐ろしい予言や破滅の日が到来する筈だが、予測の失敗で、この世は継続するであろう。それは、ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」によるもの。

*  神から選ばれた予言者に与えたとする「天啓(黙示録)」
**  人工知能が2045年に人間を上回る。

Blog#122 「新作庭記」(マルモ出版、1999.8)進士五十八・鈴木博之・中村良夫・内田昭蔵・オギュスタン・ベルク連著を読んで

 2024年8月の盆休み、退屈していたことから、富山の自宅庭が荒れ放題になっていたのを何とかせねばと考え、手元にあった庭造りの本に目を通す。

ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」(1996.6 草思社)は何度も目を通していたので後にして、富山の庭は「枯山水」が似合うように思ったので、重森三玲著「灯籠と蹲」を参考にして石灯籠を入れたことから、先ずは、この「枯山水」について改めて読んでみる。しかし、本格的枯山水のコストを考えると不可能である。
 結果として、Blogの表題の著書を手にすると、すでに熟読していたらしく何カ所にも折り込みや傍線がつけてあった。その上、本書は内田昭蔵先生からの贈呈で、手紙も入っていた。

 改めて本書を読むと、連著書の第5章 オギュスタン・ベルク氏発言が気になった。1942年生まれで、当時、フランス国立社会科学高等研究院教授、1984~86年、日仏会館フランス学長で、「日本の風景・西欧の景観」(講談社現代新書)や「風土の日本」(ちくま学芸文庫)の著書があった。以下に彼の著述(翻訳:篠田勝英)を抜粋引用する。

・私は日本に興味を持ち、この国のことを学び始めて30余年。日本語の「主体」「主観」「主語」「主題」の四語はフランス語や英語では一つの単語である。日本語の読み方を学ぶヨーロッパ人が直面する問題は「主語」の明示されないのが日本文である。そういう日本文においては、いかなる語も主語の代わりをしない。語っている人物の状況と身分に応じて変化するからだ。

・明治期に、日本の地理学者がドイツ語のLandschaft、英語のLandscape、フランス語のPaysageを「景観」と訳した。この時期、日本の画家達が「山水画」を「風景画」として語り始めたのは、主体の関係の変化であった。とりわけ「景観」という語は、主体から客体に向けられた視線の存在を前提とする。山水(風景)から「景観」に移行することは、文字通りの転倒が含まれている。「山水」の場合、重要なのはモチーフ(山ないし水)であり、「景観」の場合、視線「観」、すなわち主体の存在である。そして、その主体にとってモチーフ(「景」)が客体となるのである。
 一方には「景観」の研究を客観的な科学にしようという近代日本の地理学者の意図があり、他方には、後述する黄枝の句*によって示したような風景の伝統があった。実のところ、両者は両立しがたいものであった。その当時、日本人全員がこの両立不能の「体験」をしたのだった。
  *「風鈴の ちひさき音の 下にゐる」黄枝の句
 視覚以外の感覚(肌に感じる爽やかな風を喚起する音)によって、さらには体感(生活様式)、雰囲気は主体ではない「ゐる」の主語は存在しない。主語の不在が場面を活性化している。この様な風景が日本に存在するからで、日本語の表現がこれを可能にするから、このような句が生まれる。

 逆に、日本の地理学者が「景観」と訳した客体としては、ドイツのLandschaftほど深い根を持っていなかったことは明白である。

○作庭記とは、風情を巡らして空間と景観をつくる思想と方法である。

○主体と客体について、私が考察するところ(主体「観」の対称にあるのは客体「景」である筈が、主語を明示しないことによって景観のあり方を不明、曖昧、いいかげんにしたが、それを良しとするのが日本文化。)
  人間と(時間)空間を対比するように
  地理学と自然(地球の自然)
  社会学と風土(固有の風土)
  作家と風情(人格を求める)
  画家と風景(美しい風景を描く)
  建築家と景観(実景をつくる、設計者)
  物理学と環境(環境を破壊する)

 戦後の日本経済がバブル期にあった1990年代、建築自由の日本社会にあって、ヨーロッパ等の先進諸国に比し、無秩序な乱開発(屋外広告など)として景観の価値が問われ、2004年6月、国土交通省では景観緑三法を公布する。

 1999年11月には黒川紀章や藤沢和氏によって日本景観学会が創立された。日本の都市景観に対する取り組みが全く進まないのは、都市の主体者が不在であること以上に、その「ウラ」にもっと深い日本文化の特性があり、主体(責任者)を曖昧にしてきた故か?本書のオギュスタン・ベルク氏の学説を日本景観学会でも再検討する価値がありそうだ。足立美術館の庭、東京の自宅の庭、八ヶ岳山荘の庭、そして富山の留守宅の庭造りにも主体者不在を認識させられた上、何故かヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」を再読せずには居られなかった。

