第18回アジア都市環境学会(北九州市立大学拠点)に出席

 2020年に中国の青島理工大学で予定していた第17回の国際会議がコロナ禍とあってweb開催となったため、2021年度も青島開催になった。しかし、これも第5波のコロナ禍とあって、2021年の第18回アジア都市環境学会は、国と国との交流はできないが、同一国内であれば比較的自由に動けることから、中国は長春と青島、韓国は大邱、日本は北九州で対面での異例の国際会議になった。

 12月4日午前10時30分に、私は北九大ひびきのキャンパスで参加。80人程の聴講者と主催者の先生方20余名は4ケ所の拠点を結んで、大変な通信装置を駆使しての合同講演会になった。開会挨拶は初代の尾島、2代目の尹軍、3代目の洪元和会長がそれぞれの国から挨拶し、基調講演はD.バート氏で「Beyond the 3posts, Post-Modern, Post-Industry, Post-Corona」のテーマで30分間、多様な画像を示しての熱演で、それぞれの拠点に集まった聴講者や自宅でオンライン参加している総勢300~500余人にとっては、不幸中の幸いの一般公開講演になった。これも大会運営委員、特に高偉俊教授と研究室の大学院生達の支援によるもので、北九州市の役員もこの国際会議には大変満足している様子を実感する。

 昼食の金鍋の弁当はなかなかの質。午後の論文発表会は多拠点でwebを利用し、司会者と解説者、発表者は、4拠点会場からの質疑に対しても、英語を駆使しての国際会議は大成功と思われる。最後にwebで、第19回は横浜国立大で開催するに当たってのプレゼンは佐土原聡副学長。久し振りに4時間も大教室での論文発表会を、しかも英語での聴講に疲れも並みではない。

 手元に配布された”18th International Conference of Asia Institute of Urban EnvironmentのJournal of A.I.U.E”( Special Issue:AIUE2021@Hybrid Conference in Qingdao(China),Daegu(Korea),Kitakyushu(Japan) Dec.4th-5th)はNET536頁の論文集で、100余人の発表者からなる。

 懇親会は学生たちとは別に車で移動、小倉でも著名な料亭・観山荘別館へ。なかなかに立派な料亭で、D.バート、福田、高教授等、OBの接待を受けたのは、東京から出席した高口洋人、吉田公夫、私の3人。地元福岡の酒は繁枡で、座敷・庭の一如景色もなかなかにして、久し振りOB達との懇談は教師冥利に尽きる。北九大に留学している東南アジアからの留学生は博士過程が多い。その論文受理には福田、高、バートの3人の審査委員チームが最適で、建築のみならず、早大理工大学院の学生も対象にするという。各自50余人を担当する学生の内訳は、博士20、修士15、学生10、他という一般の私立大とは反対の逆ピラミッドで、これが大きな戦力である。博士の教育ができない東南アジアの途上国を支援できるのは、これからの20年程で、今が大切な時代との結論。

 かくして2日目の長い一日が終わって、リーガロイヤル小倉での休息は快適。マッサージのおばさんは10年前に北九大の清掃員であったことから、創立期からの10余年間、北九大の先生や学生たちの裏話を心地良く聞かせてもらった。

第1日目は「ふく一」での白子三昧コース、ふく料理に最適の佐賀の大吟醸酒・鍋島に続いての二日目もまた素晴らしい接待に感謝のみ。

 3日目は快晴であったが、学生たちは朝から一日論文発表とあって、私と吉田君は福田・バート氏の案内で福岡市へ。北九州市から1時間程で福岡市内の見覚えのある渡辺通りに到着。途中、磯崎新設計のJR博多駅前の西日本シティ銀行本店が撤去されたことや航空規制が改正され、天神の建物高さを上げることができ、天神ビッグバン再開発が行われていること、地下街の災害時利用を考えて尾島研OB達が実態調査をしたその後や、古谷研OBの平瀨有人君等の作品が注目されていること、アクロス福岡に代表されるグリーン建築の成功実態、再開発による環境問題として、特にエネルギーインフラについて心配している由。これが三日目にわざわざ2人で都心案内した理由と思われたので、早速、(一社)都市環境エネルギー協会で「天神都心BCD特別委員会」を東京で発足させた時の中心スタッフになる了解を得る。都市再開発緊急整備地区としてのみならず、安全確保地エリアに含まれていると思われる大名小学校跡地活用とザ・リッツ・カールトン福岡等の高層複合ビルの再開発現場を視察。黒川紀章設計の福岡銀行本店は、幸い撤去の話題になっていないことにホッとして、この建物内オープンスペースでコーヒータイム。その後、重松氏や日本設計の再開発ビルを見学。アクロス福岡のステップガーデンの20年間の変遷画像や旧福岡公会堂貴賓館、平瀨君の作品に満足して、昼食は河岸のステーキ。話題が尽きずゆっくりしてしまって、急いで地下街を視察後、空港へ。

 翌6日の午後、(一社)都市環境エネルギー協会で、早速、福岡市の状況をネットで確認。中嶋理事や井原部長と来年度の特別委員会について検討を深めることにした。同時に、アジア都市環境学会の第1回国際会議が2001年7月、北九州市で開催されて20周年を機会に、北九州を本部とする法人化と東南アジア諸国の支部を設立、支援することにした。

江戸東京博物館の特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人」を見て

 2021年11月24日(水)、飯田橋での研究会に出席した快晴の午後、突然、江戸東京博物館で、特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」と共に企画展「ひきつがれる都市の記憶―江戸東京3万年史」が開催されているとの情報に驚く。先週の縄文社会研究会・東京部会で北海道・北東北の縄文遺跡世界遺産登録に続いて「甲信越の縄文遺跡(現・日本遺産)」を世界遺産に登録する活動を開始したばかりで、その時も北関東の縄文遺跡をどうするか、気になっていたからである。

 何はともあれ、12月5日までの開催とあって、午後4時を過ぎていたが、JR両国駅から殺風景な線路沿いを歩いて、何度も訪れたことのある階段を上って、洪水対策とはいえ全く人気のない面倒な3階の空中階でチケットを購入。

 先ずはエスカレーターで1階の「縄文2021―東京に生きた縄文人―」展へ。参観者の割には立派な展示物にホッとして一通り視察する。多摩ニュータウンの開発時に問題になっていた縄文遺跡を中心とする埋蔵文化財を多数収蔵してきた東京都埋蔵文化センターと江戸東京博物館と国立歴史民族博物館の協働というだけに充実している。

