Blog#100 (公財)祈月書院の安部明廣理事長 退任の報を見て

 2023年11月16日、安部明廣先生より「小生、来年で90才になるのを前に、(公財)祈月書院の理事長を熊野君に託し、最後の研究会講師は、旧知の河野通和氏に『教養とは何か』というご講演をお願いした」とあり、私には2008年の研修会で『日本の建築と都市の実情』で講演頂き、“皆が都市と地方の両方に家を持てば、日本の過疎化問題は解決する”という壮大な指摘に、一同なるほど、一瞬気を大きくしたことを思い出します。加えて、「この都市のまほろば」シリーズvo.2(2006年 中央公論新社)で祈月書院を取り上げてもらって恐縮」とのお手紙を頂いた。

 文中にあった中央公論編集長の河野通和氏は、私が「この都市のまほろば」シリーズを書くきっかけをつくってくださった恩人であった。私学・早大の将来を展望する「都の西北 早稲田の杜」なる記事を中央公論誌(2002年6月号)に寄稿させてもらった上、「この都市のまほろば」シリーズvol.1の20都市は、雑誌中央公論誌に20回連載したのがシリーズ7巻にもなるきっかけであった。その後、如何お過ごしかと案じていた人で、『教養とは何か』との河野氏の講義内容を知りたいものです。

 同時に、安部先生の出身地である島根と出雲については、「八ヶ岳研究会」と「縄文社会研究会」で常々話題になる、関心の高い所です。

 特に、昨今のカーボンフリー時代の原発再稼働の情報は大きな関心事で、中国電力は島根原発2号機(出力82万kW)の再稼働時期を2024年8月と発表しました。2022年6月9日、島根県・丸山知事の再稼働容認から、2012年1月の停止から12年7ヶ月後に再稼働の決定である。

 この島根原発については「日本は世界のまほろば2」(2015年5月 中央公論新社)で詳細に記している。再稼働されれば、これまでの54基中6発電所再稼働以降、沸騰水型で初めてであること。何よりも、地元自治体の同意を正式に得たこと。全国唯一の県庁所在地にあって、半径30km圏内の約46万人を避難させねばならぬこと。その上、既に停止から11年余、運転経験のない従業員も多いとか。

 Blog69(2022年8月)に、2014年7月の松江市ヒアリングからPAZ(5km圏)、UPZ(30km圏の人々の避難訓練の実態)を知る者として、少なくとも、この島根原発の状況を学ぶべきと書いたこと。その上で、目下も八ヶ岳山麓への避難計画を検討していること。

 既に住民避難訓練の実施している島根モデルを随所で述べているのは、安部先生の祈月書院での創立から90年の間に果された県民教育を期待してのことである。 2024年、島根原発が予定通り再稼働され、計画通りに避難訓練もされれば、当然、PAZを結界に、UPZは(氏子による)常時避難訓練区域となる。その上で、自治体によるモニター情報を完備し、安全な距離(250km)を保った二地域居住制度を創設する。

 使用済み核燃料の最終処分場が世界中に見当たらぬ限り、現在地で保全し続けるほか解はない。幸い、島根には1万年以上昔の縄文時代にも生活が営まれていたこと。2004年、日本学術会議会員として安部先生が国際協力常置委員長としてG8科学アカデミー共同声明でご苦労されていたことを知る者として、島根原発から250km以上離れた横浜に目下居住されながら、島根のことは次世代に託されるのではなく、(二地域居住者として)島根原発周辺に出雲大社を本宮とする原発鎮守の神社を原発の核廃棄物処理場の近くに設立して、その氏子代表としての役割を果たして欲しいと願う次第である。

島根原発 UPZ(30km圏)

祈月書院の撰名は、安岡正篤先生による「七難八苦を我に与え給え』と月に祈った尼子氏の忠臣・山中鹿之助の故事から。

Blog#98 三谷産業のベトナムAureole Conference 2023  in フエ(~クロスカルチャー・ファシリテーションによる組織進化~)にweb参加して

 11月13日(月)、秘書から「本日4時から三谷産業のベトナムでのコンファレンスがあるが、webで参加されるか」との問いに、何気なく「よろしく」と伝えた結果、時刻通り、画面にベトナム最後の王朝グエン(阮)朝の王宮が映し出され、ロイヤルシアター(閲是堂)での皇族専用であった雅楽(ニャーニャック 世界無形遺産)の演奏と演舞が始まった。驚いて画面のベトナム語と同時通訳の日本語解説に集中する。

 何度かベトナムに行ったことがあるも、1993年、ベトナム最初の世界遺産に登録された古都フエの王宮を訪ねる機会はなかった。早稲田の佐藤滋先生等がフエの都市計画を手伝っていることを聞いていたのと、世界遺産の王宮(東西642m、南北568m、城壁の高さ6m、周囲を濠に囲まれている)の中心部にある皇室専用の劇場でのコンファレンスに、三谷産業のベトナム文化に対する情熱を感じて嬉しくなった。かくして、webの画面と同時通訳の日本語解説を2時間30分、傾聴する。

