コロナ禍の帰省で「故郷の味」

 2021年12月9日(木)、新幹線の上野駅12:30出発で富山駅途中下車。お土産は上野駅で購入する恒例の品と違って、新しいカステラとキャラメル煎餅にする。

 富山駅14:52着。金沢駅に比べて相変わらず実に殺風景である。南富山行きの市電(LRT)に直行して西町下車、210円。隈研吾設計のガラス美術館「TOYAMA キラリ」はなかなかの景観で安心する。太田口通りへのアプローチはよくなったが、15階建てのマンションが自宅の向かい側に建設され、町の変化が激しい。ギャラリー太田口の(Ⅰ)も(Ⅱ)も、改築構想が定まらない。

 16:00~17:00、西町北総曲輪再開発の近況について、理事長代行の石井隆信氏と相談。主テナント予定の病院がコロナ禍で入居不可能な事態になって、その代替のキーテナントを探すことで、来春こそ本組合立ち上げに合意する。

 高岡から妹夫婦が来てくれて、夜食は高岡の川魚料理「北栄亭」へ。好物のどじょうの唐揚げと柳川鍋、鱈白子の酢漬け、里いもの煮ころがし、三笑楽の熱燗、昆布のおにぎりに白菜の漬け物は郷里の食べ慣れた家庭の味で、すっかり満足して、新高岡駅から新幹線で金沢駅前のANAホテル泊。

 翌10日(金)は一日中、某社の役員会とビジネスコンクール。夜は金城楼で夕食。今が旬の「ぶりしゃぶ」や「蟹」の加賀料理で実に美味しい。加賀鳶の大吟醸酒にすっかり良い気持ちで、ゆとりある人は「ひがし茶屋」へ。夕食からの接待は茶屋の芸者や仲居さんが主で、それぞれに金沢大学文学部の史学科や哲学科の卒業生というインテリだ。ひがし茶屋には20年前にもお茶大卒の芸妓さんが居たが、金沢の茶屋で勤めることは、当時から出世と金持ちへの近道とか。

 しかし、コロナ禍の2年間はインバウンドの旅行客も激減して、政府からの給付金に助けられていた由。コロナ・パンデミックはこの分野に最もインパクトを与えた様子。しかしこの間に考えることや学ぶことも多かったとか。ひがし茶屋の「八の福」の女将、福太郎さんや佳丸、小梅さんの話題は、これまでの酒席では考えられないほど真面目な話が多く、10人程の役員達も三味線や太鼓に手を出す人は居ない。これもコロナ禍の生々しい現況で、23:00にホテルへ。このホテルで何度もお世話になっているマッサージのおばさんに、筋肉はまだ70才の若さと褒められて、熟睡する。

 11日(土)も北陸では珍しく青空とあって、9:00am、金沢駅で土産の銘菓店を覗きながら、年末のお菓子は何処も過飽和と考え、自分用の酒のつまみとしてハタハタ、フグ、金目、のどぐろ等々の干物を購入。富山駅途中下車でコインロッカーへ。

 この日は魚津の金太郎温泉か小川温泉に泊まって、宮崎海岸の寒鱈の味噌汁を食す予定であったが、地元の名士・浜多氏が手配するも超満員で、キャンセルも期待されぬ状況下、長い町の歴史でこんなことはコロナ禍の惨事か珍事という。尤も、お店にとっては嬉しい悲鳴であろうか。仔細は、県内の食事クーポン券の給付であった。この2年間ものコロナの嵐の合間とあってか、「緊急事態ならぬ異常事態発生」という浜多氏からの電話。

 幸い、わざわざ神戸から来てくれた吉國君と、伊東山荘の売却値相当の改修費でギャラリー太田口(Ⅰ)の Book Café 改築設計について現場で相談した後、太田口通りや総曲輪通りを散策して、魚津に寄らず帰京する。

 それにしても新高岡駅や富山駅等の駅内のみならず、周辺にはなんと多くの江戸前すし屋が増したことか。それらの店々は余りに画一的なチェーン店の様子に、本当に地元の”きときと”の魚や旬の料理を出しているのだろうかと心配になる。その上、政府や自治体のバラマキ給付のクーポン券での食事や温泉での憩いは幸せなのか。コロナ・パンデミックの心の傷を癒やす本当の「故郷の味」は来春に延期することにした。

(注) ひがし茶屋街は、1820年に加賀藩主の許可で金沢の中心部に点在していた百軒程のお茶屋を集めて、格子戸と大戸、二階の造りが高い街並みのある公認遊里とした。芸妓も百人余と大いに賑わい、この藩政時代からの伝統を受け継いで、現在、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、電柱・電線も地中に埋設した石畳は美しい。1960年代に加賀藩の菩提寺の一つである宝円寺住職の中野松禅氏の次男・忠松氏と従姉が結婚したことから設計を頼まれ、よくひがし茶屋で遊んで芸者遊びの面白さを知る。その忠松氏と伊東温泉で遊んだときに購入した伊豆高原の土地に1975年建設した山荘を、今年売却することになった。その資金で今度ギャラリー太田口の改装費を充てることになったのも因果である。

 

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