 帰宅して、「東京に生きた縄文人」(2021.10.9 TOTO出版)で、館長の藤本照信氏と山田昌久氏(東京都立大名誉教授)との対談「縄文人の智恵」を読んでのインパクトは絶大であった。

 江戸東京たてもの園の特別展「縄文竪穴式住居復元プロジェクト」(2021年2月3日~8月1日)の報告にある1930年;八幡一郎指導の戌立(いんだて)遺跡復元家屋写真、1949年;堀口捨巳の尖石の与助尾根遺跡復元、1951年;藤島亥治郎の平出(ひらいで)遺跡復元、1951年;関野克の登呂遺跡復元写真、岩手県の芝棟写真、他に関する藤森解説は実に明解であった。

 関東地方縄文海進と貝塚分布図を見ると、縄文人の生活にとって海との関係は強く、丸木舟や大森貝塚の展示と共に、伊豆諸島の縄文時代遺跡など、全く新しい知見を得た。土器を使った食文化に海産物が入ってこそ和食文化の「かたち」で、縄文人の暮らしにこそ、その源があることもこの縄文2021・特別展で教えられた。

 少々不自然に思えた5階の常設展示室内の企画展「ひきつがれる都市の記憶―江戸・東京3万年史―」も、この特別展を参観しての後であったが故か、無理なく観覧することになった。

 第一章の旧石器から古墳時代までの暮らしとして、縮尺1/10の縄文時代中期の住居、1階の丸木舟展示、縄文後期、品川・大田区での大森貝塚出土の土器(複製)、弥生時代の文京区本郷の壺形土器(複製)、古墳時代の大田区の埴輪。第二章の奈良時代から鎌倉時代の武蔵国では、国分寺市の武蔵国分寺跡出土の瓦、平安時代では八王子市の白山神社経塚出土資料。第三章の江戸の成り立ちでは太田道灌「山吹の里」(江戸名所図会)、八王子城址出土資料等。第四章の江戸時代以降の400年間、この吹き抜けた大展示スペースに収められている江戸東京博物館収蔵62万点からの出展である。

 「江戸東京3万年史」というタイトルを見て大法螺企画にと思えたが、「都市の記憶として」引き継いでいると解釈すれば分からぬでもない。日本文明はAD500年以降の1500年との解釈を、これを機会に3万年としても良いのか、都市は少なくとも文明の産物とすれば、である。それとも日本文化3万年・文明1500年と称すべきか。

 縄文社会研究会・東京部会としては、このような企画展や特別展で大々的に東京や関東地方縄文海進と貝塚分布図、衣食住の生活面で、現在の東京人との密接な繋がりが展示された以上、甲信越に絞った研究会は、貝塚に見る漁業や多摩の落とし穴による狩猟など、身近な関東や東京島嶼の縄文遺跡を調査し、文明の手段をもった縄文人の生活様式をもっと研究する必要性を痛感する。

日本景観学会 2021年度秋季シンポジューム研究発表会

2021年11月20日(土)13:00~17:00、オンラインZOOM方式で

 13:00 開会 

 13:10 開会挨拶:中矢雄二副会長

 13:20-14:40 基調講演

  講演1:土岐 寛:電柱問題を改めて考える−経済大国・文化小国から脱皮の展望−

  講演2:向殿政男:「鉄道のある風景」と景観概念について

 14:40-14:50 休憩

 14:50-16:10 研究発表

  発表1:成田イクコ:景観計画における色彩規制をとりまく環境

  発表2:山路永司:農村地域における太陽光パネルの景観

  発表3:西原 聡:柿田川湧水にみる富士山がくれた水辺景観

  発表4:齋藤正己:離島の景観−観光が果たした役割とは?

 16:10-16:30 自由討議

 16:30 閉会挨拶:土岐 寛

 土岐基調講演:日本の電柱・電線の景観破壊は国辱的、地中化率は東京23区でも10%、台北の95%、シンガポールの100%と比較して、何とかしなければならない。東京都の小池知事も国土交通省も地中化を推進する条例や支援策を提案しているが、今も電柱は増加し続けている。このままでは年間4000kmの地中化では128万kmの道路を全地中化するには300年必要とする。日本景観学会として「宣言」や「声明」を出すに当たって、電線のみならず、CATVや光ケーブル等の架空施設による景観破壊防止についての方策を、土岐会長を中心に検討することになった。

 向殿基調講演:「鉄道のある風景」をテーマに、「風景」「景色」「景観」を英訳すれば、どれも”Landscape”である。しかし、日本人にとってその違いは鮮明で、スケールの大中小、人間関与の強弱で比較すると、いずれも風景>景色>景観となって、景観は最もスケールが小さく、人間の関与度合いが最も大きい、と景観概念の定義に言及。

 尾島は、藤澤前会長は「景観」を”KEIKAN”と訳して、学会誌の表紙として、また商標登録したことを話す。広辞苑で「景観」とは「自然と人間界のことが入り交じっている現実のさま」とある。共生の思想やFuzzy(あいまいさを許容する)、自然のみ、人間のみでは「景観」とは呼ばない、哲学・思想が欲しいと向殿氏。

 続く研究発表会は斎藤氏司会で、

1.成田イクコ氏:景観計画は色彩規制が中心で、地域固有の色、特性として茶・黒・白中心。中津川市や中山道の伝建地区、犬山城下等の低彩度色彩について言及。

2.山路氏:太陽光パネルの景観破壊の実情について説明。地産地消の立場や景観を破壊しない限りはGHGの観点から太陽光パネルの普及に反対しない。特に耕作放棄地でのソーラーシェアリング等は、3年毎から10年毎の申請でも良い。17~27度の傾斜地で1ha以上のソーラーパネル等は、伊豆山での土砂災害などを考えると危険である。「景観破壊のない限り」とか「森林や農地、スケールや地勢等」で定性的に「賛成」とか「反対」ではなく、確かなる定義に基づいたGHG対策としてのソーラー普及策をつくるべきと。これは山路氏の課題となった。

