市川徹君の「リニア中央新幹線の見直し(案)」に共鳴しての八ヶ岳研究会

 早大教授であった川勝平太氏が静岡県知事として、2020年6月、JR東海の金子慎社長と会談「南アルプストンネルの中間部分の工事許可」は物別れに終わった。その直後の知事選で反対を訴えた川勝氏が4選を果たして、静岡県を迂回するルート変更を求めることも辞さないという。

 こうした新聞記事を持参しての鉄ちゃん市川君の見直し案は、元来3ルートの検討がされており、Aルートは(木曽谷ルート、建設費5兆9600億円)、Bルートは(伊那谷ルート、建設費6兆700億円)、Cルートは(南アルプスルート、建設費が5兆4300億円)で、Cルートが最も安い上に、距離的にも最短とあってJR東海がこの案を進めていたものと同じである。

 長野県はA・B案に賛成で、静岡県がC案に反対しているのであれば、地方の民意でAかB案を検討をするのが民鉄としてのJR東海の使命と市川君は主張する。しかもアフターコロナ時代にあって、東海道新幹線の利用客の減少を考えれば、「東海道新幹線のバイパス路線」の必要性は減少する上、リニアは「中央新幹線」を名乗りながら、中央本線と接続するのは岐阜県内の駅のみで、八王子・大月・韮崎・茅野・諏訪・岡谷・塩尻などの中央本線の主要都市をすべてパスする。したがって、C案では中央新幹線の役割を果たせず、「第二東海道新幹線」に他ならない。中央本線の沿線自治体やJR東日本などは、中央本線の信頼性向上のためには中央新幹線の必要性を認識している筈という。

 さらに、電力消費が4倍も大きいリニアは如何かと問う。アフターコロナ時代のライフスタイルの変化やゼロエミッションを余儀なくされている日本にあって、市川宏雄著「リニアが日本を改造する本当の理由」(2013年、メディアファクトリー)と川村晃生他著「総点検・リニア新幹線」(2017年9月、緑風出版)の二冊を改めて熟読した。結論は、日本の今を考えれば、今一度再考すべきであろうか。

 「八ヶ岳研究会」とは、2013年に白樺湖畔に面した池の平ホテルで、アジア都市環境学会の国際会議と日本景観学会を開催した機会に「八ヶ岳山麓に二地域居住時代の新天地を創る」勉強会である。昨年この研究会に入ってくれた中島恵理さん(48)が環境省を退職して、この8月、富士見町の町長選に出馬するという。現職の名取重治氏(70)との選挙戦というので、ネットで現況を調べてホッとする。二人ともこの地を活性化するには「無投票だと地域の将来を考える機会がなくなる」「まちづくりには活力が必要」との明るい選挙のようなので、是非「リニア中央新幹線を富士見町経由にすべし。そのためにはA or B案を採用すべき」とJR東海やJR東日本のみならず、国や県に働きかける住民運動を起こして欲しいと考えた。8月8日の選挙後には投票数1位が町長で、2位が副町長として八ヶ岳山麓に新天地を創って欲しいと夢みた。

「TOKYO2020オリンピック開催の日」を迎えて

 2021年7月23日(金)早朝、三波春夫の東京五輪音頭“オリンピックの顔と顔 それトトントトトント 顔と顔 待ちに待ってた世界の祭り 西の国から東から 北の空から南の海も オリンピックの晴れ姿 それトトントトトント 晴れ姿~”が昨夜からつけっぱなしのラジオから流れて目覚めた。国民の大多数が反対していたTOKYO2020が愈々開催されることになったのだ。

 西日本中心に猛暑と雷雨、沖縄では台風6号が直撃、気候変動によるドイツや中国の洪水被害に加えて、東京は四回目のコロナ禍の緊急事態宣言下にあって、世界の感染者1億9200万人、死者412万人、日本の感染者85万人、死者1万5千人。東京の感染者は22日(木)1,979人、全国で5,397人。このような状況下にあって、過去最大の33競技に参加する11,000余人のアスリートが既に到着。ソフトボールやサッカーの試合は開会宣言前から始まって、日本が勝っているとのテレビ放送も関心が湧いてこない。無観客の会場に「顔と顔」や「祭り」の雰囲気のない競技場の淋しさがテレビ画面からも伝わってくる。

 2020年から1年延期しても完全なオリパラを開催すると宣言していた安倍総理は既に菅総理に代わって、世界中のコロナ・パンデミックが全く収束していない状態で、組織委員会の森会長辞任をはじめ東京エンブレムの撤回・再公募、ザッハの国立競技場もなく、無観客を予想して設計したとしか思われない隈研吾の競技場は、開会式統括の野村萬斎に代わった佐々木宏は3月にタレントの容姿屈辱で辞任、7月には開会式の作曲者・小山田圭吾が障害者いじめで辞任、開閉会式演出者の小林賢太郎のホロコースト発言から解任との報道に昨夜はすっかり落ち込んでの就寝だった。

