Blog#90 第13回八ヶ岳研究会と2023年度夏合宿

 2023年8月2日(水)、特急あずさ新宿発7:00amで茅野駅着9:10am。東口に丸山車の出迎えで尾島山荘へ。福井から西岡哲平君、富山から浜多弘匡君が既に到着。玄関横の書庫をゲストハウスに改装手伝い。

 まずはNPOアジア都市環境学会北陸支部の活動方針の相談。東京から原英嗣君が車で、佐土原聡君が特急あずさで、奈良から山田穂積夫妻が車で到着。昼食を一緒し、皆、久し振りに親交を深める。

山田夫妻・丸山・佐土原(2023.08.03)

 1:00pm、原君の車で池の平ホテルへ。4月新装オープンの池の平ホテルはすでに超満員、嬉しい限りだ。ホテル山善周辺の撤去も予定通り進んで、白樺湖畔の景観再生は本格化している。

 新設の会議室もweb設備も立派になって、九州の熊本からは小林光先生、沖縄の宮古島から齋藤正己氏がweb参加で、顔も声も十分に認識できる。2:00pmからの研究会には長野県環境部から藤原智子主任と高橋孝平氏、矢島義拡、中川景介、福島朝彦、小泉翔建、原英嗣君等10名出席。テーマは現代総有での五十嵐・矢島・尾島鼎談について、縄文社会研究会の近況、バイオマスと小水力発電の具体化等の状況報告の後、小林光先生が茅野市の行政アドバイザーに就任されたこともあって、次回は小林先生の新築された金山デッキで市長を招いての研究会を予定。また、齋藤さんには五十嵐先生等、元景観学会の方々との再交流会の開催などお願いして4:00pm終了。


 8月3日(水)、早朝からの朝食は山田夫妻に一任して、尾島山荘のグランピング活用について、丸山・佐土原君を中心に庭の整備をお願いする。実に気持ちの良い朝だ。

 8:30pm池の平ホテルへ。増田・川田君が昨夜からホテル泊。9:30am「第2回川口市と立科町の研究会」開催。川口市から江原・森岡両部長、立科町から小平副町長と斉藤・田口課長出席、10名で川口市の災害避難計画と立科町の受け入れ可能性について討論。森林環境譲与税を利用した、立科町への「川口の森」の整備に向けて協議を進めていくこととなった。そのペレットを利用するための鋳鉄ボイラを川口市で製造する等、平常時のワーケーション施設としての利用についても検討を進めていくこととなった。

川口市の方々も交えて山荘にて昼食(2023.08.03)

     11:30amから尾島山荘で川口市の方も一緒に昼食会。流し素麺にピザ窯利用のピザはなかなかに好評。庭でハンモック遊び。

 2:30~3:30pm、縄文の湯が定休日の看板。久し振り、原村の「もみの湯」へ。夜は山田夫妻の苦心によるソーメン残飯整理で満腹。野外での賑やかな夕食は格別だ。

 8月4日(金)早朝から快晴。山田夫妻・佐土原・増田君等8:00amに帰宅。午後の客人達を想いながら一休み。台風は8日頃に日本直撃との天気予報。テント・ハンモック等整備。昼食は冷や奴、豆腐汁、とろろご飯で一息。


 3:00pm渋田、渡辺夫妻到着。原君帰宅。5:00pm、日本環境技研(JES)の4人到着。古市淳・磯崎恭一郎・阪田暁・中池和輝君と早速乾杯。「五一ワイン」はなかなか好評。カレーにピザの夕食後は昔話。10:00pm、テント泊の希望あり。

JES(古市・磯崎・阪田・中池)・渡辺・渋田(2023.08.04)

 8月5日(土)、8人の朝食は久し振り卵にキャベツの定番。御小屋山に8人で登山。9:00am下山。JESグループは女神湖へ。渡辺夫妻が2人の娘さんとハンモックで遊ぶ。グランピング施設として、テントもハンモックも早速使われたので安心。久し振り丸山・渋田君とカントリーキッチンが満員で、小淵沢のレストラン キースプリングでオーストラリアサーロインの昼食、温泉へ。

 2:00pm、保全センター(BMMC)の寺本英治・相場洋・鬼沢浩志・友森剛二・福島孝治氏と山荘で合流。12人の晩餐会は流し素麺にピザ釜利用の特製、盛大なるBBQ後、6:00~8:00pm、炉端での二次会盛り上がり、20代~80代のコミュニティもなかなか楽しい。

BMMCの参加者(2023.08.07)
小津安二郎「無藝荘」(2023.08.06)

 8月6日(日)7:00am朝食。JESの若手が頑張り、12人分Breakfast、8:00am出発、小津安二郎の無藝荘で解散。BMMCの8人で和田峠の黒曜石ミュージアムへ。一時間程の山歩きで星糞峠、2年前に新設された星くそ館(黒曜石鉱山展示室)へ。このミュージアムは一見の価値あり。この施設を世界遺産にという地元(長和町)の試みには無理がない。これと縄文社会と一体化し出来るかが問題だ。道の駅和田宿ステーションと周辺の整備は相変わらず滅茶苦茶だ。地元の和田宿温泉 ふれあいの湯(源泉か)で一休みして尾島山荘へ。今夜はラストナイト。井上高秋氏差し入れのボウモア18年が期待される。ウイスキー2本を8人で飲んで、実に愉快になって合宿終了。

Blog#89 円満隆平君夫妻に招かれての金沢・東茶屋「八の福」

 2023年7月25日(火)、金沢文化センターでのMITANI AWARD2023終了後、NPO-AIUEの北陸支部長に今年7月就任した福井市在住の西岡哲平君が、協力者として地元金沢に10余年前に清水建設から金沢工大の教授に転職していた円満隆平君を呼び出した。円満君も久し振りとあって、東京に住む奥様と一緒に東茶屋で最近評判の蕎麦料理を御馳走するという。

