Blog#67 楠浩一教授の「建物残余耐震計測法」と「BΣS」の開発普及に期待する

 2022年8月29日(月)、東大地震研の楠浩一教授の「加速度観測記録を用いた建物の被災度判定」の講義をwebで聴講するに当たって、彼の略歴をみて、急に一緒に聴講する仲間達もBΣS開発の意義を知ってもらうことにした。

 楠教授は九州で生まれ関西で育ち、1997年、東大生研の岡田・中埜研で博士修了。生研助手から2000年建研、2006年横国大、2018年東大地震研教授とあった。

 私にとって六本木の東大生研は、1964年の東京オリンピックで丹下健三の代々木競技場の模型実験をしていた場所であり、1994年から1997年迄、第1部の岡田教授と第5部の村上教授の共通・客員教授として4年間在籍し、思い出の多い研究所である。

 この間に1995年の阪神大震災があり、建物の安全性への関心を高くした。1997年からの建築学会長に続いて2004年迄、日本学術会議会員として、大都市や建築の安全問題を検討した。当時の学術会議の理系リーダー達の関心は、センサー技術の開発こそ日本のこれからの進路と熱心であったこと。同じ頃、私の早大研究室に、突然、三谷産業(株)がCAD-BIM開発に多大な研究費と社員を派遣され、共同研究を始めた。当時の大学院生や助手が増田幸宏君や渋田玲君達であったこと。2008年に早大を退職した後も三谷産業の役員に招かれ、また安全・安心をテーマとする(株)セコムからはデータセンターの設計を請け、研究助成は(公財)セコム科学技術振興財団の全面協力を受けたことから、この財団にBΣS研究所を附属できないか検討したが、(公財)の制度限界もあってCAD-BIMの研究継続だけは大型助成制度をつくって対処した。

 幸い、楠教授や増田君の今日のテーマに着目。これを支援すると共に、共同研究に入った。後に建築保全センター理事長時、次世代公共建築委員会の座長として「BIM部会」をつくり、これが今日のBIMコンソーシアムを形成、今日のBLCJに発展した。この間、BΣSとは“Building Safety, Security, Sensing, System, Service”の略で、建物の安全・安心を科学的に感知するシステムを構築して、これをサービスとする産業を育成することを目指してきた。

 しかし、現実にBΣSを実装・普及するには建物の所有者やテナント、設計者や施工者、管理会社の賛同が不可欠である。実装の第1ステップとして、増田君へのセコム財団からの研究助成で新宿の超高層マンションにBΣSの原型を設置することからスタートした。続いて洪水予測値に市庁舎を立地した時からの責任者として、川口市役所、また千里中央駅周辺のエリアマネージメントの防災分野を担当する大阪ガスグループにBΣS普及の第2ステップの導入を予定することができた。この間、楠教授の研究グループとエーラボの荒木氏等の協力で被災度判定のセンサーやサーバーの開発も進み、建防協の認定等に当たっては、三谷産業(株)の支援をお願いして今日に至った。

 2022年度はBΣS普及元年と考え、J.P.R.の渋田君には商標登録も(4部門)でお願いした。同時に、空調とインフィル部門をベースに、リフォームサブコンを目指していた三谷産業(株)がBΣSを事業化することでリフォームゼネコンへのステップを切ることが可能として、役員会で資金の支援を要請し、三谷社長の賛同を得た。

 この機会に、阪神大震災から30周年を迎える神戸市三宮駅周辺でのBCD事業化に向け、大阪ガスの岡本氏やDHC協会の中嶋氏には破壊された神戸市庁舎建て替えに当たって、この庁舎再建に当たって、是非BΣS導入に努めてもらいたい。 楠教授と中嶋氏の千里中央駅周辺エリマネでの第2、第3ステップに向けた話を聞いて、東京直下地震や東南海地震を想定するまでもなく、被災時の避難や建物の応急危険度判定に当たって、技術者の目視による判定の限界を考えれば、楠方式による被災度判定が如何に優れているかを認識した。願わくば、年末か来春には是非、神戸市で関係者を集め、直接、両氏のお話を聴かせて欲しい。

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