2020年に中国の青島理工大学で予定していた第17回の国際会議がコロナ禍とあってweb開催となったため、2021年度も青島開催になった。しかし、これも第5波のコロナ禍とあって、2021年の第18回アジア都市環境学会は、国と国との交流はできないが、同一国内であれば比較的自由に動けることから、中国は長春と青島、韓国は大邱、日本は北九州で対面での異例の国際会議になった。
12月4日午前10時30分に、私は北九大ひびきのキャンパスで参加。80人程の聴講者と主催者の先生方20余名は4ケ所の拠点を結んで、大変な通信装置を駆使しての合同講演会になった。開会挨拶は初代の尾島、2代目の尹軍、3代目の洪元和会長がそれぞれの国から挨拶し、基調講演はD.バート氏で「Beyond the 3posts, Post-Modern, Post-Industry, Post-Corona」のテーマで30分間、多様な画像を示しての熱演で、それぞれの拠点に集まった聴講者や自宅でオンライン参加している総勢300~500余人にとっては、不幸中の幸いの一般公開講演になった。これも大会運営委員、特に高偉俊教授と研究室の大学院生達の支援によるもので、北九州市の役員もこの国際会議には大変満足している様子を実感する。
昼食の金鍋の弁当はなかなかの質。午後の論文発表会は多拠点でwebを利用し、司会者と解説者、発表者は、4拠点会場からの質疑に対しても、英語を駆使しての国際会議は大成功と思われる。最後にwebで、第19回は横浜国立大で開催するに当たってのプレゼンは佐土原聡副学長。久し振りに4時間も大教室での論文発表会を、しかも英語での聴講に疲れも並みではない。
手元に配布された”18th International Conference of Asia Institute of Urban EnvironmentのJournal of A.I.U.E”( Special Issue:AIUE2021@Hybrid Conference in Qingdao(China),Daegu(Korea),Kitakyushu(Japan) Dec.4th-5th)はNET536頁の論文集で、100余人の発表者からなる。
懇親会は学生たちとは別に車で移動、小倉でも著名な料亭・観山荘別館へ。なかなかに立派な料亭で、D.バート、福田、高教授等、OBの接待を受けたのは、東京から出席した高口洋人、吉田公夫、私の3人。地元福岡の酒は繁枡で、座敷・庭の一如景色もなかなかにして、久し振りOB達との懇談は教師冥利に尽きる。北九大に留学している東南アジアからの留学生は博士過程が多い。その論文受理には福田、高、バートの3人の審査委員チームが最適で、建築のみならず、早大理工大学院の学生も対象にするという。各自50余人を担当する学生の内訳は、博士20、修士15、学生10、他という一般の私立大とは反対の逆ピラミッドで、これが大きな戦力である。博士の教育ができない東南アジアの途上国を支援できるのは、これからの20年程で、今が大切な時代との結論。
かくして2日目の長い一日が終わって、リーガロイヤル小倉での休息は快適。マッサージのおばさんは10年前に北九大の清掃員であったことから、創立期からの10余年間、北九大の先生や学生たちの裏話を心地良く聞かせてもらった。
第1日目は「ふく一」での白子三昧コース、ふく料理に最適の佐賀の大吟醸酒・鍋島に続いての二日目もまた素晴らしい接待に感謝のみ。
3日目は快晴であったが、学生たちは朝から一日論文発表とあって、私と吉田君は福田・バート氏の案内で福岡市へ。北九州市から1時間程で福岡市内の見覚えのある渡辺通りに到着。途中、磯崎新設計のJR博多駅前の西日本シティ銀行本店が撤去されたことや航空規制が改正され、天神の建物高さを上げることができ、天神ビッグバン再開発が行われていること、地下街の災害時利用を考えて尾島研OB達が実態調査をしたその後や、古谷研OBの平瀨有人君等の作品が注目されていること、アクロス福岡に代表されるグリーン建築の成功実態、再開発による環境問題として、特にエネルギーインフラについて心配している由。これが三日目にわざわざ2人で都心案内した理由と思われたので、早速、(一社)都市環境エネルギー協会で「天神都心BCD特別委員会」を東京で発足させた時の中心スタッフになる了解を得る。都市再開発緊急整備地区としてのみならず、安全確保地エリアに含まれていると思われる大名小学校跡地活用とザ・リッツ・カールトン福岡等の高層複合ビルの再開発現場を視察。黒川紀章設計の福岡銀行本店は、幸い撤去の話題になっていないことにホッとして、この建物内オープンスペースでコーヒータイム。その後、重松氏や日本設計の再開発ビルを見学。アクロス福岡のステップガーデンの20年間の変遷画像や旧福岡公会堂貴賓館、平瀨君の作品に満足して、昼食は河岸のステーキ。話題が尽きずゆっくりしてしまって、急いで地下街を視察後、空港へ。
翌6日の午後、(一社)都市環境エネルギー協会で、早速、福岡市の状況をネットで確認。中嶋理事や井原部長と来年度の特別委員会について検討を深めることにした。同時に、アジア都市環境学会の第1回国際会議が2001年7月、北九州市で開催されて20周年を機会に、北九州を本部とする法人化と東南アジア諸国の支部を設立、支援することにした。