 1984年7月7日、東京會舘で、テニスや学会でのライバル研究室で、東大建築学科の香山研のマドンナであった湯浅素子さんと、早大建築学科の尾島研のエース・円満隆平君の結婚式があった。披露宴では、ライバル研究室の仲間達による賑やかなやっかみから「この結婚は半年も続いたら大成功」等の冗談が飛び出し、いつか伝説になっていた。

 浅野川に沿った東茶屋の蕎麦料理店で40年ぶりに再会した素子さんは、昔と同じ明るく賑やかで、すぐに打ち解け、当時の冗談も話題になり、すっかり昔話が弾んだ上、お腹も一杯になったので、本当の東茶屋に行くことになった。

 円満君は金沢在住の間、早稲田の先生方を数多く招いた上、馴染みの茶屋というので一緒に行くと、なんと私も何度か三谷産業の懇親会で遊んだことのある「八の福」であった。玄関に入るなり、女将の福太郎さんに「お久しぶり」と言われて、円満君の方が驚いた様子。

 東茶屋に限らずお茶屋に来る前にはいつもお腹がいっぱいの上、お酒も十分に入っているので、いつも唯々、皆の面白い会話を聞いているのみであったが、今回は早々に福太郎さんの三味線に二人の芸者さんの踊り、円満君の太鼓など、素子さんも参加しての芸者遊びに「この都市のまほろば」で金沢を取材した時を想い出した。

「八の福」にて(2023.07.25)
円満隆平君ご夫妻(2023.07.25)

 それにしても、初めて東茶屋で芸者遊びの楽しさを知ったのは大学院生時代であったから、なんと60余年間、太鼓に三味線、お囃子のリズム、美しい和服、洗練された会話に、日本の伝統文化を今も共有できる幸せを実感する。加賀百万石の文化が継承されていることに感動し、同時に円満夫妻の心遣いに謝意を表して、この夜は早々に新幹線で富山へ。何と30分で富山のANAホテル着だ。

 7月26日(水)富山も東京も38℃の猛暑で、朝から太陽が輝く。お盆には早いお墓参りを済ませて、自宅の太田口ギャラリーに集合。西岡・中川・浜多・尾久・北島さんら6人でギャラリー太田口Ⅰのあり方について検討すると共に、西町北総曲輪再開発のテナントについての相談。

夕刻の西村・中川(恭)・黒崎・杉山・荻町君等6人の中学の同級生との懇親会では、ギャラリー太田口の管理を託せる人について相談する。恒例の郷土料理店「美咲」は金沢の加賀料理や東茶屋での粋な遊びとは違って、きときとの刺身に郷土の煮物と、相変わらずのレシピは地酒によく合う。

 7月27日(木)午前中、北島さんと石井さんを同行して富山市の美濃部副市長を訪問。西町北総曲輪再開発について相談して後、新幹線で東京へ。新幹線が出来て10年、金沢と富山・福井の格差が一段と鮮明になったのは何故か。国鉄時代の富山発東京方面は下りであったこと、西町が富山一番の盛り場であったことなどを知る人もいつか居なくなったのに、「金沢の茶屋」の遊びと富山の「きときとの刺身」は変わらず別格である。

Blog#88 1967年の噴水と2023年の水素利用にSiemens社と富士電機の支援

 2023年7月14日(金)、OBの吉田公夫君の紹介で富士電機の横山和滋氏と2G社のAndre Banken氏に、ドバイ万博(EXPO’20)会場での水素CGSプラントの視察を依頼した。3人は約束の時間前に(一社)DHC協会に来訪。早速、視察に当たっての手配と同時にドバイでのSiemens社の活動について説明された。

 先ずは世界最大の太陽光発電、100万kW出力(2020年)のMBRからドバイ万博会場への再生可能電力により、水素とそれを用いた水素・コージェネ発電の状況について。UAEやSiemens社がどれほど強い関心を持って、このプロジェクトを成功させたかを示された(下図)。右端のSiemens社の社長が左側に並ぶUAEの大統領(アブダビの首長)や副大統領(ドバイの首長)他の関係者に、このプロジェクトを説明している写真である。

 UAEのみならず、Siemens社がこれからのカーボンフリーとBCD(分散電源)に対してもつ関心の高さが理解できた。

 彼らの説明を聞きながら、57年も昔、大阪万博(EXPO’70)の会場で噴水を計画するに当たって、その基礎調査を委託され、富士電機の支援でドイツのデュッセルドルフ近郊のニュルンベルク(エルランゲン)にあるSiemensの研究所を紹介されたことを想い出した。当時の日本では考えもつかぬ、噴水の研究者(彼らはマイスターと呼んでいた)だけで10人も居て、朝から夜まで一日中、世界中の噴水の実態や施工体験のみならず、水のもつ特性について解説していただいた。噴水を利用した歴史的な王侯貴族の館から公共施設の噴水に至るまで、多様なスケール・景観・国内外を超えての各種噴水のデザインや音や光や風や地形に合わせて多種多様に変化する、ノズルから出る水の躍動美についての各種の実験施設を見せられた。あの時から半世紀以上も経た今日、全く同じようなSiemens社の研究層の厚さを教えられ感動する。

 富士電機とSiemens社の関係は変わらずで、世界中で要求されている2030年から2050年迄のカーボンフリーとBCD対策に当たって、天然ガス・バイオガス・下水ガス・埋立地や牧畜・農業からの各種ガスやH2などの多様なガスが利用できて、20~4500kWの機種も揃えている。加えて、電力と熱それぞれ40%以上で、総合効率80%以上、しかもその用途はマイクログリッド・CEM・BEMS・FEMS・PEMS等、どのような用途にも対応できる製品カタログについても説明があった。