Blog#121 TOKYO2020からパリ2024オリンピックのTV観戦を通して

 2021年7月の東京2020オリンピックはコロナパンデミックとあって、1年遅れの無観客という異例の開催であった。がしかし、205ヶ国(地域)から33競技339種に派遣されたアスリート11,000人中6000余人が全員マスク姿で国立代々木競技場の入場式に参加した。この「コロナに打ち勝った証」はあまりに淋しかった。

 この東京大会に比べて、パリ2024オリンピックは、余りに華やかな開幕であった。エッフェル塔を背景に、セーヌ川の美しい橋を舞台に、1万人余の各国選手団が手を振りながら55隻の船に分乗しての入場式は圧巻であった。

 東京大会と同じ規模の206ヶ国(地域)から32競技329種に分かれての競技は、終わってみると、メダル数の1位はアメリカで、東京の113に比べ、パリでは129、2位の中国は88に比し91、3位の日本は58に比し45。開催国のフランスは4位の豪の53に比し64で5位。但し金の数は日本の20に対し豪は18で、仏は16であった。

 それにしても驚きは、1ケ月前の予測で日本のメダルは金銀銅で12+13+21=46と結果の20+12+13=45とたった1個の違いだったとは。特筆すべきは、パリ2024でスケートボードや初めて種目に加えられたブレイキンで日本が金メダルを得たこと。フェンシングややり投げ、近代五種などでのメダル獲得である。反面、オリンピック前から賑やかだったサッカーやバレーボール、バスケットボール等のチームプレーでの敗退で、2028ロスでの野球復活が話題になっているのは余りにはしたない。

 今度のパリ2024オリンピックでも開催中の前半は八ヶ岳の夏合宿で、後半も家族の観戦を側で観ていた程度であったが。学生時代、剱岳の岩場で訓練していた頃の体重55kg、腕の握力75kgであったのに比べて、昨今の体重は75kg、握力が40kgと情けなきこと。それ故か、東京大会から新種目に加えられたスポーツクライミングで「大和撫子」を思わせる森秋彩さんのリードクライミングのトップには魅せられた。

 この華やかな祭典に今大会も参加出来なかったロシアの存在と、オリンピック中も止むことなきウクライナ侵略。イスラエルのガザ空爆では4万人もの死者と10万人を超える負傷者を考えると、クーベルタンの理想としての戦争に代わる近代オリンピックのあり方が問われてしまう。

 こんな状況下で読んでいた文藝春秋誌の第171回芥川賞受賞作、松永K三蔵著「バリ山行」は、最近の芥川賞にはみられないほど実に読み易く、純文学作品であった。建設業社の下請けサラリーマンが日常の生活苦から解放されるため、神戸の六甲山系の自然に仲間と分け入っての心身の葛藤を綴った作品である。松永さんの受賞会見を読んで感心したのは、『ままならないものを書きたい。「ままならない」とは不条理だ。それは私達が生きているこの世界に厳然と存在する。しかし不条理に対して「なぜ?」と問いながらも、対峙し続ける人間の強さであったり愚かしさであったり、また美しさや哀しさ・・・そんな姿を書きたい』と。

 8月13日、東京の旧盆休みに、改めて人間の不条理を問う!8月28日からのパリ2024パラリンピックを前に、死者を生む戦争よりは平和に生きるオリンピック! 原水爆やミサイルより金・銀・銅のメダルだ!! 兵士よりアスリートを!!! と願うのは不条理か。

 8月11日午後の閉会式では、ロサンゼルス2028オリンピックに向け、あのトム・クルーズがスタジアムの屋根から地上に降りて、ロス市長から五輪旗を預かるとバイクでパリ市中を走り抜け、飛行機でハリウッドの丘へ降り立つ映像が流れる。

 それにしても、古都パリの都市がもつパースペクティブの利いたビスタを最大限に活かしてのアスリートたちの躍動。それを支えるはエッフェル塔、凱旋門、ルーブル、シャイヨー宮、グラン・パレ、コンコルド等の建築、マラソンのゴールがアンバリッドとは出来過ぎである。セーヌで泳いだパリ市長やパリ市内をこの祭典の舞台に解放したパリ市民のおもてなしに東京から最敬礼。

Blog#120 第16回八ヶ岳研究会と尾島山荘夏合宿(ジビエ料理)速報

 

 024年8月の夏合宿は8月1日~5日の4泊5日。日程表の如く参加者18人。8月3日(土)と4日(日)は12人が宿泊したため、テントが2張り、写真の如く賑やかなジビエBBQと猪鍋が二晩続く。渋田君が東京から仕入れての調理である。

