2021年9月2日(木)、(一社)国立代々木競技場世界遺産登録推進協議会主催の第1回シンポジュームが、六本木アカデミーヒルズ49階タワーホールで、第16回DOCOMOMO国際会議2020+1東京実行委員会との共催で挙行された。
午後1時半、2016年にこの会を発起した槇文彦氏がキーノートスピーチ。主旨は「1952年に東大建築学科を神谷宏治氏と同級で卒業。ハーバード大へ留学するに当たって、1年程の準備期間中、丹下健三研でコンペを体験した。その時の丹下さんは全員で自由討論させた上、最適解を採択しての実行手法は、今に至る自分の教訓になったこと等。」
続いての基調講演で、この会の代表理事に就任した隈研吾氏は、「建築が趣味の父に連れられて見た代々木競技場の建物に感動。この水泳プールで、その後、何度も泳いで、益々この建物は神宮内苑の森とも調和して、素晴らしい景観を形成していることを発見。自分が設計することになった神宮外苑の国立競技場の設計に当たっては、この建物を十分に意識した」と。
続いての建築歴史家の後藤治氏は、「丹下健三の国立代々木競技場を世界遺産に登録するには、第1に日本国の法で認められた作品であること。この条件は2021年に重要文化財に指定されたことで第1条件をクリアした。第2は、日本の文化庁の世界遺産リストに登録されること。第3は、ユネスコのリストに、第4は、そのためには海外の調査を受けることで、今度、第16回のICOMOS国際会議が東京で開催されるに当たって、本日のように共同でシンポジウムを開催したことで、広く海外の専門家に代々木競技場の素晴らしさを紹介できたこと等々。(一社)代々木競技場世界遺産登録推進協議会のこれから果たすべき道程について」講演。
続くディスカッションの司会は豊川斎赫氏。彼は当日の資料として、自著「国立代々木競技場と丹下健三」(TOTO建築叢書12)と英文版“YOYOGI National Gymnasium and KENZO TANGE”を配布。
帰宅して、本資料を読むと、意匠や構造については詳細に述べられているが、残念ながら設備系については、冷房費が削られたので自然換気で、空調循環平面図と断面図、ノズルの位置と送風機の配置図のみ、唯、屋根の断熱に使用されたアスベストの除去等については詳細に記されていた。
井上研の卒業生が先生の死(2009年8月)後の平成25年(2013年)3月、『井上宇市と建築設備』(丸善)を出版しており、この本には今少し詳細に記録があるので、引用。
丹下研の基本計画が出来た段階で、冷房費がない上、鉄板屋根で天井が低く、1万4000人の観客が入ると、室温は30℃近くなる。1人当たり換気量35㎥/hから50万㎥/hの外気を送るには、径1.2m、16個のノズルを用いて、吹き出し風速8m/s、到達距離100m、残風速0.5m/s、居住者頭上で1m/s~0.5m/sを均一に分布させるためには模型実験が不可欠で、早大卒論生を動員して、次元解析で1/50を最低縮尺とする模型を作成。このスケールで初めて天井とアリーナ間にある客席の温度や風速の許容値のみならず、室内の雰囲気が分かることから、丹下研をはじめ意匠や構造の設計担当者もたくさん見学に来た。
客席にとって大切なのは、10月のオリンピック時、照明や人体によって上昇する温度を1.0~0.5m/sの風によって、実質体感温度を25℃前後にすることで、しかもノズルからの一時噴流ではなく、それによって誘引される2次気流と3次の気流とも考えられる側壁や床、天井に沿って流れを変える気流が合成された風で、これは模型からの次元解析結果でしか得られない。
さらに、50万㎥/hの外気を16個の巨大ノズルから吹き出し、アリーナ部分から吸い込み、外気へ放出する送排風機の配置図を見て思い出したのは、騒音対策であった。ノズルの吹き出し側でも送風機騒音が周波数毎にNC40以下にする必要があった。コンクリート側壁やチャンバー内に厚さ50mmの岩綿板をグラスクロースで鋲止めすることで、巨大ダクト等を設けないで最小限のコストでこの換気システムを完成させた。この換気は、Authenticityの貴重な技術であり、これが大改築時にもそのまま残っていた。槙さんから世界遺産登録に当たって世話人を頼まれたときに、以上のことを現場確認したことを特筆しておく。
また、豊川著のp.239、アスベスト除去に関して、朝日新聞「声」欄投書で、「代々木競技場の屋根裏でのアスベスト吹き付け工事で職人が呼吸不全でなくなった」との記事。文献p.87で、確かに井上先生自身「屋根面からの熱の流入を少なくするために、わしが吹きつけを進言した」との記載。1975年に吹き付けアスベストは禁止され、2005年、本格的に健康被害が報道され、2006年にアスベスト被害救済法の制定。2006年3月に代々木競技場の除去予算がつき、除去された経緯については両著に記載あり。
私自身も1964年のオリンピック開催直前、アスベスト吹き付け直後の天井と屋根の間にあるキャットウォークから室内環境の実測で何日間もこの屋根裏で過ごしたことが原因と思われるアスベスト破片が肺に何個か今も残っており、慈恵医大のMRIで毎年検査して、健康確認をしている。当時の建設現場や新技術導入に当たっては、多分に体を張っての仕事は当然の時代であったこと。改めて当時の資料を見直した2021年9月のコロナ禍である。