Blog#103 COP28とドバイ土産のBateel Dates

 2023年11月20日~27日「シンガポール・UAEからの水素・アンモニアサプライチェーン調査団」のお土産にBateel(「ナツメヤシの若い枝」というアラブの古い言葉)が届いた。瞬間、岡本君か古市君が「この都市のまほろば」で書いたドバイの記事『ディラのショッピングモールでナツメヤシの実がゴディバのチョコレート並に商品化され、高級な箱入りの土産として売られている』という文章を読んでの持参かと思った。
 ネットでBateelを調べると、なんとドバイ土産の定番!高級デーツ、王室御用達バティール「BATEEL DATES」で、超高級品とあった。アラビア諸国ではデーツは伝統食で、高級バティールのデーツはサウジアラビア王室御用達になっている。デーツとはナツメヤシの果実で、美容効果やダイエット効果があり、女性にも大変人気があるという。

 11月30日~12月5日に、ドバイ万博会場跡地のEXPO CITYでCOP28が開催されることが分かっていたので、その前の11月25日頃に調査日程を組んだのが裏目に出て、準備のため調査団の訪問日は完全にclosedで、外側から見るだけであったという。H2・CGSプラントの見学は不可であったのが残念!

 しかし、UAEではマスダールシティや巨大なるソーラーパーク、シンガポールではマリナベイのDHCプラントを三菱重工が施工もしたことから、完全な情報収集が出来たので、この第2次調査団も大成功であった。この機会に、2024年1月から海外からのグリーン水素サプライ調査委員会を発足することにした。

  COP28の初日、11月30日はグローバルサウス(新興途上国向け)の気候変動対策を目的として300億ドル(4.4兆円)の基金を設立するとUAEのムハンマド大統領が議長国として発表。基金は「アルテラ」と名付けられ、2030年迄には全世界で2,500億ドル(36.6兆円)規模の資金を呼び込むという。

 12月1日は首脳会議で国連のグテーレス事務総長は「地球のバイタルサイン(生命兆候)は破綻しつつある」として、1.5℃目標達成には「全ての化石燃料の燃焼を停止した場合のみ可能」と訴える。COP28では、パリ協定の目標達成に向けてGST(グローバル・ストックテイク、5年毎に検証)を行うことに成功した由。

 岸田首相は1日、CO2対策なしの石炭火力発電所は新設しないと表明したが、30%を占める稼働中の発電所の廃止は言及せずとは新味なし。その上、原発再稼働で22%の目標達成発言には、日本政府の先駆性が感じられない。案の定、12月4日の朝日新聞夕刊で、岸田首相の名前を挙げた上で、日本の化石燃料への執着で、見せかけの環境配慮「グリーンウォッシュ」だと認定して、環境NGOの国際ネットワーク(ICAN)が選んだ「化石賞」4期連続となった。日本はアンモニアや水素を燃やしてもCO2を出さないとして、「石炭や天然ガスの混焼発電の寿命を延ばそうとのくわだてが、透けて見える」と批判している。

 UAEのグリーン水素政策は、自国のカーボンニュートラル達成に精一杯で、とても日本への輸出は考えられないとの岡本調査団の報告は貴重である。12月18日、調査団全員の報告書が手元に届いたのを見る限り、UAEのみならず、サウジアラビアやオマーンなど中近東からのサプライチェーン調査は、やはり価値ありと思われた。同時に、マリナベイのDHC共同溝などは、大都市インフラとして必然性ありと認知したこと等、調査団の報告は期待どおりであった。

ザ・パーム・デイラ人工島
Bateel Dates

 DHC協会のグリーン水素サプライチェーン研究は、オーストラリアを第一に、サウジアラビアやオマーン等に絞った上、その活用方法には欧米も参考にすると良さそうだ。 

調査団メンバー

 調査団長の岡本利之、副団長の島潔、幹事の古市淳、団員の小川哲史、水内智貴、瀬川裕太、髙田修、谷口雄樹、和田稔、長尾竜太郎、戸田泰幸の各氏の報告書に感謝申し上げると共に、お土産のBateel Datesと完成したザ・パーム・デイラ人工島の写真を記載することをお許し願いたい。

Blog#102 原発鎮守として福井県の白木と丹生の浜辺に気比神宮の鳥居を勧請する夢

 10年前の2016年6月、西岡哲平君の車で、越前一之宮の気比神宮から福井県の原発銀座を視察した。日本の原子力の未来を開く使用済核燃料の処理・処分を目指していた高速増殖原子炉「もんじゅ」を鎮守するため白木浜と、1970年の大阪万博会場に日本で最初の商用原子力発電所から電力を供給した美浜原発を鎮守するため、丹生の浜辺に鳥居を建設する夢を見た。

 今度、その写真を撮影するのが目的で、2023年12月16日(土)、夢見たこの地で本当に気比神宮の鳥居を勧請して日本の原子炉の鎮守にしたいと考え、案内してもらった。幸い、今度は円満隆平君と松原純子さんも一緒で、この夢の協力者に期待してのことである。