 今度の製品の研究開発はドウセルドルフ近郊の地方都市で行われているという。カタログのStadtwerkという文字に注目。自治意識の高いドイツの地方自治体が生み出す人類・世界共通の要求に基づく製品を開発するというドイツ特有の歴史文化のDNAが今も生きているのだ。

 2時間の話で十分私達の要求が満たされたので、当時のドイツでは2時間の昼休みがあり、その間はシャンパンを飲んで素晴らしい昼食を御馳走になったことを話して、明治屋で昼食を接待した。シャンパンの代わりに白ワインを勧めたら、今のドイツでは昼食は45分に加えて、インフレでゆとりがないという。次の約束もあるからと、本当に45分のランチのみで終了したが、久し振りに良い勉強をさせてもらった。

 ちょうどこの間、日本の岸田文雄総理が民間企業を大勢連れてサウジアラビア、UAE、カタールの3国を訪問中で、日本の脱炭素戦略に当たって、水素やアンモニアの活用を中心に研究協力を深めることになったという。(一社)DHC協会としても、11月の調査は日本のこれからの脱炭素戦略にとって大切な機会になると確信した。

Blog#87 白樺湖と八ヶ岳物語の撮影開始

 2023年7月1日(土)6:30am、渋田玲君の新車Volvoに私と妻の伶子、娘の糸乙4人が乗車。2024年10月出版予定の池の平ホテルと尾島山荘宿泊者のTrailを写真集にしたいと考えた。写真を見て、是非その場所を訪ねたくなるような30ヶ所程の撮影のスタートである。

 写真には光が第一で、それには天候次第というが、そんな日時を事前に察知するのは至難である。今回は宿泊予約や食事の場所(これは同行者各自の欲求を満たす必要がある)の予約は娘に、コースタイムは渋田君に、尾島山荘での接待は丸山二郎氏に、池の平ホテルの案内は矢島社長に期待しての出発である。

 最悪を予想した天候には恵まれて、9:00amには「北杜市オオムラサキセンター」へ。八ヶ岳研究会の小林光氏が蝶のコレクターで、この場所は必見との推薦である。昆虫好きの子供達にはとんでもないワンダーランドであった。国蝶オオムラサキのためにこれだけの自然環境を整備した北杜市に敬意。小雨にも拘わらず巨大な網ドームに蝶と蛾の識別も出来ないまま、その質量に圧倒されての視察。

 次は「平山郁夫シルクロード美術館」。これも北杜市と平山夫妻の支援あっての壮大な美術館である。2008年に完成した新館には予想を超える「すごい!」に尽きる立派なガンダーラからの仏像群である。平山郁夫のシルクロードにかけたスケッチ旅行の集大成もまた見事に展示されていて、改めて平山夫妻の精神力に脱帽する。1979年に北京飯店で同宿したときの夫妻を想い出し、受付で奥様の今日を尋ねると、鎌倉の施設でお元気と聞いて嬉しくなる。この美術館は今や日本の国宝に思えてくる。

 次は、芸大の北川原温先生に施工中に案内された「中村キース・ヘリング美術館」。街の落書き屋が芸術家と認められての作品群で、その展示品のみならず北川原先生の建築作品に改めて脱帽。妻子同伴で訪れる美術館ではないと思いつつ、撮影地に選んでしまった。

 昼食は隣接するステーキハウスと考えたが、キース・ヘリングの展示を観ただけに、来た道を戻り「三分一湧水」を撮影して、その水を使った「三分(さんぶ)(いち)そば屋」へ。大盛りそばセットに満足して、小淵沢ICから諏訪IC下車。

 諏訪大社上社本宮へ。AD900年創建の日本最古にして、最大の分社1万有余の総本社で、4本の御柱で囲まれた結界地に建つ。上社・前宮と本宮、下社・春宮と秋宮の四宮の御神体は守屋山で、それぞれが諏訪湖に面して建設されていたと思われる。厳寒、諏訪湖の全面結氷時の神幸(御神渡り)は、上社の男神が下社の女神の許に通われた道筋と伝えられる。本宮と春・秋宮の幣拝殿は大きさが異なるが構造は同じで、彫刻のみが異なる左右片拝殿と共に重要文化財だ。写真を見る限り、三宮の幣拝殿の区別がつかないので、本宮のみ幣拝殿を、春・秋宮は神楽殿を記載することにした。春宮の下馬橋や秋宮の下諏訪宿本陣などの撮影に時間をとった上に、予定になかった「片倉館」や和宮が宿泊した「聴泉閣かめや」まで撮影したので、ホテル到着は4:30pm。幸い、ホテル紅やの食事は全国から山海の珍味を集めた極上で、最近は地方にも名シェフが多くなったのは喜ばしい。

諏訪大社(本宮の弊拝殿)

 7月2日(日)、早朝から快晴。9:00am出発。諏訪湖を一望出来る立石公園へ。雲一つない快晴の諏訪湖や湖畔の景観を展望。伊東豊雄や藤森照信など日本を代表する建築家を育んだSUWAこそ、まほろばの地だ。

  美ヶ原高原へは県道40号を霧ヶ峰高原でビーナスラインに入って40分で扉峠。森林限界を越える標高1700mラインの高原を走ると「美ヶ原高原美術館」である。緑の高原に不思議な彫刻や建物群に点在しており、圧倒される。すでに駐車場は満車の状況下、4人は勝手に一時間程散策する。

美ヶ原高原美術館

 予定していた苔の森は明日にして、月曜休館の「尖石縄文考古館」へ直行する。途中、「中ッ原遺跡」を見て、考古館では「国宝・縄文のビーナス」と「仮面の女神」の撮影許可を申請したものの、観客が多くてよい写真が撮れず。

 本日はこれまでと新設されたスーパーでピザを購入して尾島山荘へ、4:00pm到着。丸山氏が山荘の庭を清掃してくれていたお陰で家内も安心した様子。一時間前にピザ釜に火入れしてくれたので持参のピザは1枚5分で焼き上がり、新築したベランダでの食事はなかなかである。妻と娘はタクシーで池の平ホテルへ。私達はビールや日本酒でくつろぎ、今夏の合宿について話し合う。