3.西原氏:柿田川遊水池の水辺景観については、報告通りに重要な指摘であった。具体的に、富士山周辺環境の整備は重要であるが、余りに課題が多いこと。500万㎥/日の美しい富士山湧水が毎年減っている。柿田川一級河川1200mの景観保全の大切さを再認識し、アクセスや休憩地の整備が第一歩。

4.斎藤氏:沖縄離島の宮古島・石垣島・竹富島・西表島での星野リゾート開発等、日本景観学会も苦労したが、その後、景観破壊や限界集落問題はインバウンドの増加で解決した。クルーズ船の観光客等では600万人から1000万人に増加。そのうち30%が外国人で、限界集落が激変。観光、環境、産業、地元の入島税対策等について興味深い報告。

 16:00からの自由討議は、山路氏の司会で、実に有意義な勉強会になった。健康を害して会長を引退された藤澤和先生もwebとあって自宅から出演。シンポと発表会の総括をされて、無事終了。

 閉会の挨拶で土岐会長自身が大きな宿題を持ったと話された。日本景観学会の立ち位置が明確になるに及んで、学会の責任が益々重要になってきたことから、事務局4人の方々の役割も再認識されて、終了。

豊洲市場を歩いて後、第2回の縄文社会研究会・東京部会出席

 2021年11月18日(木)早朝、慈恵医大のCT検査を桑野和善医師の診断で受ける。2016年、槇文彦さんを中心に、代々木国立競技場を世界遺産にする運動が始まって、その顧問役を頼まれた。1964年10月の東京オリンピック時、巨大ノズルから外気を噴出することで、騒音対策と競技場内の温湿度分布を測定するため、天井裏の屋根断熱のため吹き付けたアスベストと送風機室前後の石綿吸音材を貼ったチャンバー内に何日も滞在した。その時にアスベストを相当吸ったのではと考え、主治医の田中医師に相談した結果、2016年9月、AIC八重洲クリニックで検査したところ、①アスベスト肺およびアスベスト関連胸膜疾患の疑いあり、②動脈硬化性変化、との画像診断(渡辺慎医師)。その結果、毎年11月に東京慈恵医大の桑野医師のCT検査による診断を受けることになって6年目である。

 何カ所かのアスベスト破片の位置や周辺に変化がないとの診断もあり、もうこれで良いのではと尋ねると、「何時変化するか分からぬから、続けるように」とのこと。裁判で国家負担が決まったが、当方は異常がないため、せめて来年からは午後の検査を予約。午前9時30分、天気が良いのでタクシーで新橋の「ゆりかもめ駅」へ直行する。

 久し振りの「ゆりかもめ」は満員である。目的地の市場前駅はなんと終点豊洲までの16駅中の14駅目で、30分近くの乗車。駅には特別な案内パンフレットもなく、市場公開中とあって、均質で巨大な市場建物群の空中回廊を「魚」の道案内矢印に沿って歩く。コロナ禍とあって、何カ所にも分散した飲食店街や見学デッキ、屋上緑化の庭園にも人影は少なく、淋しい。11時半、「弁富すし」で灘の正宗に特上にぎりを一人前、職人との話も面白くないまま、食後1時間程歩いて、青果市場へ。松茸など安いので買いたいと思えど、持ち帰りが面倒。築地市場時代の鮨屋や露店の青果店に比べて何故か淋しく、活気がない。珈琲店で一休みして、再び市場前駅のゆりかもめに乗車する。

 豊洲市場へは地下鉄の直結と千客万来空間が不可欠である。有明スポーツセンターや東京ビッグサイト駅での乗降者も少しばかり。幸い、最後部座席での展望は面白い風景が楽しめる。

 気になっていた東京国際クルーズターミナル駅や台場駅で途中下車するも、見学すべき施設も全て閉鎖中とあって、再びレインボーブリッジを渡って竹芝駅下車。ホテルインターコンチネル東京ベイの庭や竹芝小型船乗り場も人影少なく、美しい東京都の視察船「東京みなと丸」が2~3人の乗客を乗せて出航する風景も、コロナ禍の惨状を示すようだ。しかし先週訪ねた神戸港同様、日の出や竹芝埠頭からの風景は素晴らしい。

 縄文社会研究会(東京部会)が3時から新橋の国際善隣会館4階で開かれるに当たっての5時間程お有効に使って、日頃なかなか視察できないでいた豊洲市場散歩のみならず、久し振り東京港の風景は、東京オリパラ後だけに、インバウンドのみならず、都民の憩いの場としても素晴らしい場所になっている。帰宅して、東京ガスに勤務している娘にこのことを話すと、なんとその場所は昼食の憩いの場で、日常空間と聞いて驚いた次第。

 縄文社会研究会の京都部会は、上田篤先生や田中充子先生が中心だけあって活動的であるが、東京部会は松浦先生との連絡がとれなかったとかで、第1回目の島薗進先生を招いた銀座尾島研での研究会後、2020年の八ヶ岳合宿以来の第2回目。山岸修、雛元昌弘、佐藤建吉、下平紀代子、石飛仁、芦田万氏の7名出席。大部分は雛元報告と長野、山梨の縄文遺跡を世界遺産登録する価値について話し合う。特に出雲と諏訪の関係は日本の闇で、これを明らかにする努力よりも、争いのなかった縄文文化を日本文明としてAD5世紀以降の歴史と継承させることについての討論は有意義であった。文明と文化についての違いについてもメンバーの意見は分かれていたが、傾聴に値する2時間で、世界遺産登録への勉強会は会員の輪を広げるためにも価値あり。YouTubeで公開していくことについても事務局に一任することで閉会する。

関寛之君の「神戸みなと温泉・蓮」の挑戦はEXPO’25のレガシーとなる

 2020年東京オリパラが終わって、愈々次は大阪・関西EXPO’25である。2021年11月11日、(一社)都市環境エネルギー協会の「脱炭素化とBCDを考える」シンポジュームを神戸国際会議場で開催することにしたのは、東京オリパラで残せなかったレガシーを、EXPO’25「いのち輝く未来社会のデザイン」に託したいと考えたからである。国土強靱化とカーボンニュートラルの実証実験として、神戸ポートアイランドの水素活用CGSとマイクログリッドをEXPO’25会場で実証し、同時に、この成果を神戸三宮駅周辺と神戸みなとエリアで実装する試みを、このシンポジュームで確認したかったためである。