八ヶ岳研究会の炭火焼きジビエ料理

 第16回八ヶ岳研究会に向けて、水素を燃料にしたジビエ料理が、池の平ホテルの名物料理にならないかとの小林光先生の発案から、水素利用の料理に関して事前に調査した。しかし、山荘で気軽に水素を利用するにはまだ問題が多く、炭火焼きジビエ料理BBQと猪鍋(ボタン鍋)とピザ窯活用の本格ピザが主役となり大好評。
 保全センターと環境技研の料理腕比べも楽しく、中国釣魚台の白酒や井上高秋さん持参のBOWMORE18年スコッチに、寒いほどの山荘で、夜の時間を忘れる。

JES主催の豪華な朝食(12人)風景

 8月4日(日)、保全センターチームは御嶽山ビジターセンター(さとテラス山岳)と(やまテラス大滝)の二ヶ所を訪問。2014年9月の御嶽山噴火災害の展示を視察。JESチームは北杜市の「平山郁夫シルクロード美術館」や「オオムラサキセンター」を訪問する。

御嶽山ビジターセンター(やまテラス王滝)(平瀬有人設計 2022年)

  8月2日の池の平ホテルでの第16回八ヶ岳研究会は、矢島・小林光・中川・福島氏と私の5人の幹事と原君が同席。「かわぐち・たてしなの森」の利活用について、中川・福島両氏のヒアリングの報告。

 (株)白樺村は、さん橋整備に加えて別荘地の改修や県・市・町との調整が進んでいる。『白樺湖と八ヶ岳物語』の2025年出版について、各自から資料提供や記載要求を年度内に受理する。NPO-AIUE出版。(株)白樺村での販売について検討する。

この写真集は、スイス・ツェルマット(マッターホルン)のガイドブックを参考にしたものであるが、リゾート地でのロングスティの参考書としてのみならず、当地をスイスのダボス(標高1560m、人口1万人)やアメリカのアスペン(標高2400m、人口7000人)の如き、世界のコンベンションシティとしての魅力をもたせるべく意図しての出版物にしたい。

白樺湖と八ヶ岳物語(2025年出版予定)

Blog#119 「江戸城天守」の再建!について

 2024年7月9日(火)、東京新橋ロータリークラブの例会で、会員の鞍掛三津雄氏の紹介で、太田道灌第18代目子孫・太田資暁氏による「江戸城天守再建に関する」卓話を聞く機会があった。

 卓話の趣旨は、『江戸城は徳川3代の将軍が次々に天守を築きました。取分け 1657 年明暦の大火で焼失し、その後天守台だけが再建されて上屋の建立は後回しになっている「江戸城寛永度天守」は、日本城郭建築の最高到達点であり、日本一壮大で美しい城であったと言われております。(中略)私たちはこの「江戸城天守」を、日本各地に広がる香り豊かな純国産の木材を使い、伝統工法により再建することを通して、首都東京のそして、各地のお城と連携して、地方の活性化にも貢献して行きたい。(中略)令和の世の「江戸城天守」建立を通して、次の世代がこの国の未来に夢と希望を持ち、日本に生まれたこと、日本人であることに感動と感謝の念を抱き、(中略)日本人の為の『未来遺産』を創り上げる事業と捉えております。』

 たくさんの資料を配付しての熱演を聞きながら、四半世紀も前(1997~98年)、私が日本建築学会会長時代の副会長で、東京駅の再生はじめ日本の伝統建築保存運動の中心であった東大の鈴木博之教授(1945~2014)が、江戸城天守再建だけは反対だと叫んでおられたことを思い出した。その理由は、世界遺産登録に不可欠な真正性(Authenticity)がないからとの説で、私も賛同していた。

 しかし、一緒に仕事をしている伊藤滋先生からは、江戸城天守再建は自分の最後の仕事だから協力するよう言われていたことや、今度、ロータリー会員への「江戸城天守再建活動への請願書」署名へのお願いがあったので、自分の態度を決めなければと考えた。

 「建築家としては鈴木博之説に賛同するも、東京のランドマークとして、皇居(旧江戸城)をバッキンガム宮殿や紫禁城の如き首都の歴史や文化の誇るべきシンボルとして創出することは不可欠で、太田氏や伊藤先生の再建説にも賛同せざるを得ない。

 しかし同時に、これから建設される天守は、必ずや世界遺産にすべきものでなければならない。そのためには、やはり真正性が不可欠で、安易な江戸城天守再建ではなく、東京にとって本物のレガシーとすべき天守として、東京大学建築学科で鈴木博之先生と共に学んだはずの広島大の三浦正幸名誉教授(1954~ )の復元図の真正性を含めて、天守再建のみならず、『皇居のあり方」について再考しては如何であろうか。2020年の東京オリンピックで果たせなかったザハ・ハディド(1950~2016)の国立競技場の反省として。