 2011年の福島原発事故から、日本中の全原発54基が停止したが、2023年8月には地元の同意で再稼働した原発は、関西電力の大飯・高浜・美浜、九電の玄海・川内、四国電力の伊方原発の6発電所で11基である。なんと、そのうち関西電力の原発は大飯471万kW(1号-117、2号-117、3号-118、4号-118)、高浜338万kW(1号-82、2号-82、3号-87、4号-87)、美浜166万kW(1号-34、2号-50、3-82)の11基(約1,000万kW)と殆どの原発が再稼働して、今日、関西電力は50%を原発に依存している。その結果、電力料金は日本で唯一値上げなしで、CO2削減にも多大な貢献をしている。

 COP28での岸田首相発言や日本のエネルギー基本計画の見直しで、福井に立地する原発のあり方は、日本の将来を決定するお手本である。しかし、「日本は世界のまほろば」(2015年5月、中央公論新社)の後記に、使用済みの核燃料の最終処分場が見当たらぬ限り、現在の地で原発やその使用済み核燃料を保全し続けるほか解はない。とすれば、その地でこれから千年、万年の単位で維持管理し続けることが不可欠になる。然るに、その解決法は全く分かっていない以上、先ずは神頼みである。冗談ではなく、本当に春日大社、厳島神社と共に日本三大大鳥居の一つ、気比神宮の朱の大鳥居を勧請して、この地に神社の氏子制度の如き「災い」を取り除く仕掛けと仕組みを考えて見るべきと考えていたのが、白木浜と丹生浜に鳥居を設けて、その内側を結界とする夢の実現である。

 北陸新幹線が来年3月に敦賀まで延伸するに当たって、立派な駅舎が建設中の敦賀駅で12月16日(土)、円満・松原さんと合流。西岡車で、先ずは気比神宮の朱の大鳥居を撮影して後、色ケ浜から新設されたトンネルを抜けて白木浜へ。白木漁港から「もんじゅ」原発を鎮守するに適した鳥居の位置を考え、撮影して美浜町へ。10年前に泊まった民宿・中村屋は増築されて立派になっているのを考えると、再稼働した原発作業員の宿舎として今も活用されているのか。10年前同様、宿舎前の丹生の浜辺から2基の美浜原発のそれぞれに鳥居のフレーム枠内に鎮守できるようイメージしての写真撮影(図参照)。

コラージュ写真(右:美浜原発、左:高速増殖原子炉もんじゅ)

 両原発共に海辺に立つことから、厳島神社の大鳥居の如きコラージュ写真になってしまったが、それも又、良しとする。

 続いて三方五湖の縄文博物館に行く前にご当地名物、三方のうなぎや「源与門」で「真蒸重四切れ」に満腹。

 10年前に来たときは月曜の休館とあって観ることのできなかった福井県立若狭三方縄文博物館へ。なんと又しても12月中は休館とあって驚いたが、幸い、主目的は2018年に内藤廣設計で開館した福井県年縞輪博物館であり、それが開館していたので早速、学芸員にお願いして詳細な説明をしてもらいながら見学する。

福井県立年縞博物館(縄文博物館)

 三方五湖の中心に奇跡の湖・水月湖があり、その湖底に厚さ45mのタイムマシンとも考えられる泥の層である7万年もの縞々があった。これは「年縞(ねんこう)」と呼ばれ、水月湖の年縞は世界に比類のない完璧なものとわかった。7万年の縞々には過去の気候や天変地異が記録されている。この調査が進むにつれて、世界の歴史、考古学には欠かせない役割を担うに当たって、水月湖の年縞記録は年代決定の世界標準の「ものさし」に採用された。この成果を福井県は見事な博物館に展示していることから、福井県若狭地方にこれまでにどれ程の天変地異が起こったかを知る貴重な資料となっていることを知って、入念に7万年の年縞に見入った。

 新しい年代から、1965年の台風、1953年の水害、1662年の大地震、1586年の天正地震、7253年前の鬼界カルデラ・火山灰、2万9830年前の大山・火山灰、3万年前の姶良火山灰、4万3千年前の古富士の火山灰等の記録が読み取れるから驚きである。巨大な地震や火山灰、気候変動による植物生態の相異が年代事に地層に刻まれている様子から、この水月湖周辺の風景を再現した映像も新鮮であった。

 すっかりこの博物館の視察で時間をとり、夜はあわら温泉で年縞と原発の鎮守について話し合う。翌日曜日は3億年前の福井県立恐竜博物館へ。この博物館も又、世界レベル以上の再生で、3億年前の世界に入り込んでの体験。すっかり子供のようになって、福井県の博物館で遊ばせてもらう。

予想した吹雪は程々の霰が降ったくらいで、福井名物・勝山の手打ち蕎麦「八助」で「おろし蕎麦」と「とろろ蕎麦」に満足して、朝倉氏の一乗谷遺跡へ。この博物館も又、遺跡の再生以上に立派な新館が出来ていて驚く。

帰京の時間ギリギリまで福井の博物館見学に満足して、越前ガニを食べ損ねたので「越前かにめし弁当」を買って、東海道新幹線で帰京する。

福井県立恐竜博物館

 この旅は12月15日の金沢市での三谷産業(株)役員会に続くビジネスコンテスト2023に参加して、エントリー8社の最新技術のお披露目と、AI中心のコンテストに学ぶこと多く、金城楼での夕食や東茶屋「ハの福」での懇親会を併せての日程消化と、その後の福井県での博物館や原発視察であっただけに、この満たされた日々の連続に感謝する。

