江戸東京博物館の特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人」を見て

 2021年11月24日(水)、飯田橋での研究会に出席した快晴の午後、突然、江戸東京博物館で、特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」と共に企画展「ひきつがれる都市の記憶―江戸東京3万年史」が開催されているとの情報に驚く。先週の縄文社会研究会・東京部会で北海道・北東北の縄文遺跡世界遺産登録に続いて「甲信越の縄文遺跡(現・日本遺産)」を世界遺産に登録する活動を開始したばかりで、その時も北関東の縄文遺跡をどうするか、気になっていたからである。

 何はともあれ、12月5日までの開催とあって、午後4時を過ぎていたが、JR両国駅から殺風景な線路沿いを歩いて、何度も訪れたことのある階段を上って、洪水対策とはいえ全く人気のない面倒な3階の空中階でチケットを購入。

 先ずはエスカレーターで1階の「縄文2021―東京に生きた縄文人―」展へ。参観者の割には立派な展示物にホッとして一通り視察する。多摩ニュータウンの開発時に問題になっていた縄文遺跡を中心とする埋蔵文化財を多数収蔵してきた東京都埋蔵文化センターと江戸東京博物館と国立歴史民族博物館の協働というだけに充実している。

 帰宅して、「東京に生きた縄文人」(2021.10.9 TOTO出版)で、館長の藤本照信氏と山田昌久氏(東京都立大名誉教授)との対談「縄文人の智恵」を読んでのインパクトは絶大であった。

 江戸東京たてもの園の特別展「縄文竪穴式住居復元プロジェクト」(2021年2月3日~8月1日)の報告にある1930年;八幡一郎指導の戌立(いんだて)遺跡復元家屋写真、1949年;堀口捨巳の尖石の与助尾根遺跡復元、1951年;藤島亥治郎の平出(ひらいで)遺跡復元、1951年;関野克の登呂遺跡復元写真、岩手県の芝棟写真、他に関する藤森解説は実に明解であった。

 関東地方縄文海進と貝塚分布図を見ると、縄文人の生活にとって海との関係は強く、丸木舟や大森貝塚の展示と共に、伊豆諸島の縄文時代遺跡など、全く新しい知見を得た。土器を使った食文化に海産物が入ってこそ和食文化の「かたち」で、縄文人の暮らしにこそ、その源があることもこの縄文2021・特別展で教えられた。

 少々不自然に思えた5階の常設展示室内の企画展「ひきつがれる都市の記憶―江戸・東京3万年史―」も、この特別展を参観しての後であったが故か、無理なく観覧することになった。

 第一章の旧石器から古墳時代までの暮らしとして、縮尺1/10の縄文時代中期の住居、1階の丸木舟展示、縄文後期、品川・大田区での大森貝塚出土の土器(複製)、弥生時代の文京区本郷の壺形土器(複製)、古墳時代の大田区の埴輪。第二章の奈良時代から鎌倉時代の武蔵国では、国分寺市の武蔵国分寺跡出土の瓦、平安時代では八王子市の白山神社経塚出土資料。第三章の江戸の成り立ちでは太田道灌「山吹の里」(江戸名所図会)、八王子城址出土資料等。第四章の江戸時代以降の400年間、この吹き抜けた大展示スペースに収められている江戸東京博物館収蔵62万点からの出展である。

 「江戸東京3万年史」というタイトルを見て大法螺企画にと思えたが、「都市の記憶として」引き継いでいると解釈すれば分からぬでもない。日本文明はAD500年以降の1500年との解釈を、これを機会に3万年としても良いのか、都市は少なくとも文明の産物とすれば、である。それとも日本文化3万年・文明1500年と称すべきか。

 縄文社会研究会・東京部会としては、このような企画展や特別展で大々的に東京や関東地方縄文海進と貝塚分布図、衣食住の生活面で、現在の東京人との密接な繋がりが展示された以上、甲信越に絞った研究会は、貝塚に見る漁業や多摩の落とし穴による狩猟など、身近な関東や東京島嶼の縄文遺跡を調査し、文明の手段をもった縄文人の生活様式をもっと研究する必要性を痛感する。

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