Blog#106 年末・年始のピザ窯試作で波乱の辰年スタート

 2023年の年末、渋田玲君に依頼して八ヶ岳山荘で成功したピザ窯と同じ仕様で、殺風景な空地になっていた裏庭にピザ窯をつくることにした。暇になった年末年始、BBQなどで友人達との賑わいを再現しようと考えたが、家族の協力を得られないまま、反対を押し切ってつくらせたピザ窯だけに、その効用を知らせる必要があった。

 12月27日(水)、NPO-AIUE主催の2024年10月の国際会議やDHC協会主催の東京シンポジュームの打ち合わせをした後、このピザ窯を初試用することにして、全てを渋田君に一任した。  窯の火入れや冷凍ピザの解凍から調理まで任せてしまったが、東京の庭で薪を燃やして、煙を出さず、臭いも出さないで窯の温度を300℃まで上昇させるのは実は大変なことであることを十分認識していなかった。ダイオキシン対策から、自宅の庭から出る枯れ葉や剪定した庭木を燃やすことが出来ないため、秋には毎日のようにゴミ出しの一仕事をさせられていた。江戸時代、第五代将軍・徳川綱吉が「犬公方」と呼ばれ、生類憐れみの令によって、どれ程に庶民は迷惑したか、同じことが東京の焚き火禁止令だと日頃話していた自分をすっかり忘れていた。
 当日は近所に迷惑をかけず、ピザ窯を利用する全てを渋田君に任せていたのが功を奏して、写真のようにBBQを楽しむことが出来た。

 この成功に味を占めて、年始に姉の家族が来るというので、今度は自分でピザ窯の火入れやBBQの準備をする。31日、日本橋高島屋SC店の成城石井でピッツァマルゲリータやミニミッツァなどの冷蔵品を購入。モンベルの折りたたみ式焚き火台や着火剤、木炭、非常時用に備蓄されていたガスコンロなどを持ち出し、万全の準備をした。その上で、事前練習として正月元旦に妻や娘に手伝ってもらってピザ窯の加熱を試みるも、煙や煤が出た上、試作のピザ窯は100℃ぐらいで焼き始めたが失敗で、生焼けの上、煤がついてジャリジャリ。臭いや煙を止めるのも大変になって近所迷惑になりかねない。

 幸か不幸か、2日は小雨だったので中止。2022年9月の珠洲地震復興支援に購入していた石川県能登町松沼酒造の「大江山百万石乃白」の純米大吟醸とピッツァの冷蔵品を年賀のお土産にすることにしていたら、なんと元旦の16時から令和6年能登半島大地震の速報である。その上、2日はJALと海保機の衝突・炎上とあって、姉の家族との年賀は、私達の故郷で、被災地になった金沢・高岡・富山に住む親戚縁者たちへの支援策に加えて、東京での広域避難の考え方などの話題尽きず、波乱の辰年が始まった。

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