2023.12.16(土) 縄文博物館(円満・尾島・西岡・松原)

Blog#101 第30回DHC協会「東京のカーボンニュートラルとBCDを考える」シンポに参加して

 2023年11月30日(木)TKPガーデンシティPREMIUM品川ホール6Aで、恒例のシンポジュームを開催(定員150名)。

プログラム(13:30~17:00)
 開会の挨拶 当協会 副理事長 柳井 崇(㈱日本設計 常務執行役員)
 基調講演 「脱炭素化による都市発展には何が必要か」
       京都大学 大学院 経済学研究科 教授 諸富 徹
基調報告 「脱炭素化に向けたまちづくりに関する国土交通省の取組み」
       国土交通省 大臣官房技術審議官(都市局担当)菊池 雅彦
基調報告 「東京ガスの CO2 ネット・ゼロに向けた取り組み」
       東京ガス㈱ 常務執行役員 菅沢 伸浩
基調報告 「港区のまちづくりにおける脱炭素への取組み」
       港区街づくり支援部都市計画課長 野口 孝彦

 パネルデイスカッション
【コーディネーター】尾島 俊雄 (早稲田大学 名誉教授 当協会理事長)
【パネリスト】
諸富 徹  (京都大学 大学院 経済学研究科 教授)
筒井 祐治 (国土交通省 都市局 市街地整備課長)
清田 修  (東京ガス㈱ 企画部エネルギー公共グループマネージャー)
野口 孝彦 (港区街づくり支援部都市計画課長)
村上 公哉 (芝浦工業大学 建築学部 建築学科 当協会理事)
閉会の挨拶 当協会 副理事長 長門 秀樹(新菱冷熱工業㈱ 執行役員)

 コーディネーターとして、先ずは大学・国・エネルギー事業者・地方自治体の代表から、本日のテーマについての総論をお聞きする限り、Perfect。しかし、これで2030年、2050年目標が達成できるかと言えば、EXPO‘25大阪・関西万博会場での脱炭素インフラとしてH2導入は完全にゼロとなった苦い体験が当協会のトラウマになっている。面的利用は、ネットワークによって相互連携メリットがある反面、利害の一致が困難で、リーダーの育成が課題である。

 諸富先生には、環境省の脱炭素先行地域の成否は地方自治体の主体性にあること。また、ドイツのシュタットベルケについての質疑で、実情が明らかになった。

 国交省の菊池氏・筒井氏からは、都市再生と安全確保計画制度による容積緩和、立地適正、エリア指定、コンパクトシティなどのあり方と共に、BCDとカーボンフリー、分散電源、防災とエネルギー事業者と立場の違いや主体者としての協議会の構成等に関する問題。会場からは、新宿・福岡・丸の内等を例にしての討論は有意義であった。

 東京ガスの菅沢氏・清田氏からは、eメタンの2030年1%の8,000万㎥はキャメロン計画で達成されることは理解できたが、2050年迄にどれほどの達成が可能になるかについて。また、「グリーン証書」のコスト等について会場からの質問もあり、関心の高さから東京ガスへの期待が大と分かる。

 港区の野口氏からは、区の環境基本計画の最初の作成に当たった体験から、今も区の環境政策の柱になっていることを知る。これだけのDHC施設を持ち、そのネットワーク化の成果が期待される地域が、環境省の脱炭素先行地域に何故指定されなかったかについてと共に、これからでもDHC協会で村上先生等が検討中の成果と協力して提案して欲しい。

 村上先生の清掃工場排熱のDHCへの活用についてのプロジェクトに、国交省や諸富先生が関心を示されたのは大きな成果であった。

 最後に、諸富先生のNHKラジオの日本の経済事情解説は常々関心を持って聞いていることから、是非、GX推進法等による10年間に国費20兆円、2050年迄に150兆円の官民投資計画で、面的熱利用プロジェクトの役割についてもお話くださることをお願いして、時間となる。

 帰途、市ヶ谷で「黒川洸氏を偲ぶ会」に出席。沢山の著名人の顔ぶれを見て、彼の生前の偉業を偲ぶ。

Blog#100 (公財)祈月書院の安部明廣理事長 退任の報を見て

 2023年11月16日、安部明廣先生より「小生、来年で90才になるのを前に、(公財)祈月書院の理事長を熊野君に託し、最後の研究会講師は、旧知の河野通和氏に『教養とは何か』というご講演をお願いした」とあり、私には2008年の研修会で『日本の建築と都市の実情』で講演頂き、“皆が都市と地方の両方に家を持てば、日本の過疎化問題は解決する”という壮大な指摘に、一同なるほど、一瞬気を大きくしたことを思い出します。加えて、「この都市のまほろば」シリーズvo.2(2006年 中央公論新社)で祈月書院を取り上げてもらって恐縮」とのお手紙を頂いた。

 文中にあった中央公論編集長の河野通和氏は、私が「この都市のまほろば」シリーズを書くきっかけをつくってくださった恩人であった。私学・早大の将来を展望する「都の西北 早稲田の杜」なる記事を中央公論誌(2002年6月号)に寄稿させてもらった上、「この都市のまほろば」シリーズvol.1の20都市は、雑誌中央公論誌に20回連載したのがシリーズ7巻にもなるきっかけであった。その後、如何お過ごしかと案じていた人で、『教養とは何か』との河野氏の講義内容を知りたいものです。

