1988年から3年程、東京大学先端科学技術研究センターの客員教授として、伊藤滋先生を中心に、竹内啓・平田賢・村上陽一郎先生と月一回の「東京湾ドレネージ共同研究」(浦賀水道にダムを造ると10万haの海が簡単に干拓できるが、その影響を考える)がきっかけで、2002年に村上陽一郎先生の対談集「安全学の現在」(2003年、青土社)にゲスト出演、「東京の大深度地下ライフラインは生命の安全、生活の安心、人生の豊かさのため建設すべき」と話した。また、2015年4月には「福島原発事故の安全について」お話を伺う機会もあり、村上先生は同じ時代に生きる人生の導師としている。その先生から贈られた中公新書「エリートと教養」なる著書は、久し振り圧倒され、刺激されたので、以下Blogに報告する。
本書の実体験と実名による毅然とした教養論は、本当のエリートだからこそ書ける、余りに当たり前の教養論であり、それを淡々と書けるのは本当の教養ある人だからこそで、日頃、エリートや教養ある社会と余りに縁のない建設業界にある私には、全て模範や規範とすべき内容であった。
2022年2月18日19:00~20:30、Zoomを利用したオンラインイベント、Wireless Wire News編集部主催の「新教養主義宣言」で、竹内茂氏が「村上陽一郎氏による私塾として、本書刊行記念特別講義」を開催。これに参加して、久し振り村上陽一郎先生のお元気な様子に一安心。
私の理解した本書の主旨を忘れないためと、間違いを指摘されることを期待して、以下に略記する。
第一章 政治と教養
人間はサルや猫より劣るのは余計なことをするからである。それをさせないために教養が大切(プーチンのウクライナ攻略等がその実例か)
第二章 コロナ禍と教養
ペストやコレラ等のパンデミックは、抗生物質の発明で退治できたが、コロナは生物ではないため免疫による他ないことや、不明瞭な社会にあっては、Best解がないこと。コロナ禍にはUnique Solutionはなく、優柔不断は勇気ある行動。
第三章 エリートと教養
日本学術会議などで「Science for ScienceからScience for Societyへ」として、文理融合と教養の必要性を問うも、今日の大学や社会はStart up起業への投資等、専らお金儲けの時代へ傾く。
第四章 日本語と教養
お笑い芸人の話す笑えない日本語に迎合するTV番組は「貧すれば鈍す」の象徴。出版・著作等は文化であって、産業ではないこと。
第五章 音楽と教養
クラシック音楽は質の高い教養、日本の伝統音楽としての田楽や神楽等、日本の多種多様な音楽は十分なる教養と考えてよい。
第六章 生命と教養
自死や安楽死の考え方については、優柔不断である。弘法大師の説に「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで 死の終わりに冥し」。
おわりに
「宗教と教養」については、是非、次なる出版を期待。宗教と科学、技術と経済、科学と技術他、 mentalとSpiritual論、Dataはエビデンスで(客観)、Factは仁義で(主観)。