Blog#111 2024年正月の熱海家族旅行で「江之浦測候所」を堪能する

 1月25日(木)、品川から東海道新幹線で熱海着。快晴とあって、駅前の賑わいはなかなか。11時半開店の「和食処こばやし」で昼食。開店10分前には10人以上の行列。4人とも自分の好きな品々、共通は金目の煮付け。

 熱海パールスターホテルは3時がチェックインとあって、熱川駅へ。伊東の山荘を一昨年処分した費用を毎年の家族旅行費に当てることになったのだ。車窓から眺める伊豆高原駅の山桃の大木や鉄道沿線の風景がもう懐かしく思える。

 熱川のバナナワニ園は1958年開園。熱い温泉が噴出する伊豆半島の名所で、1970年代に伊豆高原の山荘を建設するにあたって、当地から温泉を引いている泉源をみるために来たことがあり、バナナやワニの温室、自噴する駅前からの風景に感動した。
 その頃から50余年、全く変わらぬ駅前の温泉や自噴する大量の湯櫓からモクモクと湯けむりを上げている風景、立派になった熱川バナナワニ園は何か所にも分散している出入口に迷いながら、レッサーパンダやワニ、熱帯魚、カメ、バナナやパパイヤ、ブーゲンビリヤ、多種多様なラン等々、2時間余すっかり癒された楽しい時間。

 熱海から熱川まで1時間の普通車はリゾート21「キンメ電車」で、実に快適であったが、帰途の踊り子号もなかなかの乗り心地であった。

 4時、ホテルにチェックイン。なんと「お宮の松」の真正面だ。バブル景気以降の熱海不況下、つるやホテルが外資に売却され、その後解体。2022年9月に新しくリゾートホテル「熱海パールスターホテル」として開業。木の匂いのする、天井の高い、なかなかのホテル各室である。夕食や温泉からの景観もよく、ベランダからの御来光は格別であった。

「お宮の松」と銅像真前のホテルパールスター2Fのベランダより御来光

 チェックアウトは正午とあってゆっくり休んで、10FLの温泉に入浴。予約に苦労した杉本博司構想の江之浦測候所へ。熱海からタクシーで直行する。

 オーナーの杉本氏は1948年東京生まれ。1970年に渡米してN.Y.を中心に写真・彫刻・建築・造園・料理など、アートと歴史、東洋と西洋文化の橋渡し、2008年には建築設計事務所開設。2017年に文化功労者。昨年、森財団の講演で聴いた考え方をベースにして、世界中から迫力あるアートを収集した成果を小田原市江之浦地区の箱根外輪山を背にした相模湾を借景に、ギャラリー棟、石舞台、茶室、庭園、門などを配置。造園計画は平安末期の「作庭記」を原典に配置。

 「江之浦測候所」と命名したのは『悠久の昔、古代人が意識を持って、まずした事は、天空のうちにある自身の場を確認する作業であった。そしてそれがアートの起源でもあった。 新たなる命が再生される冬至、重要な折り返し点の夏至、通過点である春分と秋分。天空を測候する事にもう一度立ち戻ってみる、そこにこそかすかな未来へと通ずる糸口が開いているように私は思う。杉本博司』

 「夏至光遙拝100メートルギャラリー」や冬至光遥拝隧道など、建築的には実に見事な空間認識装置である。古墳時代の石像鳥居、千利休作「待庵」の本歌取りした茶室「雨聴天(うちょうてん)」、根府川石の浮橋、天平時代の東大寺七重塔礎石等々。十分に刺激的な個人収集博物館であった。70代の杉本氏が100才迄活躍すれば、どれ程この施設も充実するか、楽しみである。

江之浦測候所 夏至光遙拝100メートルギャラリー   冬至光遥拝隧道     

 帰途は路線バスの停車場から小田原へ出て、ロマンスカーで5時過ぎ新宿着。

Blog#110 名著の名翻訳者として柴田裕之君をNPO-AIUE「まほろば賞」に推薦するに当たって

 2024年1月18日(木)、(一社)都市環境エネルギー協会で、佐土原聡君から、尾島研OBの柴田裕之君がジェレミー・リフキン著「レジリエンスの時代」(2023.9.30 集英社)を翻訳したのですが参考になりますと推薦してくれた。

