第9回 八ヶ岳研究会の後に御柱祭りのルーツを訪ねる

 1970年、八ヶ岳山麓の美濃戸に山荘を設けて50年。1990年にその山荘を大改築して以降は、早大尾島研の夏合宿として30余年間、毎年学生やOB達との勉強会や山登りをする間、2000年には茅野市との共同国際会議、2013年には景観学会とアジア都市環境学会を共同開催した機に、池の平ホテルの矢島社長を中心に「白樺湖畔スマートヴィラ勉強会」を開催。

 2019年には環境省OBの小林光先生、ミライ化成の中川景介社長、JESの福島朝彦社長と私の5人が幹事となって「八ヶ岳研究会」と名称を変えて、その第9回目を9月10日、池の平ホテルで開催した。

 八ヶ岳のエイトピークスに倣って8部会を設けて、縄文から現代に至る1万5千年の歴史(時間)と八ヶ岳スーパートレイル周辺50万人の地域(空間)を対象として、地元のみならず、国や地方自治体とも共同研究することについて自由討論した素案を以下に示す。

1.観光・景観部会(ソーラーコレクター、風車、小水力、廃屋、空き家対策、アート)

2.再生可能エネルギー部会(バイオマス熱利用、マイクログリッド、チップ工場経営)

3.二地域居住部会(別荘と移住者、財産区、総有権、ふるさと納税、コミュニティ)

4.防災拠点部会(バックアップシティ、大都市と地方都市の災害時・平常時交流)

5.地方創生部会(山荘、森林、農地、牧場、ベンチャー、サテライトオフィス経営)

6.縄文研究部会(「星降る中部高地の縄文世界」日本遺産から世界遺産登録)

7.白樺湖畔部会(ホテル山善撤去跡の再生と白樺湖畔の景観再生)

8.出版・広報部会(ガイドブック出版、補助申請、リニア中央新幹線) 

 翌日は、旧来の山登り仲間(丸山・寺本・相場・鬼沢・友森・渋田)と共に、木曽路の奈良井宿から鳥居峠を目指すも、土砂崩れのため途中で引き返し、縄文から弥生・古墳・平安・鎌倉・江戸・今日に至る5000年の集落が同居する平出遺跡を視察した。その帰途、2022年の御柱祭りのため随所で交通規制が行われていた。

 このグループとは2010年度合宿で、諏訪大社上社の前宮と本宮の8本の御柱は尾島山荘間近の御小屋山から伐り出す予定が、御柱に適した樅の大木が台風で倒れてしまったためとかで、辰野国有林等からトラックで運ばれたと聞き、どれ程の被害を受けたのか、御柱山の実態を調査しようと出かけた。しかし、御小屋ルートと御柱山ルートを間違って後者を選んで登ったので、屋根筋に至るも樅の大木は勿論、小さな樅の木も見つからず、本当にこの山から樅の大木が1500年間も継承して伐り出されたのか疑問を持った。

 しかし10年後の今回は、一行の一人がスマホ情報として、2022年度は間違いなく近くの御小屋山から伐り出されるとの情報に加えて、その準備のためか、多くの軽トラックと職人達が近くの道端に集まっていた。改めて、夜、地図を見直しながら、スマホの情報と比べると、御柱山ルートと御小屋ルートは八ヶ岳山荘近くの美濃戸ロッジで別れていて、沢を越した別の山道であることを発見。

 幸い、日曜の朝は久し振りの晴天で、一行6人、尾島山荘を出発。樅の大木を伐り出すための下作業に行く軽トラ一行の職人にも確認して、御柱山とは別の御小屋ルートを登ること小一時間、大社の管理地で、樅の大木が散見できる森林地帯に入る。軽トラが10台も並ぶ鬱蒼たる森林が開けた草原の周辺には大社の御小屋や小さな祠宮が散在して、その近くで樅の大木を伐り出すためか、下草刈りを行っている職人達を確認。この伐り出し地点から20kmも離れた諏訪大社までの「山出し」ルートを歩くことにした。途中、尾島山荘近くの御柱街道と鉢巻道路の交差点からは車で八ヶ岳実践農大前を通り、八ヶ岳エコーラインとの交差点「一番塚」で8本の大木を集結する。この地には2022年4月に行われる「山出し」からの様子を示す立て看板が立っていた。