 同時に、安部先生の出身地である島根と出雲については、「八ヶ岳研究会」と「縄文社会研究会」で常々話題になる、関心の高い所です。

 特に、昨今のカーボンフリー時代の原発再稼働の情報は大きな関心事で、中国電力は島根原発2号機(出力82万kW)の再稼働時期を2024年8月と発表しました。2022年6月9日、島根県・丸山知事の再稼働容認から、2012年1月の停止から12年7ヶ月後に再稼働の決定である。

 この島根原発については「日本は世界のまほろば2」(2015年5月 中央公論新社)で詳細に記している。再稼働されれば、これまでの54基中6発電所再稼働以降、沸騰水型で初めてであること。何よりも、地元自治体の同意を正式に得たこと。全国唯一の県庁所在地にあって、半径30km圏内の約46万人を避難させねばならぬこと。その上、既に停止から11年余、運転経験のない従業員も多いとか。

 Blog69(2022年8月)に、2014年7月の松江市ヒアリングからPAZ(5km圏)、UPZ(30km圏の人々の避難訓練の実態)を知る者として、少なくとも、この島根原発の状況を学ぶべきと書いたこと。その上で、目下も八ヶ岳山麓への避難計画を検討していること。

 既に住民避難訓練の実施している島根モデルを随所で述べているのは、安部先生の祈月書院での創立から90年の間に果された県民教育を期待してのことである。 2024年、島根原発が予定通り再稼働され、計画通りに避難訓練もされれば、当然、PAZを結界に、UPZは(氏子による)常時避難訓練区域となる。その上で、自治体によるモニター情報を完備し、安全な距離(250km)を保った二地域居住制度を創設する。

 使用済み核燃料の最終処分場が世界中に見当たらぬ限り、現在地で保全し続けるほか解はない。幸い、島根には1万年以上昔の縄文時代にも生活が営まれていたこと。2004年、日本学術会議会員として安部先生が国際協力常置委員長としてG8科学アカデミー共同声明でご苦労されていたことを知る者として、島根原発から250km以上離れた横浜に目下居住されながら、島根のことは次世代に託されるのではなく、(二地域居住者として)島根原発周辺に出雲大社を本宮とする原発鎮守の神社を原発の核廃棄物処理場の近くに設立して、その氏子代表としての役割を果たして欲しいと願う次第である。

島根原発 UPZ(30km圏)

祈月書院の撰名は、安岡正篤先生による「七難八苦を我に与え給え』と月に祈った尼子氏の忠臣・山中鹿之助の故事から。

Blog#98 三谷産業のベトナムAureole Conference 2023  in フエ(~クロスカルチャー・ファシリテーションによる組織進化~)にweb参加して

 11月13日(月)、秘書から「本日4時から三谷産業のベトナムでのコンファレンスがあるが、webで参加されるか」との問いに、何気なく「よろしく」と伝えた結果、時刻通り、画面にベトナム最後の王朝グエン(阮)朝の王宮が映し出され、ロイヤルシアター(閲是堂)での皇族専用であった雅楽(ニャーニャック 世界無形遺産)の演奏と演舞が始まった。驚いて画面のベトナム語と同時通訳の日本語解説に集中する。

 何度かベトナムに行ったことがあるも、1993年、ベトナム最初の世界遺産に登録された古都フエの王宮を訪ねる機会はなかった。早稲田の佐藤滋先生等がフエの都市計画を手伝っていることを聞いていたのと、世界遺産の王宮(東西642m、南北568m、城壁の高さ6m、周囲を濠に囲まれている)の中心部にある皇室専用の劇場でのコンファレンスに、三谷産業のベトナム文化に対する情熱を感じて嬉しくなった。かくして、webの画面と同時通訳の日本語解説を2時間30分、傾聴する。

 最初のご挨拶は、三浦秀平取締役がベトナム語で、この日越文化交流のコンファレンスを開催した主旨。三谷産業はベトナムで起業して来年30周年、約2400人もの雇用をもつ企業として、2015年からフエにも二拠点の工場を建設したこと。古都フエでの今度のコンファレンスは、異文化交流の第一人者・宮森千嘉子さんの基調講演とベトナムを代表する文化人と、当地で仕事をする日本の方々との討論会を、ベトナムの誇る、この劇場で開設した主旨を聞いて、俄然興味をもった。以下、そのメモを記す。

 宮森さんの基調講演は「文化と経営研究の父」と呼ばれる『ヘールト・ホフステードの6次元モデル』を用いて、ベトナムと日本の異なる文化圏に働く人たちが直面する様々なトラブルを解決するヒントを面白く話された。早速、宮森さん著「経営戦略としての異文化適応力」をamazonで購入。

「ホフステードの6次元モデル」の対象は、国という社会における文化の価値観の違いを次元ごとに0~100までの間で「数値化」する。

  • 権力格差(小さい ←→ 大きい)
  • 集団主義 ←→ 個人主義、属する集団に依存か、独立して個人の利益を優先するか
  • 女性性(生活の質)←→ 男性性(達成)、家族・友人と共にか、個人の達成感か
  • 不確実性の回避(低い ←→ 高い) 曖昧さを気にするか、しないか
  • 人生の楽しみ方(抑制的 ←→ 充足的) 抑制志向か、充足志向か
                           (JMAM,2019.3.8)