 そんな夢を描いたのは、関寛之君の活動に刺激されたからに他ならない。2019年11月、神戸芸工大の公開シンポジュームで「この先達に導かれて」と題した公開講座の後、関君が社長を務めるラ・スイート神戸ハーバーランドでOB会を開催し、このホテルで一泊。その接待とホテル施設の素晴らしさから、次は家族で「神戸みなと温泉 蓮」に宿泊することを約束、楽しみにしていた。しかしコロナ禍にあって、2021年11月、委員会とシンポのついでにであったが、中嶋浩三君と一緒に漸く宿泊することができた。

 「神戸みなと温泉 蓮」は神戸港の地下1150mから湧き出た源泉を使用した天然温泉で、厚生労働省認定の「温泉利用型健康増進施設」は全国に23ケ所しかなく、京阪神エリアでは「蓮」のみとか。この天然温泉はメタボリックシンドロームや高血圧の改善になるためか、経済産業省ヘルスツーリズム認証も取得。更に驚いたのはBIGLOBEの温泉ホテル・旅館番付で、2021年度も西の横綱にランクされていた。西日本の旅館ホテル部門で常に1位を誇っていた「加賀屋ホテル」が関脇の3位、大関が別府の「杉乃井ホテル」とあったからである。おもてなしでも、短期間でこれだけの訓練と施設をつくった関君は、建築家としてのみならず、ホテルマン、更には経営者として天才としか思えない偉業である。

 深夜、10階の露天風呂で、みなと神戸の夜景と夜空の月を眺めながら、とんでもない巨大なジャグジーに唯一人、大阪・関西EXPO’25の残すレガシーを連想。リラクゼーションマッサージの腕もなかなかで、高血圧の私には有り難い限りで、熟睡する。

 早朝、1階から3階まで源泉かけ流し湯に導かれて健康増進エリアの大浴場や、坂本龍馬、勝海舟ゆかりの「海軍操練所」跡地の庭園回廊と一体化した露天風呂や多様な浴室群は「いのちを輝かせる」に十分の施設である。

 この朝風呂を堪能した後、ホテル周辺を散歩しての実感。今度のシンポ開催に当たって、神戸市都市計画局の職員たちが東京に挨拶にみえたとき、関寛之君が神戸港周辺の景観整備に協力していることに感謝していたが、これこそが関君の思う壺で、市の協力を得ての「庭屋一如」の景観形成を神戸みなと温泉が借景にしているのだ。陸・海・空の神戸・関西の観光案内や、韓国で有名な、歩きながら、遊びながらトレッキングできる「オルレキル」の先駆をした宿泊案内は実に良く出来ている。長期滞在向きのホテルとしてのみならず、インバウンドの人々にとっては、世界第一位のおもてなしホテルとなる日も近く、これこそがEXPO‘25のレガシーとなるであろう。朝食のバイキングも、コロナ禍とあって十分な配慮の下、安心して関西の名物を食べることができた。おみやげにもらった丹波篠山産黒豆甘煮は大好物。ラスイート直営のル・パン神戸北野も1868年の老舗を継承して、食感は最高。関君の相棒である総支配人・檜山和司氏のホスピタリティあってのものか。

 OB・OG諸君の「いのち輝く未来のために」「神戸みなと温泉 蓮」の体験を推薦する次第。但し来年の正月に約束していた家族と共にと予約してみたが、既に満室であった。

神戸国際会議場での「脱炭素化とBCDを考える」シンポジウムに出席して

 2021年11月11日(木)、第28回(一社)都市環境エネルギー協会の恒例シンポジュームを神戸市で開催することにしたのは、2025年の大阪・関西万博の前哨戦にしたからである。

 2020年2月、(一社)日本熱供給事業協会が、千里中央地区と大阪万博会場で、日本初の地域冷暖房開設50周年の式典を大阪帝国ホテルで盛大に挙行された。その翌日、千里の阪急ホテルで、大阪ガス主催「千里中央地区地域冷暖房開始50周年」の講演会が開催され、講演させて頂いた。それから間もなくコロナ禍に入って一年以上、東京や大阪の緊急事態宣言下が続いて、無観客の第2回東京オリパラも終了した。

 コロナパンデミックによる世界の死亡者は500万人以上、感染者2億5千万人以上という大災事に加えて、COP26で益々鮮明になってきた地球温暖化による気候変動対策で、日本も2050年カーボンニュートラル宣言をせざるを得なくなった。また首都直下や東南海地震発生確率の上昇から、国土強靱化法の制定下、冷静なるシンポジュームは、何故か大阪や東京ではなく、神戸でこそ可能と考えた。

 然るに、愈々、神戸の国際会議場を予約して、2020年の東京での実績を考えると、なかなかシンポジュームのテーマが定まらなかった。しかし、大阪・関西万博EXPO’25の会場計画での委員会や神戸三宮駅周辺のBCD特別委員会等の進行状況がいつか顕在化して、すでに喫緊の事態になっていたことがわかってきた。その結果、委員会で指導的立場にある方々に講師をお願いしてのシンポジュームと共に、神戸市で進んでいるポートアイランドの水素プラント等の案内状を配布すると、あっという間に定員120人を超える申込みがあり、その半分以上が東京からの申込者であるという。

 シンポ当日の東京は快晴であったが、新神戸駅で中嶋浩三氏と待ち合わせ、タクシーでポートアイランドの国際会議場に到着したときは、相当に雨が降った後のようで雲が重く、来場者が心配になった。講演者は予定通りの時間に控え室に来て下さったので一安心。会場はソーシャルディスタンスとあって、250人の定員席に120余人。既に満員の盛況下、特別の打合せもなく、竹中工務店の中村慎副理事長のご挨拶に続き、大阪大学の下田吉之教授の「カーボンニュートラル都市への課題」、国土交通省の渡辺浩司都市局技術審議官の「脱炭素化とBCDに向けたまちづくりに関する国土交通省の取り組みについて」、神戸市の鈴木勝士都市局長の「神戸のまちづくりにおける取り組み」、最後は大阪ガスの田坂隆之副社長の「DaigasグループのカーボンニュートラルビジョンとBCDへの取り組み」で、予定を10分程超過して、20分休憩。この休憩の間、大阪ガスに毎度、無理にお願いした格好の栗饅頭を食べ元気回復。