 8本の大木が御小屋周辺で伐り出され、「御柱街道」と呼ばれる山路を1ヶ月かけて3月末には「一番塚」に人力で曳き出される。4月2日、3日を御柱祭りとして「山出し」がスタートし、8本の御柱が氏子や観光客に曳かれて12km程離れている諏訪大社の本宮と前宮へ。途中、「穴山の大曲」や「山出し」のクライマックスである「木落し」坂から、4月の雪解け水で洗い清められた巨木は宮川の「川越し」を終え、安国寺の御柱屋敷に曳かれ、1ヶ月後の5月4日、5日が「里曳きの祭り」になる。

 50余年間、この八ヶ岳の尾島山荘で合宿しながら、諏訪大社奥宮の祠や樅の巨木の植林地、御小屋の山林や御柱街道を散歩することもなかった。1500余年もの間、6年に一度、この地に住む諏訪大社の氏子や住民が総出の御柱祭りに来年こそは参加したいと思った。

 それにしても、すぐ近くの中ッ原遺跡から出土した国宝「仮面の女神」が発掘された地に建つ8本の巨大な御柱が、大社の「御柱祭り」より3000年以上も昔の御柱と同じであると考えるだけで、「八ヶ岳研究会」の意義も身近に考えられてきたのである。

〇「八ヶ岳研究会」での歴史(時間)軸表とスーパートレイル周辺の地域(空間)図

「5000年前の中ッ原縄文遺跡の8本の御柱と今日の御柱祭りの関係は不詳」

 5000年前の国宝「仮面の女神」が発掘された中ッ原遺跡に建つ8本の大木①と、1500年前から6年毎に継続されている諏訪大社前宮の一之御柱②と三之御柱③。諏訪大社・前宮に4本と本宮に4本の8本が20km離れた御小屋山の大木④を8本、山出しされる。1500年以降は、御柱祭りとして諏訪大社の祭りと共によく知られているが、5000年前の中ッ原遺跡の8本の大木建立との関係は全く分かっていない。

 写真①の8本の柱は、4本が高く4本が低く建っているが、実は発掘した穴から柱跡と推測したもので、この御柱が何に使われたものか未だに分かっていない。横に見える小屋は5000年の「仮面の女神」(国宝)が発掘されたところを保存している。

①5000年前の中ッ原遺跡に建つ8本の大木    ②諏訪大社・前宮の一之御柱(2019.8)
(2019.8)
③諏訪大社・前宮の御柱(2019.8)      ④御小屋山の樅の大木(2021.8)    

「第2回東京パラリンピックのアスリートたちが創り出したレガシー」

 2021年9月5日、東京2020オリンピック(17日間)・パラリンピック(13日間)が閉会した。2020年の目標「東日本大震災からの復興」が2021年に延期され、「コロナに打ち勝った証」に目標を変更した第2回オリンピックは、205ヶ国(地域)から11,000人のアスリートが33競技339種目で競い合い、パラリンピックは162ヶ国(地域)からパラリンピック史上最多の4,400人のアスリートが22競技、539種目で競った。

 その結果は、前回のリオのパラリンピックでは金が0に対して、東京では13、銀が15、銅が23、計51個で、2004年のアテネの52個に次ぐ成果であった。肢体不自由、視覚障害、知的障害等のハンディキャップをもつアスリートたちが、血と涙の結晶として獲得したメダルである。オリンピックでは10代の若者が目立ったメダル獲得に対して、パラリンピックでは60代の高齢者がメダルをとっていた。はじめは、私自身、気の毒な人たちのすさまじき競技との偏見もあったが、次第にその余りに迫力あるテレビ画面に、いつしか引きつけられて興奮する。超高齢化社会の日本にとってのみならず、自分にとっても明るい未来のあり方を教えてくれた。