 早大で50余年前に都市環境工学講座を創設し、多くの学生たちを育てるに当たってのデシプリンとして、熱力学の法則とエントロピー論があり、近代建築や都市にあっては、生態系や災害時のレジリエンスをキーワードにしていたが、この説明はなかなかに難しかった。そんな大切なキーワードを実に分かりやすく解釈し、その本来の意味や意義についても本書は実に上手に翻訳していることに感動する。佐土原聡君の書評は「本文以上に、訳者あとがきが参考になるからすごいんです!!是非読んでやってください」であった。
 考えるまでもなく、60代の現役佳境の弟子が、著者の本の要旨を上手に表現するのは当然であることに気づき、柴田君の訳者あとがきから私の共鳴した部分を要約させてもらった。

訳者あとがきの要約:

①ジェレミー・リフキン著「レジリエンスの時代」

 私たちは「進歩の時代」から「レジリエンスの時代」へ移行しつつある。進歩に伴う弊害があまりに多過ぎるためだ。自然界からの果てしない収奪が地球温暖化や生態系の崩壊をもたらした。「進歩の考え」から「レジリエンスに満ちた適応と共存」のパラダイムシフトが必要。そのためには第一に、(IoT)を形成する。第二に、人類の適応力は予測しがたい未来にも発揮される筈。第三は、私たちが持っている「共感能力」すなわち「生命愛」、第四は、特に若い世代の「我参加す、故に我あり」で、著者には「進歩」の名の下に地球環境を破壊する深刻な実情を危惧し、その対策としての「レジリエンスの時代」を願う切迫感がある。(柴田裕之 「訳者あとがき」からの抜粋・要約)

 本書と共に、Y.N.ハラリ著・柴田裕之訳「緊急提言パンデミック」(2020年8月)の翻訳も読んで、NPO-AIUEで「アフターコロナ時代の都市環境」について論文募集し、3人に「まほろば賞」を贈呈したことから、柴田君の訳した本書の成果に対し、2024年に「まほろば賞」を贈りたいと考えた。
 実は、Blog109に、Y.N.ハラリ著・柴田裕之訳「サピエンス全史(上下)」についてを読んでを書いた時、柴田君がOBであることを気付かなかった次第。改めて柴田君の関連翻訳書をamazonから取り寄せ、以下に訳者あとがきから抜粋・要約して記した。

②Y.N.ハラリ著「緊急提言パンデミック」(2020.10. 河出書房新社)

緊急提言パンデミック
(河出書房新社、2020.10.20)

 本書は世界的ベストセラーになった「サピエンス全史」「ホモ・デウス」「21Lessons」三部作の著者Y.N.ハラリが、人類が新型コロナのパンデミックを迎えるなかで緊急に発表した見解の書で、日本オリジナル版だ。「著者はいつもながら物事を単体でとらえるよりも、むしろ広い視野を保ちながら大きな歴史の文脈の中で考察する。先ず、過去を振り返って、これが初めての感染症危機でないことを思い出させ、(人類はこのパンデミックを生き延びます)とあっさり言い切り、無用の不安を払拭するとともに、(眼前の脅威をどう克服するかに加えて嵐が過ぎた後に、どのような世界に暮らすことになるかについても自問する必要がある)」と私たちの目を未来へ向かわせる。
 世界有数の監視国家イスラエルに暮らす著者は、ネタニヤフ首相が感染防止を理由に議会の閉会を命じようとしたときに「これは独裁だ」と抗議した。著者が民主的体制を信頼していることが分かる。(2020.8. 柴田裕之「訳者あとがき」からの抜粋・要約)

③Y.N.ハラリ著「サピエンス全史」(2023.11.20 河出書房新社)世界2500万部

 本書は30ケ国以上で刊行されて世界的ベストセラーとなる。「取るに足らない動物」というのは、私たち現生人類にほかならない。その私たちが食物連鎖の頂点に立ち、万物の霊長を自称し、自らを「ホモ・サピエンス(賢いヒト)」と名付け、地球を支配するに至ったか? それは見知らぬ者同士が協力し、柔軟に物事に対処する能力をサピエンスだけが身につけたからだ。約7万年前の「認知革命」を経て「共同主観的」な想像世界に暮らせるようになって、アフリカ大陸から外へ流出した。狩猟採集民として世界中で定住し、豊かな暮らしを得たサピエンスは、1万年以上前に「農業革命」を迎えて爆発的に増加し、統合への道を歩む。貨幣と帝国と宗教という3つの普遍的な秩序を得て、500年前の「科学革命」、200年前の「産業革命」を経て、今日に至る。
 最終章で、『私たちが直面している真の疑問は、(私たちは何になりたいのか?)ではなく、(私たちは何を望みたいのか?)かもしれない。歴史を研究するのは、私たちの前には想像しているよりもずっとずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。』(2016.6 柴田裕之「訳者あとがき」からの抜粋・要約)