 最初のご挨拶は、三浦秀平取締役がベトナム語で、この日越文化交流のコンファレンスを開催した主旨。三谷産業はベトナムで起業して来年30周年、約2400人もの雇用をもつ企業として、2015年からフエにも二拠点の工場を建設したこと。古都フエでの今度のコンファレンスは、異文化交流の第一人者・宮森千嘉子さんの基調講演とベトナムを代表する文化人と、当地で仕事をする日本の方々との討論会を、ベトナムの誇る、この劇場で開設した主旨を聞いて、俄然興味をもった。以下、そのメモを記す。

 宮森さんの基調講演は「文化と経営研究の父」と呼ばれる『ヘールト・ホフステードの6次元モデル』を用いて、ベトナムと日本の異なる文化圏に働く人たちが直面する様々なトラブルを解決するヒントを面白く話された。早速、宮森さん著「経営戦略としての異文化適応力」をamazonで購入。

「ホフステードの6次元モデル」の対象は、国という社会における文化の価値観の違いを次元ごとに0~100までの間で「数値化」する。

  • 権力格差(小さい ←→ 大きい)
  • 集団主義 ←→ 個人主義、属する集団に依存か、独立して個人の利益を優先するか
  • 女性性(生活の質)←→ 男性性(達成)、家族・友人と共にか、個人の達成感か
  • 不確実性の回避(低い ←→ 高い) 曖昧さを気にするか、しないか
  • 人生の楽しみ方(抑制的 ←→ 充足的) 抑制志向か、充足志向か
                           (JMAM,2019.3.8)

 当日は、会場で130人、webで100人程の参加者であったが、貴重なコンファレンスと考えたので、宮森さんの基調講演と三谷産業(株)兼AUREOLE EXPERT INTEGRATORS INC.取締役の木下浩之さんがモデレートされた日本とベトナムの文化人による討論会が余りに面白く、取り急ぎのBlogとした。

 ベトナム人と日本人は、時間厳守のあり方、昼寝することによる効果、家庭と仕事場の価値、人生の楽しみ方、日本人のおもてなしの精神、世代間の格差に比べて、国と国との文化格差の方が少ないことや、今の日本文化は鬼っ子と思える程にユニークであること。ピーター・バラカンさんやマリ・クリスチーヌさん等、日本を代表する異文化交流のレジェンドと日頃、親しくしていたが、今度のコンファレンスで宮森さんを知ったことや6次元モデルの参考資料を入手したこと、三谷産業の今度の催事に感謝である。

Blog#99 伊藤滋編著「都市計画家・伊藤滋が見た東北復興2011-2021縦断」(2023.5、万来舎)を読んで

『死者15,900名、行方不明者2,523名の未曾有の大震災から私たちは何を学び、どう備えるべきか。甚大な被害が予想される東京などの巨大都市は、今からどのような対策を立てておくべきか。本書にはそのヒントがある。』と表表紙裏面の記述通り、2011年から2021年の10年間、都市計画家・伊藤滋を代表として、白根哲也、三舩康道、関口太一、小野道生、梶原千尋、(故三武康男)さん等一行が、現地で復興に取り組む行政やUR都市機構の職員らの支援を得ての10回に亘る視察旅行の成果を読んで、有益なる記述と現場の写真の価値に瞠目する。

 都市計画家・伊藤滋自身が「東日本大震災から東京は何を学んだか」について、簡にして要を得て、実に具体的に記す。

Ⅰ.物的施設による防災能力の向上として、

① 東京湾は外洋から津波が押し寄せたとしても湾形がくびれているため、流入する海水は10のうちせいぜい2から3ぐらい。釜石や大船渡市の防潮堤の減災効果を見れば、富津沖か浦賀沖あたりに防潮堤を整備すれば、東京は津波からは安全である。

② しかし地震の津波によって、湾の内陸部で火災が起きる。気仙沼市では木造住宅地での大規模都市火災を引き起こした。(この点については、伊藤が2014年に早大に東京安全研究所を設立。その研究成果として、濱田政則著『臨海産業施設のリスク』(早大出版部、2017年)があり、濱田代表理事の下、(一財)産業建設防災技術調査会)がこの分野の研究を継続している。

③ 鉄筋コンクリート造の建物は、地震や火災、津波から高齢者の命を守るに最適であるが、3階まで上がれるエレベーターを必ず設置すること。

Ⅱ.東京都中心部からの避難について

① 自宅ですぐに避難できない高齢者のため、3階までのエレベーターを普及させることに加えて、市街地の要所要所に10分以内で辿り着けるような防災建築物(救命ビル)を配置する。

