2025年9月1日(月)、品川発8:59で新大阪着11:21。南口で中嶋・佐土原君と待ち合わせ、大阪ガス南館のガスビル食堂にて、植田・真貝氏と名物のビーフカレー昼食。
13:30からの基調講演は、服部卓也(国交省審議官)、尾花英次郎(大阪都市計画局長)、下田吉之(大阪大学教授)、田坂隆之(大阪ガス副社長)の4氏。
15:20~17:00 私がコーディネーターとして、小川博之(国交省)他3人の講演者とパネルディスカッション。
まずは、本シンポのテーマについて各パネリストの立場から強調しておきたい事項についての追加報告を求めた後、会場からパネリストへの質問を受ける。
①大阪ガスの杉岡氏から、国交省の小川氏へ。
②当協会の中嶋学術理事から、大阪ガスの田坂氏へ。
③同じく協会の佐土原専務理事から、下田先生へ。
④摂南大学の大橋巧先生から、大阪市の尾花氏へ。
⑤竹中の中村氏から、大阪市の尾花氏へ。
⑥東京ガスの吉田氏から、地方都市での体験から、面的熱利用には事業者育成が大切との発言があり、それを受けて会員の松原純子さんから、このようなシンポを名古屋でも開催して欲しいとの発言。
当協会は、1970年の大阪万博でDHCを実現したこと。そのレガシーとして、東プラントは千里ニュータウンセンターで日本最初のDHCとして実現したこと、また北プラントの大型冷凍機は東京の新宿や成田空港のDHCへ。1972年には熱供給事業法が制定され、第3の都市インフラとなった。しかし55年後の今回、EXPO‘25でのレガシーとして、目標にしていたH2やEメタンの利用が会場内では実現せず残念に思っていた。しかし、バーチャルな時代を考えれば、会場の内外でその原理原則が実現していたことが、この講演でよく分かった。
問題は、会場内でリアルには実現できなかったこの実態を、どのようにこれから伝えてゆくかが、私たち(一社)都市環境エネルギー協会の役割かとも理解した。
終了後、17時からの協会主催の「お疲れ様会」では、服部審議官の乾杯に続いて、大阪都市計画局長、下田先生、小川課長のシンポの評価も有意義であった。幸い、協会の全副理事長、学術理事の出席もあり、会費制で申し訳なかったが、最後に専務理事の挨拶で終宴。
18時から大阪ガスの藤原正隆社長、田坂副社長他、下田先生、真貝、杉岡部長と協会関係者の夕食会は、「穂の河」で。話題は、本当に真面目な2030年、2040年、2050年対策であった。
20時、予定通りホテルモントレイフレール大阪泊。
9月2日(火)、ホテル9時出発。タクシーで新大阪駅へ。少し早かったので9:45発で東京へ。東京は予想以上の猛暑で、中野駅では38℃。今度のシンポジュームでも勉強させられたのは、国交省や地方自治体、大学やガス会社の責任者からの基調報告である。忘れられた30年とか昨今の心配な世界情勢とかに対して、コロナ禍やロシアのウクライナ侵略、トランプ2.0等があっても、日本の戦略は確実に進んでいることを知ったこと。
今度のシンポに予想を超える参加者が集まったのも、こうした実態の表れのように感じた。改めて想い出すのは、7年前の2018年8月21日、EXPO‘25が大阪で開催されることが決定する前、大阪商工会議所で、公共建築協会主催で、EXPO’25会場には「超グリーン会場構想」を、村木茂(内閣府水素SIP)、黒木淳一郎(経産省)等と報告したシンポの件であり、2020年2月3日の「熱供給事業協会50周年記念」(帝国ホテル大阪)と2月12日の「千里中央地域冷暖房50周年記念」(阪急ホテル)のことである。その時から、既に今日あるを予想しているように思えて、何故か日本の将来に自信を持った次第である。
一眠りして目覚めると、米寿の祝いの花が贈られていたことに感謝して、早速返信とBlogに追われた9月2日の誕生日であった。