サピエンス全史(上下)
(河出文庫、2023.11.20)

③Y.N.ハラリ著「ホモ・デウス上下」(2022.9 河出書房新社)

 著者序文より『未来について書くというのは、一筋縄ではいかない。本書「ホモ・デウス(神)」では旧来の神話や宗教やイデオロギーが画期的テクノロジーの数々と結びついているときに何が起こりうるかを考えた。世界中の科学者が協力してワクチンを開発、パンデミックを止めた。だが政治家はグローバルなリーダーシップを発揮せず、プーチンは邪魔立てする者などいないとウクライナ侵攻に乗り出した。』(2022.4.27 Y.N.ハラリ)
 「サピエンス全史』では認知革命・農業革命・科学革命を転機とし、虚構や幸福をはじめとする過去を振り返り、私たちの固定観念を揺るがすサピエンスの終焉と超人誕生筋書を提示した。
 それを受け、本作はその未来を描く。サピエンスは神々のような力を持つホモ・デウスになることを目指すも、墓穴を掘る。バベルの塔はフィクションであるに対して、本書は歴史的考察である。(2018.7 柴田裕之「訳者あとがき」からの抜粋・要約)

ホモ・デウス(上下)
(河出文庫、2022.9.30)

④Y.N.ハラリ著「21 Lessons 」(2021.11.8. 河出書房新社)

21 Lessons
(河出文庫、2021.11.20)

 著者は「サピエンス全史」ではヒトが地球の支配者となる過程を、「ホモ・デウス」では人間はいずれ神となる可能性や最終的にどのような運命を辿るかについて考察した。
 本書は『今、ここ』にズームインする。各章のテーマは、先送りされた歴史の終わり・雇用・自由・平等等のテクノロジー面の難題、コミュニティ・文明・ナショナリズム・宗教・移民の政治面の課題、テロ・戦争・謙虚さ・神・世俗主義の絶望と希望、無知・正義・フェイクニュース・S.F.の真実、教育、意味、瞑想などのレジリエンス)
 11章の「人間の愚かさを決して過小評価してはならない」については、本書を読んでくださる余裕のある啓発者に共感と行動を期待している。(2019.8. 柴田裕之「訳者あとがき」からの抜粋・要約)

 

Blog#109 Y.N.ハラリ著・柴田裕之訳「サピエンス全史(上下)」(河出文庫)を読んで

 2023年12月、2024年10月出版予定の「都市環境学を開く」の5章2節「日本文化を世界文明へ」を書くに当たって、考古学と歴史学の空白期、その間の鍵は諏訪地方にあるとして、上田篤・雛元昌弘氏等と「縄文社会研究会」を開催してきた。
 この間、DNAからみた日本人のルーツ調査で、9000年前の縄文早期から1400年前の古墳時代にかけての調査結果から、2500年前(BC500年)の弥生時代から1400年前(AD600年)の約1000年間に、全人口の80%以上の渡来者があって混血した。その間に倭国から大和の国になって、現代に至るとの報道。

 これを少しでも確認したいと考え、Blog102に記したように、三方五湖の福井年縞博物館を訪問した。7万年前からの年縞記録によれば、3万年前の姶良火山や7300年前の鬼界カルデラの記録等と共に、年縞からの古気候学研究の成果として、4万年前、2万年前、12000年前、7000年前、500年前の三方五湖周辺の景色を再現して映像化していた。
 隣接する三方縄文博物館の資料には、近くの鳥浜貝塚から出土した縄文草創期(12000年前)の生活跡から斜格子文土器、早期(BC7000年)の押型紋土器が市港遺跡から、前期(BC4000年前)の羽島下層Ⅱ式併行土器や北白川下層Ⅰa式土器が鳥浜貝塚から、前期後半(BC2000年)には北白川下層Ⅱa式土器が同じ鳥浜貝塚から出土。5000年前のBC3000年頃からの丸木舟(6隻)が発掘されたことから、この辺は水害で人が住めなくなって何処かへ移住していたが、いま又、生活できる環境になっていることを示す。