 そんな13日間も終わって、改めて、国民の大半が反対しても実行された東京2020は、どんな評価を歴史上で下されるのか。私たちはその対策も考えなければならない。何故ならば、この第2回東京オリパラの開催は、その成果や影響について、北京オリパラや第3回のロンドンオリパラの成功に比べて、世界中が注目し、東京での成果について大きな関心が寄せられていたからだ。

 建築家としての立場で考えても、第1回東京オリパラが残した国立代々木競技場については、前回のBlog36でも記したように、9月2日にこれを世界遺産に登録すべく、DOCOMOMOの国際会議と合同で第1回シンポジュームを開催して、日本の戦後復興と国際社会への復帰を宣言するものであったことに比べて、第2回は、コロナ禍とあって、世界と共に歩く「多様性と調和」を実現したのであろうか。少なくとも、第2回のオリパラ中の9月3日、菅首相は次期総裁選出馬を突然見送ると表明して、政局が一変したことからも、東京2020の開催は日本国の大事件だったこと。

 全国の感染者は9月7日時、減じ始めた反面で、自宅療養者と重症者の激増で医療現場は悲鳴をあげ続けている。世界の感染者もコロナ株の変異と共に増加を続けて、2億2万人、死者456万人。日本は156万人の感染者で、死者1万6千人。緊急事態宣言も第5波の襲来で8月31日から9月12日に延期したのを、さらに10月迄延期すべきとの声である。このような状態で、無事に東京2020が2024PARISへ、“ARIGATO”の言葉と共に引継ぎできたであろうか。

 オリンピックのみならず、パラリンピックでも事実上の無観客で、その入場料900億円の赤字は余りに大きい。その上、屋根なしで1,569億円も投下した国立競技場の年間維持費は24億円、減築できなかった東京アクアティクスセンターでは年間6億円以上の赤字予測等々と新聞報道は既にポスト東京2020の国内景気や政局に関心が向いている。

 世界遺産に登録する国立代々木競技場でも、当時の日本が精一杯頑張った施設を使い続けて、その上、実は大変な改築費と維持費が投下されていること。それに比べて屋根なし、減築なしとはいえ、今度の施設はバリアフリー化や近代的技術の粋を集めた安全性を考えれば、必ずや日本のレガシーになると信じたい。

 時々しか観戦しなかったパラリンピックのテレビ画面ではあったが、女子マラソンの道下美里さんの笑顔、競泳の木村敬一さんの涙、車椅子テニスの国枝慎吾さんのガッツポーズ、ボッチャの杉村英孝さんの得意顔等々の金メダルアスリートのみならず、銀メダルの車椅子バスケットボールの日本チーム等々、テレビというVirtualな世界でも十分に伝えられた刺激は、価値ある「モノ」ではない「こと」であった。この暗い明日の見えない時代にあって、東京2020は十分なレガシーとしての価値ありに思えてきたのである。

「国立代々木競技場世界遺産登録推進協議会 第1回シンポジューム」に招かれて

 2021年9月2日(木)、(一社)国立代々木競技場世界遺産登録推進協議会主催の第1回シンポジュームが、六本木アカデミーヒルズ49階タワーホールで、第16回DOCOMOMO国際会議2020+1東京実行委員会との共催で挙行された。

 午後1時半、2016年にこの会を発起した槇文彦氏がキーノートスピーチ。主旨は「1952年に東大建築学科を神谷宏治氏と同級で卒業。ハーバード大へ留学するに当たって、1年程の準備期間中、丹下健三研でコンペを体験した。その時の丹下さんは全員で自由討論させた上、最適解を採択しての実行手法は、今に至る自分の教訓になったこと等。」

 続いての基調講演で、この会の代表理事に就任した隈研吾氏は、「建築が趣味の父に連れられて見た代々木競技場の建物に感動。この水泳プールで、その後、何度も泳いで、益々この建物は神宮内苑の森とも調和して、素晴らしい景観を形成していることを発見。自分が設計することになった神宮外苑の国立競技場の設計に当たっては、この建物を十分に意識した」と。