八ヶ岳尾島山荘

 7月3日(月)午前3時から5時まで日記や資料整理後、もう一眠りすると、2人はもう働いている。山荘では清掃以外に仕事はいくらでもある。簡単な朝食後、渋田君は池の平ホテルで妻と娘を乗せて「苔の森」と「蓼科湖」「御射鹿池」の撮影だ。当方は山荘のベランダのみならず物置や煙突の改築を名取氏に依頼。10:30am丸山車で出発。大門街道から白樺湖を通り、女神湖の対岸から蓼科山を入れた写真を撮影して、県道40号から中山道(国道142号)に入り国道141号で佐久市岩村田へ。ゆとりがあったので、1万2千石の岩村田城址を視察後、1:00pm割烹あさやで渋田車と合流。5人中3人は鯉コース料理(鯉のあらい、鯉のうま煮、鯉こく等)。さすがは伝統の味と満足。近所の地酒、戸塚酒造の寒竹生酒を2人のドライバーに遠慮しながら1本。後は渋田車に命を預けて、佐久ICから上信越自動車道で4:00pmには自宅へ。奇跡的に天候に恵まれた上に、素晴らしい同行者に感謝して。

白樺湖と池の平ホテル

Blog#86 蒲 敏哉著「クライメット・ジャーニー」(2023年4月 新評論)を読んで

「クライメット・ジャーニー」
(新評論 2023.4)
https://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-1233-9.html

2022年4月、中日新聞を退社して岩手県立大学の環境ジャーナリズム担当教授になり、上記の本を2023年4月に出版した蒲さんと久し振り電話で話し合って、巻末の年表「気候変動対策に向けた国際支援の流れ」に敬意を表した。 その後、OB達に京都議定書を巡っての経産省と環境省の動向等について、本書に傍線した点を確認すると、意外に気候変動対策に向けて、1997年のCOP3(京都議定書)から2015年のCOP21(パリ協定)内容について理解されていないことが分った。
本書で蒲さんがこれほど詳細に気候変動に関するCOPの内容を書けたのは、オックスフォード大学とベルリン自由大学での客員研究員での環境があったことを知った。同じ大学人OBとしてヨーロッパの大学がCOPの成果に関心を持つ状況に比べて、日本の知識人が京都議定書の第二約束期間について離脱したことを知る人の少なさと、その間の経産省と環境省の確執についても知らされていないことを知った。ヨーロッパアカデミーのもつ情報力に刺激され、以下、蒲さんの著書から引用させてもらった上で、近々東京で、この辺のお話を伺う機会を持ちたいと考えている。

 「4 抹殺された京都議定書」(p.26-39)
 地球温暖化対策への初めての国際的取り決め「京都議定書」は、当時、地球温暖化問題に国際社会が取り組むための唯一の「約束」であった。温室効果ガスを、2008~12年の「第一約束期間」内に1990年比で「先進国」がどれだけ削減可能か、その目標が決められた(日本6%、米国7%、EU8%など)。加えて、排出量取引、クリーン開発メカニズム(CDM)、共同実施といった市場システムに基づく3つの仕組み、いわゆる「京都メカニズム」が盛り込まれた。
 ところが、この議定書はその後、当時の最大のCO2排出国である米国が異議を唱え、2001年3月に同議定書からの離脱を表明した。
 同議定書採択時の米国は民主党のクリントン政権下にあり(1993~2001年)、その後誕生した共和党のブッシュ(子)政権(2001~09年)が、完全にこの議定書を否定した。
 中国が、議定書の中で「発展途上国」と位置づけられ、排出責任をまったく負わないことは、米国にとって最大の不満だった。
 その後日本は、米国と同様に経産省の思惑通り、2011年のCOP17で「第二約束期間」(2013~20年)への不参加を表明。
 しかし、活動を重ねていくに従い、「先進国だけに削減義務があり、途上国には義務がない京都議定書はおかしい」という議論が広がりを見せ、「京都」とは別の国際的枠組みを求める声が徐々に高まっていった。
 その後、2011年のCOP17で、米国、中国も入った新たな枠組みづくりを協議する作業部会の設立。日本は「第二約束期間」からの事実上の離脱。2015年のCOP21(パリ)で採択されたのが「京都議定書」に代わる新たな国際的枠組み「パリ協定(・・)」である。
 2023年2月17日時点で194カ国とEUが署名しているこの協定では、米国を含む「先進国」と中国を含む「発展途上国」のすべての国が温室効果ガスの削減状況を5年毎に確認できる仕組みを設けることなどの目標が明記された。
「パリ協定」が「パリ議定書にならなかったのは、したがって多くの国が法的に拘束されることを嫌ったからにほかならない」

Blog#85 オセアニアからの水素・アンモニアサプライチェーン調査団

①団長:尾島俊雄 ②顧問:村木茂 ③顧問:三谷充 ④幹事:岡本利之(大阪ガス) ⑤副幹事:古市淳(日本環境技研) ⑥団員:真下幸雄(大林組) ⑦団員:上野純(大成建設) ⑧団員:佐藤博樹(三菱地所) ⑨団員:内田江美子(三谷産業) ⑩添乗員:三岡明美(近畿日本ツーリスト)以上10人で構成

○現地視察略記
①3月4日(土)羽田発JL051便でシドニーへ(約10時間)。

②3月5日(日)シドニー国際線から国内空港に乗り換えQF433便でメルボルン空港へ(1時間35分)。専用バスでPan Pacific Melbourne Hotelチェックイン後、歩いて5分のミュンヘン酒場でドイツビールにソーセージの昼食。3時~5時30分、市内参観。夕食はホテルでイタリアン。(泊)