サピエンス全史(河出文庫、2023.11.10)

 この三方五湖中心の水月湖の正確な年縞記録と日本の歴史年表を重ね合わせながら、年末に丸善で購入した世界的ベストセラーという「サピエンス全史」の歴史年表と比較した結果、第1部の「認知革命」、第2部の「農業革命」に書かれた文章は実に分かり易く、しかも説得力のある文節から、7万年前の「認知革命」で言葉を得たホモサピエンスがアフリカ大陸から外へ流出。日本列島へは3万5000年前に入ったこと。1万3000年前にはホモサピエンスが唯一の人類種として生き残ったこと。1万2000年前の「農業革命」で動物の家畜化や定住社会に入ったこと。その前にはアニミズムが信じられて、石器や木器の時代は狩猟採集民の時代が続いてこと。

 「サピエンス全史(上下)」の訳者あとがきを読んで、本書がヘブライ語で2011年出版され、2014年に英語版、英語版から2016年に日本語版となって、これを私が読んだ次第。
たぶんヘブライ語で書かれたのを読んだイスラエルの人々、さらには日本語のみならず世界30ヶ国以上、2500万人もの人々がハラリの書に感動・共鳴したのは、7万年前にサピエンスの認知革命によってホモサピエンスになった人々が世界中に拡散定住していたことから、今日、翻訳を可能にした。

 柴田君等は、少なくとも英語から日本語に、ヘブライ語から英語に翻訳した人同様に、ホモ・サピエンス(賢いヒト)であったことが理解できた。その上、縄文時代の日本人のルーツである縄文人が3万5000年前に日本列島に流入。彼等が9000年前に東北や中部日本でストーンサークルを作ったのが英国のストーンサークルと同じであったのも、サピエンスの移動速度の遅れはあっても同時多発を可能にしたこと。同様に、世界中でみられる巨大なピラミッドや墳墓、仏教と儒教、石器や木器、丸木舟、黒曜石を使った武器の世界伝搬、木造や石造の建築や土木技術等、世界各地で時代の差があっても次々発掘されることのみならず、世界四大河川文明と信濃川の火焔土器文明、最近の天安門とベルリンの壁崩壊に至るまで、同時多発は当然であることが分かった。

 縄文社会研究会と八ヶ岳研究会で諏訪地方の歴史年表を作成するに当たって、縄文から弥生、古墳、古代、飛鳥、平安と続くこの地方の継続性をもって、BC5世紀からAD5世紀の空白を埋めようとしていたが、この1000年間に日本列島に移住してきた人々が縄文時代からの人口以上に多かったとしても不思議でないことを、最近のDNA研究や本書「サピエンス全史」を読んで理解することができた。

Blog#108 川村晃生他校注「金葉和歌集」(岩波文庫)と2024年のNHK大河ドラマ

金葉和歌集
(岩波文庫 2023.11.15)

 2024年の正月、日本景観学会でお世話になっていた慶応大学の川村晃生名誉教授から贈られた岩波文庫に添えて「私が日本文学の研究から景観論に入って、自然環境などの研究に移っていった時、その礎となったのはこのような日本の古典文学から得た教養だと思っています。そうした点から言えば、こういう作品を数多く生み出し、世を継いで伝えてきてくれた先人達に深い学恩を感じてもいると言え、感謝しています。(略)」とあった。

 2024年の正月からNHK大河ドラマ「光る君へ」が始まるにつけ、娘が宝島社の「紫式部とその時代」の解説書を見せてくれた。何となく平安時代の常識を学んでおこうと思っていた時、この「金葉和歌集」の贈本であった。

 久し振りの岩波文庫、しかも特別に細かい2段組の字で400頁以上、簡単に一読できる本ではない。同様に、源氏物語はバーチャルな世界であって、作者・紫式部の生きた歴史上のリアルな世界と分けて、今年度のTVを観なければならないと考えたので、先ずは歴史上のリアルな金葉和歌集の時代背景を学ぶことにした。

 平安時代とは「ウグイスナクヨ」の西暦794年、50代の桓武天皇の平安遷都から1185年、81代の安徳天皇が壇ノ浦で崩御した年まで。紫式部が66代の一条天皇の中宮である彰子に仕えた時代の背景について考察する。

