2024年の正月、日本景観学会でお世話になっていた慶応大学の川村晃生名誉教授から贈られた岩波文庫に添えて「私が日本文学の研究から景観論に入って、自然環境などの研究に移っていった時、その礎となったのはこのような日本の古典文学から得た教養だと思っています。そうした点から言えば、こういう作品を数多く生み出し、世を継いで伝えてきてくれた先人達に深い学恩を感じてもいると言え、感謝しています。(略)」とあった。
2024年の正月からNHK大河ドラマ「光る君へ」が始まるにつけ、娘が宝島社の「紫式部とその時代」の解説書を見せてくれた。何となく平安時代の常識を学んでおこうと思っていた時、この「金葉和歌集」の贈本であった。
久し振りの岩波文庫、しかも特別に細かい2段組の字で400頁以上、簡単に一読できる本ではない。同様に、源氏物語はバーチャルな世界であって、作者・紫式部の生きた歴史上のリアルな世界と分けて、今年度のTVを観なければならないと考えたので、先ずは歴史上のリアルな金葉和歌集の時代背景を学ぶことにした。
平安時代とは「ウグイスナクヨ」の西暦794年、50代の桓武天皇の平安遷都から1185年、81代の安徳天皇が壇ノ浦で崩御した年まで。紫式部が66代の一条天皇の中宮である彰子に仕えた時代の背景について考察する。
奈良時代、759年頃、大伴家持らによって日本最古の和歌集・全20巻4500首の「万葉集」が編集された。それから150年後の平安時代、菅原道真が太宰府に左遷された頃から藤原一族の摂関政治が始まった。
905年に紀貫之らによる第一勅撰和歌集として「古今和歌集」、第二勅撰は62代村上天皇の951年「後撰和歌集」、第三勅撰は998年、66代一条天皇時代、藤原公任による「拾遺和歌集」、1086年、72代の白河天皇が藤原摂関依存から天皇親政の復権記念として第四勅撰を藤原通俊らにより「後拾遺和歌集」を編集。然るに73代の堀河、74代の鳥羽、75代の崇徳天皇時代に白河天皇は院政を行い、院宣で源俊頼に下命、第五勅撰「金葉和歌集」を1126年編集する。
2024年のお正月から毎週日曜、TVでお目にかかる平安朝中期の一番平和な時代の物語を楽しむに当たって、この時代のリアルな社会も知りたくなった。
1004年の和泉式部日記や1021年には藤原道長の「御堂関白日記」が書かれ、66代一条天皇が藤原公任に下命した第三勅撰「拾遺和歌集」と72代白河天皇が1066年に藤原通俊に下命した第四勅撰の「後拾遺和歌集」が編集された間に起こったリアル世界の物語が、紫式部が生きた時代であること。そんなリアルな平和があってこそ生まれたのが「源氏物語」であり「光る君へ」であった。渡辺淳一の「失楽園」の小説や映画がブームとなった時代を想い出したのは軽率か。
ある意味、藤原一族の摂関政治から白河天皇が親政を始めた記念に編集された第四勅撰の「後拾遺和歌集」、それすら飽きずに、新たな勅撰和歌集として万葉集の葉に輝く蜜をつけ「仏は涅槃に入らむと欲するの時、世間に金葉の花雨ふると云々」から「金葉和歌集」と命名、編集した。その2年後の1129年に下命者の白河天皇の崩御、編者の源俊頼も逝去した。 今年のくらい正月休みにこんな下調べをする楽しい時間をもてたのは、川村先生からの贈本によることを記して感謝する次第。
ちなみに、金葉和歌集から鎌倉時代に藤原定家が編纂した「小倉百人一首」に入った歌が五首あり、その中の一首
大江山いくのの道のとほければふみもまだみず天の橋立(小式部内侍)