③3月6日(月)、川崎重工のメルボルン在住5年の川副洋史事務所長の案内で、専用バスで3時間(190キロ)走って11時からAG LOY YANG炭田見学。褐炭の露天掘り現場は深さ200m、周辺15km、350万kW(2ヶ所)の石炭火力発電所の巨大な現場に圧倒される(図-A)。
 水素製造設備へ移動。安全教育を受けた後、J-POWER担当者より説明。水素製造の設備一式。小さな町のレストランでなかなか美味しいワインとサンドイッチの昼食。

図A AG Loy YANG褐炭露天掘り・火力発電   図B メルボルンの盛り場   
  

再び180キロの道のりを、車内で川副さんの説明を聞きながら3時間走ってヘイスティング港湾に沿った水素液化積荷基地を視察後、メルボルンのホテルへ。延べ8時間のバスはさすがに疲れる。
 19時、タクシーに分乗してフィレンツェの如き盛り場のレストランへ(図-B)。和牛ステーキ300gに赤ワイン(図-C)。ワイルドで味は今ひとつだが。帰りはヤラ川に沿ってリバーフロントの景観と賑わいを楽しみながら30分かけてホテルへ。東京・新宿を超え、シドニーを超える程、500万人の都心の発展と酒と食事のおいしさに圧倒され、ホテルの窓からの夜景を見ながら休む。

 図C 300gの和牛ステーキ         図D メルボルン・ヤラ川に沿って散歩


④3月7日(火)晴。ヤラ川に沿って散歩(図-D)。東京湾の芝浦を超えた景観と賑わい。早朝からジョギングやボートやカヌーの若者達の活力。Yシャツとネクタイに着替えてチェックアウト。メルボルン発ブリスベン空港へ。10時30分着(2時間10分)。バスでSofitel Brisbane Central Hotelへ。ブリスベンのセントラルステーショ駅の真上に位置した巨大ホテルであった。ホテルで村木さんと合流して近くのレストランで昼食。×××ビールに魚フライはなかなかの味である(図-E)。

  図E ブリスベンでの食事会      図F クイーンズランド州政府庁舎よりの景観

 案内されたブリスベンのクイーンズランド州政府の建物は41階の巨大オフィス棟で、新築されたばかりの都庁以上に立派なビルで、最上階の応接室や会議室は豪華である、私達12人のメンバーに対して、相手はそれ以上。最初は州政府の副首相で水素担当のHon Glenn、Butcher MP氏。30分、私の方で訪問理由を話し、通訳。その主旨に興味を持った様子で、要望に対して全面的に協力できると自信を持って回答してくれた。その上で、20人の担当者と私達10人のスタッフは軽食をしながら長時間の討論。日本の安達さんの立場や州政府の水素など再生可能エネルギーの日本への輸出は政府の政策そのものであることも理解。沢山の立派な資料も提供される。ホテルで一休みして、ホテル内での夕食も良し。ワインや今日の成果に皆満足の様子。

⑤3月8日(水)5時起床。朝食前に東京駅のステーションホテルの如き宿から周辺を散歩。メルボルンに次ぐ第三の人口集積地223万人で、2032年のオリンピック開催地として再開発の進む活力に満ちた都市の実態を認識する。8時10分集合。ブリスベン空港からグラッドストーン空港へ(約300キロ北方へ、1時間10分)
 空港から専用バスでグラッドストーン全域を見渡せる200m程の高台へ案内されて、東京湾と比較する。3.7万haの工場用地を整備中で、明治維新の関東平野や東京湾工業地帯の開拓時代の様子に、2032年まで3400万kW発電で余剰電力2000万kWを全て輸出用にとの州政府の説明に、村木さんや三谷さんのみならず一行は、この地は日本の将来に途方もなく貢献してくれそうな気持ちになって興奮する。帰国後、オーストラリア大使館とは別に設置されているクイーンズランド州政府の役所に勤める安達さんや村木さんを中心に研究会をすることにして、グラッドストーン空港からQF2339便でブリスベンへ。ブリスベンでは駅近く、歩いて10分程の都心のレストランへ。夕食のワインと話し合いに時を忘れての討論会で、オーストラリアの日本の将来に万歳して乾杯する。

⑥3月9日(木)、ブリスベン空港国際線へ。早すぎたが8時発NZ7272便で約4時間の超満員フライトでウェリントン空港へ。オーストラリアとは全く違うスケールと密度、日本的雰囲気に包まれている。村木さんから大林組の現地駐在員で、ニュージーランド事務所長の井口達也さんの案内でSofitel Wellington Hotelへ。ニュージーランドの首都ではあるが、坂と風の強い小さな港町。長崎の如き都市とホテル周辺散歩で土地勘を得る。国会議事堂と戦争記念碑、ウェリントン駅等、坂のある交通の多い道を歩く。Sofitel Hotelにしては簡素な部屋。

⑦3月10日(金)、ホテルの会議室で大林組の現地での事業説明と共に、日本での再生可能エネルギー事業について井口達也所長を中心に日本語で討論。大林組は北島の道路・トンネル工事入札がきっかけでタウポのマオリ族の土地にTuaropaki Trustと共同で設立した合弁会社ハルシオンパワーで、113MWの地熱発電プラントから1MW相当で180t/年の水素を車用に提供する。この会社の将来についても話し合う。17%のマオリ族が持つ土地や自然資源の権利が大きく、南島の水力発電からのアンモニア 60万t/年生産もマオリからの土地利用権が支配する由。