 奈良時代、759年頃、大伴家持らによって日本最古の和歌集・全20巻4500首の「万葉集」が編集された。それから150年後の平安時代、菅原道真が太宰府に左遷された頃から藤原一族の摂関政治が始まった。

 905年に紀貫之らによる第一勅撰和歌集として「古今和歌集」、第二勅撰は62代村上天皇の951年「後撰和歌集」、第三勅撰は998年、66代一条天皇時代、藤原公任による「拾遺和歌集」、1086年、72代の白河天皇が藤原摂関依存から天皇親政の復権記念として第四勅撰を藤原通俊らにより「後拾遺和歌集」を編集。然るに73代の堀河、74代の鳥羽、75代の崇徳天皇時代に白河天皇は院政を行い、院宣で源俊頼に下命、第五勅撰「金葉和歌集」を1126年編集する。

 2024年のお正月から毎週日曜、TVでお目にかかる平安朝中期の一番平和な時代の物語を楽しむに当たって、この時代のリアルな社会も知りたくなった。

 1004年の和泉式部日記や1021年には藤原道長の「御堂関白日記」が書かれ、66代一条天皇が藤原公任に下命した第三勅撰「拾遺和歌集」と72代白河天皇が1066年に藤原通俊に下命した第四勅撰の「後拾遺和歌集」が編集された間に起こったリアル世界の物語が、紫式部が生きた時代であること。そんなリアルな平和があってこそ生まれたのが「源氏物語」であり「光る君へ」であった。渡辺淳一の「失楽園」の小説や映画がブームとなった時代を想い出したのは軽率か。

 ある意味、藤原一族の摂関政治から白河天皇が親政を始めた記念に編集された第四勅撰の「後拾遺和歌集」、それすら飽きずに、新たな勅撰和歌集として万葉集の葉に輝く蜜をつけ「仏は涅槃に入らむと欲するの時、世間に金葉の花雨ふると云々」から「金葉和歌集」と命名、編集した。その2年後の1129年に下命者の白河天皇の崩御、編者の源俊頼も逝去した。  今年のくらい正月休みにこんな下調べをする楽しい時間をもてたのは、川村先生からの贈本によることを記して感謝する次第。

 ちなみに、金葉和歌集から鎌倉時代に藤原定家が編纂した「小倉百人一首」に入った歌が五首あり、その中の一首
  大江山いくのの道のとほければふみもまだみず天の橋立(小式部内侍)

Blog#107 令和6年能登半島地震の被災状況から広域避難のあり方を考える

 2024年元旦、16時10分、地震速報!石川県志賀町で震度7(M7.6、150kmの逆断層型地殻変動、4m隆起、1.2m水平地盤変動、深さ10km)「津波、高台へ逃げる!」との女性アナウンサーの絶叫がTV画面から流れ続ける。

 東京は震度3。しかし日本海一帯の広域に拡散する震度6強~5強は異常に巨大である。志賀原発や柏崎原発の安全が気になる。インターネットの情報では、16:30自衛隊の自主派遣で千歳の第2航空団による航空偵察後、石川県の馳浩知事から陸自第10師団に災害派遣要請。同時に空自輪島分屯基地へは1000人の住民避難。しかし、こうした自衛隊の災害出動についてのテレビ報道は全くなく、テレビ各局が同じ絶叫報道にうんざりして、ラジオをつけたまま眠る。

 2日早朝、見覚えのある板塀が続く輪島市の朝市通り、焼け跡の映像が痛々しい。280m四方、200軒以上の民家が全焼した。輪島市の死者15人との報道。金沢市内でも倒壊した住宅の惨状は想像以上。富山や新潟でも液状化により随処で道路が陥没、国道や県道まで寸断。時間経過と共に災害状況が明らかになってくる。

 岸田文雄首相は、人命第一に、自衛隊は2000人から5000人に増員、道路が寸断された地域にはヘリやホバークラフト等、随処で支援活動。建物倒壊による圧死者や行方不明者に救助隊、漁港では地震と津波被害で漁船の転覆。海岸周辺の海の家や住居屋根の崩壊である。
3日からは雨予報とあって、被災した自宅での避難は難しくなってくる。