 毎回楽しみにしているパネルディスカッション70分のコーディネーター役で、下田教授には、リーダー育成と大学院生たちのカーボンニュートラルの危機感、私生活でも覚悟やEXPO’25等への学生たちの関心の無さについて、渡辺審議官には、国土強靱化は国交省の専轄であるが、エネルギー基本計画の実行には、その人材が地方で致命的に不足していることに対する対応について、神戸市の鈴木局長には、三宮駅周辺再開発では市がマイクログリッドの主体者となるべく、民間や国が期待していることに対する可能性について、最後の田坂副社長には、2050年の50%削減にはガス中圧管を活用したCGSの思い切った投資と大阪臨海熱供給会社の夢洲スマートシティ構想への参画について伺うことになった。

 当然ながら、壇上で明確に即答できる内容ではないものの、皆さんは相当の覚悟で回答して下さったことは、視聴者の反応で十分に理解できた。閉会の挨拶で、関西電力の松本和拓理事はこの間のまとめをして、無事時間通り終了する。

 大阪ガスの田坂副社長主催の反省会会場は、神戸市でも由緒ある中華料理の「牡丹園」で、下田・田坂・今井・尾島のテーブルでは、特に下田先生とはEXPO’25会場構想について、田坂副社長とは「神戸市三宮駅周辺BCD特別委員会」でのマイクログリッド実現問題について、シンポジュームの討論で処理できなかった案件について話し合う充実した一日を終了。予定していたより遅く、神戸みなと温泉「蓮」に宿泊する。

 「蓮」は、最近の温泉旅館格付けでは西日本で一番好評とかで、神戸港の地下1150mから湧き出た源泉を使用した天然温泉として、厚労省認定全国23ケ所の一つ、京阪神では唯一の「温泉利用型健康増進施設」というだけあって、実に素晴らしいホテルである。10階の屋上で神戸ポートの夜景を見ながら気持ち良い浴槽に浸かって、すっかり元気を取り戻す。

 11月12日(金)は午前10時から神戸市都市局計画部の会議室で「神戸市三宮駅周辺BCD特別委員会」を開催。委員長として、前日のシンポジュームの成功と共に、神戸みなと温泉「蓮」の地熱利用とウエルネスのテーマ追求は、大阪・関西EXPO’25のテーマと同一で、先駆けていることに注目したい。また、2025年万博のレガシーとして、三宮から神戸みなと一帯の再生、国土強靱化とカーボンニュートラルのモデルとして、世界中からこの地に人々が見学に来るようなまちづくりを進めたいと挨拶する。

 帰京時の昼食に、新神戸駅に隣接するANAホテルの「たん熊」の京料理も格別であった。

坪内逍遙の双柿舎に因んで育てた柿を愛でる

 1997年3月、現在の住所に引っ越したとき、完全に撤去された庭に実生の柿の木が2本残されていた。熱海の坪内逍遙の別荘であった双柿舎に因んで、この2本の柿の木を大切に育てた。「桃栗三年、柿八年」と言われるとおりに、いまや巨木に育った2本の柿の木による落葉と落柿の処理・処分に困っている。留学生達が居た2010年頃まで、彼等に処理・処分してもらっていた。最近の十余年間はご近所や庭師にお願いしながら、熟した実が落ちる前に、沢山の柿の実や落葉の収集は私の仕事になった。毎年90ℓのゴミ袋に20袋程の落ち葉と柿の実は、1本に少なくとも200個として、400個もの分配が大変で、多くは廃棄することになった。その上、御歳暮にもっと立派な富有柿等が送られてくるから大変である。しかし、この2本の柿の大木は、若葉や紅葉の美しさは格別で、加えて沢山の鳥達の賑わいなど、東京の自然とは思えない風情を演出してくれる。

 2020年から自宅の車庫を改良して、東京尾島俊雄研究室を発足した機会に、通りに面してショーウィンドウ的飾り棚を作った。その飾りとして、自庭に咲く花卉を生けることにしたが、ミカンや柿の実など樹実は2週間は新鮮だが、草花は1週間が限度で、年間50週も自庭で採集する草花では工面できず、観葉植物等で誤魔化すことになった。

 2020年から2021年にかけてのコロナ禍で、この辺でもジョギングや散歩する人が増えるにつれ、何かと話題になり、気のせいか、近所の庭にはバラや梅、藤や椿等の素敵なガーデニングが目立ってきた。自庭の柿は、1本は富有か次郎で甘柿である。もう1本は百目らしく渋柿と思えるが、熟すと鳥のよいエサとなって食い散らかされ、処理・処分に困る。何故か今日は「柿の日」とかで、テレビは子規の「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」等の俳句を盛んに流している。自宅に居ても近くの南蔵院の鐘の音が聞こえていたはずが、気づくと最近は全く聞こえなくなった。この5~6年で車とマンションが急増したためであろう。

 今年は渋田君と小林さんに手伝ってもらって柿の大枝を切り落とし、たくさんの実をつけたままの柿の枝をショーウィンドウに飾ることにした。幼い頃から親しんだ「池坊」流とは違う草月流もどきの大胆な投げ入れで挑戦する。

 落葉や枯れ木のみならず、毎年剪定したバイオマスはすべて一般か産業かを問わず焼却される。しかし都市緑化が進み、不燃ゴミやプラスチック等は紙に代替される時代、都心ゴミ焼却場の排熱が少なくなることがないと思われる。

 目下、環境省にお願いしているのは、東京都心の清掃工場22ケ所の排熱をすべて地域暖房に活用すると、年間350万tonのCo2が削減できる。これは東京都が2030年に50%、3,000万ton、2050年に100%、6,000万ton(日本全国の森林が吸収するCo2量に相当する)、Co2を削減する「ゼロエミッション東京戦略」にとって、大きな貢献である。しかも、このようなことはフランス等のEU諸国では当然100%実施している。東京都ではダイオキシン問題から庭の焚き火も禁じている現状では、いつか日本が環境後進国か途上国になっているのだ。自宅の屋根にソーラーを設置する義務よりも、再生可能エネルギーに計算される都心緑化や街路樹・自庭のバイオマス熱利用こそ、一刻も早くその利活用を進めなければならない。

