Blog#63 久保田昭子氏の手伝った「復興・陸前高田~ゼロからのまちづくり」(鹿島出版会)を読んで

 東日本大震災から10年を機に、陸前高田市役所の阿部勝・永山悟氏と東工大の中井検裕教授、流通科学大の長坂泰之准教授が編著で「復興・陸前高田~ゼロからのまちづくり」を出版。これを一読して、よくぞこれ程までに分かり易く、しかも詳細なデータを実名で、災害大国・日本の復興計画に参考となる出版をされたと感動した。特に「あとがき」の最後に『企画から出版に至るまでお世話になった鹿島出版会の久保田昭子氏の粘り強い努力なしには実現しなかった。編者四名を代表して深く御礼申し上げる(中井検裕)』とあったことから、久保田君の能力を熟知する者として、今一度、本書を熟読しながら、このBlogを書くことにした。

 Blog15(2021年2月)の五十嵐敬喜先生他著「震災復興10年の総点検―「創造的復興」に向けて」(岩波ブックレット)の書評で、32兆円もの国費を投資した日本再生の取り組みと、これに学ぶ東京の災害事前復興計画が見えてこないこと。しかし、使われた国費の価値を評価し、教訓を得る大切さを教えられた。

 そのこともあり、Blog28の「東日本大震災(津波)から10周年」で、2021年6月10日から3日間、渋田玲君と現地視察した。目的は復興地の世界遺産登録であり、その価値を見つけたのは、内藤廣氏の公園設計の案内パンフレットで、この案内に従って現地を視察することにした。その結果、この地を次世代世界遺産として登録することによって、日本のみならず世界中で、自然災害の恐怖に立ち向かった当地の人々の記憶が永遠に語り継がれる施設になると考えた。東北大震災での津波対策に、日本が国家予算の50%に相当する復興費を投下したのみならず、自然災害に対する体験を忘れないためのレガシーとするための研究はこれからが大切であると。

 この時の視察では、街中が高台に移転した大船渡線の北側に300haもの土地を8m盛り土造成するために1200万㎥(500万㎥はベルトコンベア)を使っての新市街地を建設した状況や、シンボルロードを走って、BRTの陸前高田駅の様子や広場に面した気仙大工の技や地場の素材を最大限活かして設計した「まちの縁側」、新設された商店や公共建築の何棟かを視察した。この町には他の町とは違った主体者の存在があるように感じたので、内藤氏に、少なくとも彼の設計した祈念公園を中心に世界遺産登録に向けた運動をすべきと伝えた。そんな状況下にあっての今度の出版である。

 本書を熟読して、空前絶後のゼロからのまちづくりを成功させた秘訣は、分かり易く見える化して公開したことである。本書を事前に入手しての視察であれば、もっと詳しく現地の実態を知ることができたと思われる。その主体者の努力を知らないままに、突然の視察であったが、この陸前高田市の復興は国費2000億円という巨額投資をした成果は十分であった。

 本書の端々に出てくるBRTの羽藤英二、建築家の内藤廣、隈研吾、野城智也、伊東豊雄、戸羽太市長やURの方々、そして主体者である商店街の人々の参画した成果は素晴らしいに尽きる。浸水域人口に対する犠牲者率は10.6%人と最大、市職員400人中111人、地元商工会員699事業者の604者が被災という犠牲を出しながら、5月には「けせん朝市」や8月には地元の「けんか七夕まつり」開催等、市民・商工会・国・県・復興の動向など、主体者の成果毎に10年間の足取りをまとめた年表などに脱帽した。この出版は、陸前高田市の復興事業の全てが世界遺産登録のためのオーセンティシティに寄与するように思えた。

 蛇足だが、高田松原は1940年に国の名勝に、1964年には陸中海岸国立公園に指定された白砂青松が2kmにわたる約7万本の松林で、350年に渡り防砂林・防風林として守り育ててきた。それが3.11の大津波で1本だけ(「奇跡の一本松」として著名)残して流失。県が4万本の松林に復旧、地元NPO法人「高田松原を守る会」は4万本のうち1万本の植栽作業を申請、2021年5月に完了。

 高田松原津波復興祈念公園は市民3万人の署名による要望で、2017年3月着工。2019年9月、主要3施設である「国営追悼・祈念施設」「東日本大震災津波伝承館」「道の駅高田松原」がオープンした。公園面積は175ha、オープンから2年で110万人の来場者という。

 新しい高田松原市は、空前絶後の盛り土をした新市街地と祈念公園他の施設をもって、新しい日本の名勝としてのみならず、世界の人々にこの復興の成果を現地で体験させたいレガシーと考えた。それにしても、今またウクライナの惨状で100兆円の復興財源の必要性を考えれば、人間のレガシーは人命の犠牲の下にしか生まれないのであろうか。