吉見俊哉著「東京復興ならず」(2021.6 中公新書)の解は伊藤滋監修「かえよう東京」(2017.4 鹿島出版会)にあるのでは

 

 吉見著の終章、『2021年は、もはや「オリンピック」の年ではなく、「ワクチン」の年なのである。

 第一に、この二度目の東京五輪は、東京の都市構造を再転換する契機にならなかったばかりでなく、多くの人が誤用してきた意味の「復興」すなわち、経済効果でもマイナスの結果しか残さない。

 戦後東京は「復興」を「経済成長」として受け止め、都市がより「豊かに」なることは、「より速く、より高く、より強く」なることだと考えてきた。「東京マイナス首都機能」に向けた多極分散的な都市、具体的には皇室の京都への帰還や諸官庁の地方分散による田園都市構想で、大学都市構想を実現することこそ真の東京復興であり、コロナ禍の先にあるポストオリンピックシティである。』

 吉見は、「序章 焼け野原の東京」では、復興の意義について

「第Ⅰ章 文化国家と文化革命のあいだ」では、最低限度の生活と文化と経済について

「第Ⅱ章 文化首都・東京を構想する」では、1946年、東京帝国大学最後の総長・南原繁が東京の文化復興のモデルとしてオックスフォードを挙げ、その構想として、上野と本郷の文教地区を高山・丹下が、早稲田地区は吉阪・武が、神田は市川・笠原、三田は奥井、大岡山は谷口・清家等が幻の大学都市を描いた。

「第Ⅲ章 より高く、より速い東京を実現する」では、丹下健三の1960年の東京計画が東京湾上に求められ、東京メガロポリス構想へと発展、1964年の東京オリンピックを機に、文化の東京から道路の東京へ転換した経緯を。

「第Ⅳ章 カルチャー時代とその終焉」では、東京からTOKYOへ、大学都市から広告都市、経済バブルの崩壊と中曽根民活は世界都市博の中止と共に、パンデミック禍の東京は先行き見えない終焉下、今こそ、本当の文化都市としての東京復興を成し遂げる時。

 吉見のこの願望を10年程前から知っていた伊藤滋は、「かえよう東京」と題して解答したのが鹿島出版会からの大著と思われる。

 伊藤が自分で筆を入れた7章「大学を活かした東京都心のまちづくり」は、吉見が第Ⅱ章で記した幻の文化首都・東京へのこれからを示したもので、その解が、伊藤の「かえよう東京」構想にあるように思われたが。

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