2022年4月、中日新聞を退社して岩手県立大学の環境ジャーナリズム担当教授になり、上記の本を2023年4月に出版した蒲さんと久し振り電話で話し合って、巻末の年表「気候変動対策に向けた国際支援の流れ」に敬意を表した。 その後、OB達に京都議定書を巡っての経産省と環境省の動向等について、本書に傍線した点を確認すると、意外に気候変動対策に向けて、1997年のCOP3(京都議定書)から2015年のCOP21(パリ協定)内容について理解されていないことが分った。
本書で蒲さんがこれほど詳細に気候変動に関するCOPの内容を書けたのは、オックスフォード大学とベルリン自由大学での客員研究員での環境があったことを知った。同じ大学人OBとしてヨーロッパの大学がCOPの成果に関心を持つ状況に比べて、日本の知識人が京都議定書の第二約束期間について離脱したことを知る人の少なさと、その間の経産省と環境省の確執についても知らされていないことを知った。ヨーロッパアカデミーのもつ情報力に刺激され、以下、蒲さんの著書から引用させてもらった上で、近々東京で、この辺のお話を伺う機会を持ちたいと考えている。
「4 抹殺された京都議定書」(p.26-39)
地球温暖化対策への初めての国際的取り決め「京都議定書」は、当時、地球温暖化問題に国際社会が取り組むための唯一の「約束」であった。温室効果ガスを、2008~12年の「第一約束期間」内に1990年比で「先進国」がどれだけ削減可能か、その目標が決められた(日本6%、米国7%、EU8%など)。加えて、排出量取引、クリーン開発メカニズム(CDM)、共同実施といった市場システムに基づく3つの仕組み、いわゆる「京都メカニズム」が盛り込まれた。
ところが、この議定書はその後、当時の最大のCO2排出国である米国が異議を唱え、2001年3月に同議定書からの離脱を表明した。
同議定書採択時の米国は民主党のクリントン政権下にあり(1993~2001年)、その後誕生した共和党のブッシュ(子)政権(2001~09年)が、完全にこの議定書を否定した。
中国が、議定書の中で「発展途上国」と位置づけられ、排出責任をまったく負わないことは、米国にとって最大の不満だった。
その後日本は、米国と同様に経産省の思惑通り、2011年のCOP17で「第二約束期間」(2013~20年)への不参加を表明。
しかし、活動を重ねていくに従い、「先進国だけに削減義務があり、途上国には義務がない京都議定書はおかしい」という議論が広がりを見せ、「京都」とは別の国際的枠組みを求める声が徐々に高まっていった。
その後、2011年のCOP17で、米国、中国も入った新たな枠組みづくりを協議する作業部会の設立。日本は「第二約束期間」からの事実上の離脱。2015年のCOP21(パリ)で採択されたのが「京都議定書」に代わる新たな国際的枠組み「パリ協定」である。
2023年2月17日時点で194カ国とEUが署名しているこの協定では、米国を含む「先進国」と中国を含む「発展途上国」のすべての国が温室効果ガスの削減状況を5年毎に確認できる仕組みを設けることなどの目標が明記された。
「パリ協定」が「パリ議定書にならなかったのは、したがって多くの国が法的に拘束されることを嫌ったからにほかならない」