 当日は、会場で130人、webで100人程の参加者であったが、貴重なコンファレンスと考えたので、宮森さんの基調講演と三谷産業(株)兼AUREOLE EXPERT INTEGRATORS INC.取締役の木下浩之さんがモデレートされた日本とベトナムの文化人による討論会が余りに面白く、取り急ぎのBlogとした。

 ベトナム人と日本人は、時間厳守のあり方、昼寝することによる効果、家庭と仕事場の価値、人生の楽しみ方、日本人のおもてなしの精神、世代間の格差に比べて、国と国との文化格差の方が少ないことや、今の日本文化は鬼っ子と思える程にユニークであること。ピーター・バラカンさんやマリ・クリスチーヌさん等、日本を代表する異文化交流のレジェンドと日頃、親しくしていたが、今度のコンファレンスで宮森さんを知ったことや6次元モデルの参考資料を入手したこと、三谷産業の今度の催事に感謝である。

Blog#99 伊藤滋編著「都市計画家・伊藤滋が見た東北復興2011-2021縦断」(2023.5、万来舎)を読んで

『死者15,900名、行方不明者2,523名の未曾有の大震災から私たちは何を学び、どう備えるべきか。甚大な被害が予想される東京などの巨大都市は、今からどのような対策を立てておくべきか。本書にはそのヒントがある。』と表表紙裏面の記述通り、2011年から2021年の10年間、都市計画家・伊藤滋を代表として、白根哲也、三舩康道、関口太一、小野道生、梶原千尋、(故三武康男)さん等一行が、現地で復興に取り組む行政やUR都市機構の職員らの支援を得ての10回に亘る視察旅行の成果を読んで、有益なる記述と現場の写真の価値に瞠目する。

 都市計画家・伊藤滋自身が「東日本大震災から東京は何を学んだか」について、簡にして要を得て、実に具体的に記す。

Ⅰ.物的施設による防災能力の向上として、

① 東京湾は外洋から津波が押し寄せたとしても湾形がくびれているため、流入する海水は10のうちせいぜい2から3ぐらい。釜石や大船渡市の防潮堤の減災効果を見れば、富津沖か浦賀沖あたりに防潮堤を整備すれば、東京は津波からは安全である。

② しかし地震の津波によって、湾の内陸部で火災が起きる。気仙沼市では木造住宅地での大規模都市火災を引き起こした。(この点については、伊藤が2014年に早大に東京安全研究所を設立。その研究成果として、濱田政則著『臨海産業施設のリスク』(早大出版部、2017年)があり、濱田代表理事の下、(一財)産業建設防災技術調査会)がこの分野の研究を継続している。

③ 鉄筋コンクリート造の建物は、地震や火災、津波から高齢者の命を守るに最適であるが、3階まで上がれるエレベーターを必ず設置すること。

Ⅱ.東京都中心部からの避難について

① 自宅ですぐに避難できない高齢者のため、3階までのエレベーターを普及させることに加えて、市街地の要所要所に10分以内で辿り着けるような防災建築物(救命ビル)を配置する。

② 都心で働く人たちの多くの帰宅困難者の問題について、避難時の危険性を考えれば、急いで帰宅しない方がより安全である。携帯の普及で家族の安否も確認しやすくなった。東京都心であれば、まず命の安全は保障されている。企業は枠を越えて、帰宅困難者にとっての飲料水や食料、仮眠施設を整備することである。

 災害が発生すれば、企業は率先して問題解決にあたり、会議室や倉庫などが東京にとどまる企業の人たちの滞在場所になる。企業間協力で、一時来訪者や外国人観光客が容易に逃げ込めて、眠ることができる場所は地域コミュニティの活動に期待できる。三菱地所や三井不動産、森ビルなどがタッグを組めば、広大な外堀通りの内側が優れた避難地域になる。この地から最終的には山の手の内側に300万人規模の避難地域を整備すれば、東京は世界に誇る地震火災や津波に強い都市になる。

 以上の全ての文は本書の引用で、説得力を伴うのは、都市計画家・伊藤滋の見た北は岩手県久慈市から南は福島県富岡町まで、海添いの市町村の被災と復興の様子で、どの場所も次代へとつなげる歩みをやめていなかったことだという。私のBlog15(2021.2.17)Blog22(2021.4.23)で記した体験とも比較して、特に印象に残った本文の頁と写真を以下に列記する。

P17) 2020年完成した野田村を守る巨大な水門と防潮堤
P22) 田野畑村の羅賀荘、震災から1年8ヶ月でホテルを再開した時の写真
P24) 宮古市田老の防潮堤、2011年と2021年の比較写真
P44) 釜石市鵜住居の小中学校 2011年と2018年の写真
P53) 圧倒的スケールで嵩上げされた陸前高田市街地 2015年の写真
P66) 気仙沼漁港フェリーターミナル 2019年の写真
P68) 南三陸町志津川、庁舎を取り込んだ復興祈念公園 2011年と2021年の写真
P89) 日和山からの旧北上川 2011年、2015年、2021年の写真
P96) 名取市閖上 2012年、2019年の写真
P120)からの、指標として特記すべきは、復興の概要として、復興予算は、この10年間に約36兆円、最も多かったのは住宅再建とまちづくりに13.1兆円、次は被災自治体への交付で5.9兆円、この財源の4割は復興増税による。住宅再建やまちづくりに投下された事業の内容に関して図解しながら、各地の実態を示した資料は実に分かり易い。先にBlog15で五十嵐・加藤・渡辺共著の岩波ブックレットで示されたまちづくりのハード・ソフト面での検討結果「本当に被災者の役に立っているか、厳しく検証されるべきであろう」と評価したことに対して、本書は明確に回答した有意義な資料と思われる。

