2023年7月25日(火)、金沢文化センターでのMITANI AWARD2023終了後、NPO-AIUEの北陸支部長に今年7月就任した福井市在住の西岡哲平君が、協力者として地元金沢に10余年前に清水建設から金沢工大の教授に転職していた円満隆平君を呼び出した。円満君も久し振りとあって、東京に住む奥様と一緒に東茶屋で最近評判の蕎麦料理を御馳走するという。
1984年7月7日、東京會舘で、テニスや学会でのライバル研究室で、東大建築学科の香山研のマドンナであった湯浅素子さんと、早大建築学科の尾島研のエース・円満隆平君の結婚式があった。披露宴では、ライバル研究室の仲間達による賑やかなやっかみから「この結婚は半年も続いたら大成功」等の冗談が飛び出し、いつか伝説になっていた。
浅野川に沿った東茶屋の蕎麦料理店で40年ぶりに再会した素子さんは、昔と同じ明るく賑やかで、すぐに打ち解け、当時の冗談も話題になり、すっかり昔話が弾んだ上、お腹も一杯になったので、本当の東茶屋に行くことになった。
円満君は金沢在住の間、早稲田の先生方を数多く招いた上、馴染みの茶屋というので一緒に行くと、なんと私も何度か三谷産業の懇親会で遊んだことのある「八の福」であった。玄関に入るなり、女将の福太郎さんに「お久しぶり」と言われて、円満君の方が驚いた様子。
東茶屋に限らずお茶屋に来る前にはいつもお腹がいっぱいの上、お酒も十分に入っているので、いつも唯々、皆の面白い会話を聞いているのみであったが、今回は早々に福太郎さんの三味線に二人の芸者さんの踊り、円満君の太鼓など、素子さんも参加しての芸者遊びに「この都市のまほろば」で金沢を取材した時を想い出した。
それにしても、初めて東茶屋で芸者遊びの楽しさを知ったのは大学院生時代であったから、なんと60余年間、太鼓に三味線、お囃子のリズム、美しい和服、洗練された会話に、日本の伝統文化を今も共有できる幸せを実感する。加賀百万石の文化が継承されていることに感動し、同時に円満夫妻の心遣いに謝意を表して、この夜は早々に新幹線で富山へ。何と30分で富山のANAホテル着だ。
7月26日(水)富山も東京も38℃の猛暑で、朝から太陽が輝く。お盆には早いお墓参りを済ませて、自宅の太田口ギャラリーに集合。西岡・中川・浜多・尾久・北島さんら6人でギャラリー太田口Ⅰのあり方について検討すると共に、西町北総曲輪再開発のテナントについての相談。
夕刻の西村・中川(恭)・黒崎・杉山・荻町君等6人の中学の同級生との懇親会では、ギャラリー太田口の管理を託せる人について相談する。恒例の郷土料理店「美咲」は金沢の加賀料理や東茶屋での粋な遊びとは違って、きときとの刺身に郷土の煮物と、相変わらずのレシピは地酒によく合う。
7月27日(木)午前中、北島さんと石井さんを同行して富山市の美濃部副市長を訪問。西町北総曲輪再開発について相談して後、新幹線で東京へ。新幹線が出来て10年、金沢と富山・福井の格差が一段と鮮明になったのは何故か。国鉄時代の富山発東京方面は下りであったこと、西町が富山一番の盛り場であったことなどを知る人もいつか居なくなったのに、「金沢の茶屋」の遊びと富山の「きときとの刺身」は変わらず別格である。