ショウウインドウに利用できた自庭の植物に〇印を付した。


(1~3月)
〇水仙、〇松、竹、〇梅、〇菫、
〇石楠花、柊、桃、沈丁花、
〇椿、〇寒蘭、 木蓮、梨花、
カスミ草、〇シクラメン、サクラ草

(4~6月)
〇桜、〇木瓜、ユキヤナギ、〇芍薬、
〇藤、〇海棠、夜来香、〇杏花、
〇茶木、〇南天、〇ツツジ、銀杏、
〇満天星(ドウダン)、〇鈴蘭、
〇馬酔木、〇菖蒲、牡丹、山吹、
紫陽花、夾竹桃、〇紫式部

(7~9月)
〇バラ、〇百日紅、〇アカンサス、
野薊、〇トキワサンザシ、ザクロ、
〇ドクダミ、百合、山漆、朝顔、
〇ナデシコ、芙蓉、タマカンザシ、
〇萩、〇菊、女郎花

(10~12月)
泰山木、〇金木犀、〇榊、〇山茶花、
ブナ、〇山法師、〇柿、チューリップ、
〇山桃、〇柚、〇山茶花、ヤツデ、睡蓮、栗、唐楠、ハゼ、〇ホトトギス、〇紅葉、
〇キンカン

 東京尾島俊雄研究室の敷地は、自宅を含めて800㎡、屋根面積は250㎡として、ソーラー2kW、Co2吸収の樹木20本、庭の面積が500㎡で、年間Co2吸収は0.13ton、年間バイオマス賦存量は0.5㎥(0.3ton)として、(Co2 ton1万円として13,000円、燃料ton2万円として6,000円相当)。こうした地産地消型のエネルギーやCo2収支等は、金銭収支以上にこれからどの家庭でも要求される。

 第6次エネルギー基本計画の数値目標がようやく決まったが、原子力20~22%、再生可能エネルギー36~38%の目標達成は相当の努力が必要かと思われ、日常生活での省エネが別の面から大切になる。

 目下、大阪・関西EXPO’25で達成せんとしている水素・アンモニア会場内利用に当たって、とてつもない努力が強いられる状況を考えると、日頃からもっと身近なグリーンエネルギーの利活用を考える必要がある。

 森林の吸収するCo2は2.6ton/ha、バイオマス蓄積は10㎥/haとして、東京23区、6万haの20%が緑化として1.2万ha×10㎥/ha・年=12万㎥/年のバイオマス燃料(再生可能エネルギー)が利用できる。

 東京尾島研究室のソーラーと庭木が再生可能エネルギーを活用するに当たって、ソーラーは施設料が必要なので、金銭収支はゼロになるも、庭木のバイオマスとCo2吸収分は公に寄与することは確かであり、こうした些細な収支もこれから大事にしなければならなくなる。

第9回 八ヶ岳研究会の後に御柱祭りのルーツを訪ねる

 1970年、八ヶ岳山麓の美濃戸に山荘を設けて50年。1990年にその山荘を大改築して以降は、早大尾島研の夏合宿として30余年間、毎年学生やOB達との勉強会や山登りをする間、2000年には茅野市との共同国際会議、2013年には景観学会とアジア都市環境学会を共同開催した機に、池の平ホテルの矢島社長を中心に「白樺湖畔スマートヴィラ勉強会」を開催。

 2019年には環境省OBの小林光先生、ミライ化成の中川景介社長、JESの福島朝彦社長と私の5人が幹事となって「八ヶ岳研究会」と名称を変えて、その第9回目を9月10日、池の平ホテルで開催した。

 八ヶ岳のエイトピークスに倣って8部会を設けて、縄文から現代に至る1万5千年の歴史(時間)と八ヶ岳スーパートレイル周辺50万人の地域(空間)を対象として、地元のみならず、国や地方自治体とも共同研究することについて自由討論した素案を以下に示す。

1.観光・景観部会(ソーラーコレクター、風車、小水力、廃屋、空き家対策、アート)

2.再生可能エネルギー部会(バイオマス熱利用、マイクログリッド、チップ工場経営)

3.二地域居住部会(別荘と移住者、財産区、総有権、ふるさと納税、コミュニティ)

4.防災拠点部会(バックアップシティ、大都市と地方都市の災害時・平常時交流)

5.地方創生部会(山荘、森林、農地、牧場、ベンチャー、サテライトオフィス経営)

6.縄文研究部会(「星降る中部高地の縄文世界」日本遺産から世界遺産登録)

7.白樺湖畔部会(ホテル山善撤去跡の再生と白樺湖畔の景観再生)

8.出版・広報部会(ガイドブック出版、補助申請、リニア中央新幹線) 

 翌日は、旧来の山登り仲間(丸山・寺本・相場・鬼沢・友森・渋田)と共に、木曽路の奈良井宿から鳥居峠を目指すも、土砂崩れのため途中で引き返し、縄文から弥生・古墳・平安・鎌倉・江戸・今日に至る5000年の集落が同居する平出遺跡を視察した。その帰途、2022年の御柱祭りのため随所で交通規制が行われていた。

 このグループとは2010年度合宿で、諏訪大社上社の前宮と本宮の8本の御柱は尾島山荘間近の御小屋山から伐り出す予定が、御柱に適した樅の大木が台風で倒れてしまったためとかで、辰野国有林等からトラックで運ばれたと聞き、どれ程の被害を受けたのか、御柱山の実態を調査しようと出かけた。しかし、御小屋ルートと御柱山ルートを間違って後者を選んで登ったので、屋根筋に至るも樅の大木は勿論、小さな樅の木も見つからず、本当にこの山から樅の大木が1500年間も継承して伐り出されたのか疑問を持った。

 しかし10年後の今回は、一行の一人がスマホ情報として、2022年度は間違いなく近くの御小屋山から伐り出されるとの情報に加えて、その準備のためか、多くの軽トラックと職人達が近くの道端に集まっていた。改めて、夜、地図を見直しながら、スマホの情報と比べると、御柱山ルートと御小屋ルートは八ヶ岳山荘近くの美濃戸ロッジで別れていて、沢を越した別の山道であることを発見。