 1月11日(木)、地震発生から10日目、被災状況が明確になるにつれて「激甚災害」の認定公表。死者213人(関連死8人、安否不明52人)、孤立集落2市1町の22地区3,124人。13市町に開設された398ヶ所の一次避難場所には2万6,000人、断水5万9,000戸、停電1万5,000戸、2次避難所へは182人が移動。金沢市内の体育館を1.5次避難所として101人が身を寄せている。自衛隊は6,200人に増員。車中泊やビニールハウスに避難する人、寒さ対策からの避難場所での関連死が予想され、運動不足、水分補給、トイレ我慢からのエコノミークラス症候群に警報。

 11日夜、BSフジのプライムニュースで馳浩知事がライブで岸田文雄総理を中心とする政府や連携自治体並びに自衛隊や警察・消防等の支援活動が悲惨な被災地で驚く程に機能し、発揮されている。映像でも伝えてくれていたので、本当に安心した。

 「能登はやさしや土までも」との馳知事の心境説明で、関連死を覚悟しても一次避難場所から離れられない能登の人たちのことを考えると、広域避難のあり方として1.5次避難地でのデータベース作成の手間等、DX時代にあって日頃から考えなければならぬことを改めて認識した。

 志賀原発立地から5km圏に志賀町(人口2万4,000人)、10km圏には七尾市(人口6万2,000人)が入る。30km圏には輪島市(3万3,000人)、穴水町(1万500人)、中能登町(1万9,700人)、羽咋市(2万4,000人)、かほく市(3万5,000人)、宝達志水町(1万5,500人)、富山県氷見市(5万4,000人)の合計5市4町がUPZ地域で人口27万7,700人。

2013年10月 視察ルート

「能登の里山里海」地区は2011年6月に世界重要農業遺産システム(GIAHS)に認定されている(図1 2013年10月、私の視察ルートを示す)。

 「日本は世界のまほろば2」(中央公論新社 2015.5)の120p。政府の原子力総合防災訓練で安倍晋三首相が官邸から直接指揮するとの記事が北國新聞10月4日あり。2014年11月2日、震度6強の地震発生し、原発が自動停止、外部に放射性物質が拡散したと想定して、5km圏内住民が即時避難。30km圏内住民が屋内に退避の訓練を実施し、住民が3,700人参加との朝日新聞記事あり。その実態を公表して欲しいと思って問い合わせると、実際には悪天候で道路の寸断等の予想で、十分な訓練が出来なかったとのこと。

2024年1月11日(木)の朝日新聞は「志賀原発リスク露呈。再稼働審査中の2号機(135万kW)については、今回の地震で断層が連動している可能性から要審査。1号機(54万kW)については、建屋近くの道路の段差から活断層の可能性が心配される等。」
 仮に再稼働が許可されても、住民の広域避難対策は不可欠なことは明らかである。とすれば、今回の地震で2次避難を予定している1万人以上の体験をベースに、志賀原発の過酷事故時に備えて、5km圏2万4,000人、30km圏27万人の広域避難対策のデータベースづくりをしておくべきであろう。

 参考までに、日本全国には2次避難に適したセカンドハウスは41万戸、ホテル51万戸、旅館は71万戸で合計196万戸あり、1戸当たり3人としても588万人分のデータ作成が可能で、DX時代にあって検討すべき課題である

Blog#106 年末・年始のピザ窯試作で波乱の辰年スタート

 2023年の年末、渋田玲君に依頼して八ヶ岳山荘で成功したピザ窯と同じ仕様で、殺風景な空地になっていた裏庭にピザ窯をつくることにした。暇になった年末年始、BBQなどで友人達との賑わいを再現しようと考えたが、家族の協力を得られないまま、反対を押し切ってつくらせたピザ窯だけに、その効用を知らせる必要があった。

 12月27日(水)、NPO-AIUE主催の2024年10月の国際会議やDHC協会主催の東京シンポジュームの打ち合わせをした後、このピザ窯を初試用することにして、全てを渋田君に一任した。  窯の火入れや冷凍ピザの解凍から調理まで任せてしまったが、東京の庭で薪を燃やして、煙を出さず、臭いも出さないで窯の温度を300℃まで上昇させるのは実は大変なことであることを十分認識していなかった。ダイオキシン対策から、自宅の庭から出る枯れ葉や剪定した庭木を燃やすことが出来ないため、秋には毎日のようにゴミ出しの一仕事をさせられていた。江戸時代、第五代将軍・徳川綱吉が「犬公方」と呼ばれ、生類憐れみの令によって、どれ程に庶民は迷惑したか、同じことが東京の焚き火禁止令だと日頃話していた自分をすっかり忘れていた。
 当日は近所に迷惑をかけず、ピザ窯を利用する全てを渋田君に任せていたのが功を奏して、写真のようにBBQを楽しむことが出来た。

