Blog#53 2022年12月に横浜で国際シンポ開催に当たって事前視察

 2022年4月1日、夜半からの雨の音を聞きながら眠ってしまったらしい。付けっぱなしであったラジオが吉永小百合の昭和37年から昭和43年頃の歌を流し続けていた。昭和37年に公開された映画「キューポラのある街」の舞台は、東京オリンピックの聖火台を作った川口市の鋳鉄工場街である。吉永小百合が早大文学部に入学するとあって、同じキャンパスの隣の校舎に登校する彼女を見んと、大学院の同輩達が騒いでいたことを想い出した。

 当時、横浜のクリフサイドで踊ったことや、最近ではホテルニューグランドでの伊藤滋先生の米寿祝い、濱田政則先生の研究会でのスカンディヤや霧笛楼でのディナーを想い出すうちに本格的に目覚めて、仕方なくシャワーを浴びると、何か書きたくなった。

 先日、妻と娘が横浜で一泊するからと留守を頼まれた。桜はまだ早いのではと聞くと、MM-21にAIR-CABINが新設されたので試乗するだけというので、同行可能かと聞くとOK。幸い、桜木町駅前のニューオータニイン横浜プレミアムに予約できたので、ホテル代は娘、夕食は当方での割り勘で同行。

 3月19日(土)正午過ぎ、西武線練馬駅から特急元町中華街行で2時頃にはみなとみらい駅着。MM-21はすっかり完成して、東京とは全く違う、テーマパークに到着した実感である。

 娘の後について歩くと、見覚えのあるパシフィコ横浜ホールやインターコンチネンタルホテルを横手に、国際橋を渡って運河パークの万国橋で早速、新設のYOKOHAMA AIR CABINに乗る。片道1,000円、往復1,500円は割高とあってか、楽に試乗でき、運河の上からの景観はなかなかである。ランドマークタワーの建築はさすがであったが、新設の横浜新市庁舎やアパホテル等が乱立して、歴史的建物が全く見えなくなってしまった。2005年、「この都市のまほろば」で横浜を歩き回っての景観と、20年後にしてすっかり変わってしまっていた。混雑だけは変わらない桜木町駅に到着し、そのままホテルにチェックインして一休みする。

 4時頃、JR根岸線の石川町駅下車。久し振り、すっかり拡幅できた石川町商店街(元町ショッピングストリート)を歩き、娘達のショッピングを眺める間、ベンチで休む。朱雀門から媽祖廟等、豪華な中華店を眺めて、世界一の肉まんを購入。朝陽門からホテルニューグランドを通って、山下公園沿いに開港広場付近のレストラン「スカンディヤ」へ。名物のサラダにフォアグラ・ステーキは十分に満足。雨がひどくなったのと、想い出のクリフサイドは当日休みとあって、タクシーでホテルへ。

 夜はまほろばで取材した当時の資料や、佐土原聡君の「横浜市都心部、MM-21と鶴見、保土ケ谷清掃工場からの排熱ルート図」を見ながら、臨場感をもって国際会議予定の施設や研究会会場の横浜国立大学のキャンパス等を地図上で確認する。2030年迄のカーボンハーフ達成や国土強靱化に向けた分散電源によるBCD実現に当たって、横浜市が地方自治体のリーダーシップをとるに最適な都市に思えてきた。DHC協会がアジア都市環境学会の第19回国際シンポジュームと共催することになったが、今日の視察で成功を確信した。MM-21はすっかり完成しており、そのエネルギー消費密度や大きさからカーボンハーフ実現にはCGSの導入と再生可能エネルギーであるゴミ清掃工場の排熱利用が、この地で十分可能に思えたからだ。

 翌日は幸い晴れたので、朝食は赤レンガ倉庫のレストランへ。予約も大変だったという有名店とあって長蛇の列。娘向きのパンケーキがお勧めというが、ビールなしで呑み込むのは大変である。飛鳥Ⅱが停泊中とあって、赤レンガ倉庫前の広場は賑わっていた。

 今年の12月開催予定のDHC協会とアジア都市環境学会共催のシンポジュームと国際会議の横浜事前視察は、突然であったが十分に楽しく、有意義であった。12月迄にコロナ禍やロシア・ウクライナ戦争が終わっていることを祈って。