2018年11月27日、上田篤先生の体調から東京での研究会開催が困難となり、5年続いた縄文社会研究会は「京都部会」と「東京部会」に分け、別々に開催することになった。全体の会長は、名誉会長として上田篤先生が、顧問は尾島、東京部会の会長は松浦氏、副会長は雛元氏、事務局長に山岸氏と決めた。
2019年4月7日、東京部会の第1回目は、法人化することで会員を増加させ、会計処理を容易にすることを決める。また雛元氏は、縄文文化を文明とすれば、日本文明は5世紀を起源とするハンチントン説を1万年以上も拡張することができ、日本文明は世界一長期の文明として、第8の付属的世界文明ではなくなるとの提言。この提言は、上田篤先生も長年考えていたところと思われる。その証拠に、上田先生は既に日本建築の木造様式は2万年も継承されてきたことを、雑誌「環」の特集「ウッドファースト!建築に木を使い、日本の山を生かす」(2016年5月10日、藤原書店)の編集をされたことに加えて、京都部会では「建築から見た日本~その歴史と未来~」(2020年10月30日、鹿島出版会)の編集に、京都部会のメンバーを中心に全力を投入されていた。
その結果として、1万年以上続いた縄文百姓の住居や祭柱の建築技術、縄文以来のライフスタイルや価値観、特に民家は弥生や平安、戦国、さらには現代に至るまで不変と説く。少なくとも、この考え方は上田説と考えられるのみならず、日本の代表的建築界のオピニオンリーダーの合意として、分担部分執筆させたことである。その辺の状況について、田中充子氏は「あとがき」で立証している。
この京都部会の努力に比べて、東京部会は、コロナ禍とあって、2020年8月、雛元、山岸、尾島等が八ヶ岳山麓で合宿したぐらいである。唯、尖石縄文考古館、井戸尻考古館、中ッ原・阿久・平出遺跡の他、黒耀石の星糞峠、諏訪大社の上社前宮・本宮、神長官守矢資料館等、精力的に調査した結果から、縄文の世界遺産には当地こそ世界遺産登録すべき所で、そのための研究を各自の方法で進めることになった。
2020年10月、上田篤+縄文社会研究会編の出版を機に、東京部会として、登録に詳しい五十嵐敬喜法政大名教授にこの件を相談する。「北海道・北東北の縄文の遺跡群」が2006年から先行しているので、「少なくとも、その邪魔をしてはならない」との五十嵐先生の説得があった。
2021年5月にはユネスコの勧告で、これが世界遺産登録確実になった。主な遺跡は①BC1万3000年前の大平山元遺跡は簡素な居住地、②BC5000年前の田小屋野貝塚、三内丸山遺跡は集落の施設が大規模であること、③BC2000年前の大湯環状列石の祭祀場。
それにしても、1万年以上の時間に加えて空間の分散した縄文遺跡を世界遺産に登録し、保全し続けるためには、地元4道県の関係者の苦労が充分に理解される。それだけに、どのように努力したかについて新聞各紙が多様に伝えてくれるのを詳読しながら、改めて五十嵐先生の忠告に感謝する。