Blog79 「あこがれの住まいとカタチ」住総研研究会編を読んで気付く

あこがれの住まいとカタチ
(建築資料研究社)2022.12.10

 2022年12月初旬、住総研から送られてきた本書の表紙を見て、急に「憬れる」「憧れる」ひらがなでの「あこがれの住まいとカタチ」の文字に触発され、読んでみたくなった。

 いつもの悪い癖で「はじめに」と「むすびに」を読んで、著者名を見る。何と高山英華先生の晩年の役職、工学院大学理事長職の後藤治教授であった。また、これも最近の悪い癖で遠慮なく、それでも後から消せるように鉛筆で傍線を引く。今度もその箇所を以下に略記する無礼をお許し願いたい。

 「はじめに」から
 『住総研で二年間にわたって行われた「歴史の中の「あこがれの住まいと暮らし」と「現代日本の住まいと暮らし-「あこがれ」と現実のはざまで」によれば、前者は寝殿造、書院造といった上層階級の住宅建築のカタチは、庶民階級のあこがれを生み、-(中略)。-「和室」というカタチになって」、後者として『現代の「タワマンへのあこがれ」を見直すと、-(中略)-、住生活の向上や住文化の形成につながる発展性が、筆者には見えない。」(2022年9月9日 後藤治)

 「むすびに」から
 『現代の日本においては、住宅に人を招き交流する機会が、著しく減少しており、それが住宅に対する意識の希薄さに結びついているといえる。過去の日本においても、憧れのカタチとして登場したのは、鎌倉時代の「広間」や室町時代から戦国時代の「茶室」であり、それらはともに人を招き交流する場であった。-(中略)-住宅内にはなくなってしまったが、街中のレストランやカフェといったところがその場となっているのではないだろうか。-(後略)-」

 本書は住総研「あこがれの住まいと暮らし」研究会(委員長:後藤治、委員:島原万丈、豊田啓介、藤田盟児、伏見唯、山本理奈)他、著者・桐浴邦夫、後藤克史、、鈴木あるの、小泉雅生)連著の多様な「あこがれ」論で、実に面白く、久し振り日本の建築文化を堪能させて頂いた。これも住総研という歴史的研究会の存在あっての出版物である。

 ところで、私が何故これ程、本書に拘ったかといえば、この年齢になって、いま困っている生家の活用に大きなヒントを貰ったからである。

 1996年に大工と造園の職人養成を目的に、富山で専門学校・職藝学院を創立して学院長になったのは、当時大手G.C.等が大工職人を要請したためであった。1998年には私の研究室でも木造完全リサイクル住宅の研究を文科省から委託され、後任の高口洋人教授が学位論文とした。そのため、熟練職人の養成に当たって、この専門学校と市内の住居を連携した交流の場として、私の生家をギャラリー太田口と学生の宿舎とした。大工と造園職人の養成を始めて20年間に500人以上の卒業生を送り出し、今日、全国で活躍しているが、昨今の少子高齢化時代に学院希望の生徒数が激減、コロナ禍に直面した。稲葉實理事長の逝去もあって、学院もギャラリーや宿舎も抜本見直しを求められていた。

太田口物語(2004.6.1)
NPOアジア都市環境学会

 今になって考えてみると、20年も前から富山市も市町村合併とコンパクトシティを推進してきた結果、都心と駅周辺には高層マンションが林立して、郊外のみならず都心にも空き家が目立ち始めていたのだ。太田口は当時、既に「歴史を生かした生活拠点」と位置づけられていて、「共同化による建て替えの誘導」「テナントミックスの推進」「回遊空間の整備」地区に認定。結果として、電車通りに面した敷地と一体化して高層マンションが建設され、マンションのタワー型駐車場の出入口となって、商店街としての賑わいが消失していたのだ。(国は歩いて暮らせるまちづくりを推奨し、富山市も平成12年度(2000年))モデル地区20都市に選定されていた。)

 あこがれの家、あこがれのライフスタイルを求め、プライバシーを尊重したマイホームやコンパクトシティの実現とコロナ禍にあって、賑わっていた商店街や伝統的な町屋が太田口から姿を消した。人々の賑わいのないまちづくりが日常になるとすれば、伝統的大工職人や庭職人も不要になる。マンションと車だけの町にあって、あこがれるのは「庭屋一如の日本建築」の存在があって良いのでは、否、不可欠だと考えさせてくれたからだ。

