Blog#91 「阿部勤さんを偲ぶ会」に寄せて

 

 2023年8月26日(土)、世田谷区上北沢の賀川豊彦記念松沢資料館で「阿部勤さんを偲ぶ会」が開催された。当日、小林紳也、星野芳久、小林昌一君と私、4人は阿部君と山とボート仲間であったことから、一緒に出席する。

祭壇(2023.8.26)

展示① 阿部さんの年表と23の建築作品と模型 すごい!!
展示② 阿部さんの仕事(1)2008年JIA25年賞 松沢資料館の模型と身の回りの品々
展示③ 阿部さんの仕事(2)阿部勤自邸(中心のある家)2004年JIA25年賞の模型他に感動する。

 阿部勤さんと子息・淳さんのご挨拶
『探し求めるのは物や事だけではない。大切なのは、関係である。設計とは関係探しである。—- 略 —- 関係にもいろいろある。性能・安全性など技術的な問題、便利さ等機能面での問題、それに加えて大切なのは、安らぎ、拠り所、感動、知的刺激等、人と心との関わりである。』(阿部勤 「住宅建築」2006)

 所沢の阿部さんの自宅は、最愛の妻・哲子さんとその自慢のご子息・淳さんが「中心の家」だ。

 淳さんの挨拶文は、上のパンフに添えられていた。
『人、もの、植物、自然、家、建築、さまざまな関係を大切にし、それらに恵まれた父でした。—- 略 —- この度、父の友人知人、アルテックのOBOGの方々のご協力のもと、このような会を開くことができました。—- 略 —- 』(阿部淳 2023.8.26)

展示④ 主催者からのご挨拶と知人のビデオレターを流し、周辺に「武蔵住宅都市懇話会」の活動記録、澤田誠二さんから関係資料をもらった。その資料から武蔵高校での内田祥哉先生との関係を改めて知る。内田先生と阿部さんとのこんな関係も知らず、2009年、白山登山の帰途、私が学院長をしていた富山の職藝学院で「職人のすごさ」についての対談が好評だったことを想い出す。

 記念館を退館する際、淳さんとお孫さん、そして妹さんと話し合うことが出来て、阿部家の人々と十分に心の関わりを持てたと確信した。
 松沢記念資料館は紳也さんの旧居の近所、そして私の自宅は星野君の新婚生活を営んだ所であり、阿部さんの桜台や武蔵高に近い所でもある。その練馬の自宅で4人、直会を開催。この一刻、学生時代のボートレースの記念メダル名に一人、阿部君が居ないのは淋しい限りだが、60余年間の長い関わりに感謝する。

「阿部勤さんを偲ぶ会」後の直会 2023.8.26(土)                            

Blog#95 山ブドウ狩りに合わせての第14回八ヶ岳研究会

 2023年10月6日(金)、新宿から特急あずさ5号で茅野駅へ。超満員の乗客はスポーツの日と重なった連休のためか。前日から丸山・原氏が山荘の整備と山ブドウ狩りの手伝いに来てくれていたので、明日から来る星野芳久・相場洋氏を加えて5人分の食料をスーパーオギノで購入。茅野駅周辺でおなじみの「そば処更科」で名物の天ざるそばで昼食後、車山から霧ヶ峰へ。紅葉の山並みの写真撮影。八ヶ岳連峰や南アルプス、富士山、中央アルプスの山脈は絶景で、日本の原風景である。今春、新装された池の平ホテルで14:00からの「第2回立科町・川口市連携会議」までに時間があったので、ホテル10階の展望パノラマから白樺湖や車山・蓼科山の景観を撮影する。

 森林(もり)の里親「かわぐちとたてしなの森」に関する協定についての会議では、大変有意義な意見交換が行われた。今後、長野県の立ち合いで、川口市と立科町の協定を進めていく方向性や可能性等について議論が行われた。人口60万人余の川口市と6,000人余の立科町の面積は等しく、人口過密の大都市と森林58%の立科町がカーボンフリー時代とあって、立科町に川口の森が誕生することになれば素晴らしい。都市と農村との交流は、日本の将来を明るくするように思える。何はともあれ、今夜は尖石温泉・縄文の湯に入って後の尾島山荘での酒盛りは活況を呈する。