② 都心で働く人たちの多くの帰宅困難者の問題について、避難時の危険性を考えれば、急いで帰宅しない方がより安全である。携帯の普及で家族の安否も確認しやすくなった。東京都心であれば、まず命の安全は保障されている。企業は枠を越えて、帰宅困難者にとっての飲料水や食料、仮眠施設を整備することである。

 災害が発生すれば、企業は率先して問題解決にあたり、会議室や倉庫などが東京にとどまる企業の人たちの滞在場所になる。企業間協力で、一時来訪者や外国人観光客が容易に逃げ込めて、眠ることができる場所は地域コミュニティの活動に期待できる。三菱地所や三井不動産、森ビルなどがタッグを組めば、広大な外堀通りの内側が優れた避難地域になる。この地から最終的には山の手の内側に300万人規模の避難地域を整備すれば、東京は世界に誇る地震火災や津波に強い都市になる。

 以上の全ての文は本書の引用で、説得力を伴うのは、都市計画家・伊藤滋の見た北は岩手県久慈市から南は福島県富岡町まで、海添いの市町村の被災と復興の様子で、どの場所も次代へとつなげる歩みをやめていなかったことだという。私のBlog15(2021.2.17)Blog22(2021.4.23)で記した体験とも比較して、特に印象に残った本文の頁と写真を以下に列記する。

P17) 2020年完成した野田村を守る巨大な水門と防潮堤
P22) 田野畑村の羅賀荘、震災から1年8ヶ月でホテルを再開した時の写真
P24) 宮古市田老の防潮堤、2011年と2021年の比較写真
P44) 釜石市鵜住居の小中学校 2011年と2018年の写真
P53) 圧倒的スケールで嵩上げされた陸前高田市街地 2015年の写真
P66) 気仙沼漁港フェリーターミナル 2019年の写真
P68) 南三陸町志津川、庁舎を取り込んだ復興祈念公園 2011年と2021年の写真
P89) 日和山からの旧北上川 2011年、2015年、2021年の写真
P96) 名取市閖上 2012年、2019年の写真
P120)からの、指標として特記すべきは、復興の概要として、復興予算は、この10年間に約36兆円、最も多かったのは住宅再建とまちづくりに13.1兆円、次は被災自治体への交付で5.9兆円、この財源の4割は復興増税による。住宅再建やまちづくりに投下された事業の内容に関して図解しながら、各地の実態を示した資料は実に分かり易い。先にBlog15で五十嵐・加藤・渡辺共著の岩波ブックレットで示されたまちづくりのハード・ソフト面での検討結果「本当に被災者の役に立っているか、厳しく検証されるべきであろう」と評価したことに対して、本書は明確に回答した有意義な資料と思われる。

 最後に、2021年~2025年を新たな復興期間として、「第2期復興創生期間」と位置づけて、復興庁を10年延長することになり、第2期では原子力災害地域の本格的な復興・再生に向けるという。この分野では、Blog22(2021.4.23)で私のこれまでの10年について現地視察した報告はあるも、本書を手にして、これからの日本各地の原発再稼働時代の安全対策について、さらなる研究を継続したいと考えた次第である。

Blog#97 第20回アジア都市環境学会のソウル大会に出席して

 2023年11月2日(木)、羽田空港で吉田公夫君と待ち合わせ、金浦空港へ。出迎えの慶北大のSeo教授の車で11:40、Yeouido(汝矣島)のGLAD HOTEL着。韓国訪問は9度目で、平均3年毎か。

 初めて韓国のソウルに来たのは1991年4月、韓国に稲門建築会支部を設立するため、当時の稲門建築会会長であった谷資信先生と松井源吾・戸沼幸市・中川武先生等と一緒であった。
 2度目は1993年3月、洪元和君が学位を取得した記念に、彼の母校である慶北大学で「都市環境学」について講演したとき。
 3度目は1995年10月、大韓建築学会50周年に招かれて、日本建築学会長の芦原義信先生と内井昭蔵先生がご一緒で、金真一先生の自宅に招かれた。
 4度目は2003年11月、金真一先生に招かれて、ソウルの大韓建築学会で「ヒートアイランドと大深度地下」について講演をした。
 5度目は2006年4月、大韓建築学会の名誉会員授与で、内田祥哉・岡田恒男(各東大名誉教授)とご一緒した。
 6度目は2007年9月、釜山で黄光一教授等の主催した「第4回アジア都市環境学会」に出席したとき。
 7度目は2014年11月、大邱で洪元和教授等の主催した「第11回アジア都市環境学会」に出席。
 8度目は2018年11月、済州島での「第15回アジア都市環境学会」に出席したとき。