 続いての建築歴史家の後藤治氏は、「丹下健三の国立代々木競技場を世界遺産に登録するには、第1に日本国の法で認められた作品であること。この条件は2021年に重要文化財に指定されたことで第1条件をクリアした。第2は、日本の文化庁の世界遺産リストに登録されること。第3は、ユネスコのリストに、第4は、そのためには海外の調査を受けることで、今度、第16回のICOMOS国際会議が東京で開催されるに当たって、本日のように共同でシンポジウムを開催したことで、広く海外の専門家に代々木競技場の素晴らしさを紹介できたこと等々。(一社)代々木競技場世界遺産登録推進協議会のこれから果たすべき道程について」講演。

 続くディスカッションの司会は豊川斎赫氏。彼は当日の資料として、自著「国立代々木競技場と丹下健三」(TOTO建築叢書12)と英文版“YOYOGI National Gymnasium and KENZO TANGE”を配布。

 帰宅して、本資料を読むと、意匠や構造については詳細に述べられているが、残念ながら設備系については、冷房費が削られたので自然換気で、空調循環平面図と断面図、ノズルの位置と送風機の配置図のみ、唯、屋根の断熱に使用されたアスベストの除去等については詳細に記されていた。

 井上研の卒業生が先生の死(2009年8月)後の平成25年(2013年)3月、『井上宇市と建築設備』(丸善)を出版しており、この本には今少し詳細に記録があるので、引用。

 丹下研の基本計画が出来た段階で、冷房費がない上、鉄板屋根で天井が低く、1万4000人の観客が入ると、室温は30℃近くなる。1人当たり換気量35㎥/hから50万㎥/hの外気を送るには、径1.2m、16個のノズルを用いて、吹き出し風速8m/s、到達距離100m、残風速0.5m/s、居住者頭上で1m/s~0.5m/sを均一に分布させるためには模型実験が不可欠で、早大卒論生を動員して、次元解析で1/50を最低縮尺とする模型を作成。このスケールで初めて天井とアリーナ間にある客席の温度や風速の許容値のみならず、室内の雰囲気が分かることから、丹下研をはじめ意匠や構造の設計担当者もたくさん見学に来た。

 客席にとって大切なのは、10月のオリンピック時、照明や人体によって上昇する温度を1.0~0.5m/sの風によって、実質体感温度を25℃前後にすることで、しかもノズルからの一時噴流ではなく、それによって誘引される2次気流と3次の気流とも考えられる側壁や床、天井に沿って流れを変える気流が合成された風で、これは模型からの次元解析結果でしか得られない。

 さらに、50万㎥/hの外気を16個の巨大ノズルから吹き出し、アリーナ部分から吸い込み、外気へ放出する送排風機の配置図を見て思い出したのは、騒音対策であった。ノズルの吹き出し側でも送風機騒音が周波数毎にNC40以下にする必要があった。コンクリート側壁やチャンバー内に厚さ50mmの岩綿板をグラスクロースで鋲止めすることで、巨大ダクト等を設けないで最小限のコストでこの換気システムを完成させた。この換気は、Authenticityの貴重な技術であり、これが大改築時にもそのまま残っていた。槙さんから世界遺産登録に当たって世話人を頼まれたときに、以上のことを現場確認したことを特筆しておく。

 また、豊川著のp.239、アスベスト除去に関して、朝日新聞「声」欄投書で、「代々木競技場の屋根裏でのアスベスト吹き付け工事で職人が呼吸不全でなくなった」との記事。文献p.87で、確かに井上先生自身「屋根面からの熱の流入を少なくするために、わしが吹きつけを進言した」との記載。1975年に吹き付けアスベストは禁止され、2005年、本格的に健康被害が報道され、2006年にアスベスト被害救済法の制定。2006年3月に代々木競技場の除去予算がつき、除去された経緯については両著に記載あり。

 私自身も1964年のオリンピック開催直前、アスベスト吹き付け直後の天井と屋根の間にあるキャットウォークから室内環境の実測で何日間もこの屋根裏で過ごしたことが原因と思われるアスベスト破片が肺に何個か今も残っており、慈恵医大のMRIで毎年検査して、健康確認をしている。当時の建設現場や新技術導入に当たっては、多分に体を張っての仕事は当然の時代であったこと。改めて当時の資料を見直した2021年9月のコロナ禍である。