場所:MBIEビルPastoral House
10:35- Presentation on New Zealand’s policy context
10:50- New Zealand’s investment environment
11:00- Discussion/Lunch
14:00-15:00 Meridian Energy 本社 NTT Tower Wellington
Southern Green Hydrogen Projectについて、村木さんを中心に討論。南島の水力発電からNH3をつくり、日本へ輸出する手法を中心にして。
16:00-16:30 在NZ日本大使館訪問。伊藤康一特命全権大使を表敬訪問(図-G)。大使館からの眺望は抜群(図-H)。
16:30-17:30 車で都市内観光、ケーブルカーの山頂駅、Kelburn Parkingや植物園からの40万人程との都市を展望して、中心市街地を歩いてホテルへ。夕食は解散会を兼ねて海辺のレストランで盛り上がる。一行は小雨の風の吹く街を歩いてホテルへ。

図G NZの日本大使館で伊藤大使と       図H 大使館からのウェリントン景観

⑧3月11日(土)、岡本・上野・佐藤氏等に見送られて、私と三谷さん・内田さんの3人は三岡さんと共に空港へ。国際線は超満員。2時間待ちで、NZ5345便で約4時間、クライストチャーチ空港へ。空港には河村さんが手配してくださったガイドの林さんの出迎えで、ガーデン都市と呼ぶにふさわしい世界三大公園(N.Y.のセントラルパ―ク・ロンドンのハイドパークと当地のハグレイ・パーク)に沿ったThe George Christchurch Hotelに到着。五星ホテル(53室)。日本のメニューで昼の軽食後、日本女性の案内でなんとヒラリー・クリントンも泊まったことのあるスイートへ。室内外の眺望、静けさ、使いやすさは抜群。

図I クライストチャーチ・河村さんのThe George Hotel 迎賓館で
図J クライストチャーチ被災地          図K クライストチャーチの復興住宅
図L クライストチャーチ都心         図M クライストチャーチ公園

早速、林さんの案内でクライストチャーチの地震跡地や坂茂の段ボールの仮設教会・エイボン川に沿った賑わいのある市場を視察。夕食は東京から私達のために来てくれた河村守康氏の長男・祥宏さんと日本料理店KINJI(世界の日本料理ベスト10に入るとか)へ。10卓(40席)の店は超満員。日本語のメニューに日本の地酒もKimuraワインも刺身の新鮮さや種類も豊富で、しかも本当に美味である。
 The George Hotelは100%河村家の資本。祥宏氏は社長としてクライストチャーチ都心のオフィス用地の活用や、東京の新丸ビルのニュージーランドレストランZEALANDER、長野の野沢温泉のアパート、白馬村のThe Ridge Hotelなどの経営を一任されている由。35年前、OBの大崎・渡邉君が祥宏君の家庭教師であったことが話題になる。

⑨3月12日(日)快晴、散歩。8時30分、私達4人は林さんの車でクライストチャーチ駅へ。観光列車で2時間程、Spring field からアーサーズ・パス・ビレッジ駅で下車(標高700m、しかし日本の北海道以北とあって1000m以上の森林限界高さの差で、このレベルで室堂レベル、近くの2000m級の山々は日本の3000m以上の景観である)。

 林さんは車で30分前について待っていてくれていて、その車でアーサーズ・パス国立公園を案内される。NZ最初の国立公園だけに景観は素晴らしい。トレッキングしながら昼食は小さなレストランでサンドイッチとワイン。
 昼食後は60haもの牧場を持つ老夫婦の山荘へ。年間降雨1000ミリ、標高1000m、冷たい水の集まる牧場地で、羊毛刈りと牧羊犬の見事な実演を見て後、道沿いのLakeで休みながらホテルへ。途中、街全体を眺めるため標高200m程のMt.Vermon Parkに登り、ホテル近くのHana Valeでは美しいエイボン川のほとりの豪邸群に驚き、この国の豊かさを実感する(図-H)。
 18時30分、離れ別館の豪華な迎賓館で4人だけの夕食会。ブラフオイスターのイクラとポン酢、ツナのたたきとココナッツミルク、セサミソースとワカメ、ラムラックとビーフテンダーロイン等々、ニュージーランドの肉やオイスターがこんなに美味とは。シェフは東洋人で格別とはいえ、お酒も地元のみならず日本の酒も出て、グルメの三谷さんも御満悦の様子。デザートのタルトも絶品の味、コーヒーも格別だ。接待してくださった河村さんの長男もすっかりホテルマンらしく上手である。

図N アーサーズ・パス駅            図O アーサーズ・パスの湖畔

⑩3月13日(月)朝3時起床。日記や荷物の整理。スイート316の部屋を楽しむ。韓国サムソンのR.C.はどうも上手に使えない。chが余りに多いためだ。7時30分朝食、9時、林さんのガイドで祥宏さんも同行してワイナリーへ。ホテルから小雨の中、小一時間、北のWaipara Valleyへ。Waipara HillsとPegasus Bayの2軒で試飲後、Kumikosゲストハウス隣接のBlock Estate B&Bで昼食。一時間以上待たされ心配したが、14時、クライストチャーチ空港着。国際線も一時間遅れとあって、All BlacksのTシャツを購入するためわざわざ都心のスポーツ店へ。コロナ後と人気が高いため、全てに公認のオールブラックスは品切れとか。18時、シドニー空港で河村さんと別れて、出迎えの案内でシドニー都心のAMORA Hotel Jamisonへ。ランチボックスで朝食代替。日本からの味噌汁・ワカメスープを2杯飲んで休む。

⑪3月14日(火)、最後のインスタントの味噌汁とランチボックスのクロワッサンとヨーグルトの朝食。JAL往復切符のためシドニー一泊は実に無駄以上に、体力に影響する。9時、シドニー空港の国際線は広く、2時間の待ち時間は退屈だ。幸い三谷さんの顔で特別待合室へ。土産物に羊毛のスリッパ、これは大きく重い。
 JAL052便の機内食はシドニーのJAL食のため特別なシェフで充実していると言うだけあって酒も日本食も最高に美味。羽田では森田氏出迎え、タクシーで自宅へ。