 1964年の東京オリンピックの会場となった丹下健三(1913~2005)の代々木国立競技場は、私も手伝ったこともあって、槙文彦(1928~2024)の要望もあり、世界遺産に登録すべく頑張っている。少なくとも、大阪城天守は姫路城のような真正性が全くないことから、世界遺産になる可能性はゼロであることを考えれば、江戸城天守の再建にはもっと慎重を期すべきか。

Blog#118 久し振り2024年度早大建築学科の環境系OB会である「七月会」に出席

 7月5日(金)、10年ぶりに早大建築学科の環境系研究室が順番で主催している「七月会」に出席する。
 乾杯の前に一言挨拶を、と言われて『2008年の定年退職時の最終講義テーマは「未完のプロジェクトⅩ」で、教材に「都市環境学へ」を出版。その12章「未完のプロジェクト実現に向けてⅩ」について、2007年開設した銀座尾島研究室で継続研究して10年余、コロナ禍で銀座から練馬へ移転して、その活動を続けていると共に、(一社)都市環境エネルギー協会の理事長として、国土強靱化策の一環で、CGSによる分散電源を推進、2050年対策としてのカーボンニュートラル推進に当たっては、水素等の普及調査活動をしている。

 幸い、大学時代からよく遊び、よく学ぶ方で、このように身体は頗る元気なので、今も研究活動を続ける。諸君もよく遊び、よく学んで、更なる活躍を祈る次第』と。

 思えば、1970年代までは木村幸一郎教授と井上宇市助教授時代、卒論が始まる7月、大学院生と共に湯豆腐会を始めたのがきっかけで、この会が盛大になったのは、1980年代の井上宇市教授時代で、建築設備系の学生は早大では機械や電気工学科にもOBで活躍する人が居たことから、「建築設備研究会」に改めたのがベースになる。しかし、既に木村建一研や尾島研では建築設備系以外に金融機関やエネルギー会社等への就職者が多くなり、「建築設備研究会」では入会できないOBも居て、「七月会」と名称を変更した筈。

 その上、研究室単位のOB会があまり盛大になると稲門建築会とバッティングするということで、研究室単位のOB会はやめてくれと言われ、私が稲門建築会の会長時は「七月会」への出席を見合わせることで、稲門建築会に「七月会」の存続をお願いした経緯があった。しかし、もう時効と考えての今回の出席である。

 気がつけば米寿の年齢に至って、早大退職時の「都市環境学へ」の(続)として「都市環境学を開く」の出版を鹿島出版会に依頼中である。

 久々に出席した「七月会」は、環境系の教職にあった石福昭・木村建一名誉教授の出席はなく、現職の田辺新一教授の会長挨拶は一言で、高口洋人教授と伯耆原 智世講師の時代である。

 長谷見名誉教授に新任の伯耆原講師を紹介してもらって、高口君と4人で富山の職藝学院について相談する。また、OBの松村亘君や大西君たちとDHC協会で近況を伺う会をもつことになった。

 18:30からの56号館カフェテリアでの懇親会に一時間ほど参加する間、尾島研OBの村上正吾君から始まって、牧村功君の建築基本法制度に当たっては、小川富由さんと神田先生との話し合いの必要性をアドバイス。井上研OBの板谷敏正君が客員教授になったとの挨拶あり。三機の清水君にはアーカイブスでお世話になったこと、相変わらずの外岡、柴田、前川、辻村、大竹君等もなつかしく、DHC協会で世話になった木村研OBの堀川、小野島、伊香賀君等との懇談も実に有意義であった。

 田辺君とは2018年、州一が白川君と開設した中華店での「五人会」以降、5年以上も中断していたので新任の先生を入れての再開を約束する。「七月会」出席はこれを最後と考えていたが、この会はなかなかに価値ありと考えながら早々に退席する。

 西早稲田駅と直結の地下鉄はなんと石神井公園行きで、練馬駅まで15分であった。来たときは高田馬場のBig Box前からタクシーで早大51号館の正面玄関前まで、すっかり生い茂った戸山公園の中を走って5分で到着。住み慣れていた51号館の研究棟から57号館前で古谷誠章・栗生明氏と合う。彼等はEXPO’25の海外パビリオン設計を支援するため、公開シンポジウムを開催中であった。大阪・関西万博EXPO’25会場の設計支援活動が早稲田で行われていたのは嬉しく、何故かホッとした。

 2030年に向けて、西早稲田キャンパスが日建設計と清水建設によって改築中とは承知していたが、予想以上に雑然とした昔ながらの校舎の雰囲気はなかなかに活力がある。

 七月会の名簿を見ると、1941~2024年(83年間)に2500人の名前や住所を記載。尾島研は1965~2008年(43年間)で1000人程か。それにしても、個人情報満載の名簿の取り扱いには留意すべきだ!!