Blog#109 Y.N.ハラリ著・柴田裕之訳「サピエンス全史(上下)」(河出文庫)を読んで

 2023年12月、2024年10月出版予定の「都市環境学を開く」の5章2節「日本文化を世界文明へ」を書くに当たって、考古学と歴史学の空白期、その間の鍵は諏訪地方にあるとして、上田篤・雛元昌弘氏等と「縄文社会研究会」を開催してきた。
 この間、DNAからみた日本人のルーツ調査で、9000年前の縄文早期から1400年前の古墳時代にかけての調査結果から、2500年前(BC500年)の弥生時代から1400年前(AD600年)の約1000年間に、全人口の80%以上の渡来者があって混血した。その間に倭国から大和の国になって、現代に至るとの報道。

 これを少しでも確認したいと考え、Blog102に記したように、三方五湖の福井年縞博物館を訪問した。7万年前からの年縞記録によれば、3万年前の姶良火山や7300年前の鬼界カルデラの記録等と共に、年縞からの古気候学研究の成果として、4万年前、2万年前、12000年前、7000年前、500年前の三方五湖周辺の景色を再現して映像化していた。
 隣接する三方縄文博物館の資料には、近くの鳥浜貝塚から出土した縄文草創期(12000年前)の生活跡から斜格子文土器、早期(BC7000年)の押型紋土器が市港遺跡から、前期(BC4000年前)の羽島下層Ⅱ式併行土器や北白川下層Ⅰa式土器が鳥浜貝塚から、前期後半(BC2000年)には北白川下層Ⅱa式土器が同じ鳥浜貝塚から出土。5000年前のBC3000年頃からの丸木舟(6隻)が発掘されたことから、この辺は水害で人が住めなくなって何処かへ移住していたが、いま又、生活できる環境になっていることを示す。

サピエンス全史(河出文庫、2023.11.10)

 この三方五湖中心の水月湖の正確な年縞記録と日本の歴史年表を重ね合わせながら、年末に丸善で購入した世界的ベストセラーという「サピエンス全史」の歴史年表と比較した結果、第1部の「認知革命」、第2部の「農業革命」に書かれた文章は実に分かり易く、しかも説得力のある文節から、7万年前の「認知革命」で言葉を得たホモサピエンスがアフリカ大陸から外へ流出。日本列島へは3万5000年前に入ったこと。1万3000年前にはホモサピエンスが唯一の人類種として生き残ったこと。1万2000年前の「農業革命」で動物の家畜化や定住社会に入ったこと。その前にはアニミズムが信じられて、石器や木器の時代は狩猟採集民の時代が続いてこと。

 「サピエンス全史(上下)」の訳者あとがきを読んで、本書がヘブライ語で2011年出版され、2014年に英語版、英語版から2016年に日本語版となって、これを私が読んだ次第。
たぶんヘブライ語で書かれたのを読んだイスラエルの人々、さらには日本語のみならず世界30ヶ国以上、2500万人もの人々がハラリの書に感動・共鳴したのは、7万年前にサピエンスの認知革命によってホモサピエンスになった人々が世界中に拡散定住していたことから、今日、翻訳を可能にした。

 柴田君等は、少なくとも英語から日本語に、ヘブライ語から英語に翻訳した人同様に、ホモ・サピエンス(賢いヒト)であったことが理解できた。その上、縄文時代の日本人のルーツである縄文人が3万5000年前に日本列島に流入。彼等が9000年前に東北や中部日本でストーンサークルを作ったのが英国のストーンサークルと同じであったのも、サピエンスの移動速度の遅れはあっても同時多発を可能にしたこと。同様に、世界中でみられる巨大なピラミッドや墳墓、仏教と儒教、石器や木器、丸木舟、黒曜石を使った武器の世界伝搬、木造や石造の建築や土木技術等、世界各地で時代の差があっても次々発掘されることのみならず、世界四大河川文明と信濃川の火焔土器文明、最近の天安門とベルリンの壁崩壊に至るまで、同時多発は当然であることが分かった。

 縄文社会研究会と八ヶ岳研究会で諏訪地方の歴史年表を作成するに当たって、縄文から弥生、古墳、古代、飛鳥、平安と続くこの地方の継続性をもって、BC5世紀からAD5世紀の空白を埋めようとしていたが、この1000年間に日本列島に移住してきた人々が縄文時代からの人口以上に多かったとしても不思議でないことを、最近のDNA研究や本書「サピエンス全史」を読んで理解することができた。

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