Blog#61 池田武邦さんの回顧展で「在りし日」を偲ぶ

 2022年7月19日(火)、新宿京王プラザホテルで、去る5月15日、98歳で永眠された池田武邦氏の「お別れの会」があった。4階の花の間で受付後、5階の回顧展入口で池田武邦(1924~2022)の年譜と回顧展チラシを受け取る。その冒頭に『自然を畏れ敬う 池田武邦は2001年より長崎県大村湾の琵琶の首鼻に茅葺の「邦久庵」を建て 夫人とともに約10年間居住していました』を読む。

 ハウステンボスは何度も利用して、是非、聞いておきたいことがあって、2005年12月24日、クリスマスイブの日、この別荘に「この都市のまほろばvol.2」(長崎)の取材で、中央公論新社の関知良編集者とお訪ねしたことを思い出した。

 2000年から設計責任をとってハウステンボス(株)の代表取締役会長に就任され、2003年には会社更生の申請で、都市環境学を専門とする私には、この点が大関心事であった。

 (7月21日(木)の朝日新聞と日経新聞の夕刊にHISが「ハウステンボス」を香港の投資会社などに数百億円で売却する方向であること、2022年4月の中間決算で265億円の赤字で、HISが保有する66.7%、他の九州電力や西部ガス、JR九州等の地元株主5社も手放すが、営業は続ける見込みとある。1992年に開業したが、2003年に会社更生法申請、野村Hの投資会社の支援で2010年にHISと九州の地元5社が買収して今日に至っていた記事)

 私の訪問時、池田さんは82歳で、隠居の身といいながらの回答は「ハウステンボスの設計主旨はあくまで“環境”と“やすらぎ”をキーワードにした日本再生のプロジェクトであり、ヘドロで埋め立てられた工場団地の土壌を再生させるために取り組んだ事業であること。池田さんの計算では、創造型環境会計では1750億円の黒字であると教えられ、詳細な内訳についても説明された。しかし、環境会計の普及には私は5年は必要と申し上げて、今一度、上京すべきとお願いした。この時も本物のオランダの街以上に美しいハウステンボスの価値を教えられた。確かに「会社は倒産しても、このプロジェクトは必ずや後世の歴史家からは21世紀の日本のレガシーと評される」説に感動・共鳴したが、この考え方の普及にはリーダーが必要と、私の提言は間違っていなかったこと思い出し、在りし日の池田武邦氏を偲んだ。

 このお別れの会の第一会場「在りし日の池田武邦Ⅰ 近代を開拓する」から「Ⅱ 近代を超克する」でも小一時間、多くの映像から偉大なる先駆者の一生涯を学ぶことが出来た。池田氏の一周遅れで社会体験をしてきた私にとっては、このお別れの場は懐かしく、改めて身近かに池田さんの声を聞けて嬉しかった。

 会場は「邦久庵」の周辺に広がる環境をイメージし、日本の在来の草花で設え、自然を愛し海に帰る池田武邦を送る場を表現。献花はないが、自由な形で偲べというコンセプトに、主催者である日本設計の篠崎淳社長は池田さんの志を本当に良く理解されてのことが頼もしく、脱帽してお別れさせていただいた。

 このBlog61の原稿を書いていた翌日の7月22日(金)、朝日新聞朝刊9面に「長崎県と佐世保市はハウステンボスの一画にカジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致を目指しており、今年4月に県がIR整備計画を政府に申請し、ハウステンボスとIR事業者が土地の売買で合意している。佐世保市の朝長則男市長は、21日午後、会社が倒産という話でなく、資本の移動ということ」として、IRやハウステンボスの営業は続けるという。

 資本の移動や創造型環境会計での収支に関することはよく分からないままであるが、池田氏が最後に挑戦したハウステンボスの継承は地元のみならず、日本の、そして世界中の課題であり、SDGs達成の試金石のように思えて、改めて池田さんにもっと学んでおくべきだったと反省する。