Blog#84 磯崎新著「瓦礫(デブリ)の未来」(2019.9 青土社)を購入して

 毎月一回は決まって丸善で2時間余、持てるだけの本を購入するようになったのは、3年前のコロナ・パンデミックが始まった頃からだ。

 2023年3月29日は、恒川恵市著「新興国は世界を変えるか」(2023.1 中公新書)、クーリエ・ジャポン編「新しい世界―世界の賢人16人が語る未来」(2021.1 講談社現代新書)、エマニュエル・トッド、マルクス・ガブリエル他書「2035年の世界地図」(2023.2 朝日新書)、伊藤亜聖著「デジタル化する新興国」(2021.6 中公新書)、伊藤元重著「世界インフレと日本経済の未来」(202.3 PHPビジネス新書)、石井亜矢子著、岩崎隼画「仏像図解新書」(2022.8 小学館101新書)を手にしてレジに向かったところで、磯崎新氏の著書が何冊か並んでいるのに気付いた。

「瓦礫(デブリ)の未来」
(2019.9 青土社)

 石原慎太郎や安倍晋三、稲盛和夫等、著名人の逝去に伴っての追悼出版かと思ったが、そのようでもない。これまで彼の著書は殆ど贈呈されていたことから、不思議な気持ちで、初めて見る表紙にArata Isozaki:磯崎新「瓦礫(デブリ)の未来」とあり、彼自身のスケッチとすぐ分かるDEBRISの大文字とデブリの絵が墓標の如きに見えたからである。
開いた瞬間、I.ザハ無念 Ⅱ.クルディスタン Ⅲ. 安仁鎮 Ⅳ.平壌の目次で、2019年9月の出版とあった。

 2018年11月28日、国際文化会館で、中国雄安スマートシティコンペの件で磯崎さんと話し合って、何故か沖縄に住んでいることを聞かされ、玄関で記念撮影をしたときに、これが最後の予感があった。何故なら、上京が最後になるからとの上田篤先生の接待で、わざわざニューオータニの「ほり川」で話し合ったとき、その料亭がEXPO’70の西山・上田対丹下・磯崎の東西戦争の談合の場であったこと等と聞かされ、そのことを翌日、磯崎さんに伝えると、上田・磯崎の最後の談合話を聞くことになった。

 そんなこともあって、初めて購入したこの著書を早速、自宅で読み始めた。最初は支離滅裂で全く面白くないと思いながら、読む程に、こんな磯崎の頭の中をもっと早く知っておきたかったと思うと、急に面白くなって、2日間も本書の虜になってしまった。やはりこの著書は磯崎の遺書か回顧録に思えてきた。

 Blog#83で「戦後空間史」を読んでの感想を述べたと同様、磯崎の歩んだ91年間こそ自分が生きていた建築界の最先端の歴史であり、世界の建築家達が活躍した空間であったことを教えられた。本書で語っている磯崎が出合った人々の多くが私も出合ったことのある人たちであったから、余計に面白くなった。

 丹下健三、黒川紀章、菊竹清訓、岡本太郎、東野芳明、川添登、山口勝広、松浦浩平、勅使河原宏、西山卯三、上田篤、折口信夫、バックミンスター・フラー等々は直接に、間接的には、文献などから学んだことのある岡倉天心、柳田国男、大江健三郎、石原裕次郎、安部公房、谷崎潤一郎、三島由紀夫、宮沢賢治、伊藤忠太、毛沢東、周恩来、一柳慧、アンドレア・パラディオ、ラフカディオ・ハーン、スターリン、ヒトラー、ビートルズ、金日成、金正日、金正恩、金寿根、レーニン、ナポレオン、ホーチミン、フリーメーソン、ジェファーソン、ルイ16世、マリーアントワネット、孫文、鄧小平、ジョン・レノン、ガガーリン、エリツィン、アドルフ・ロース、エッフェル、シンケル、ミース・ファンデル・ローエ、アインシュタイン、フィリップ・ジョンソン、ピーター・アイゼンマン、ザハ・ハディド、ノイトラ、ドクシャデス、ダライラマ、ケネディ、ヴィトロ・ヴィウス、ギーデオン、フランク・ロイド・ライト、ル・コルビュジエ、アル・ゴア、栄西、西行、重源、フセイン等々。

 見えない都市、インビジブルシティ、不可視都市、都江堰、デロス島、賢人会議、議定書、CIAM、アテネ憲章、ARK NOVA、宇宙船地球号、御嶽、千年王国、導師、主体思想、先軍思想、パクストン、クリスタルハウス、カツラ(桂離宮)、ガリア戦記、文化大革命、大洪水、未来―弥勒、アルハンブラ、建築の解体、DECON、MOMA、クルド人、トリエンナーレ、梁山泊、電脳都市、アルカイダ、アララット山、ローマクラブ、シャーマン、宇津保物語、結界、補陀落渡海、即身仏、日本書紀、グレートバリアリーフ等々。

 以上、連記した固有名詞が磯崎にとってのDEBRISであり、これが未来を切り拓く種となり、頭の中に棲み着いて連鎖し、生々しい実体験として彼の人生を形成し、彼の作品に反映して未来を切り拓く。これまで贈呈された数多くの磯崎著書の中でもユニークな一冊として、私にとって座右の書となった。

 建築や都市が解体されるとDEBRISになり、そのDEBRISこそが新しい建築や都市の未来を創る。その創り方を教えてくれる人も又、磯崎にとってはDEBRISであったのか。本書を理解するには経験と時間がもっと必要である。

 

Blog#83 「戦後空間史」(2023.3.15 筑摩選書)を読んで

 2023年2月24日、日本建築学会で久し振り、都市環境・都市設備研究会主催「これまでの10年とこれからの10年」のテーマで40分程話す機会があった。特に私には「1970年の大阪万博を中心にして」との要請もあったが、何分にも50年も昔のことである。30代当時は、自分ながら迷うことなく日夜働き活躍できたのは、日本国中が戦後復興で、マズローの欲望の5原則にある「低次の欲求」に、日本中が一体になっての躍動期であったから迷いはなかった。