「池の平ホテル」第2回立科町と川口市の森林の里親「かわぐちとたてしなの森」2023.10.6
第14回八ヶ岳研究会(金山デッキでの幹事会)   尾島山荘での「山ブドウ狩り」会議

 7日、丸山さんが持参した里芋を使っての芋煮料理。明日の山ブドウ狩りの景気づけに地元の「真澄」と「五一ワイン」を一升瓶で購入。丸山氏が山ブドウ狩りに当たって事前の視察時に収穫した成果をジャムにするための処理を手伝いながらの酒盛りは仲々に楽しい。

 8日も快晴。早朝から歩いて柳川上流の美濃戸小屋中腹まで行く予定であったが、丸山氏の軽四輪で二人ずつ便乗しての山ブドウ狩りになる。今年の山ブドウは高木の頂上を覆い尽くす程に繁っており、随所に山ブドウの黒い房が見える。丸山氏の指令で相場氏と私は例年の訓練の成果で次々と収穫。星野・原両氏は呆れた顔で眺めながらも、少しずつ参加し、一時間後には一緒になって山ブドウの太い蔓を引きずり落とす度に折り重なって倒れる豪快な山ブドウ狩りになった。2時間程の奮闘の成果は、大きな背負い籠2杯相当、例年の4~5倍の収穫に大満足する。
 この日は星野君の要望で、すき焼きを食べながら収穫した山ブドウを房から一粒一粒、黒真珠のごとき山ブドウを大鍋に入れて、スリコギで叩き潰し、これを煮沸すること夜通し。原君が帰京時間を延ばして手伝う間、東京への交通渋滞の情報があり、明日の中央本線の切符予約の出来ていなかった星野君の都合で、急遽2人は原君の車で帰京する。その間、「真澄」の力を借りてのジャムづくりに精を出す丸山・相場氏の奮闘をみながら、私はラグビーワールドカップ、日本対アルゼンチン戦を聞く。

 9日は昨夜から降り続く雨のせいか、少し温かく6~8℃。午前中、「第14回八ヶ岳研究会」の資料整理に追われる間、丸山・相場氏は完全に山ブドウのジャムづくりに精魂傾けている。昼食は残飯整理のスープにカレー。しかし仲々に美味しいのが山の食事である。

  丸山車で小林光先生の二地域居住である金山デッキに送ってもらう。「新建築」にも特集されたカーボンフリー住宅で、自宅消費電力の2倍以上を売電する画期的な試みは、これからの二地域居住のモデルである。
 「第14回八ヶ岳研究会」の幹事として、矢島・小林・中川・福島・私の5人で、拡散したテーマを絞り、5km圏の白樺湖周辺は矢島氏の事業担当。50km圏で二地域居住する小林・尾島は広報担当、500km圏は企業コンサルとして中川・福島は可能なことと不可能なことを選別する。この成果は、来年5月頃報告し合うことにして、5時から懇親会。7:09pmの特急あずさ54号で帰京する。

 

Blog#90 第13回八ヶ岳研究会と2023年度夏合宿

 2023年8月2日(水)、特急あずさ新宿発7:00amで茅野駅着9:10am。東口に丸山車の出迎えで尾島山荘へ。福井から西岡哲平君、富山から浜多弘匡君が既に到着。玄関横の書庫をゲストハウスに改装手伝い。

 まずはNPOアジア都市環境学会北陸支部の活動方針の相談。東京から原英嗣君が車で、佐土原聡君が特急あずさで、奈良から山田穂積夫妻が車で到着。昼食を一緒し、皆、久し振りに親交を深める。

山田夫妻・丸山・佐土原(2023.08.03)

 1:00pm、原君の車で池の平ホテルへ。4月新装オープンの池の平ホテルはすでに超満員、嬉しい限りだ。ホテル山善周辺の撤去も予定通り進んで、白樺湖畔の景観再生は本格化している。