 幸い、日曜の朝は久し振りの晴天で、一行6人、尾島山荘を出発。樅の大木を伐り出すための下作業に行く軽トラ一行の職人にも確認して、御柱山とは別の御小屋ルートを登ること小一時間、大社の管理地で、樅の大木が散見できる森林地帯に入る。軽トラが10台も並ぶ鬱蒼たる森林が開けた草原の周辺には大社の御小屋や小さな祠宮が散在して、その近くで樅の大木を伐り出すためか、下草刈りを行っている職人達を確認。この伐り出し地点から20kmも離れた諏訪大社までの「山出し」ルートを歩くことにした。途中、尾島山荘近くの御柱街道と鉢巻道路の交差点からは車で八ヶ岳実践農大前を通り、八ヶ岳エコーラインとの交差点「一番塚」で8本の大木を集結する。この地には2022年4月に行われる「山出し」からの様子を示す立て看板が立っていた。

 8本の大木が御小屋周辺で伐り出され、「御柱街道」と呼ばれる山路を1ヶ月かけて3月末には「一番塚」に人力で曳き出される。4月2日、3日を御柱祭りとして「山出し」がスタートし、8本の御柱が氏子や観光客に曳かれて12km程離れている諏訪大社の本宮と前宮へ。途中、「穴山の大曲」や「山出し」のクライマックスである「木落し」坂から、4月の雪解け水で洗い清められた巨木は宮川の「川越し」を終え、安国寺の御柱屋敷に曳かれ、1ヶ月後の5月4日、5日が「里曳きの祭り」になる。

 50余年間、この八ヶ岳の尾島山荘で合宿しながら、諏訪大社奥宮の祠や樅の巨木の植林地、御小屋の山林や御柱街道を散歩することもなかった。1500余年もの間、6年に一度、この地に住む諏訪大社の氏子や住民が総出の御柱祭りに来年こそは参加したいと思った。

 それにしても、すぐ近くの中ッ原遺跡から出土した国宝「仮面の女神」が発掘された地に建つ8本の巨大な御柱が、大社の「御柱祭り」より3000年以上も昔の御柱と同じであると考えるだけで、「八ヶ岳研究会」の意義も身近に考えられてきたのである。

〇「八ヶ岳研究会」での歴史(時間)軸表とスーパートレイル周辺の地域(空間)図

「5000年前の中ッ原縄文遺跡の8本の御柱と今日の御柱祭りの関係は不詳」

 5000年前の国宝「仮面の女神」が発掘された中ッ原遺跡に建つ8本の大木①と、1500年前から6年毎に継続されている諏訪大社前宮の一之御柱②と三之御柱③。諏訪大社・前宮に4本と本宮に4本の8本が20km離れた御小屋山の大木④を8本、山出しされる。1500年以降は、御柱祭りとして諏訪大社の祭りと共によく知られているが、5000年前の中ッ原遺跡の8本の大木建立との関係は全く分かっていない。

 写真①の8本の柱は、4本が高く4本が低く建っているが、実は発掘した穴から柱跡と推測したもので、この御柱が何に使われたものか未だに分かっていない。横に見える小屋は5000年の「仮面の女神」(国宝)が発掘されたところを保存している。

①5000年前の中ッ原遺跡に建つ8本の大木    ②諏訪大社・前宮の一之御柱(2019.8)
(2019.8)
③諏訪大社・前宮の御柱(2019.8)      ④御小屋山の樅の大木(2021.8)    

「第2回東京パラリンピックのアスリートたちが創り出したレガシー」

 2021年9月5日、東京2020オリンピック(17日間)・パラリンピック(13日間)が閉会した。2020年の目標「東日本大震災からの復興」が2021年に延期され、「コロナに打ち勝った証」に目標を変更した第2回オリンピックは、205ヶ国(地域)から11,000人のアスリートが33競技339種目で競い合い、パラリンピックは162ヶ国(地域)からパラリンピック史上最多の4,400人のアスリートが22競技、539種目で競った。

 その結果は、前回のリオのパラリンピックでは金が0に対して、東京では13、銀が15、銅が23、計51個で、2004年のアテネの52個に次ぐ成果であった。肢体不自由、視覚障害、知的障害等のハンディキャップをもつアスリートたちが、血と涙の結晶として獲得したメダルである。オリンピックでは10代の若者が目立ったメダル獲得に対して、パラリンピックでは60代の高齢者がメダルをとっていた。はじめは、私自身、気の毒な人たちのすさまじき競技との偏見もあったが、次第にその余りに迫力あるテレビ画面に、いつしか引きつけられて興奮する。超高齢化社会の日本にとってのみならず、自分にとっても明るい未来のあり方を教えてくれた。

 そんな13日間も終わって、改めて、国民の大半が反対しても実行された東京2020は、どんな評価を歴史上で下されるのか。私たちはその対策も考えなければならない。何故ならば、この第2回東京オリパラの開催は、その成果や影響について、北京オリパラや第3回のロンドンオリパラの成功に比べて、世界中が注目し、東京での成果について大きな関心が寄せられていたからだ。

 建築家としての立場で考えても、第1回東京オリパラが残した国立代々木競技場については、前回のBlog36でも記したように、9月2日にこれを世界遺産に登録すべく、DOCOMOMOの国際会議と合同で第1回シンポジュームを開催して、日本の戦後復興と国際社会への復帰を宣言するものであったことに比べて、第2回は、コロナ禍とあって、世界と共に歩く「多様性と調和」を実現したのであろうか。少なくとも、第2回のオリパラ中の9月3日、菅首相は次期総裁選出馬を突然見送ると表明して、政局が一変したことからも、東京2020の開催は日本国の大事件だったこと。

 全国の感染者は9月7日時、減じ始めた反面で、自宅療養者と重症者の激増で医療現場は悲鳴をあげ続けている。世界の感染者もコロナ株の変異と共に増加を続けて、2億2万人、死者456万人。日本は156万人の感染者で、死者1万6千人。緊急事態宣言も第5波の襲来で8月31日から9月12日に延期したのを、さらに10月迄延期すべきとの声である。このような状態で、無事に東京2020が2024PARISへ、“ARIGATO”の言葉と共に引継ぎできたであろうか。

 オリンピックのみならず、パラリンピックでも事実上の無観客で、その入場料900億円の赤字は余りに大きい。その上、屋根なしで1,569億円も投下した国立競技場の年間維持費は24億円、減築できなかった東京アクアティクスセンターでは年間6億円以上の赤字予測等々と新聞報道は既にポスト東京2020の国内景気や政局に関心が向いている。

