2023年9月2日の誕生日に京橋伊勢廣本店を予約せんとしたが満席で、銀座5丁目のコアビルから7丁目のGINZA gCUBEに移った楼蘭を予約する。尾島家では自分の誕生日は自分の好きなレストランに家族を招くことになって久しい。
銀座楼蘭は家内の友人が店長をしており、フカヒレと15年ものの紹興酒の美味しい老舗だ。しかし、この度のコロナパンデミックで5丁目から7丁目に移転せざるを得なくなった由。しかも松江料理の「皆美」のあった店で、12階の鎌倉山も閉店になっていた。コロナは私の銀座オフィスのみならず、銀座の有名店舗にインパクトを与えた。
9月2日の朝刊やテレビは関東大震災から100年、都市防災の課題として、30年以内に70%の確率でマグニチュード7.3の首都直下地震で、死者最大2万3千人、61万棟の建物倒壊、帰宅困難者453万人と予測している。
私の誕生日は、本当は1937年9月1日の正午であったのに、関東大震災を体験した父が縁起が悪いと9月2日に出生を届けた。このことは常々けしからんと思っていたが、今度NHKが100年前の大震災を記録した35㎜のモノクロフィルムを8K高精細カラー化に成功し、「映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間」として公開した。各分野の専門家、京大防災研の田中先生等は、撮影場所や時間等を特定し、解析。これを元に、私のよく知る東大の廣井修・悠先生等の専門家が解説している。この特集は実に参考になった。特に10年ほど前に早大東京安全研究所を設立。伊藤滋・濱田政則・長谷見雄二先生等を中心に研究した成果について、今度の関東大震災の記録を元に勉強し直すこと。
当時の東京市の人口は220万人、浅草の12階建て凌雲閣の倒壊とその後の火災状況を見る限り、市内は10m/sの強風下にあって134ヶ所の出火場所から隅田川の両岸に同時多発的に火の粉が飛び火して、4時間後には240ヶ所から火災が拡大。驚いた群衆は家財を持って50万人が上野公園に避難した。東京駅前には10万人、皇居前には30万人等々、浅草、入谷、下谷、九段、牛込、飯田橋、秋葉原等の場所や時間を特定し、家財道具を積んだ大八車や人込み、人々の表情まで鮮明に撮影され放映された。
2日目、3日目と東京市内の40%も焼失してゆく状況。隅田川両岸から橋や川岸に向かって逃げ込む人々が群衆雪崩に巻き込まれる様子。2万坪の陸軍被服廠跡地へ逃げるよう誘導された4万人の人々が火災旋風で3万8千人が焼死した惨事。隅田川両岸に押し寄せた群衆もまた相生橋や吾妻橋、厩橋上での群衆雪崩で圧死や焼死。河川に飛び込んだ人々の溺死死体の惨状も明確に放送されていた。「殺してしまえ」との流言飛語やデマの拡散、黒澤明や芥川龍之介等が体験した語りの意義。
死者・行方不明10万5千人の90%が焼死者。しかも避難場所での被災状況を知るとき、父が私の誕生日を変えたことに納得し、今頃、こんな記録を見るまで気付かなかった自分の都市防災への浅学さを知らされた誕生日になった。
この日は久し振り、銀座中央通りの歩行者天国を歩き、GINNZA SIXの蔦屋書店へ。今年の猛暑に加えてコロナ感染者の急増、ロシアのウクライナ侵攻の泥沼、福島の処理水による中国の異常反応に加えて、東京直下の大震災予告である。その割には書棚の出版物は日本病の20余年分の蓄積故か、全く緊張感のない高邁な趣味での世界、お茶・香・書・菓子・酒・縄文・古事記等の趣味趣向の解説書群に呆然とする。建築コーナーは安藤忠雄の本ばかりが目立つ。しかし心癒やされた蔦屋書店を出て、楼蘭での老酒1合に酩酊。