 韓国で特に記憶に残っているのは金真一教授で、本当に親日的で、旧日本総督府の建物の撤去に当たっても、保存運動に尽くされたこと、ソウルのご自宅の庭に沢山のキムチや梅酒の壺があったこと、キーセンパーティや清渓川再生物語等々(「この都市のまほろば第1巻」2005年出版に詳細)。

今回の「第20回アジア都市環境学会inソウル」では、AIUE会長の洪元和教授が慶北大学の総長に就任して3年、予想通り、Yeouidoの国会議事堂正面大通りの立派なYEOUIDO-DONG HOTELを主会場にしての3日間であった。
 まずはホテル到着後、すぐ近くの韓国料理店で洪総長に、私と吉田君と三由賢君(ゲストスピーカーに招かれた)が代表的韓国料理を馳走になる。
 

Journal of Asian Urban Environment
AIUE 2023

 15:00~18:00、立派な講演会場で3人の招待講演「ヨーロッパのコミュニティタウンのゼロエネルギー研究」、「アメリカの水素タウン研究」、「日本の脱炭素ビル計画」とパネル討論会はなかなかの出来である。

シンポジューム

 18:00~20:00、Welcome Patyの料理もなかなかである。
 20:00~21:00 AIUE理事会に高君はweb出席。中国の近況は話しにくい様子なので、第21回は東京を中心に、2024年10月に決定する。洪君の総長終了は2024年10月25日とあって、訪日が心配されるも、この夜はホテルでゆっくり休む。

 11月3日、曇り、外は11月とは思えぬほど暖かい。朝食は吉田君と増田君も一緒。
 9:00から学会賞の表彰式。増田君他2人のスピーチもなかなかである。

学会論文賞 受賞者

  昼は近くの焼き肉店(Yeouido Mansion)で、日本6人(尾島・吉田・中島・増田・依田・福田)、韓国6人の昼食会も実に素晴らしい。国会議事堂前の大通りで洪君と記念撮影。
 午後の大会発表中、私と吉田君はSeo君の車でロッテワールドへ。478mの超高層建築の展望階からの景色は刺激的である。

会場西側 国会議事堂前
会場東側 GLAD HOTEL(右側)
SEOUL SKY(LOTTE WORLD)

夜は恒例のさよならパーティで、真露の酒も出され、コロナ禍での昨年の横浜大会を偲ぶ。各大学の優秀論文表彰や参加者の紹介でパーティ会場の雰囲気は素晴らしく、電光掲示板が効果的である。 

 終了後、来年の東京大会会場について相談。聞くところによれば、ソウル大会は1200万円の予算であったとか。洪君の総長としての集金力のみならず、40人の博士と40人の教授を輩出している彼の政治力と指導力の成果であろう。今度のソウル大会に中国からの出席者が限られていたことに比べて、韓国の発表者や会場設営の素晴らしさ、ロッテワールドの賑わいを見て、日本を超えた先進国になっていることを実感する。

 11月4日(土)9:30am、アフタツアーのバス参加者は予想を超えたと驚く一行の出発を見送って、Seo君手配のハイヤーで吉田君と金浦空港へ。空港のロビーラウンジでヘネシーVSOPを飲みながら時間を潰して、12:05発 JAL092便で羽田空港着。

Blog#96 Book and Art Café の魅力

 2000年9月、富山市太田口通りの自宅を改装して「ギャラリー太田口」を開業した。地元のアーティスト10人展を中心に、1~2年展示即売会等を開催したが、維持管理のみならず、サービスや採算面で収支合わず、パソコン教室とブティックに賃貸していた。
 その後、2020年のコロナパンデミックで、その事業も継続できなくなったため、この期間に再び大改装し、Book and Art Caféにしたが、その経営に関しては全く分からぬまま、目下、NPO-AIUEの北陸支部にして、開店休業中である。

富山市のギャラリー太田口(Ⅰ)正面
(2023.8月)
1F インテリア  NPO-AIUE北陸支部予定

 現代総有研で八ヶ岳の白樺湖畔再生の研究中に、静岡県焼津市のシャッター通り商店街の空き店舗(ギャラリー太田口と同規模)を自分だけの本棚を持つことができる一箱本棚オーナー制度にして、その名の通り「みんなの図書館さんかく」と名付け、賑わっていることを知った。初期は10名程から始めたが、回を重ねるごとに参加者が増え、現在は20名程になっている由。毎月一箱2,000円として、一人で2箱、20人×2箱×2,000円/箱・月×12ケ月/年=96万円/年の収入で、町の賑わいに成功している由。

 このような試みを進化させたのが、雑誌「中央公論11月号」の鹿島茂氏と間室道子氏の対談で知った神田すずらん通りの本好きのための隠れ家カフェ「PASSAGE bis! by ALL REVIEWS」(年中無休で12:00~19:00オープン)である。ここの書棚には本の他にもアクセサリーや食器、雑貨など取り揃えており、ショッピングも楽しむこともできる。本棚は5,500円/月・棚、自分が本屋になれる店で、事前申込みが殺到しているとか。