 最後に、2021年~2025年を新たな復興期間として、「第2期復興創生期間」と位置づけて、復興庁を10年延長することになり、第2期では原子力災害地域の本格的な復興・再生に向けるという。この分野では、Blog22(2021.4.23)で私のこれまでの10年について現地視察した報告はあるも、本書を手にして、これからの日本各地の原発再稼働時代の安全対策について、さらなる研究を継続したいと考えた次第である。

Blog#97 第20回アジア都市環境学会のソウル大会に出席して

 2023年11月2日(木)、羽田空港で吉田公夫君と待ち合わせ、金浦空港へ。出迎えの慶北大のSeo教授の車で11:40、Yeouido(汝矣島)のGLAD HOTEL着。韓国訪問は9度目で、平均3年毎か。

 初めて韓国のソウルに来たのは1991年4月、韓国に稲門建築会支部を設立するため、当時の稲門建築会会長であった谷資信先生と松井源吾・戸沼幸市・中川武先生等と一緒であった。
 2度目は1993年3月、洪元和君が学位を取得した記念に、彼の母校である慶北大学で「都市環境学」について講演したとき。
 3度目は1995年10月、大韓建築学会50周年に招かれて、日本建築学会長の芦原義信先生と内井昭蔵先生がご一緒で、金真一先生の自宅に招かれた。
 4度目は2003年11月、金真一先生に招かれて、ソウルの大韓建築学会で「ヒートアイランドと大深度地下」について講演をした。
 5度目は2006年4月、大韓建築学会の名誉会員授与で、内田祥哉・岡田恒男(各東大名誉教授)とご一緒した。
 6度目は2007年9月、釜山で黄光一教授等の主催した「第4回アジア都市環境学会」に出席したとき。
 7度目は2014年11月、大邱で洪元和教授等の主催した「第11回アジア都市環境学会」に出席。
 8度目は2018年11月、済州島での「第15回アジア都市環境学会」に出席したとき。

 韓国で特に記憶に残っているのは金真一教授で、本当に親日的で、旧日本総督府の建物の撤去に当たっても、保存運動に尽くされたこと、ソウルのご自宅の庭に沢山のキムチや梅酒の壺があったこと、キーセンパーティや清渓川再生物語等々(「この都市のまほろば第1巻」2005年出版に詳細)。

今回の「第20回アジア都市環境学会inソウル」では、AIUE会長の洪元和教授が慶北大学の総長に就任して3年、予想通り、Yeouidoの国会議事堂正面大通りの立派なYEOUIDO-DONG HOTELを主会場にしての3日間であった。
 まずはホテル到着後、すぐ近くの韓国料理店で洪総長に、私と吉田君と三由賢君(ゲストスピーカーに招かれた)が代表的韓国料理を馳走になる。
 

Journal of Asian Urban Environment
AIUE 2023

 15:00~18:00、立派な講演会場で3人の招待講演「ヨーロッパのコミュニティタウンのゼロエネルギー研究」、「アメリカの水素タウン研究」、「日本の脱炭素ビル計画」とパネル討論会はなかなかの出来である。

シンポジューム

 18:00~20:00、Welcome Patyの料理もなかなかである。
 20:00~21:00 AIUE理事会に高君はweb出席。中国の近況は話しにくい様子なので、第21回は東京を中心に、2024年10月に決定する。洪君の総長終了は2024年10月25日とあって、訪日が心配されるも、この夜はホテルでゆっくり休む。

 11月3日、曇り、外は11月とは思えぬほど暖かい。朝食は吉田君と増田君も一緒。
 9:00から学会賞の表彰式。増田君他2人のスピーチもなかなかである。

学会論文賞 受賞者

  昼は近くの焼き肉店(Yeouido Mansion)で、日本6人(尾島・吉田・中島・増田・依田・福田)、韓国6人の昼食会も実に素晴らしい。国会議事堂前の大通りで洪君と記念撮影。
 午後の大会発表中、私と吉田君はSeo君の車でロッテワールドへ。478mの超高層建築の展望階からの景色は刺激的である。

会場西側 国会議事堂前
会場東側 GLAD HOTEL(右側)
SEOUL SKY(LOTTE WORLD)

夜は恒例のさよならパーティで、真露の酒も出され、コロナ禍での昨年の横浜大会を偲ぶ。各大学の優秀論文表彰や参加者の紹介でパーティ会場の雰囲気は素晴らしく、電光掲示板が効果的である。 

 終了後、来年の東京大会会場について相談。聞くところによれば、ソウル大会は1200万円の予算であったとか。洪君の総長としての集金力のみならず、40人の博士と40人の教授を輩出している彼の政治力と指導力の成果であろう。今度のソウル大会に中国からの出席者が限られていたことに比べて、韓国の発表者や会場設営の素晴らしさ、ロッテワールドの賑わいを見て、日本を超えた先進国になっていることを実感する。

