Blog#57 念願の越中宮崎海岸の「たら汁」と「地酒」に酔う

 2022年6月13日(月)、富山市西町北総曲輪再開発準備組合に出席して後、富山市の藤井裕久市長と三浦良平副市長に表敬訪問。

 14日は金沢でM社の株主総会に出席して、帰途、新幹線の富山駅で今はJRと別会社になった「あいの風とやま鉄道」でSUICAの利用できる魚津駅へ。出迎えの浜多弘之氏と子息の弘匡君の車で泊町(現在は朝日町)へ。

 泊町は私の母が結婚するまで過ごした町(さみさと小学校周辺)とあって、一度来たかった町である。記憶にあるのは、この町の近くの宮崎海岸(東西4km、幅80m、日本の渚百選)で、寒中のたら汁を食べたこと、その味が未だに忘れられない程おいしかったこと。また、この町の山奥の小川温泉(開湯400年、子宝の湯)に泊まりたかったのは、母の新婚旅行地であったこと。しかし残念ながら、当日は休み(不定期)とあって、入善町の黒部川明日(あけび)温泉元湯という20年程前に開湯した温泉に泊まる。

 浜多氏と親しかった朝日町の魚津龍一前町長の案内で、朝日町の料亭月見家で、特に名物たら汁を御馳走になる。この料亭はなんと築100年以上の遊郭の旧居を利用したというだけに、家の造作は実に立派で、天井や床柱を見るだけで、その見事なことに加えて、女将と料理の素晴らしさに感動した。その上、魚津氏は4~5年前まで朝日町の名物町長であっただけに、持ち込まれた地酒「黒部峡」の素晴らしかったこと。すっかり至福の一夜で、3人で夜更けまで昔話に興じた。

 15日は近くの金太郎温泉と鉱脈を一つにすると思われる明日(あけび)温泉元湯の源泉を視察する。地下688mから毎分410ℓ、45.5℃の温泉が湧出する。小川温泉の毎分470ℓと同じ程度で、金太郎温泉の地下700mから毎分1500ℓ、泉温70℃に比べると相当少ないが、泉質の良さは定評があり、「天然の化粧水」と呼ばれる美肌効果の高い源泉掛け流しである。

 幸い天候も持ち直し、念願の宮崎海岸と母が育った泊町を再び案内してもらう。勿論昔の面影はなく、町はあくまで静かで人影は全くない淋しい町であった。あいの風とやま鉄道の泊駅の次は越中宮崎海岸駅(ヒスイ海岸駅)。駅前はすぐにヒスイ海岸で、テトラポットもなく、昔ながらの美しい松林の砂防林が続く。「たら汁街道」とも呼ばれて、何軒かの食堂もある。駅前のヒスイ海岸観光交流拠点施設ヒスイテラスにはヒスイの鑑定をしてくれる専門家も居て、なかなかに垢抜けたサービス、その説明を聞く限り、この景観を演出したのは明らかに魚津前町長のようだ。

ヒスイ鑑定士とテラス前で、2022年6月14日、越中宮崎海岸ヒスイテラス屋上より

 親不知子不知の西の入口、越中と越後の境関所跡に銘酒ありとして、1626年、加賀藩関所の与力を勤め、傍らに酒造りを始めた創業400年の林酒造へ。林洋一代表の下で息子が杜氏をして、8年連続金沢国税局酒類鑑評会優等賞受賞。昔ながらの寒造りの「黒部峡」「関桜」「若大将」の銘柄は、立山連峰よりの雪解け水と黒部渓谷をイメージしたという。昨夜の料亭で魚津氏が持ち込んだ美酒である。

 

 昔は寒中に漁から帰ってくる漁師のための「たら汁」であったが、今は「宮崎海岸のたら汁街道」に立ち並ぶ店や民宿、ドライブインで一年中味わうことができる。

 蛇足だが、2006年に銀座尾島研究室を開設したとき、研究室のおもてなし用として成功した魚津の銘酒、本江酒造の代表銘柄「北洋の袋吊り」が、2018年頃、杜氏が代わったこともあって、この郷里の銘酒に代替する酒を求めていた。今度の浜多・魚津両氏の案内で、今は亡き母との想い出の地を訪ね、念願の「たら汁」と地酒「黒部峡」に酔うことができた成果は大きい。

 新幹線「黒部宇奈月温泉駅」からわずか2時間13分、一眠りする間に上野着であった。こんな簡単に念願成就できる時代まで生きていたことに感謝すべきか。

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