2021年8月1日、恒例になっていた八ヶ岳山荘での合宿は、コロナ禍の東京緊急事態宣言下にあって9月に延期した。その間に、予定していた池の平ホテルでの八ヶ岳研究会も延期することになったが、バイオマス利用の地産地消再生エネルギーの研究会だけは8月2日開催。財産区や地方自治体の所有する森林の間伐材を利用したチップ工場を共有化する可能性を話し合った。
同時に、山荘に出向いたのは「寺田寅彦全集」(1961年版、岩波書店、全17巻)をゆっくりと再読するためもあった。何故なら、日本経済新聞の連載小説、伊集院静の「みちくさ先生」に出てくる寺田寅彦と夏目漱石との余りに親密な交流が気になったからである。また、1964年10月の東京オリンピック水泳競技場になった国立代々木競技場の設計に当たっての実験中に寅彦の随筆を読んで勇気づけられ、いつかこのような随筆を書いてみたいと考えていたことを想い出したからである。
早速、第三巻「電車の混雑について」(大正11年)は、私も九段下(神保町)で早稲田行きの都電に乗り換えていて(昭和36年)、20年間の違いと、戦争の前と後の混み具合を比較していたこと。又、「茶わんの湯」については、東大名誉教授でニュートンの編集長であった竹内均先生(1920~2004)が「継続の天才-竹内均」(扶桑社、2004年)の第二章「学問との出会い」で、「寅彦の随筆を中学時代に読んだことで進路を定めた」と記されている。竹内先生と子息・幸彦氏に、私がNHKブックス「熱くなる大都市」や「らいふめもりい」等の著書を書くきっかけをもらったこと。STAY HOMEの毎日は、この随筆集のお陰で退屈することがなくなった。
蛇足になるが「災害は忘れた頃にやってくる」の語源も寺田寅彦と言われているが、第七巻の「津波と人間」(昭和8年、1933)の随筆は、そのまま今、発表されても通用することを考えれば、寺田寅彦(1878~1935)の死後、1940年代、60年代、70年代、80年代、2000年代と岩波書店他から全集が出版され続けていることと同時に、夏目漱石(1867~1916)も又、文豪の名の通り大変な漱石全集が出版され続けている。何が継続の秘訣かを考えるに、どの時代も人と人との交流によってのみ継続の文化が生まれる。然るに、コロナ時代の今日、隔離の持続は、文化の断絶を招きそうで心配である。第六巻の「夏目漱石先生の記憶」を読むと、寺田と夏目の関係がさらに良く分かる。
「みちくさ先生」の後に始まった連載小説、安部龍太郎著「ふりさけ見れば」の主人公・阿倍仲麻呂(698~770、唐で客死)は、奈良時代に遣唐使として留学、玄宗皇帝の官僚となり唐の詩人との親交を示す記念碑のある西安の興慶公園で、私が1980年3月1日、陜西省土木建築学会で「西安市の再開発について」講演した。そのとき記念碑を設計した張錦科先生が共鳴された上、市内を案内して後、日中友好文化交流に貢献する私を阿倍仲麻呂以来の友人と記した書を贈られた。しかし今、1980年代の日中友好交流時代の熱気は消え、米中同様、日中の友好も風雲急を告げている。
文藝春秋9月号で京都大学の中西輝政名誉教授は「習近平はヒトラーよりスターリンだ - 毛沢東やヒトラーにない「怖さ」がある-」と題して、2020年を境にして、中国は「怖い国だ」「信用できない」という認識が世界中に広まった。中国を好ましくないと見る割合は、アメリカで73%、英国で74%、北欧のスェーデンまでが85%にも上っていること。チベットやウイグル等での人権問題に加え、南シナ海や尖閣諸島での覇権行動を考える時、習近平の「中国はもっと世界から愛され、尊ばれなければならない」との語りかけは、余りにも言行不一致である。世界の国々からみて、今度のコロナ禍の原因探求や対策にも中国に不信が見られ、「怖い国」になっていること自体に気づいていないとすれば、日本人にとっての正念場である。