 世界遺産に登録する国立代々木競技場でも、当時の日本が精一杯頑張った施設を使い続けて、その上、実は大変な改築費と維持費が投下されていること。それに比べて屋根なし、減築なしとはいえ、今度の施設はバリアフリー化や近代的技術の粋を集めた安全性を考えれば、必ずや日本のレガシーになると信じたい。

 時々しか観戦しなかったパラリンピックのテレビ画面ではあったが、女子マラソンの道下美里さんの笑顔、競泳の木村敬一さんの涙、車椅子テニスの国枝慎吾さんのガッツポーズ、ボッチャの杉村英孝さんの得意顔等々の金メダルアスリートのみならず、銀メダルの車椅子バスケットボールの日本チーム等々、テレビというVirtualな世界でも十分に伝えられた刺激は、価値ある「モノ」ではない「こと」であった。この暗い明日の見えない時代にあって、東京2020は十分なレガシーとしての価値ありに思えてきたのである。

「国立代々木競技場世界遺産登録推進協議会 第1回シンポジューム」に招かれて

 2021年9月2日(木)、(一社)国立代々木競技場世界遺産登録推進協議会主催の第1回シンポジュームが、六本木アカデミーヒルズ49階タワーホールで、第16回DOCOMOMO国際会議2020+1東京実行委員会との共催で挙行された。

 午後1時半、2016年にこの会を発起した槇文彦氏がキーノートスピーチ。主旨は「1952年に東大建築学科を神谷宏治氏と同級で卒業。ハーバード大へ留学するに当たって、1年程の準備期間中、丹下健三研でコンペを体験した。その時の丹下さんは全員で自由討論させた上、最適解を採択しての実行手法は、今に至る自分の教訓になったこと等。」

 続いての基調講演で、この会の代表理事に就任した隈研吾氏は、「建築が趣味の父に連れられて見た代々木競技場の建物に感動。この水泳プールで、その後、何度も泳いで、益々この建物は神宮内苑の森とも調和して、素晴らしい景観を形成していることを発見。自分が設計することになった神宮外苑の国立競技場の設計に当たっては、この建物を十分に意識した」と。

 続いての建築歴史家の後藤治氏は、「丹下健三の国立代々木競技場を世界遺産に登録するには、第1に日本国の法で認められた作品であること。この条件は2021年に重要文化財に指定されたことで第1条件をクリアした。第2は、日本の文化庁の世界遺産リストに登録されること。第3は、ユネスコのリストに、第4は、そのためには海外の調査を受けることで、今度、第16回のICOMOS国際会議が東京で開催されるに当たって、本日のように共同でシンポジウムを開催したことで、広く海外の専門家に代々木競技場の素晴らしさを紹介できたこと等々。(一社)代々木競技場世界遺産登録推進協議会のこれから果たすべき道程について」講演。

 続くディスカッションの司会は豊川斎赫氏。彼は当日の資料として、自著「国立代々木競技場と丹下健三」(TOTO建築叢書12)と英文版“YOYOGI National Gymnasium and KENZO TANGE”を配布。

 帰宅して、本資料を読むと、意匠や構造については詳細に述べられているが、残念ながら設備系については、冷房費が削られたので自然換気で、空調循環平面図と断面図、ノズルの位置と送風機の配置図のみ、唯、屋根の断熱に使用されたアスベストの除去等については詳細に記されていた。

 井上研の卒業生が先生の死(2009年8月)後の平成25年(2013年)3月、『井上宇市と建築設備』(丸善)を出版しており、この本には今少し詳細に記録があるので、引用。

 丹下研の基本計画が出来た段階で、冷房費がない上、鉄板屋根で天井が低く、1万4000人の観客が入ると、室温は30℃近くなる。1人当たり換気量35㎥/hから50万㎥/hの外気を送るには、径1.2m、16個のノズルを用いて、吹き出し風速8m/s、到達距離100m、残風速0.5m/s、居住者頭上で1m/s~0.5m/sを均一に分布させるためには模型実験が不可欠で、早大卒論生を動員して、次元解析で1/50を最低縮尺とする模型を作成。このスケールで初めて天井とアリーナ間にある客席の温度や風速の許容値のみならず、室内の雰囲気が分かることから、丹下研をはじめ意匠や構造の設計担当者もたくさん見学に来た。

 客席にとって大切なのは、10月のオリンピック時、照明や人体によって上昇する温度を1.0~0.5m/sの風によって、実質体感温度を25℃前後にすることで、しかもノズルからの一時噴流ではなく、それによって誘引される2次気流と3次の気流とも考えられる側壁や床、天井に沿って流れを変える気流が合成された風で、これは模型からの次元解析結果でしか得られない。

 さらに、50万㎥/hの外気を16個の巨大ノズルから吹き出し、アリーナ部分から吸い込み、外気へ放出する送排風機の配置図を見て思い出したのは、騒音対策であった。ノズルの吹き出し側でも送風機騒音が周波数毎にNC40以下にする必要があった。コンクリート側壁やチャンバー内に厚さ50mmの岩綿板をグラスクロースで鋲止めすることで、巨大ダクト等を設けないで最小限のコストでこの換気システムを完成させた。この換気は、Authenticityの貴重な技術であり、これが大改築時にもそのまま残っていた。槙さんから世界遺産登録に当たって世話人を頼まれたときに、以上のことを現場確認したことを特筆しておく。

 また、豊川著のp.239、アスベスト除去に関して、朝日新聞「声」欄投書で、「代々木競技場の屋根裏でのアスベスト吹き付け工事で職人が呼吸不全でなくなった」との記事。文献p.87で、確かに井上先生自身「屋根面からの熱の流入を少なくするために、わしが吹きつけを進言した」との記載。1975年に吹き付けアスベストは禁止され、2005年、本格的に健康被害が報道され、2006年にアスベスト被害救済法の制定。2006年3月に代々木競技場の除去予算がつき、除去された経緯については両著に記載あり。

 私自身も1964年のオリンピック開催直前、アスベスト吹き付け直後の天井と屋根の間にあるキャットウォークから室内環境の実測で何日間もこの屋根裏で過ごしたことが原因と思われるアスベスト破片が肺に何個か今も残っており、慈恵医大のMRIで毎年検査して、健康確認をしている。当時の建設現場や新技術導入に当たっては、多分に体を張っての仕事は当然の時代であったこと。改めて当時の資料を見直した2021年9月のコロナ禍である。