Blog#78 第19回アジア都市環境学会と第29回DHC協会シンポ in 横浜に参加して

 2022年12月2日(金)、西武線練馬駅から中嶋浩三君に同行して、直通特快元町中華街行きに乗車すると一時間でみなとみらい駅到着。新そば天丼の昼食をとって、TKPガーデンシティホールEで、第29回都市環境エネルギーシンポジューム「脱炭素化の都市づくりを考える」に司会者として参加する。

 基調講演は横浜国立大学副学長の佐土原聡教授「脱炭素社会と都市のエネルギーシステム」は鶴見清掃工場からMM21地区等への熱供給で、Co2は1.24万トン/年削減可能との報告はわかりやすいが、実現の可能性は、これからの彼自身の努力によるか。

 基調報告は国交省の鎌田秀一課長と東京ガスの小西雅子法人営業本部長、横浜市の松下功課長で、特に小西さんのe-methaneの社会的実装に向けての報告に注目。横浜市と連携しての実証設備を来春見学させて頂くことになった。

 私の司会したパネルディスカッションは環境省の筒井誠二課長と東京ガスの清田修マネージャー、中嶋浩三君が加わっての討論。会場の質問に応える方法で、限られた時間を有効に活用したのは結果として成功した様子で一安心する。

 入場者はコロナ禍であっても対面で145名と大盛況。質問者は、九州の依田浩敏、福田展淳、D.バート、仙台の須藤諭、JICAの吉田公夫、関電の松塚充弘氏等。予想した通りのなかなかのよい質問であった。 

マホロバマインズ三浦のテラスより

 終了後、佐土原君の案内で2台のバスで三浦半島のマホロバマインズ三浦に直行、一時間で到着。マンション建設中に温泉が湧出したことから、急遽ホテルに変えた面白いホテルで、二日間、第19回アジア都市環境学会の宿泊地である。
 18:00に到着して、3DKの個室に一人、最初落ち着かなかったが、一人で一住居利用できるのはなかなかに居心地が良い。台所や居間も立派で、トイレやバスルームも広くて、テラスから三浦半島の海岸線がよく見える。

 19:00~21:00 Welcome Dinner 残念ながらノンアルコールのバイキングスタイル。中国からの参加者はゼロ、韓国からは20~30人、他にインドネシア等、全体で100余人の盛大な夕食会は雑談の場で、取り留めもなく。21:00~22:00には温泉の大浴場でゆっくりして、夜はテレビでサッカーの観戦。

AIUE2022横浜大会(2022.12.2~4)

 12月3日、5:30am起床。6:00テラスから海を眺めて休息後、6:45朝食。8:00amのバスで横浜国立大学へ直行する。構内に入ってすぐに宮脇昭教授の造園計画と気づいた。自然の植物がもつ活力に支配されてのキャンパスで、一度は来てみたかったが、残念ながら建築物は植栽に見合ったようには思えず、もう少し建築家の頑張りが欲しかった。

 教育文化ホールでのWelcome Greetingでの私の挨拶。webでの洪会長の正式開会宣言の前座として、『2000年、この学会発足時、21世紀はアジアの時代であること。私達はアジア各国の建築様式を考え、身近な町づくりや環境についての状況を一年に一回集まって、お風呂に入って、お酒を飲みながら話し合う機会を持とうという親睦を第一として、出発。気がつけば20年、これからも仲良く、この会を続けて欲しい』という簡単な話。

 その後、AIUE-O賞の授与としてまほろば賞の須藤諭・久保田昭子、論文賞のKwonhoo KIM教授、Congbao XU教授、中島裕輔教授の謝辞。

 11:00~12:30「横浜の都市づくりの歴史と今後の展望」と題して、元横浜市長の小林一美氏((一社)2027年国際園芸博覧会事務所長)の講演。80haのBIE認定国際博が2027年度、横浜で開催されることは全くの初耳であり、同時に長時間の横浜報告で、日本の第2の都市に成長した横浜のスケールや近況についても知るところ多かった。
 午後は幸い、前夜に高口・中島君等には富山や八ヶ岳のことを、高・福田君には九州でのAIUE社団化のことをお願いすることができたので、吉田公夫・森山正和・宮崎ひろ志先生とチャイナタウンでの昼食に拉致されたので、朝陽門の謝甜記に案内。久し振り、美味な老酒と中華粥に大満足して、そのまま、みなとみらい線の元町中華街駅から一人、3人に見送られて帰宅する。皆様には申し訳なかったが、本当に実り多い二日間であった。

中華街 謝甜記にて2022.12.3
(左:吉田氏、中央:森山氏、右:宮崎氏)