 11月4日(土)9:30am、アフタツアーのバス参加者は予想を超えたと驚く一行の出発を見送って、Seo君手配のハイヤーで吉田君と金浦空港へ。空港のロビーラウンジでヘネシーVSOPを飲みながら時間を潰して、12:05発 JAL092便で羽田空港着。

Blog#96 Book and Art Café の魅力

 2000年9月、富山市太田口通りの自宅を改装して「ギャラリー太田口」を開業した。地元のアーティスト10人展を中心に、1~2年展示即売会等を開催したが、維持管理のみならず、サービスや採算面で収支合わず、パソコン教室とブティックに賃貸していた。
 その後、2020年のコロナパンデミックで、その事業も継続できなくなったため、この期間に再び大改装し、Book and Art Caféにしたが、その経営に関しては全く分からぬまま、目下、NPO-AIUEの北陸支部にして、開店休業中である。

富山市のギャラリー太田口(Ⅰ)正面
(2023.8月)
1F インテリア  NPO-AIUE北陸支部予定
2F 展示スペース

 現代総有研で八ヶ岳の白樺湖畔再生の研究中に、静岡県焼津市のシャッター通り商店街の空き店舗(ギャラリー太田口と同規模)を自分だけの本棚を持つことができる一箱本棚オーナー制度にして、その名の通り「みんなの図書館さんかく」と名付け、賑わっていることを知った。初期は10名程から始めたが、回を重ねるごとに参加者が増え、現在は20名程になっている由。毎月一箱2,000円として、一人で2箱、20人×2箱×2,000円/箱・月×12ケ月/年=96万円/年の収入で、町の賑わいに成功している由。

 このような試みを進化させたのが、雑誌「中央公論11月号」の鹿島茂氏と間室道子氏の対談で知った神田すずらん通りの本好きのための隠れ家カフェ「PASSAGE bis! by ALL REVIEWS」(年中無休で12:00~19:00オープン)である。ここの書棚には本の他にもアクセサリーや食器、雑貨など取り揃えており、ショッピングも楽しむこともできる。本棚は5,500円/月・棚、自分が本屋になれる店で、事前申込みが殺到しているとか。

 2023年10月27日(金)午後、訪ねた。この日は年に一度のお祭り「神保町ブックフェスティバル」開催中(10/27~11/3)で、歩道には古本の露店が数え切れないほど並び、世界一の古本店街に圧倒される。
 店内には鹿島氏の本棚もあり、2023.10.20の鹿島茂氏のサイン入り「子供より古書が大事と思いたい」(青土社 1996.3)の著をSUICAで購入して、3FLのカフェへ。20席程のテーブルに中国人と日本人の6人が話し合っていた。空いていたテーブルで一休みしながらチラシを読む。 

 『フランス語で「第二の」的意味の“bis”と「アンコール!」の意味を持つ(!)がこのカフェを象徴しています』というだけに、「ヨーロッパ香るアンティークに囲まれた落ち着いた空間」である。850円のコーヒーを頼むと40分間の持ち時間限定を記したメモとカード払いのみの請求書が添えられている。本当に美味しいコーヒーのみならず、ビールやワインも楽しめるなかなかのCaféである。
 すっかりこの試みに魅せられて、富山でもこんな店ができたら良いがと思いながら、スマホのシャッターを押す。2024年4月を目途に、NPO-AIUE北陸支部長の西岡哲平君にギャラリー太田口(Ⅰ)(Ⅱ)の開設と活用方法を考えてもらっている。

東京都神保町のPASSAGE bis! by ALL REVIEWS
(上右)本棚、(下)3FL カフェ
2023年10月


 

 

Blog#94 9.20 村上陽一郎著「音楽  地の塩となりて」(2023.9.9 平凡社)を読んで

(2023.9.9 平凡社)

 村上陽一郎先生から贈られた著書については、以前、Blog50『「エリートと教養-ポストコロナの日本考」(2022.2 中央公論新社)を読んで』とBlog74『「専門家とは誰か」(2022.10 晶文社)を読んで』に書きました。

 今度は村上先生自身の私生活に限りなく影響を与えた(生命にとって必要不可欠な塩の如き)音楽を中心に、面白い本を出版されました。86歳になっての暇な毎日、この本を一週間かけて読ませて頂いたお陰で、9月に入っての酷暑も楽しく、有意義に過ごすことが出来たことをお伝えしたく思います。

 Blogの題名通り、村上先生の人生にとって音楽は「地の塩」の如き存在であったことが本書の「はじめに」から「楽器の話」「違いの判らない男」「明日には!」「オーケストラ」「クラシック音楽とエンターテイメント」「音楽とは」「能とは何か』「タンゴの世界」「機会音楽と前衛」「ピアノ三重奏曲」「美しい声」「美しくない(?)声」「オーケストラの中のチェロ」「ベートーヴェン断章」「景清」「最大の欠点」と書き進めた上で、233頁に「しかし、私にはほとんど時間が残っていません」とあった。

 次頁からは「出会い、対決、そして融合」と章を改め、「世界に、およそ恥知らずに、あらゆる文化を貪欲に取り込んだ文化圏が二つあった。一つは古代ギリシャ、そしてもう一つは日本。」