 2023年10月27日(金)午後、訪ねた。この日は年に一度のお祭り「神保町ブックフェスティバル」開催中(10/27~11/3)で、歩道には古本の露店が数え切れないほど並び、世界一の古本店街に圧倒される。
 店内には鹿島氏の本棚もあり、2023.10.20の鹿島茂氏のサイン入り「子供より古書が大事と思いたい」(青土社 1996.3)の著をSUICAで購入して、3FLのカフェへ。20席程のテーブルに中国人と日本人の6人が話し合っていた。空いていたテーブルで一休みしながらチラシを読む。 

 『フランス語で「第二の」的意味の“bis”と「アンコール!」の意味を持つ(!)がこのカフェを象徴しています』というだけに、「ヨーロッパ香るアンティークに囲まれた落ち着いた空間」である。850円のコーヒーを頼むと40分間の持ち時間限定を記したメモとカード払いのみの請求書が添えられている。本当に美味しいコーヒーのみならず、ビールやワインも楽しめるなかなかのCaféである。
 すっかりこの試みに魅せられて、富山でもこんな店ができたら良いがと思いながら、スマホのシャッターを押す。2024年4月を目途に、NPO-AIUE北陸支部長の西岡哲平君にギャラリー太田口(Ⅰ)(Ⅱ)の開設と活用方法を考えてもらっている。

東京都神保町のPASSAGE bis! by ALL REVIEWS
(上右)本棚、(下)3FL カフェ
2023年10月


 

 

Blog#94 9.20 村上陽一郎著「音楽  地の塩となりて」(2023.9.9 平凡社)を読んで

(2023.9.9 平凡社)

 村上陽一郎先生から贈られた著書については、以前、Blog50『「エリートと教養-ポストコロナの日本考」(2022.2 中央公論新社)を読んで』とBlog74『「専門家とは誰か」(2022.10 晶文社)を読んで』に書きました。

 今度は村上先生自身の私生活に限りなく影響を与えた(生命にとって必要不可欠な塩の如き)音楽を中心に、面白い本を出版されました。86歳になっての暇な毎日、この本を一週間かけて読ませて頂いたお陰で、9月に入っての酷暑も楽しく、有意義に過ごすことが出来たことをお伝えしたく思います。

 Blogの題名通り、村上先生の人生にとって音楽は「地の塩」の如き存在であったことが本書の「はじめに」から「楽器の話」「違いの判らない男」「明日には!」「オーケストラ」「クラシック音楽とエンターテイメント」「音楽とは」「能とは何か』「タンゴの世界」「機会音楽と前衛」「ピアノ三重奏曲」「美しい声」「美しくない(?)声」「オーケストラの中のチェロ」「ベートーヴェン断章」「景清」「最大の欠点」と書き進めた上で、233頁に「しかし、私にはほとんど時間が残っていません」とあった。

 次頁からは「出会い、対決、そして融合」と章を改め、「世界に、およそ恥知らずに、あらゆる文化を貪欲に取り込んだ文化圏が二つあった。一つは古代ギリシャ、そしてもう一つは日本。」

 この日本についてこそ、私が今一番知りたいことであった。『明治維新の日本は「和魂洋才」と「表意文字としての漢字と表音文字としての仮名」を巧みに駆使した。西欧文明の翻訳には異なった認識系、異なった存在系、異なった思考系」を伝えるに当たって、西欧の「あれか、これか」でなく、日本の「あれも、これも」と「対決の忌避」(グレイゾーン、曖昧な領域を多くとることによって「対決」を「忌避」する)ことが日本文化の特色で、あれもこれも身内に抱き込んで、事情と状況に応じてどれかを取り出すことができるという「柔軟な」戦略を採用してきた。これがもしかすると「和魂」の神髄ではなかろうか。

 続いて「神の手から人間の手へ」では、『18世紀には文明(civilization)という言葉がつくられた。「文明」とは実は「人間化」のことで、20世紀初頭まで「自然な」とは「野蛮な」と同義語であった。また「人間化」とは、「進歩」であった。この神ではなく人間が主役になる世界は、20世紀に入ると、さすがに人間中心主義は陰りを迎えると。』

 森羅万象に詳しい村上先生にお願いしたいのは、日本文明が世界文明として位置づられるには、日本人に普及している多神教である仏教や神道などの科学的解説である。

Blog#93 関東大震災100年 2023年9月1日(86歳の誕生日)に想うこと

 2023年9月2日の誕生日に京橋伊勢廣本店を予約せんとしたが満席で、銀座5丁目のコアビルから7丁目のGINZA gCUBEに移った楼蘭を予約する。尾島家では自分の誕生日は自分の好きなレストランに家族を招くことになって久しい。