 この成功に味を占めて、年始に姉の家族が来るというので、今度は自分でピザ窯の火入れやBBQの準備をする。31日、日本橋高島屋SC店の成城石井でピッツァマルゲリータやミニミッツァなどの冷蔵品を購入。モンベルの折りたたみ式焚き火台や着火剤、木炭、非常時用に備蓄されていたガスコンロなどを持ち出し、万全の準備をした。その上で、事前練習として正月元旦に妻や娘に手伝ってもらってピザ窯の加熱を試みるも、煙や煤が出た上、試作のピザ窯は100℃ぐらいで焼き始めたが失敗で、生焼けの上、煤がついてジャリジャリ。臭いや煙を止めるのも大変になって近所迷惑になりかねない。

 幸か不幸か、2日は小雨だったので中止。2022年9月の珠洲地震復興支援に購入していた石川県能登町松沼酒造の「大江山百万石乃白」の純米大吟醸とピッツァの冷蔵品を年賀のお土産にすることにしていたら、なんと元旦の16時から令和6年能登半島大地震の速報である。その上、2日はJALと海保機の衝突・炎上とあって、姉の家族との年賀は、私達の故郷で、被災地になった金沢・高岡・富山に住む親戚縁者たちへの支援策に加えて、東京での広域避難の考え方などの話題尽きず、波乱の辰年が始まった。

Blog#105 山本理著「東海道五十三次てくてく歩き」(東京図書出版)を読んで

 2024年正月7日、お正月休暇最後の日曜日とあって、ラジオ体操も朝ドラTVも休み。ラジオからのヨハンシュトラウス「美しき青きドナウ」の軽快なワルツを聞きながら、快晴の青空の下、富士山が真白に輝いて見える寝室でBlogを書き始めた。

 昨夜遅く、娘に「正月2日に贈られた山本理英子さんのご主人が書いた本について書評を書こうと思っているが」と話すと、コロナの頃によく会社の仲間が「東海道53次を理さんの本のように歩いている人が居たよ」と聞かされ驚く。

 正月元旦から令和6年能登半島地震の連夜の余震で増え続ける死傷者の報道、2日には海保とJAL機の衝突・炎上、イスラエルのガザ地区では「死と絶望の日常」報道、「政治家の裏金疑惑」等々、暗い話ばかり。何か楽しい話題がないかと考えていたら、この「東海道五十三次を歩きたくなる」「てくてく歩き」の著書であった。著書というより鉄ちゃん族の旅日記の如き本で、実に読み易く、気持ちよく読ませる。娘の話すように、コロナ禍でこんな時間の使い方もあったのかと感心する。

東海道五十三次てくてく歩き(東京図書出版 2023.12.31)

 東海道53次や中山道69次についての出版物は「この都市のまほろばシリーズ」で全国800余都市を10年間も歩き回っただけに、今井金吾著の「新装版 今昔中山道独案内」やちくま学芸文庫の「今昔東海道独案内」、平凡社の雑誌「太陽」の東海道や中山道等の特集号を参考にしていた。しかし、私が参考にしたのは何かを探求するための道中記であったが、山本理氏が参考にしたのは、山と渓谷社の「ちゃんと歩ける東海道五十三次」であり、松尾芭蕉や弥次喜多や坂本龍馬や新撰組の人たちが歩いた歴史の道であった。

 ところで、彼が日本橋を出発した2021年8月21日(土)は、東京オリンピックが終わって、24日からのパラリンピックを前にコロナは第4波、東京の緊急事態宣言も延期され、私は2回目の接種をした日。
 2021年10月2日(土)は箱根の関所を出発した日で、コロナの第5波、自民党の岸田文雄が100代目の総理大臣に就任した頃。
 2022年2月26日(土)は朝から東海道新幹線で浜松下車、江戸から66里の若林の一里塚、国道257号を歩き始めた日はコロナの第6波に加えて、プーチンのウクライナ侵攻で、キエフが陥落する危機に直面していた日。
 8月2日(火)は欄干を一撫でして京三条橋を渡る日、コロナの第7波で、私は4回目の接種をして八ヶ岳の山荘で恒例の夏合宿中であった。