 然るに、今日の日本は、自然災害や原発事故、コロナパンデミックやロシアのウクライナ侵攻、SDGsやカーボンニュートラルでは化石賞であるから、日本の国力は低下するばかりで明るさが見えない。

 それは今、日本人は「高次の欲求」時代に入って、多様な社会での自己実現のあり方を巡って「日本中が迷える社会」の時代に入っているためではなかろうか。しかし、今の日本の置かれている立場ほど歴史上「個人個人にとってこれ程、豊かな時代はなかったのでは」と問いかけた。勿論、私に解がある訳では無かったが。

 そんな時、3月4日から14日、オセアニアに「グリーン水素を求める調査団」を組織して、参加した。そしてこの国々には日本の求めるグリーン水素が十分に供給可能なことを発見して、日本の若者達に地球上にまだまだ日本人の活躍する場のあることを実感した。

 その実態を報告書にまとめている時、筑摩書房から「戦後空間史」が送られてきた。早速一読して、中谷礼仁君等が日本建築学会で2017年に設けた特別研究委員会でのシンポジュームを下に、6人の著者が独自の視点で書き下したものであった。本書を読みながら、私自身の85年間の想い出と足跡を重ねてみて、考えもしなかった歴史の一辺に生きていたことを教えられた。

 是非、建築界に身を置く人にこの本の一読を勧めたい。日本の戦後空間史は私自身の建築界での人生にとって、明治維新同様の日本史を飾るに足る時代を生きてきたことを教えられたからである。明治維新、アジアに対して犯した問題を、まがりなりにも戦後の日本が解決し、世界史的に自由になった日本国の役割を考えることが出来る立場をもったこと。21世紀のこれからを考え、迷いながらも世界中に私達は自信を持って歩むことの大切さを教えてくれたように思えた。本書で、私も市川紘司さんのまとめられた第5章でシンポジューム05「戦後空間のアジア」のコメンテーターとしてZoom+YouTubeで発言したことも良く伝えられていて、御礼申し上げる次第である。

 このBlog83を書いていたとき、WBCで侍JAPANが優勝、歓喜に沸くグラウンドでの日本チームのマナーの良さがアメリカのみならず世界の賞賛を浴びるニュースに、日本の若者達にもっと自信を持って欲しいと願った。

                         https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480017697/

Blog#82 親友 阿部勤君への鎮魂

 2023年1月10日、アルテックからの電話で、阿部君の逝去を知らされる。絶句!!

 年末の入院から予想していたが、それにしても、あの精悍な阿部君がこれほど早く逝去するとは。家族葬で執り行うので告別は後程との連絡に、どう対処すべきかと迷い、先ずは山とボートの仲間に連絡した。

 それから一週間、鎮魂に努めても務めても、想い出すのは、楽しい想い出ばかりである。10年程前、私の家族で所沢の阿部家を訪問して、一人暮らしの素晴らしさを、自身で設計した台所で実演しながら、パスタの作り方やハンモックの快適さを妻や娘に教えてくれたお陰で、自宅の改装をさせられる羽目になったが、それがまだ実現できていないこと。

 その時に案内された所沢の墓地で、早くに亡くなった奥様への『愛と感謝と想い出と』の墓碑に、私の妻子が感動して、その後も何かと阿部君は我が家の尊敬すべき人物であったこと。

 そんなことから、Blogで何か阿部君の事を書こうと思いつつも、その間にも職藝の稲葉實氏、魚津の浜多弘之氏、磯崎新氏、セコムの飯田亮さん、縄文社会研究会の山岸修さん等の逝去に、人生の終焉を実感せざるを得ない新年である。

 今日は1月16日(月)、阿部君との墓碑前の写真を見つけ出して、このBlogに記載した上での鎮魂!!

Blog#81(一社)都市環境エネルギー協会の2023年頭所感

 2023年こそ、よい年になるようお祈りする次第です。

 2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻は、第二次世界大戦時代を蘇らせた如き悲惨な状況をウクライナ国民に与え、世界中にエネルギー不足や食糧危機を招きました。その上、コロナパンデミックは、年末のWHO終焉宣言ともとれる発表にも拘わらず、日本では第8波に突入して、2,760万人の感染者と5万4,000人の死者(世界中で6億5千万人、死者667万人)を出す惨状が続いています。

 昨年の所感には、50周年の記念誌を発行して、その祝賀の宴を賀詞交歓会で開催する予定としながら断念。今年こそは、と考えていますが。

 何はともあれ、2025年の大阪・関西万博会場での水素インフラ導入を実現することで、この無念さを晴らさんと、国や地方自治体の宣言する国土強靭化と2030年カ―ボンハーフ、2050年のカーボンニュートラルの実装を実現するため、会員の物心両面での御支援を得て、
 ①中央区カーボンニュートラルBCD  
 ②新宿新都心カーボンニュートラルBCD
 ③大阪夢洲地区カーボンニュートラルBCD 
 ④横浜新都心臨海カーボンニュートラルBCD 
等の事業化委員会を強力に推進して参ります。この成果を下に、国や地方自治体に、今年こそリーダーシップを期待しています。

 更には、第29回都市環境エネルギーシンポジウムを横浜市みなとみらいホールで145人の会員と対面形式で「脱炭素化の都市づくり」開催。大きな成果を得たことから、神戸三宮駅周辺BCD特別委員会やEXPO’25会場における新エネルギー導入状況調査委員会、海外からの水素・アンモニアサプライチェーン調査委員会等も本格的に始動しています。

 今年こそ、50周年を経た当協会として、日本を明るい年に導くような活動を展開したいと考えています。会員皆様の御支援御鞭撻をよろしくお願いする次第です。