 朝のラジオ体操ですっきりしてテレビをつける。世界中は悲惨なニュースばかりに加えて、朝日新聞の22面に建築評論家・五十嵐太郎氏の「国立競技場黄昏の時代の象徴」の記事を読んで共鳴する。1964年10月にブルーインパルスが青空に描いた美しい五輪マークを再び期待していたが、それ程ではなくて、夜8時からすることもなくて、家族で3時間半の長い開会式のテレビ中継を見る。

 国立競技場の外は高いフェンスで、入場を許されない多くの人々が会場を眺めているテレビ中継に呆れながら、直前に解任された小林賢太郎氏のプログラムで、会場では全9章の演出が始まった。先ずは694発の夜空の花火に続いて黙祷。世界に通用する舞台とは思えない淋しい江戸情緒のショーが続いて、アイウエオ順に205ヶ国(地区)の選手団がソーシャルディスタンスをとって、全員マスク姿の不思議な入場である。11,000人中6,000人のアスリートが参加した2時間30分にわたっての入場光景は、テレビの前でも我慢を強いられる。組織委員会の橋本会長とIOCバッハ会長の挨拶、世界中の要人を招いての華やかな開会式でなくて、天皇の開会宣言も「祝い」から「記念」に代替される。

 人工のノズルからの風になびく日の丸やオリンピック旗、福島県浪江町で造られたグリーン水素の聖火の点火式はそれなりに粛々としている。最後は1824基のドローンが夜空に地球を描いて、第32回TOKYO2020オリンピックの幕が上がった。この日は斯くあって然るべしで、せめて平和の祭典になって欲しいと床に就く。

 翌朝の新聞やテレビ報道は、私の体験した開会当日の感想と余り変わらなかった。同時に、海外の報道も又、よく我慢している日本人達との評価に共鳴する。私達のこの我慢で、コロナ禍や台風等で中断されることなく、無事17日間のオリンピック閉会の日を迎えることができれば、世界の国々が体験したことのないオリンピックを日本がやり遂げた歴史をつくったことになる。

吉見俊哉著「東京復興ならず」(2021.6 中公新書)の解は伊藤滋監修「かえよう東京」(2017.4 鹿島出版会)にあるのでは

 

 吉見著の終章、『2021年は、もはや「オリンピック」の年ではなく、「ワクチン」の年なのである。

 第一に、この二度目の東京五輪は、東京の都市構造を再転換する契機にならなかったばかりでなく、多くの人が誤用してきた意味の「復興」すなわち、経済効果でもマイナスの結果しか残さない。

 戦後東京は「復興」を「経済成長」として受け止め、都市がより「豊かに」なることは、「より速く、より高く、より強く」なることだと考えてきた。「東京マイナス首都機能」に向けた多極分散的な都市、具体的には皇室の京都への帰還や諸官庁の地方分散による田園都市構想で、大学都市構想を実現することこそ真の東京復興であり、コロナ禍の先にあるポストオリンピックシティである。』

 吉見は、「序章 焼け野原の東京」では、復興の意義について

「第Ⅰ章 文化国家と文化革命のあいだ」では、最低限度の生活と文化と経済について

「第Ⅱ章 文化首都・東京を構想する」では、1946年、東京帝国大学最後の総長・南原繁が東京の文化復興のモデルとしてオックスフォードを挙げ、その構想として、上野と本郷の文教地区を高山・丹下が、早稲田地区は吉阪・武が、神田は市川・笠原、三田は奥井、大岡山は谷口・清家等が幻の大学都市を描いた。

「第Ⅲ章 より高く、より速い東京を実現する」では、丹下健三の1960年の東京計画が東京湾上に求められ、東京メガロポリス構想へと発展、1964年の東京オリンピックを機に、文化の東京から道路の東京へ転換した経緯を。

「第Ⅳ章 カルチャー時代とその終焉」では、東京からTOKYOへ、大学都市から広告都市、経済バブルの崩壊と中曽根民活は世界都市博の中止と共に、パンデミック禍の東京は先行き見えない終焉下、今こそ、本当の文化都市としての東京復興を成し遂げる時。

 吉見のこの願望を10年程前から知っていた伊藤滋は、「かえよう東京」と題して解答したのが鹿島出版会からの大著と思われる。

 伊藤が自分で筆を入れた7章「大学を活かした東京都心のまちづくり」は、吉見が第Ⅱ章で記した幻の文化首都・東京へのこれからを示したもので、その解が、伊藤の「かえよう東京」構想にあるように思われたが。