 新設の会議室もweb設備も立派になって、九州の熊本からは小林光先生、沖縄の宮古島から齋藤正己氏がweb参加で、顔も声も十分に認識できる。2:00pmからの研究会には長野県環境部から藤原智子主任と高橋孝平氏、矢島義拡、中川景介、福島朝彦、小泉翔建、原英嗣君等10名出席。テーマは現代総有での五十嵐・矢島・尾島鼎談について、縄文社会研究会の近況、バイオマスと小水力発電の具体化等の状況報告の後、小林光先生が茅野市の行政アドバイザーに就任されたこともあって、次回は小林先生の新築された金山デッキで市長を招いての研究会を予定。また、齋藤さんには五十嵐先生等、元景観学会の方々との再交流会の開催などお願いして4:00pm終了。


 8月3日(水)、早朝からの朝食は山田夫妻に一任して、尾島山荘のグランピング活用について、丸山・佐土原君を中心に庭の整備をお願いする。実に気持ちの良い朝だ。

 8:30pm池の平ホテルへ。増田・川田君が昨夜からホテル泊。9:30am「第2回川口市と立科町の研究会」開催。川口市から江原・森岡両部長、立科町から小平副町長と斉藤・田口課長出席、10名で川口市の災害避難計画と立科町の受け入れ可能性について討論。森林環境譲与税を利用した、立科町への「川口の森」の整備に向けて協議を進めていくこととなった。そのペレットを利用するための鋳鉄ボイラを川口市で製造する等、平常時のワーケーション施設としての利用についても検討を進めていくこととなった。

川口市の方々も交えて山荘にて昼食(2023.08.03)

     11:30amから尾島山荘で川口市の方も一緒に昼食会。流し素麺にピザ窯利用のピザはなかなかに好評。庭でハンモック遊び。

 2:30~3:30pm、縄文の湯が定休日の看板。久し振り、原村の「もみの湯」へ。夜は山田夫妻の苦心によるソーメン残飯整理で満腹。野外での賑やかな夕食は格別だ。

 8月4日(金)早朝から快晴。山田夫妻・佐土原・増田君等8:00amに帰宅。午後の客人達を想いながら一休み。台風は8日頃に日本直撃との天気予報。テント・ハンモック等整備。昼食は冷や奴、豆腐汁、とろろご飯で一息。


 3:00pm渋田、渡辺夫妻到着。原君帰宅。5:00pm、日本環境技研(JES)の4人到着。古市淳・磯崎恭一郎・阪田暁・中池和輝君と早速乾杯。「五一ワイン」はなかなか好評。カレーにピザの夕食後は昔話。10:00pm、テント泊の希望あり。

JES(古市・磯崎・阪田・中池)・渡辺・渋田(2023.08.04)

 8月5日(土)、8人の朝食は久し振り卵にキャベツの定番。御小屋山に8人で登山。9:00am下山。JESグループは女神湖へ。渡辺夫妻が2人の娘さんとハンモックで遊ぶ。グランピング施設として、テントもハンモックも早速使われたので安心。久し振り丸山・渋田君とカントリーキッチンが満員で、小淵沢のレストラン キースプリングでオーストラリアサーロインの昼食、温泉へ。

 2:00pm、保全センター(BMMC)の寺本英治・相場洋・鬼沢浩志・友森剛二・福島孝治氏と山荘で合流。12人の晩餐会は流し素麺にピザ釜利用の特製、盛大なるBBQ後、6:00~8:00pm、炉端での二次会盛り上がり、20代~80代のコミュニティもなかなか楽しい。

BMMCの参加者(2023.08.07)
小津安二郎「無藝荘」(2023.08.06)

 8月6日(日)7:00am朝食。JESの若手が頑張り、12人分Breakfast、8:00am出発、小津安二郎の無藝荘で解散。BMMCの8人で和田峠の黒曜石ミュージアムへ。一時間程の山歩きで星糞峠、2年前に新設された星くそ館(黒曜石鉱山展示室)へ。このミュージアムは一見の価値あり。この施設を世界遺産にという地元(長和町)の試みには無理がない。これと縄文社会と一体化し出来るかが問題だ。道の駅和田宿ステーションと周辺の整備は相変わらず滅茶苦茶だ。地元の和田宿温泉 ふれあいの湯(源泉か)で一休みして尾島山荘へ。今夜はラストナイト。井上高秋氏差し入れのボウモア18年が期待される。ウイスキー2本を8人で飲んで、実に愉快になって合宿終了。