 銀座楼蘭は家内の友人が店長をしており、フカヒレと15年ものの紹興酒の美味しい老舗だ。しかし、この度のコロナパンデミックで5丁目から7丁目に移転せざるを得なくなった由。しかも松江料理の「皆美」のあった店で、12階の鎌倉山も閉店になっていた。コロナは私の銀座オフィスのみならず、銀座の有名店舗にインパクトを与えた。

 9月2日の朝刊やテレビは関東大震災から100年、都市防災の課題として、30年以内に70%の確率でマグニチュード7.3の首都直下地震で、死者最大2万3千人、61万棟の建物倒壊、帰宅困難者453万人と予測している。

 私の誕生日は、本当は1937年9月1日の正午であったのに、関東大震災を体験した父が縁起が悪いと9月2日に出生を届けた。このことは常々けしからんと思っていたが、今度NHKが100年前の大震災を記録した35㎜のモノクロフィルムを8K高精細カラー化に成功し、「映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間」として公開した。各分野の専門家、京大防災研の田中先生等は、撮影場所や時間等を特定し、解析。これを元に、私のよく知る東大の廣井修・悠先生等の専門家が解説している。この特集は実に参考になった。特に10年ほど前に早大東京安全研究所を設立。伊藤滋・濱田政則・長谷見雄二先生等を中心に研究した成果について、今度の関東大震災の記録を元に勉強し直すこと。

 当時の東京市の人口は220万人、浅草の12階建て凌雲閣の倒壊とその後の火災状況を見る限り、市内は10m/sの強風下にあって134ヶ所の出火場所から隅田川の両岸に同時多発的に火の粉が飛び火して、4時間後には240ヶ所から火災が拡大。驚いた群衆は家財を持って50万人が上野公園に避難した。東京駅前には10万人、皇居前には30万人等々、浅草、入谷、下谷、九段、牛込、飯田橋、秋葉原等の場所や時間を特定し、家財道具を積んだ大八車や人込み、人々の表情まで鮮明に撮影され放映された。

 2日目、3日目と東京市内の40%も焼失してゆく状況。隅田川両岸から橋や川岸に向かって逃げ込む人々が群衆雪崩に巻き込まれる様子。2万坪の陸軍被服廠跡地へ逃げるよう誘導された4万人の人々が火災旋風で3万8千人が焼死した惨事。隅田川両岸に押し寄せた群衆もまた相生橋や吾妻橋、厩橋上での群衆雪崩で圧死や焼死。河川に飛び込んだ人々の溺死死体の惨状も明確に放送されていた。「殺してしまえ」との流言飛語やデマの拡散、黒澤明や芥川龍之介等が体験した語りの意義。

 死者・行方不明10万5千人の90%が焼死者。しかも避難場所での被災状況を知るとき、父が私の誕生日を変えたことに納得し、今頃、こんな記録を見るまで気付かなかった自分の都市防災への浅学さを知らされた誕生日になった。

 この日は久し振り、銀座中央通りの歩行者天国を歩き、GINNZA SIXの蔦屋書店へ。今年の猛暑に加えてコロナ感染者の急増、ロシアのウクライナ侵攻の泥沼、福島の処理水による中国の異常反応に加えて、東京直下の大震災予告である。その割には書棚の出版物は日本病の20余年分の蓄積故か、全く緊張感のない高邁な趣味での世界、お茶・香・書・菓子・酒・縄文・古事記等の趣味趣向の解説書群に呆然とする。建築コーナーは安藤忠雄の本ばかりが目立つ。しかし心癒やされた蔦屋書店を出て、楼蘭での老酒1合に酩酊。

銀座 歩行者天国
高さ31mから56mになり始めた中央通りスカイライン(左側がGINZA SIX)
銀座楼蘭の石川店長からの誕生祝い

Blog#92 稲門建築会合同クラス会2023に寄せたビデオメッセージ

 2023年9月1日(金)、OBの原英嗣君から合同クラス会へのビデオメッセージの収録を依頼される。同級の大西裕之・笠原卓・久保田街香君等が練馬の研究室にやってきた。

 30分ほどのインタビューでの質問(1)は、今回の企画「名言・迷言・明言」についての感想。質問(2)は、当時の恩師の言葉で、今でも覚えている「名言」と、その名言はどんな状況・シーンで話されたか。その名言に関するエピソードを話して下さい。最後に当日の会場来場者へのメッセージについて、であった。

 11月4日(土)合同クラス会の会場は57号館。登壇者は古谷誠章・後藤春彦・中谷礼仁先生。ビデオメッセージは私の他、入江正之・木村建一・西谷章先生に打診中とのこと。この日は尾島研OB達が毎年1回開催している国際会議が韓国のソウルで予定されており、出席できないことから30分のインタビューは正確に話す必要を感じて、丸一日、井上先生との想い出を整理する。

