白井裕子著「森林で日本は蘇る」(2021年6月、新潮新書)に覚醒する

 東京の緊急事態宣言が延長されたので、2021年8月24日のロータリークラブの例会は中止。この日は東京パラリンピックの開会当日とあって、午後2時には自衛隊のブルーインパルスの展示飛行があるというが、生憎、朝から曇天。

 正午、地下鉄東西線の竹橋駅で下車3分の東京国立近代美術館で開かれている隈研吾展を観て後、京橋のDHC協会へ。大阪・関西EXPO’25会場のグリーン水素活用の目途が立たないため、この分では本当に会場でのゼロエミッション計画が不可能になると考え、相談に行く。先日は、横浜でのIR反対市長の当選もあり、コロナ禍の政情が続く限り、日本のみならず、世界中で新しいプロジェクトやイベントの開催が出来なくなりそうだ。

 DHC協会からの帰途、東京駅内のBook Caféに立ち寄る。東京駅の改築が完成した後に新設された不思議な本屋で、こんな便利な場所がいつも空いており、立ち読み自由、椅子やテーブルまであって、実に買い求めやすい。今回購入した一冊が、25年前に卒論や修論で尾島研に籍を置いた優秀な学生の著であった。

 白井裕子君は、大学院時代にドイツのバウハウス大学に留学して、何かと物議を醸した上、論文では建築学科の縄張りを超えた土木領域で、必要とあれば構わず調査に入るため、時として当方が忍耐させられたことを思い出した。又、白井君は博士論文でも私の専門領域を超えた河川流域の生活文化を取り上げて、審査に苦労したこと。しかしこの著述を読むと、人品が一変した如くに、社会や世話になった人々に対して、実に礼儀深いと思ったが。その途端に、日本の制度や社会、政治に対して、真っ正面から異議を申し立てる正論は当時のままで、実に堂々と自信に満ちている。世界中を研究放浪しての成長を実感して嬉しくなった。

 白井君が研究室に在籍していた頃、私は出身地の富山で大工の専門学校(現・職藝学院)を設立し、当時から森林の大切さや伝統木造建築の職人養成の必要性を叫んでいた。又、日本の経済復興やグローバリズム、激変する社会情勢に流される毎日であったが、そんな状況を見てか、本書では森と木をテーマに、この道一筋とも思える程に日本の社会制度に異議ありを告発している。

 第1章の「日本の建築基準法には自国の伝統木造は存在しない」では、戦後70余年間、多くの先輩達が挑戦して達成されていない伝統木造の実態について、実に分かり易く解説している。富山で挑戦し続けている大工職人の専門学校「職藝学院」は設立25年、四半世紀に至って、宮大工の伝統技術の修得と社会での実装、マイスターの先生方と学生たちは今も苦労している筈。本書を教科書に座学で学生や先生方を勇気づけて欲しいものである。

 第4章「誰のためのバイオマス発電か」も又、著者が記すように理解できない現況である。EUでは大型のバイオマス発電は既に禁止した上に、熱供給を併用するCGSでなければ許可していない。一方、日本では、私の調査した限りでも、立派な建築用材になる丸太まで燃料にされている。この実態は、経産・農林・環境省庁の分断や補助金の制度によるものである。誰しもこの実態については苦情を出し続けている正論で、実に詳細にその原因まで追及している。

 第9章「いつの間にか国民から徴収される新税」については、私も初めて知らされたことが多い。側聞はしており、まさかと思っていたが、日本から中国に大量の丸太が輸出されている実情は、民も官も評価していない上、輸出している木材の生産に多額の補助金が注ぎ込まれていること。山に道を造る、林業機械を買う、山中から立木を間引くための補助金の結果、破格の丸太がバーゲンとなって中国への運び出されるという説は、実によく分かる。補助金行政こそが直接・間接的に日本の森林という国富を持ち腐れにしているという。一見して各省庁が良かれと思って実行している補助金が、日本の文化や社会生活の根本を腐らせていると説得する本書は、学生時代と変わらぬ縄張りを超え、”Science for Science(あるものの探究)”ではなく、”Science for Society(あるべきものの探求)”としての新しい分野の先駆者となっている白井君には教えられること多く、卒業生達に一読を勧める次第である。