Blog#89 円満隆平君夫妻に招かれての金沢・東茶屋「八の福」

 2023年7月25日(火)、金沢文化センターでのMITANI AWARD2023終了後、NPO-AIUEの北陸支部長に今年7月就任した福井市在住の西岡哲平君が、協力者として地元金沢に10余年前に清水建設から金沢工大の教授に転職していた円満隆平君を呼び出した。円満君も久し振りとあって、東京に住む奥様と一緒に東茶屋で最近評判の蕎麦料理を御馳走するという。

 1984年7月7日、東京會舘で、テニスや学会でのライバル研究室で、東大建築学科の香山研のマドンナであった湯浅素子さんと、早大建築学科の尾島研のエース・円満隆平君の結婚式があった。披露宴では、ライバル研究室の仲間達による賑やかなやっかみから「この結婚は半年も続いたら大成功」等の冗談が飛び出し、いつか伝説になっていた。

 浅野川に沿った東茶屋の蕎麦料理店で40年ぶりに再会した素子さんは、昔と同じ明るく賑やかで、すぐに打ち解け、当時の冗談も話題になり、すっかり昔話が弾んだ上、お腹も一杯になったので、本当の東茶屋に行くことになった。

 円満君は金沢在住の間、早稲田の先生方を数多く招いた上、馴染みの茶屋というので一緒に行くと、なんと私も何度か三谷産業の懇親会で遊んだことのある「八の福」であった。玄関に入るなり、女将の福太郎さんに「お久しぶり」と言われて、円満君の方が驚いた様子。

 東茶屋に限らずお茶屋に来る前にはいつもお腹がいっぱいの上、お酒も十分に入っているので、いつも唯々、皆の面白い会話を聞いているのみであったが、今回は早々に福太郎さんの三味線に二人の芸者さんの踊り、円満君の太鼓など、素子さんも参加しての芸者遊びに「この都市のまほろば」で金沢を取材した時を想い出した。

「八の福」にて(2023.07.25)
円満隆平君ご夫妻(2023.07.25)

 それにしても、初めて東茶屋で芸者遊びの楽しさを知ったのは大学院生時代であったから、なんと60余年間、太鼓に三味線、お囃子のリズム、美しい和服、洗練された会話に、日本の伝統文化を今も共有できる幸せを実感する。加賀百万石の文化が継承されていることに感動し、同時に円満夫妻の心遣いに謝意を表して、この夜は早々に新幹線で富山へ。何と30分で富山のANAホテル着だ。

 7月26日(水)富山も東京も38℃の猛暑で、朝から太陽が輝く。お盆には早いお墓参りを済ませて、自宅の太田口ギャラリーに集合。西岡・中川・浜多・尾久・北島さんら6人でギャラリー太田口Ⅰのあり方について検討すると共に、西町北総曲輪再開発のテナントについての相談。

夕刻の西村・中川(恭)・黒崎・杉山・荻町君等6人の中学の同級生との懇親会では、ギャラリー太田口の管理を託せる人について相談する。恒例の郷土料理店「美咲」は金沢の加賀料理や東茶屋での粋な遊びとは違って、きときとの刺身に郷土の煮物と、相変わらずのレシピは地酒によく合う。

 7月27日(木)午前中、北島さんと石井さんを同行して富山市の美濃部副市長を訪問。西町北総曲輪再開発について相談して後、新幹線で東京へ。新幹線が出来て10年、金沢と富山・福井の格差が一段と鮮明になったのは何故か。国鉄時代の富山発東京方面は下りであったこと、西町が富山一番の盛り場であったことなどを知る人もいつか居なくなったのに、「金沢の茶屋」の遊びと富山の「きときとの刺身」は変わらず別格である。