 同時に、わざわざ練馬までインタビューに来てくれるOB・OGのためにと、早朝から庭の手入れ、渋谷園芸からカサブランカの生花、家内に頼んでお茶は宇治小山園の「和光」を篩いにかける。お茶菓子はとらやの生菓子「ささ栗」、お香は鳩居堂の「らべんだー」、掛け軸は中国桂林の山水画、お茶碗は正客用として石黒宗麿呂のかいらぎ井戸茶碗、お詰めには夏茶碗を準備する。

 予定した時間通りに4人が来宅。先生方の全部の似顔絵を描いたのは趣旨説明された久保田さんで、司会は原君。

(1)今回の企画についての感想は、実にユニークで面白い。全面的賛同である。

(2)恩師の言葉については、第一に、先生が学生の名前を覚えることの大切さを教えられたこと。第二に、先生が弟子を育てる秘伝は『すごい才能を持っている奴だ』とか『いずれは先生を超えてゆく奴だ』と第三者に対する評価。
 先生自身の評価が高い上、先生が自信に満ちていることが前提だが、この点で井上先生は満点であったが、少々早合点でもあった。「生まれも育ちも秩父の山里」と自称され、兄達に比べて成績は良くなかったが努力したこと。「男はつらいよ」の渥美清の如き懐かしき存在であった。この井上先生の第二の言葉は、高田馬場の裏通りにあって、吉阪先生が名付け、井上・松井・安東・渡辺保忠先生らがよく通ったという「レダ」のママからの仄聞である。

 来場者に対してのメッセージについては、2000年当時、「日本学術会議の会員として、総力を挙げて提言した21世紀『日本の計画』の主旨は、日本人は今できることは禅宗の言葉にある『吾唯足知』であった。」しかしその結果として、その頃から20余年、中国の発展に比べて日本は余りに禁欲的で出遅れた。今少し頑張っても良いのではないか。

 今ひとつは、“Science for Science(あるものの探究)”という認識科学のみならず、“Science for Society(あるべきものの探求)”という設計科学の大切さである。その典型科学が建築で、あるべき姿の建築をもっと探求しても良い。

 私自身、本日9月1日が本当の誕生日(しかし関東大震災を体験した父が9月2日として出生届)で86歳。余生、国土強靱化とカーボンフリーの都市環境のあるべき姿を探求するつもり。

 以下に、久保田さんの描いてくれた井上先生と古谷先生、私の似顔絵と当日の6人の写真。

 私から聞いたというOB・OG達の言葉として、本当かどうかの質問については、全て同意する。

Blog#91 「阿部勤さんを偲ぶ会」に寄せて

 

 2023年8月26日(土)、世田谷区上北沢の賀川豊彦記念松沢資料館で「阿部勤さんを偲ぶ会」が開催された。当日、小林紳也、星野芳久、小林昌一君と私、4人は阿部君と山とボート仲間であったことから、一緒に出席する。

祭壇(2023.8.26)

展示① 阿部さんの年表と23の建築作品と模型 すごい!!
展示② 阿部さんの仕事(1)2008年JIA25年賞 松沢資料館の模型と身の回りの品々
展示③ 阿部さんの仕事(2)阿部勤自邸(中心のある家)2004年JIA25年賞の模型他に感動する。

 阿部勤さんと子息・淳さんのご挨拶
『探し求めるのは物や事だけではない。大切なのは、関係である。設計とは関係探しである。—- 略 —- 関係にもいろいろある。性能・安全性など技術的な問題、便利さ等機能面での問題、それに加えて大切なのは、安らぎ、拠り所、感動、知的刺激等、人と心との関わりである。』(阿部勤 「住宅建築」2006)

 所沢の阿部さんの自宅は、最愛の妻・哲子さんとその自慢のご子息・淳さんが「中心の家」だ。

 淳さんの挨拶文は、上のパンフに添えられていた。
『人、もの、植物、自然、家、建築、さまざまな関係を大切にし、それらに恵まれた父でした。—- 略 —- この度、父の友人知人、アルテックのOBOGの方々のご協力のもと、このような会を開くことができました。—- 略 —- 』(阿部淳 2023.8.26)

展示④ 主催者からのご挨拶と知人のビデオレターを流し、周辺に「武蔵住宅都市懇話会」の活動記録、澤田誠二さんから関係資料をもらった。その資料から武蔵高校での内田祥哉先生との関係を改めて知る。内田先生と阿部さんとのこんな関係も知らず、2009年、白山登山の帰途、私が学院長をしていた富山の職藝学院で「職人のすごさ」についての対談が好評だったことを想い出す。

 記念館を退館する際、淳さんとお孫さん、そして妹さんと話し合うことが出来て、阿部家の人々と十分に心の関わりを持てたと確信した。
 松沢記念資料館は紳也さんの旧居の近所、そして私の自宅は星野君の新婚生活を営んだ所であり、阿部さんの桜台や武蔵高に近い所でもある。その練馬の自宅で4人、直会を開催。この一刻、学生時代のボートレースの記念メダル名に一人、阿部君が居ないのは淋しい限りだが、60余年間の長い関わりに感謝する。