 山本理氏は江戸から京までの500kmを19日間、25km/日で「いにしえの人々に思いを馳せ、数々の歴史を刻んできた町並みをひたすら歩く。古くて新しい歴史探検の旅」をする間、世間の風聞など全く介さず(敢えて巷の様子は無視して)道中の歴史遺産の写真をひたすら撮って、古くて新しい探検を伝えんとした。彼が感心をもった道標には、私自身が「この都市のまほろば」シリーズで歩いて共鳴した場所があった。

第1日目の江戸の出口、高輪大木戸跡歩道の上の石垣と土塁
 2日目の箱根旧街道の石畳道と北条五代の菩提寺である早雲寺
 5日目の蒲原宿の志田邸(東海道町民生活歴史館)や由比本陣跡公園と交流館
 8日目の興津宿の西園寺公望別邸(坐漁荘)
10日目の金谷宿から牧ノ原台地、諏訪原城跡、菊川坂の茶畑と石畳
11日目の掛川城下と遠江国分寺跡
12日目の復元された新居関所
13日目の三河国府の大社神社、御油宿の江戸口本陣跡と松並木資料館、赤坂宿の旧旅館「大橋屋」と岡崎城天守
14日目の三河名物八丁味噌蔵と宮宿の七里の渡し船着場跡
16日目の亀山城外堀から歩いた関宿の町並み、玉屋歴史資料館
17日目の土山宿の土山本陣跡と東海道伝馬館
19日目の草津本陣田中七左衛門邸と瀬田の唐橋、膳所城址や義仲寺等々

歴史上の同じ場所に共感した同好の若い仲間に救われた正月連休であった。
願わくば、次に「中山道69次てくてく歩き」の出版を期待する。

Blog#104(一社)都市環境エネルギー協会の2024年頭所感

 2024年の賀詞交換会は3年ぶりに会場で皆様と顔を合わせて開催することが出来そうです。

 災害に強い都市の実現とカーボンニュートラルを達成する国土強靱化と第6次エネルギー基本計画に沿って、当協会の2022年~2024年の第6次活動計画の最終年度、東京・横浜・名古屋・大阪・神戸・福岡の6大都市・中心市街地でのBCD・カーボンニュートラル事業化委員会での成果をベースに、第7次活動計画では、その実践に当たっての体制づくりが不可欠です。

 2025年の大阪・関西万国博会場では、残念ながら、水素インフラの導入に至りませんでしたが、その苦い体験から、2023年3月のオーストラリア・ニュージーランドからの水素・アンモニアサプライチェーンの調査や11月のシンガポール・UAEからの水素サプライチェーン調査の成果を下に、夢洲や横浜での水素インフラ導入を検討しています。

 また、2024年度にはヨーロッパやアメリカ等での実態調査と合わせて、日本でのカーボンニュートラル、BCDの事業化委員会では、グリーン水素の活用可能性についても検討したいと考えています。

 幸い、カーボンプライシング制度や脱炭素社会に必要な開発のための投資支援などを定めたGX推進法(脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律)が2023年5月に成立、6月30日より施行されたので、今後10年間の温暖化対策の基盤となる国の政策も見えてきました。

 政府は、企業の脱炭素化投資を後押しするため、2023年度から10年間で20兆円規模の国債を発行。2050年のカーボンフリー達成には官民合わせて150兆円超の投資を求めています。仮に、2023年の日本が排出しているCO2を10億トン/年として、これから10年間の脱炭素への国費投資20兆円では2,000円/トンCO2、30年間の官民投資として150兆円では5,000円/トンCO2となり、これを目安に面的熱利用への経済支援を考えての実装を検討しては如何であろうか。

 2023年11月30日の第30回都市環境エネルギー協会・シンポジウムでは、京都大学の諸富徹教授が基調講演や各分野の講師からは具体的なプロジェクトの可能性についての説明があり、大都市中心ではありましたが、2030年までの目標が明らかになりました。

 2023年春、当協会としては久し振り、佐土原聡専務と小澤一郎・中嶋浩三・村上公哉氏を学術理事に迎えて、第二種会員のみならず、特別会員の充実により、今年は一段と明るい活動を展開したいと考えています。会員皆様の御支援御鞭撻をよろしくお願いする次第です。