 この日本についてこそ、私が今一番知りたいことであった。『明治維新の日本は「和魂洋才」と「表意文字としての漢字と表音文字としての仮名」を巧みに駆使した。西欧文明の翻訳には異なった認識系、異なった存在系、異なった思考系」を伝えるに当たって、西欧の「あれか、これか」でなく、日本の「あれも、これも」と「対決の忌避」(グレイゾーン、曖昧な領域を多くとることによって「対決」を「忌避」する)ことが日本文化の特色で、あれもこれも身内に抱き込んで、事情と状況に応じてどれかを取り出すことができるという「柔軟な」戦略を採用してきた。これがもしかすると「和魂」の神髄ではなかろうか。

 続いて「神の手から人間の手へ」では、『18世紀には文明(civilization)という言葉がつくられた。「文明」とは実は「人間化」のことで、20世紀初頭まで「自然な」とは「野蛮な」と同義語であった。また「人間化」とは、「進歩」であった。この神ではなく人間が主役になる世界は、20世紀に入ると、さすがに人間中心主義は陰りを迎えると。』

 森羅万象に詳しい村上先生にお願いしたいのは、日本文明が世界文明として位置づられるには、日本人に普及している多神教である仏教や神道などの科学的解説である。

Blog#93 関東大震災100年 2023年9月1日(86歳の誕生日)に想うこと

 2023年9月2日の誕生日に京橋伊勢廣本店を予約せんとしたが満席で、銀座5丁目のコアビルから7丁目のGINZA gCUBEに移った楼蘭を予約する。尾島家では自分の誕生日は自分の好きなレストランに家族を招くことになって久しい。

 銀座楼蘭は家内の友人が店長をしており、フカヒレと15年ものの紹興酒の美味しい老舗だ。しかし、この度のコロナパンデミックで5丁目から7丁目に移転せざるを得なくなった由。しかも松江料理の「皆美」のあった店で、12階の鎌倉山も閉店になっていた。コロナは私の銀座オフィスのみならず、銀座の有名店舗にインパクトを与えた。

 9月2日の朝刊やテレビは関東大震災から100年、都市防災の課題として、30年以内に70%の確率でマグニチュード7.3の首都直下地震で、死者最大2万3千人、61万棟の建物倒壊、帰宅困難者453万人と予測している。

 私の誕生日は、本当は1937年9月1日の正午であったのに、関東大震災を体験した父が縁起が悪いと9月2日に出生を届けた。このことは常々けしからんと思っていたが、今度NHKが100年前の大震災を記録した35㎜のモノクロフィルムを8K高精細カラー化に成功し、「映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間」として公開した。各分野の専門家、京大防災研の田中先生等は、撮影場所や時間等を特定し、解析。これを元に、私のよく知る東大の廣井修・悠先生等の専門家が解説している。この特集は実に参考になった。特に10年ほど前に早大東京安全研究所を設立。伊藤滋・濱田政則・長谷見雄二先生等を中心に研究した成果について、今度の関東大震災の記録を元に勉強し直すこと。

 当時の東京市の人口は220万人、浅草の12階建て凌雲閣の倒壊とその後の火災状況を見る限り、市内は10m/sの強風下にあって134ヶ所の出火場所から隅田川の両岸に同時多発的に火の粉が飛び火して、4時間後には240ヶ所から火災が拡大。驚いた群衆は家財を持って50万人が上野公園に避難した。東京駅前には10万人、皇居前には30万人等々、浅草、入谷、下谷、九段、牛込、飯田橋、秋葉原等の場所や時間を特定し、家財道具を積んだ大八車や人込み、人々の表情まで鮮明に撮影され放映された。

 2日目、3日目と東京市内の40%も焼失してゆく状況。隅田川両岸から橋や川岸に向かって逃げ込む人々が群衆雪崩に巻き込まれる様子。2万坪の陸軍被服廠跡地へ逃げるよう誘導された4万人の人々が火災旋風で3万8千人が焼死した惨事。隅田川両岸に押し寄せた群衆もまた相生橋や吾妻橋、厩橋上での群衆雪崩で圧死や焼死。河川に飛び込んだ人々の溺死死体の惨状も明確に放送されていた。「殺してしまえ」との流言飛語やデマの拡散、黒澤明や芥川龍之介等が体験した語りの意義。

 死者・行方不明10万5千人の90%が焼死者。しかも避難場所での被災状況を知るとき、父が私の誕生日を変えたことに納得し、今頃、こんな記録を見るまで気付かなかった自分の都市防災への浅学さを知らされた誕生日になった。

 この日は久し振り、銀座中央通りの歩行者天国を歩き、GINNZA SIXの蔦屋書店へ。今年の猛暑に加えてコロナ感染者の急増、ロシアのウクライナ侵攻の泥沼、福島の処理水による中国の異常反応に加えて、東京直下の大震災予告である。その割には書棚の出版物は日本病の20余年分の蓄積故か、全く緊張感のない高邁な趣味での世界、お茶・香・書・菓子・酒・縄文・古事記等の趣味趣向の解説書群に呆然とする。建築コーナーは安藤忠雄の本ばかりが目立つ。しかし心癒やされた蔦屋書店を出て、楼蘭での老酒1合に酩酊。

銀座 歩行者天国
高さ31mから56mになり始めた中央通りスカイライン(左側がGINZA SIX)
銀座楼蘭の石川店長からの誕生祝い