「阿部勤さんを偲ぶ会」後の直会 2023.8.26(土)                            

Blog#95 山ブドウ狩りに合わせての第14回八ヶ岳研究会

 2023年10月6日(金)、新宿から特急あずさ5号で茅野駅へ。超満員の乗客はスポーツの日と重なった連休のためか。前日から丸山・原氏が山荘の整備と山ブドウ狩りの手伝いに来てくれていたので、明日から来る星野芳久・相場洋氏を加えて5人分の食料をスーパーオギノで購入。茅野駅周辺でおなじみの「そば処更科」で名物の天ざるそばで昼食後、車山から霧ヶ峰へ。紅葉の山並みの写真撮影。八ヶ岳連峰や南アルプス、富士山、中央アルプスの山脈は絶景で、日本の原風景である。今春、新装された池の平ホテルで14:00からの「第2回立科町・川口市連携会議」までに時間があったので、ホテル10階の展望パノラマから白樺湖や車山・蓼科山の景観を撮影する。

 森林(もり)の里親「かわぐちとたてしなの森」に関する協定についての会議では、大変有意義な意見交換が行われた。今後、長野県の立ち合いで、川口市と立科町の協定を進めていく方向性や可能性等について議論が行われた。人口60万人余の川口市と6,000人余の立科町の面積は等しく、人口過密の大都市と森林58%の立科町がカーボンフリー時代とあって、立科町に川口の森が誕生することになれば素晴らしい。都市と農村との交流は、日本の将来を明るくするように思える。何はともあれ、今夜は尖石温泉・縄文の湯に入って後の尾島山荘での酒盛りは活況を呈する。

「池の平ホテル」第2回立科町と川口市の森林の里親「かわぐちとたてしなの森」2023.10.6
第14回八ヶ岳研究会(金山デッキでの幹事会)   尾島山荘での「山ブドウ狩り」会議

 7日、丸山さんが持参した里芋を使っての芋煮料理。明日の山ブドウ狩りの景気づけに地元の「真澄」と「五一ワイン」を一升瓶で購入。丸山氏が山ブドウ狩りに当たって事前の視察時に収穫した成果をジャムにするための処理を手伝いながらの酒盛りは仲々に楽しい。

 8日も快晴。早朝から歩いて柳川上流の美濃戸小屋中腹まで行く予定であったが、丸山氏の軽四輪で二人ずつ便乗しての山ブドウ狩りになる。今年の山ブドウは高木の頂上を覆い尽くす程に繁っており、随所に山ブドウの黒い房が見える。丸山氏の指令で相場氏と私は例年の訓練の成果で次々と収穫。星野・原両氏は呆れた顔で眺めながらも、少しずつ参加し、一時間後には一緒になって山ブドウの太い蔓を引きずり落とす度に折り重なって倒れる豪快な山ブドウ狩りになった。2時間程の奮闘の成果は、大きな背負い籠2杯相当、例年の4~5倍の収穫に大満足する。
 この日は星野君の要望で、すき焼きを食べながら収穫した山ブドウを房から一粒一粒、黒真珠のごとき山ブドウを大鍋に入れて、スリコギで叩き潰し、これを煮沸すること夜通し。原君が帰京時間を延ばして手伝う間、東京への交通渋滞の情報があり、明日の中央本線の切符予約の出来ていなかった星野君の都合で、急遽2人は原君の車で帰京する。その間、「真澄」の力を借りてのジャムづくりに精を出す丸山・相場氏の奮闘をみながら、私はラグビーワールドカップ、日本対アルゼンチン戦を聞く。

 9日は昨夜から降り続く雨のせいか、少し温かく6~8℃。午前中、「第14回八ヶ岳研究会」の資料整理に追われる間、丸山・相場氏は完全に山ブドウのジャムづくりに精魂傾けている。昼食は残飯整理のスープにカレー。しかし仲々に美味しいのが山の食事である。

  丸山車で小林光先生の二地域居住である金山デッキに送ってもらう。「新建築」にも特集されたカーボンフリー住宅で、自宅消費電力の2倍以上を売電する画期的な試みは、これからの二地域居住のモデルである。
 「第14回八ヶ岳研究会」の幹事として、矢島・小林・中川・福島・私の5人で、拡散したテーマを絞り、5km圏の白樺湖周辺は矢島氏の事業担当。50km圏で二地域居住する小林・尾島は広報担当、500km圏は企業コンサルとして中川・福島は可能なことと不可能なことを選別する。この成果は、来年5月頃報告し合うことにして、5時から懇親会。7:09pmの特急あずさ54号で帰京する。